(104話)

桶取地蔵

ところ          左京区静市市原町738-1更雀寺内地蔵堂

鎌倉期も終わりのころ、壬生寺の近くに松並千歳という白拍子が一人の娘と住んでいた。娘は照子
といって、容姿は美しかったが、どうしたことか、生まれついて左手の指が三本しかないという不自
由なからだだった。そこで、娘は壬生寺に日参、また道すがらのお地蔵さんに祈るのだった。
「‥‥どんな因果かは知りませぬが、来世こそは、不自由でないように生まれさせてくださいませ」
そして家に近い尼ヶ池の水をくむと、お地蔵さんの閼伽(あか)水として、お参りは一日たりとも欠け
ることはなかった。ところが、そんな壬生寺に、その娘と同じように日参する男が一人あった。
名を和気俊清といい、妻がいた。が、ある日二人は境内でバッタリ顔をあわせ、俊清は娘に一目ぼ
れ。いつしか、お互いに馴れ合う間柄になってしまった。
「わたしという妻がありながら、なんという‥‥」
怒ったのは俊清の妻。嫉妬に狂い、やがてそれがもとでとうとう狂死してしまった。
地蔵参りが縁で知り合った二人だけに、俊清にも照子にもショックだったのはいうまでもない。
「ああ、不憫なことを‥‥」
二人は道ならぬ恋の非を悔い、亡妻の菩提をとむらうため出家するのだった。
「壬生寺縁起」にある話である。そして、この縁起を狂言化したのが壬生狂言「桶取り」と伝えられる。
 
この寺はかって四条大宮西にあって、門前に大きな地蔵堂が建っていた。それが、この「桶取」に由来
する桶取地蔵尊をまつる御堂であった。寺には古くから、一人の女が閼伽水を入れた桶をのせた絵が
伝えられてあるという。それは、尼ヶ池に水をくみに通った娘・照子の姿をうつしたものであろうか。
その尼ヶ池は、三条通り千本西の福田寺に今も残っている。
照子と俊清の悲話を伝える桶取地蔵、いつのころからか中風、脚気にご利益があると、信仰を集めるよ
うになった。旧正月の三ヵ日、寺で湧かす御香水をいただくと、霊験あらたかとか。戦時中は、戦地の
夫や息子に、この水を送る人も多く、また戦後の食糧難時代には脚気の人が信仰したという。

HOME *** *** NEXT