(119話)
大雲院 石川五右衛門の墓

ところ             東山区祇園町南側594-1

大雲院は浄土宗の単立寺院で天正年間に織田信長・信忠父子の菩提を弔うため貞安上人が創建した
もので供養塔があります。本堂の背後にそびえる山鉾を模した祇園閣は江戸時代の実業家大原喜八
郎が建てたもので鉾先には錦鶴が付いています。 (有形文化財)
安土桃山時代に大泥棒として名をはせた石川五右衛門の墓は、山鉾を模した「祗園閣」がそびえる
大雲院の境内墓地にある。御影石に戒名を刻んだ高さ約二メートルの墓石は、角の所々が欠けてい
る、実は人々が削って持ち帰った跡だといわれている。
墓は、以前に大雲院があった京都市下京区寺町通四条下ルの貞安前之町に、一九七九年まであった
墓石が削られたのは、そのころのことらしい。
理由は幾つか伝わる。住職が墓守に聞いたところによると、約数十年前、手癖が悪い子を持つ母親が
「五右衛門の墓石のかけらをお守りの中に入れると、悪い癖が治る」と耳にして、削りに来たことがあっ
た、おそらく「希代の大泥棒」の反面教師を願ったのだろう。
また、心臓を患っていた中学生の母親が、完治を願って訪れたこともあった。数々の修羅場をくぐり
抜けた五右衛門の「度胸」を頼みにしたのかもしれない。
さらには、賭け事に強くなるとも信じられている。この理由では、他にも幕末の侠客・国定忠治の墓
碑も、博才にあやかろうとする人たちに削られているという。
住職「人に見られたら効果がなくなると信じられているので、削った皆さんはこっそりと持ち帰ります」
五右衛門の戒名は「融仙院良岳寿感禅定門」といい、当時としては、社会に貢献した人や信仰のあつ
い人に付けられた位の高い戒名だという。住職は「理由は分からないが、ただの盗賊につける戒名で
はない?!!・墓石が出来たのは徳川家光時代時の権力者が変われば英雄扱い・・・・
義賊。時の権力者・豊臣秀吉に対抗した反体制派のヒーロー。時代を経て、五右衛門は歌舞伎の演
目などで、さまざまな姿に伝説化されている。墓石を削りに来た人たちは、良くも悪くも歴史に名を残し
た五右衛門の「功績」に魅力を感じ、その「御利益」にあやかろうとしたのだろうか。

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