パパとママのための

七五三のお祝い

©山長 本店広報室 編

(1)七五三とは

(2)晴れ着

(3)参詣

(4)あいさつ

(5)お祝い・内祝い

(付)七五三メモ

(山長七五三案内/亀戸七五三リンク)

このページは、山長(本店広報室)発行のリーフレット〔四季ある暮らしシリーズ1〕「七五三の祝い方〜パパとママのための〜」に加筆修正したものです。七五三をお迎えになるご家族さまにご活用いただければ幸いです。無断で転載・商業利用することを禁じます。【2000-08-23更新】


(1)七五三とは

子どもに自覚と喜びを与え
よそいきのマナーをしつける

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 七五三は、かつて武家社会で五歳の男児の「袴着(はかまぎ)」と七歳の女児の「帯解き」を祝っていた習慣が、明治以降、広く一般に広まったものといわれています。また、武家に限らず、男女とも三歳になると、乳児から幼児にふさわしい髪形に変える「髪置き」の儀が、古くから各地で行われていました。いずれにしても、三歳・五歳・七歳の節目節目を無事に通過した子どもの成長を喜び、神仏に感謝し、幸多き将来を祈る気持ちは、昔も今も変わりないでしょう。

 かつては地方によって日時も方法もまちまちでした。明治・大正のころからは、鎮守の祭りである霜月祭の十一月十五日、子どもの厄年とされる三歳・五歳・七歳のこの日に、地域の氏神へ参詣して厄祓いを受けるようになりました。第二次大戦後、このスタイルは日本全国に広がり、今日にいたるまで定着しています。


(2)晴れ着

子どもに自覚と喜びを与え
よそいきのマナーをしつける

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 しきたりでは、七五三を迎える子どもの母方の実家から、この日のために晴れ着を贈りました。三歳のときには、出産に際して贈られた祝い着を、五歳の男児には紋付きの羽織に仙台平の袴を、七歳の女児には揚げをした本裁ちの絵羽友禅と抱え帯を、それぞれ身に着けさせたものです。

 現代では、父母が子どもに似合ったものをあつらえて着せ、それに付随する身の回り品を周りの人がプレゼントするケースも多いようです。新調する場合は、お正月や家族・親戚の冠婚葬祭にも着用できるようなものにするのも一案です。

 両親も子どもに合わせた服装にします。父親はビジネススーツかダークスーツのようなもの、母親もワンピースやツーピース、アンサンブルなど外出用を選ぶか、和服なら無地か付け下げ程度が最適です。新調する場合は、入園・入学などにも着られるものを。

 和装・洋装どのような着物を選ぶにせよ、晴れ着の大切なポイントは、少し引き締まったよそいき気分を味わわせ、子どもに節目の年齢の自覚と喜びを与えること。晴れ着とともに外出先でのマナーをしっかりと身に着けさせたいものです。


(3)参詣

家族そろって
神仏への感謝を表す

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 お参りは十一月十五日に限らず、その前後の日柄のよい休日などに振り替えることが多いようです。子どもの晴れの祝いですから、できるだけ家族そろって出かけられる日が好ましいでしょう。

 参拝する神社は本来、地域の鎮守である氏神とされていました。しかし今日、特に都市部では生活も多様化していますから、氏神がなくともなじみ深い近所の神社などにお参りすればよいでしょう。また、幼稚園・保育園などを併設するお寺や教会などでも、七五三を行っており、多くの場合、門信徒以外にも開放されています。各家庭のライフスタイルに合わせて、決めるのがよいでしょう。

 神社へのお参りは拝殿手前の手洗い所で手を洗い、口をすすいで清めてから神前に進みます。鈴を鳴らし、二礼二拍手一拝します。加護を願う気持ちをこめて、お賽銭を納めましょう。

 よりていねいな参拝として、神官からお祓いを受け、祝詞をお願いすることもできます。十一月の土日などは混み合いますから、予約しておいた方が確実です。お祓いのお礼は、式場に表示案内されていれば、それに従います。わからないときは社務所でたずねるとよいでしょう。

 一般的に、金包みは、七五三に限らずお祓いを受けたときのお礼の表書きである「御初穂料」「神饌料」とし、その下に子どもの名前と年齢を書きます。のしをつけ、水引は紅白蝶結びで。


(4)あいさつ

祖父母や親しい人々をたずね
喜びをともにする

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 お参りをすませた後、記念撮影をします。ただし、十一月十五日前後の休日は、写真館も大変混雑します。記念撮影は必ず事前のご予約を。最近は、混雑を避けて、お参りとは別の日に記念撮影するご家庭も多いようです。

