(103話)

雀塚

ところ          左京区静市市原町738-1更雀寺内雀塚

京の北のはづれに人間の執念と煩悩の寺・・・・・・・更雀寺(きょうしゃくじ)の山門をくぐると、境
内に小ぶりの五輪塔が静かにまつられていた。平安中期の歌人藤原実方(さねかた)ゆかりの
「雀塚」だ。東北に没した実方が、死後、雀に姿を変えて都に戻ってきたという伝承が残る。同寺
では「実方化雀(けじゃく)塔」と伝わる。
藤原実方は・・・・小倉百人一首「かくとだにえやはいぶきのさしも草さしも知らじな燃ゆる思ひを」
の歌で知られる中古三十六歌仙の一人。九九五年、天皇の面前で藤原行成と歌について口論と
なり、怒りのあまり持っていた笏(しゃく)で行成の冠を打ち落とした。行成は取り乱さず、事を荒立
てなかった。このため、天皇は実方を奥州(宮城県名取市)・陸奥守に左遷した。
三年後、実方は落馬し亡くなった。ある日、藤原家の学舎(まなびや)である勧学院の住職観智上
人の夢枕に一匹の雀が現れた。
「我は実方なり。身は陸奥に没したが、魂は雀となって、都に戻ってきた。朝は台盤に遊び飯をつ
いばみ、夕方には林の中で翼を休める。勧学院は藤原家の学校で、往時をしのんで止宿する。我
がために誦経(ずきょう)せよ」と告げた。翌朝、上人が境内の林の中を見ると、一匹の雀が死んで
いた。上人は、実方の変わり果てた姿と塚を築き、その霊をなぐさめたという。
かの鳥山石燕が描いた妖怪「入内雀」の伝説が伝える。、因縁の地であつた。
 
その後、勧学院の名も雀にちなんで「更雀寺」とあらためられた。もともとは、中京区西ノ京勧
学院町にあったが、江戸時代に四条大宮に移り、三十年前、当地に移転した。創建当初は大・小
の堂宇が並んだが、度重なる火災などで徐々に縮小されていったという。それでも、雀塚は代々守
り伝えられている。
こけむした石塔の周りには、いま、陶芸に携わる檀家が納めた焼き物の雀が十数羽遊んでいる。短
歌や俳句に親しむ人だけでなく、実方が没した宮城県などからも、おりに触れて参拝に訪れる人が
絶えない。
京都では冷遇されたものの、左遷先の宮城県では地元民に愛されたらしく、現在宮城県名取市には
彼の墓が残されている。しかも、毎年10月には墓前で歌会までやってくれるのだ。東北人は、純朴
で人情深い 。・・・・・他に哀話を秘める壬生狂言「桶取り」の桶取地蔵尊があります。

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