(107話)

伏見稲荷大社

ところ         伏見区深草藪之内町68

深草三郷の藤森神輿が伏見稲荷に続々集結してくる「ホイットー,ホイットー」の勇ましいかけ
声と共に藤森神輿は伏見の稲荷神に「土地返せ!」と迫ってくる。
伏見稲荷の神官が藤森神社の神々を出迎え,供物を整えて「謝罪」・・・?
伏見稲荷の地は本来は藤森神社の社域であった、伏見では今でもこんな伝承(でんしょう)が残っ
ている藤森の神官に人間に化けたキツネが稲荷山の裾野を借りて稲を植えました其れが次第に殖え
山の頂上にまで増えてしまい現代に至っている由縁である。
 
大化の改新」で蘇我氏の勢いが低下していく中、紀氏の勢いも当然下降線を辿る事になる。やがて、
この一帯は秦氏の支配する所となり、かっては藤森神社の社域であった伏見山には稲荷神が勧請さ
れた。藤森神社は社地をかすめ取られたわけである。
秦氏に対する深草の先住者には荷田氏もいる。荷田氏は空海の実母の実家であり,東寺執行職の
阿刀氏とも姻戚関係にある豪族である。事実,稲荷大社には荷田社があるし,代々伏見稲荷の宮司
を継承してきた。伏見稲荷大社の御旅所も東寺にあり、歴史的には荷太夫(1105〜1176)が稲荷社に
「僕」として仕え,祈祷師的存在として活躍した
稲荷神を祀る全国約4万社の稲荷神社の総本宮である。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神
域とする。
宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)を主祭神とし、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神
四大神を配祀する。稲荷神が農業の神であるために、五穀豊穰・商売繁盛・交通安全といったご利益
がある。
711年(和銅4年)2月壬午の日に、伊侶具秦公(はたのきみのいろく)が勅命を受けて伊奈利山三ヶ
峯(稲荷山)に三柱の神を祀ったことに始まる。山城国風土記逸文には伊侶具秦公が稲荷神を祀る
ことになった経緯が書かれている。秦氏にゆかり深い神社である面積は甲子園球場約22倍
 
秦氏の基
日本書紀によると応神天皇14年に弓月君(ゆづきのきみ:新撰姓氏録では融通王)が朝鮮半島の
百済から百二十県の人を率いて帰化し秦氏の基となった土木や養蚕、機織などの技術を発揮して栄
えた欽明天皇の時代には秦大津父(おおつち)が伴造となり大蔵掾(朝廷の財務官僚)に任ぜられた
といい聖徳太子の時代にも活躍した広隆寺 ・松尾大社 ・伏見稲荷大社、法然上人の母、島津氏
楽家の東儀家など秦氏出身である。

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