代用玩具『撃ちてしやまむ』米英(重慶)撃滅競技 《お宝発見!04年7月増刊号第50巻》
参考005
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箱には『撃ちてしやまむ』米英(重慶)撃滅競技、皇軍御慰問と書いてあり、
箱の側面には下右のような日本玩具統制協会シールがついています。
箱の中には、下左の画像のような竹を割って四角く切ったコマに
人の顔や爆弾、戦艦、空母、戦車、大砲、飛行機などを印刷した紙が張ってあります。
「撃滅競技」とはいったいどんなゲームだったのでしょうか・・・・?
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なぜ、竹で作られたのでしょうか・・・・?
日本は戦争が始まると戦争のために必要な、
さまざまな原材料が不足してきます。
そこで、戦争のために必要な資材を確保するため、
おもちゃを作るのに使ってはいけない材料を指定します。
1938年7月にゴム、鉛、亜鉛、錫(すず)、アンチモニー、ニッケル、
8月には、銅、真鋳(しんちゅう)および鉄鋼材料などが、
1941年9月以降は鉄を使用する人形までも
国内向けとしては禁止になったようです。
(輸出用の玩具については外貨獲得のため製造されますが。)
おもちゃに使える材料は、木、竹、紙、粘土、セルロイド、ベークライト等
限られた材料の中で作られたため、木よりやや重いく丈夫な竹が使われたのでしょう。
そして、公定価格が定められ、日本玩具統制協会が
玩具業界を一元的に指導統制をしていたようです。
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コマには、三人の人物の顔が描かれています。
手に入れる時前の持ち主の説明では、
「ヒットラー」と、「東条英機」、「ムッソリーニ」の三国同盟のおもちゃ
と言う説明でしたが、ヒットラーにヒゲがないのと、
東条の頭にバンソウコが張ってあるのが何か変です・・・・
よく考えて見ると、これは(アメリカ)の「ルーズベルト大統領」と、
(イギリス)の「チャーチル首相」、そして中国の「蒋介石」の似顔絵だ!と気づきました。
1937年日本軍の南京攻略後中国国民政府は(重慶)に移転しますので、
箱に書かれている「米英(重慶)撃滅競技」の記述と一致します。
では、どのように遊んだのでしょうか?
遊び方については説明書などはなく不明なのですが、
どうもこの三人のコマをを撃滅させるゲームのようですので、
私の想像するところ、泥メンコ遊びの「立ちぐわえ」という遊び方をしたのでは・・と思います。
まず、撃滅させたい人物のコマを一つ地面に置き、
攻撃するコマをえらんで立ったまま目の下あたりから狙いを定めて落とします。
落としたコマが下に置かれたコマの上に重なるか、下のコマがひっくり返るかすると撃滅(勝ち)
三人を残りのコマですべて撃滅させれば勝ち、交代で行い使ったコマの少ない者が勝者・・・・・
ということが考えられます。
皇軍御慰問とも書かれていますので、慰問袋に入れて
戦地の兵隊さんに送られたのかもしれません。
知っている方おりましたらご連絡ください。
連絡先:ya-ma-da@mvd.biglobe.ne.jp
- 参考文献 -
おもちゃのメーカーと問屋の歴史と今がわかる本・・・トイジャーナル編集局
ビジュアルワイド 図説日本史・・・・東京書籍株式会社