(10話)

清涼寺の梵鐘

ところ 右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町

悪妻日野富子と言われたが、昔の話、現代では財テクにスゴ腕を発揮したスーパーレデ
ィ。と言ぅべき人物だ。
妙なる音色を響かせ、庶民の平安を祈る梵鐘。
嵯峨釈迦堂。清涼寺の銅鐘には永遠の歴史と、さまざまな伝説があった。
この銅鐘にはこんな銘が刻まれている。”従一位日野富子”。。 。。銘の主。富子
は八代将軍義政(21才)の妻。貴族。日野家に生まれ、16才で義政に嫁ぎ、二女をもう
けたが娘時代から気ままに育った富子にとって、たった一つの悩みのタネは、跡継ぎと
なる男児が出産できない事だった。
栄華をきわめた義政も政治はもうひとつ熱がなく、隠居を決意、実弟の)義視(よしみ)を
後継者に決めた、其の後富子が次の将軍義尚(よしひさ)を身ごもつた。
「義視(よしみ)の跡とりを取り消してほしい」
富子は毎日のように義政を責めたてた。さすがの義政も富子の”悪妻”ぷりにはほとほと
手をやいた。 「妊娠を機会に静養を。」 富子を堺の領主。細川勝元に預けることにした。
ここに歴史上の応仁の乱、文明の乱(1467)の始まりとなる、富子は山名宗全に助勢
を求め、義尚(よしひさ)を立てて細川勝元の義視(よしみ)と対立。。。やがて戦国時代、
下克上、そして足利家没落へ。。。と歴史の歯車はまわった。
そのほか、富子の悪政は尽きない。関所での課税や米相場、ワイロや高利貸等政治に
は金は今昔つきもの、仏心とはほど遠い富子と銅鐘。。。。そこにはなんの結びつきもな
さそに思えるのだが。。。。
「富子が堺に居た時、堺の商家と知り合った、そこで勧進僧。宝鎮に寄進を求められ。」
義尚(よしひさ)を産み、将軍への夢を抱きつずけた富子が、世の悪評を打ち消す為に
又、敵側にも金を渡した証文も残って居る、無能な義政に変わり応仁の乱を終わらせた。
「この鐘は堺の宿院で造された。が、なぜ清涼寺に移されたのか、歴史にも伝説にも語
られていないのです」
鐘にまつわる伝説は幕末のころから、庶民の間で作られたとか。。。
「あの鐘をつけば無病息災。。。入学試験に合格する」
富子の執念____わが子への執念が伝説に結びついたでは。
鐘の音韻には権勢の鬼と化した富子の執念さえ感じさせない。ただ澄み切った、心の
平安を祈る女の優しさを感じさせ、現世の人々に梵鐘をつかれるたびに心を安らかに。
又。。。この寺
源氏物語の光源氏のモデルとされる源融(みなもとのとおる)ゆかりの寺である。
竹仙と言う湯豆腐があり、大変風情があつて桜を見ながら良いですよ。

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