 近くに子どもの祖父母や親戚、お世話になった方などがあれば、そのまま子どもを連れてあいさつに伺いましょう。遠くにいる祖父母には、この日の写真をぜひ送ってあげたいものです。また祖父母を伴ってのお参りなら、帰りにお食事など楽しいひとときをご一緒に過ごすこともできます。


(5)お祝い・内祝い

お祝いはごく親しい間柄で
内祝いで喜びを分かち合う

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 七五三は親が子の成長を祝う内輪の行事ですから、ごくごく親しい間柄をのぞいては形としてお祝いを送るしきたりはありません。喜びを分かち合うために、ご近所や友人知人に御赤飯・千歳飴・鳥の子餅などの内祝いを配りますが、いただいた側は「おめでとうございます」と祝いの言葉を贈るだけで十分です。

 七五三を迎えた家庭では、お祝いを期待すべきではありません。かえって先方に気を遣わせることにもなりかねませんから、あいさつ伺いも、子どもの祖父母や親の兄弟姉妹とご近所どまりにするのが無難です。

 親戚などごく親しい間柄でのプレゼントに決まりごとはなく、現金でもかまいません。子どもの祖父母なら、当日の晴れ着や着用する小物を贈るのが一般的でしょう。父方・母方双方の実家で相談し合うのもよいですが、子どもの両親の希望を尊重することが大切です。

 お返しは内祝いの品として、近くの人には御赤飯・千歳飴・鳥の子餅などを持参し、遠くの人には紅白の祝い砂糖や祝い菓子などを送りましょう。内祝いは十一月十五日前後から遅くとも月末までには届けなくてはなりません。


(付)七五三メモ

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内祝い品あれこれ 千歳飴
 松竹梅・鶴亀などのおめでたい色絵を描いた縦長の化粧袋に入れた紅白の棒飴。その形状から「長く伸びる=長寿・出世」の縁起菓子として、七五三に求められます。飴そのものは古く日本書紀にもその記述が見られますが、七五三の千歳飴は十七世紀後半に江戸・浅草寺境内で初めて売り出されたとされています。  昔ながらの紅白さらし飴は、べたつかないので好まれます。また、キャンデータイプのミルキー飴も今日では定番人気となっています。  子どもの年齢に応じて三本・五本・七本のいずれかを選びます。あいさつまわりやご近所・親戚などへの内祝いの品として、お配りします。

御赤飯
 米は弥生時代に中国大陸から日本に伝わってきましたが、それは「赤米」の名の通りの真っ赤な米でした。後世では白米を食べるようになり、赤米は作られなくなりましたが、祖先神への供え物として赤米をしのび、白米を小豆で赤く染めた「赤飯」を炊きはじめたといわれています。江戸時代後期からは、もち米にゆで小豆を混ぜて蒸し上げる今日のような製法が一般にも広まりました。今でも、お祭りごとの供え物として、また、慶事(晴れがましい日)にさいして、御赤飯が使われています。  七五三は、子どもの成長を祝う晴れやかな一日。御赤飯を祝い膳に並べ、また内祝いとして親しい方々にお贈りしましょう。

紅白鳥の子餅やお祝い砂糖も、七五三にふさわしい御引き物です。

七五三の準備は早めに □日取りと参詣先の決定
□晴れ着の準備
□写真撮影の予約
□理美容院の予約
□内祝い品の準備
□お祝いの食事の手配
□会食への招待
□あいさつ先への連絡

七五三の贈答表書き お祝い
御祝 祝七五三 賀御髪置(三歳男女児) 賀御袴着(五歳男児) 賀御帯解(七歳女児)

寺社へのお礼
御初穂料 神饌料 玉串料

お返し
内祝

いずれも水引は蝶結びとし、のしを付けます。

◆このページの作成にあたり、以下を参考にしました。
『慶弔表書きマナーの手帳』『万有百科事典』小学館.別冊主婦と生活『男の冠婚葬祭百科』主婦と生活社.別冊MINE『こんなときどうする』講談社.『生活実用百科事典』『冠婚葬祭事典』『暮らしの知識百科事典』三省堂.『神宮暦』(平成8年版〜平成12年版)』亀戸天神社.『神道教化概説』神社本庁. 『承伝』山長本店.川端道喜『和菓子の京都』岩波書店.『金沢の和菓子』十月社


 <山長よりご案内>go top

山長の御赤飯は、 宮城県産「みやこがね(もち米)」・岡山県産「備中ささげ(豆)」 で製造しています。


御赤飯/千歳飴/紅白鳥の子餅


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御赤飯

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