愛犬 ころんちゃん

文人墨客 牧水

若山牧水 
「吾妻の渓より六里ケ原へ」

吾妻渓谷で詠んだ歌 22首 大正7年 34才

岩山のせまりきたりて落ち合へる峡の底ひを水たぎち流る
うづまける白渦見ゆれ落ち合へる落葉の山の荒岩の蔭に
青々と渓ほそまりて岩かげにかくれゆく処落葉木は立つ
見るかぎり岩ばかりなる冬山の峡間に青み渓湛へたり
せまりあふ岩のほさきの触れむとし相触れがたし青き淵のうへに
夕さむき日ざしとなりてかげりたる岩かげの渓の藍は深けれ
寒々と岩のはざまに藍ふかくながるる渓は音もこそせね
岩蔭ゆ吹きあげられて渓あひの寒き夕日にまふ落葉見ゆ
岩かどをまはれば渓はかくろいて岩にまひたつ落葉乾反葉
幾すぢの糸のかかりて音にひびくかそけき滝に立ち向ふかも

おのが身のさびしきことの思はれて滝あふぎつつ去りがたきかも
そそり立つ岩山崖の岩松に落葉散りつもり小雀あそべり
岩のあひに生ふる山の木大けきが立ちならびゐて葉を落としたり
岩山の岩のなぞへに散りしける落葉真新し昨日かも散れる
岩山にあらはに立てるとがり岩のとがれるあたり落葉あざやか
峰に襞に立ちはだかれる岩山の山の老樹はことごとく落葉
岩山に生ふる山の木おほかたはふとく短くて枝張り渡す
岩山の岩をこごしみひと伐らず生ふる大木は枝垂らしたり
何の木か古蔓なし垂りさがり落葉して居るその岩端に
とある木は大き臼なし八方に枝はりひろげ落葉して居る

落葉して寒けきひと木なかば朽ち真洞なせるが枝垂らしたり
ものいふとわれにかも向ふ岩山の落葉せる木木われのめぐりに


渓ばたの温泉
 渋峠ごえ木曽路の旅 大正9年 36才
朝づく日峰をはなれつわが歩む渓間のあを葉透き輝けり
朝づく日さしこもりたる渓の瀬のうづまく見つつこころ静けき 
静かなる道をあゆむとうしろ手をくみつつおもふ父が癖なり
飛沫よりさらに身かろくとびかひて鶺鴒はあそぶ朝の渓間に
渓あひにさしこもりたる朝の日の蒼みかがやき藤の花咲けり
荒き瀬のうへに垂りつつ風になびく山藤の花房長からず

若山喜志子
亡き人が臨終のきわの夢にみえし渓の流れはここにかありけん

吉野秀雄
谿ふかく散りこむもみぢ魚棲まぬ吾妻川に揉まれゆくべし
茶碗にて汲める温泉の熱ければ懸け樋の清水割て飲みたり
渓の湯の湧きいづるほとり芭蕉句碑も巡礼塔も露ぞさむけき
かぎりなき数の蜻蛉のきらめきし谷の没日も薄れゆきけり
川原湯の宿の灯虫も減りへりて今宵繭蛾二匹がすがる
吾妻の峡来む汽車を朝霧に濡れつつ待てり川原湯の駅

土屋文明
燕の峠に見下ろす谷の道雲より遙かなりふるさとの方は

斉藤茂吉
窓のそとは直ぐ深谿におちいりてあがつま川の間なき音

与謝野晶子
深山の湯たまれるきりのここちしてくもれるをあび秋風をきく
吾妻の八ッ場の橋に見るときは水も音ある雲とこそおもえ

与謝野寛
川原湯の社のすだれふりたれど入て拝めば肩ふれてなる

折口信夫
やはらかに眠りもよほすこよひかも谷のまがりの音ふけにけり

金子兜太
三日月がめそめといる米の飯
はらわたをみな揺すぶって夜の町ゆく
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