(110話)

十輪寺

ところ          西京区大原野小塩町481

京に初めて都を置かれた北にあり天台宗の古刹。寺は、嘉祥3年(850)文徳天皇のお后、染殿皇后
(藤原明子)の世継ぎ誕生を祈願のため、伝教大師作の延命地蔵菩薩(腹帯地蔵尊)を安置したのが
始まり、めでたく皇子(後の清和天皇)がお生まれになられたことから文徳天皇勅願所となり。
現在も子授や、安産を願う人の信仰を集めています
 
花山天皇が観音霊場巡拝の際に、背負ったという草分観音があり西国三十三所巡礼の始めに十輪寺
へ、最後に信州の善光寺に参拝し巡礼の礼をする。また、高野山金剛峯寺の奥の院、比叡山延暦寺
の根本中堂、奈良の東大寺の二月堂、大阪の四天王寺を番外霊場に含んでいる場合もあり、お礼参
りは善光寺を含め5か所の中から一つを選べばよいとする説もある。
 
通称 業平(なりひら)寺と云われ知られている在原業平の晩年の閑居跡と言われ、本堂の裏山に
業平の墓と、業平が設けた塩竃跡が今も存在する在原 業平(ありわらの なりひら(825年〜880年))
は平安時代初期の歌人であり、六歌仙、三十六歌仙のひとり、また伊勢物語の主人公とみなされる。
平城天皇皇子の阿保親王第五王子。母伊都内親王は桓武天皇の皇女で、業平は桓武天皇の孫にあ
たる、絶世の美男子にして平安のプレーボーイ。父・母とも天皇の子でありながら”薬子の変”で生ま
れて間もなく在原の姓を与えられ、臣籍に降下する。
藤原摂関体制から疎外された 風流の道にその生涯を蕩尽したと云うべきであろう。その歌は華麗に
して哀切な情感をたたえていた。
難波津(大阪)から運んできた海水を溜めたと伝えられる、境内の小高い丘に塩竃(しおかま)をも
うけて二条后(藤原高子)への思いを煙にたくしたとも伝えられています。業平には、煙の如く消え
去った優雅な生活を惜しむ気持ちがあったのか!!
幽玄な雰囲気の漂う簡素なお寺其れも其のはず応仁の乱で焼失した後、新たに寛延3年に再建された
もので、屋根は鳳れん形という御輿を模った非常に珍しいもので、内部天井の彫刻も独特の意匠が施
され、文化財指定・・・・・・なりひら楓・なりひら桜・なりひら紅葉なんとなく風流
 
紀貫之の古今和歌集仮名序は彼の歌を評して
「情感があり過ぎて、それを表現する言葉が足らず、しぼんだ花が、色はあせたのに香りだけが残って
いるようだ」と述べ、その香気と風趣にあふれる叙情性を讃えている。

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