つくってみたら…


木造道祖神


というわけで私も
作ってみました。小正月のツクリモノ。おもしろいです。マイブームになってます。作ってみると色々と発見がありました。たとえば「案山子神」って何の神様?とか、「作だいしょう」「作男」「作女」のサクって何なのかとか、門や辻にどうしてカドノボウや道祖神をたてるのかとか、気がついたことをおいおい書き込んで行きたいと思います。

ホダレ

 平成18年の秋に東吾妻町で真田サミットがあり見学にいったら、沼田の鍛冶屋さんが出店していて、左用のハナカキナタがあったので買ってくる。10年前くらいに中之条の金物屋でハナカキナタを買ったのだけれど左利きなのでうまく使えなかった。平成3年の歴博、「群馬の小正月のツクリモノ・祈りのかたち」展を観てから作ってみたいという思いがいつもあり、左用ハナカキナタが手に入ったので、やっと思いが叶って作ることができた。作ってみるとナタ、小刀、ノコギリ、ハナカキナタの使いこなしや、竹を細かく削く技術等、昔は当たり前の事が今はやらないからできない。指を3回切った。
 結局、やきものでも同じ事がいえるだろう。国宝級の井戸茶碗をいくら真似てつくろうとしても、ナタ、小刀、ノコギリが満足使えないような現代人では、400年、500年前の人と基本のところでもう違っているので、本当の本物に肉薄するのはむずかしいとつくづく思うのです。体の中からしみ出してくるような技術。無意識の技を身につけたいと思っている。それにはロクロをひいてひいてひいてひいて身につけるのは当たり前で、それでもたりないものは生活の違いからくる微妙な筋肉の使いかたの違いで、見える人には見えて、見えない人には、一生見えないもの。手業の最高技術を注ぎ込んだ井戸茶碗製作者たちは、当然生活全てにおいて優れた達人集団であったろう。


  たわら木と道祖神

小正月のツクリモノには、大きくわけて、蚕の神、田んぼや畑の神、山の神の3つの神様が混然としているように思われる。ツクリモノは、それぞれの神の象徴的なモノや神そのものを作り、豊作祈願や厄払いを願った。蚕の神には、繭玉や、16バナを作る。田畑の神には、粥かき棒、はらみ箸、アーボウ、ヒーボウ、ホダレ等。山の神は、12バナ、たわら木、作大将、作男、作女、山案山子神、加賀子神等がある。そしてその家ごとに、いろいろなバリエーションがあったらしい。木造道祖神も、樹皮のむきかたや、顔の描き方、文字だけのもの、くびれを入れるもの等々、作る人、その家々により千変万化である。その多様性こそが国指定文化財の価値であろう。しかしいまの川原湯では、ホダレを作るくらいでツクリモノにいたっては、皆無である。他の地域でも同様だろう。ちなみに今年、不動堂に納められたホダレは、4つだけだった。
 
かゆかき棒とはらみ箸
粥かき棒は、あずき粥をかき混ぜるのに使う。かき混ぜる側は、十字に切れ込みを入れる。反対側は、鉛筆のようにとがらせる。今年のツクリモノ展をには直径15センチくらい太い粥かき棒が出ていた。棒の切れ込みの中へどのように粥入ったかで作柄を占うのだそうだ。占った後、田んぼの水の取り入れ口に立てるという。考えるに、この呪いは、かき混ぜることではなく、あずき粥の入った棒を立てることに意味があるようだ。片方の先を尖らせるのは、もともと杭のように突き刺すのが目的だからだろう。十字の切れ込みは、カネ。矩=金。五行の金にあたる。金を小豆の赤=火で封じるのだ。この手の封じ方は、どんど焼きには、いくつも見られる。どんど焼き自体火気を強めて金気を追い払う祭である。それを徹底して行う祭りである。繭玉に煙をあてる。三つ又の枝に繭玉をさす。門松の燃えた三つ又を持ち帰り屋根に上げる。これは火災よけだという。このようにカネを封じた杭を水の取り入れ口にさして災いが田へ入ってこないようにする。はらみ箸は、たわわに実ることの象徴だろう。家の人数分と神様の分を作る。粥かき棒でかき混ぜたカネ封じの粥を神様とともに家族で食べる。粥かき棒とはらみ箸がセットで実りの秋と一年の健康を祈願をする占いと解く。



木の神様達
 炭焼きや木地師のように山仕事をする人たちは、山の神を奉る。ツクリモノは、前記したようなものを作ったらしい。12バナは、大山岻の12人の子供から来たのだろう。作男作女の作とは、何だろう。作イコール咲く。浅間神社の祭神「木之花佐久夜姫」のサクではないだろうか。山の神とは、どんな神様か。山案山子神、加賀子神、作だいしょうから想像するに、蛇が神様と考えられそうだ。ヤマカカシ。アオダイショウ、またはサクの大将だから、大山岻か。いずれにしても案山子神は一本足のへびだろう。春に山から下りてきて、11月の案山子上げ行事の十日夜で山に返す。
 4月8日の川原湯神社の太々神楽で酒造りおろち退治の演目がある。八俣のおろちが山から下りてきて稲田姫をさらっていこうとするのをスサノオの命が退治する話しだ。おろちを退治すると尾から草薙の釼がでてくる。そして次の演目が稲刈り狐である。スサノオの命はアラシの神。荒らす、嵐の神である。
 秋の実りを獲るまでの一喜一憂が自然を頼みに毎年繰り返されるのが農業である。今年一年が平穏無事であるように、陰陽合する太極としての道祖神に祈る。山の神、田の神=やまたのおろちに
祈るのだ。

アーボー ヒーボー


キジグルマ
きじぐるまは、木地師が作ったからキジグルマという説がある。確かにそうかもしれないけれどもっと深いいみがあるだろう。どんど焼きや鳥追いと重ねれば、追い払われるトリであろう。関西では、キジグルマを三宝にのせて正月の神棚に飾る。九州熊本のキジグルマ。キジウマともいう。ウマになると金のトリが火のウマに変身する。関西も九州もウマに変身したトリを奉っているのかもしれない。さしずめ手塚治虫の火の鳥か。ここのキジグルマは、追い払われるトリとしての方が強いかもしれない。


 し
こんなのも作ってみました
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