(120話)

将軍塚

ところ             東山区三条粟田口の青蓮院の飛地

京が三方を山に囲まれていることを実感できる風景が広がる、東山の頂にある将軍塚。国の一大
事の兆しがあれば「鳴動する」と伝えられてきた場所でもある。
由来は平安京の始まりまでさかのぼる。桓武天皇は平城京から長岡に都を移したが、不慮の事故
が続いた。ある日、側近の和気清麻呂(わけのきよまろ)が「狩り」をしようと天皇をこの地に誘い「こ
の場所こそ都にふさわしい」と進言した。天皇は清麻呂の言葉を聞き入れ、平安遷都を決意したと
伝えられる。
その際、長く都が守られるよう祈りを込めて、北、東、西の三方の山に約二十メートル四方の塚を
つくったとされる。高さ二・五メートルほどの土製の部将の像に甲胄(かっちゅう)を着せ、弓矢を持
たせて埋めた。現存するのは現在の将軍塚だけで、今は青蓮院の飛び地境内。
都の安泰を祈ってつくられた将軍塚は、異変が起こりそうになれば鳴動した。源氏と平家の興亡を
描いた軍記「源平盛衰記」に記録が残る。
一一七九(治承三)年七月のこと。まさに源頼朝が平家に反旗を翻し、挙兵する前年。青空がた
ちまち曇り、人の顔さえ見えないほど暗くなり将軍塚が三度、鳴動し、空に兵や馬の駆ける音が聞
こえたという「源平盛衰記」室町幕府成立前後の軍記「太平記」でも鳴動の記述がある。
青蓮院の本尊は、天変地異を鎮めるとされる「熾盛光(しじょうこう)如来」桓武天皇や和気清麻呂
が新たな都づくりに思いをはせた地。
延元年間(1338年頃)には新田義貞がここに陣を敷いて足利尊氏の軍を敗り、戦争中ここに高射
陣地で火を噴いたのを覚えている。将軍塚は、「強者どもが夢の跡」でもあります。
乃木大将、東郷元帥、菊池大麓、大隅重信 等の明治の元薫のお手植の松が植えられた、石柱や
石碑が後継の松と共に残され、偉人達がこの地から京都の町を見下して、豊かな日本の国造りを
心に誓ったのではないかと想像される、将軍塚。

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