(115話)

岩倉 実相院

ところ          左京区岩倉上蔵町121

実相院は元天台宗のの単立寺院で、ご本尊は鎌倉時代に作られたと伝えられる木造立像の不動
明王で、 寺院の住職を天皇家の血を引く方々が務められていた、格式の高い寺院のことで、代々
皇室から大きな支援を受けて栄えていた春にはエメラルド色に輝く「床緑」は磨かれた板の間に映り
込むカエデの木々。秋は真紅に染まり「床紅葉」と呼ばれています、円山応拳や谷文晁と競い合っ
た画家で、虎を描かせれば当代一といわれた人物(岸駒)の画ある京都御所の近くに移り、ここ岩倉
に移ったのは応仁の乱の戦火を逃れる為にこの地に。
 
実相院に間借していた人物は昭和44年(1969年)発行500円札の肖像画の人物としてもお馴染み岩
倉具視・前権中納言・堀河康親の次男として生まれる、幼少の頃より知恵物で通り、その才を買わ
れて、14歳の時、岩倉具慶の養子となるが、姉堀河紀子は天皇の侍従に抜擢されている。
岩倉具視の写真から小柄ながら眼光鋭く胆力のありそうな面構えで、とても公家にはみえない孝明
天皇の暗殺に関与など彼を批判する声も大きいが岩倉具視が残した現代の官僚のルーツとなった
功績も大きいまさしく怪物、 ・・・・・・・・・
若いながらもかなりの切れ者で知られる人物である。古今東西の権謀術数に精通し、交渉工作に
その才を発揮した、公武合体、和宮降嫁と積極的に動き回る。しかし、あと少しで目的が達成され
るというところまで来るたびに失脚を繰り返す。逃げの桂小五郎は岩倉の見事な逃げっぷりに感服
していた、この者が果たして何を考え、何を為し得るために謀略を廻らし、不様といわれながらも生
き存えんと宮中生活を捨ててまで郊外へ潜伏して 5年間の幽居中も薩摩や同志の公家か情報を集
め黒幕として局を動かすまさに錦の御旗であった。
ベルツからは癌告知を受けた(岩倉は史上初めて「癌告知」を受けた日本人)享年59才最初の国葬
因みに加山雄三は(上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子(岩倉具視のひ孫)である。

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