〜フランス番外編〜

Michael遠方より来たる

(1999/11/5〜1999/11/6)


1999/9/21 Tue. JST

ドイツテレコムのMichaelからメールが来て、10/10から3週間程度、仕事で東京に滞在するので会いたいという。うーむ、こっちは遠く離れた九州だし、まだ病み上がりだしどうしようかなぁとしばらく悩んでいたら、何と仕事中に直接電話がかかってきた。「ま、Billの時に行ってMichaelの時に行かないというのも悪いし、一泊くらいなら体調の方も大丈夫でしょ」と考えてOKした。

前回のBillのときは、たまたま東京本社への出張があったのでそれにひっかけて出かけていった(というか無理やり東京出張の日程を合わせた)が、今回はそういう幸運にも恵まれそうにないので、旅費など含めて完全に自腹になる。おまけに長期入院で有給もあんまり残ってないし。体調も万全ではないので、日曜一日くらいは家で休養したいし。そんなわけで、11/5の午後から半日だけ休みを取って、金土の1.5日コースで行くことにし、Michaelと田中さんにその旨連絡する。Michaelは当初、私が東京にいるもんだと思っていたらしいが、九州という東京から1,500km以上も離れているところから来るんだというとひどく気の毒がって、「そっち寄りの横浜で会おうか?」(^^ゞとか「九州まで来ようか?」とか「寝袋持ってきたら泊めてあげるよ」と気を使ってくれた。結局東京パックで行くことにして宿の手配も自分ですませたが。(だってこの時期寝袋だけだったら風邪引きそうだし)
前回のBillのときは店の選択に失敗してしまったので、今回は特別ゲストとして先頃南青山に転勤した空閑さんを招き、店の選定をお願いすることにした。Michaelの滞在しているウイークリーマンションは六本木にあるので、場所も近くて好都合である。全員と話した結果、11/5の19:00に私が六本木のMichaelのマンションまで彼を迎えにいき、同じ六本木にある「時代屋」という店で19:30に全員で会うことになった。

1999/11/4 Thu. JST

Michaelからメールが来て、「もしYuichiさえ良ければ、11/6(Sat),11/7(Sun)と京都へ行くので、11/6は申し訳ないが一人で東京見物してくれないか?」という。ガ〜ン!!東京パックで取ったから今更帰りの便の変更はできないし、こんな直前に勘弁してくれよぅ。でもまぁ、久しぶりの東京を一人でゆっくり堪能するかと思いなおす。これは神が与えたもうた、久々の東京自由行動のご褒美に違いない。下調べを入念にして行こう。

1999/11/5 Fri. JST

いよいよMichaelに会う日である。昼まで仕事をして一旦帰宅し、身支度を整えて出発した。昼下がりなので電車は空いているだろうと期待していたのだが、遠足帰りの小学生で車中は普段の通勤時にもましてひどい有様である。騒ぐ、走り回る、足を踏む、ぶつかる。全く最近のしつけはどうなっているんだ。更に空港に到着してみると、私が搭乗する東京行き便は、こっちも修学旅行の高校生ご一行様が一緒で騒がしい。何か今回もネタの神様に憑かれて前途多難という気がしてきたぞ。
修学旅行生のせいか飛行機は30分ほど遅れ、19時ちょうどにMichaelのところに行けるかどうかが怪しくなってきた。まぁ、店は近いのでMichaelマンションへ19:20くらいに行っても間に合うとは思うが。ホテルを浜松町にとっていたので、モノレールを降りて一旦浜松町の駅を出ようとしていたところで、Michaelから電話がかかってきた。彼もまだオフィスにいるということで、「飛行機が遅れたので19:20くらいに迎えにいく」と伝える。ホテルに一旦チェックインして、JR、地下鉄と乗り継ぎ、勝手知ったる六本木3丁目の坂を下っていってMichaelのマンションに到着した。玄関のインターフォンで部屋を呼び出し、早速開けてくれたので建物の中に入ると、中はかなり豪華である。きょろきょろしながら部屋へたどり着くと、ちょうどMichaelが出てくるところであった。久しぶりの再開を喜び合い、固い握手を交わした後、早々に店へ向けて歩き出す。

その後どんな具合だいというような話を交わしながら歩いていると、私のPHSが鳴った。かけてきたのは田中さんで、ちょっと遅れるが必ず行くので先に始めていて欲しいとのことである。田中さんはつい一月前に課長になられて、これまでにも増して何かと忙しいようで、無理につきあわせて悪かったかな。六本木の街をちょっと歩いている間にも、いつものように黒人のお兄さん達の客引きがしつこい。流石外人の遊ぶ街だけあって、特にMichaelへのアタックが激しいが、彼もすっかり慣れっこになっているようである。「そう言えば、エディー・アーバインも六本木で遊ぶのが好きで、先週末のF1日本GPで成績がイマイチだったのも、前日六本木で遊びすぎたからだよ。」と言ったら「あぁ、そう言えばどっかその辺でエディーに会ったよ。」とジョークで返してくれた。

そんな話をしながら店へ到着すると既に空閑さんが待っていたので、簡単に引き合わせてビルの地下にある店に下っていった。「時代屋」は和風の店で、入り口の潜り戸や中の調度類に古い家具を使ってあり、外国人を連れてくると喜ばれる店だということである。さすが空閑さん。土間で靴を脱いであがるのだが、Michaelは脱ぎ散らかしてそのまますたすた上がっていってしまったので、空閑さんと顔を見合わせて思わず苦笑してしまった。いくら几帳面なドイツ人でも、やはり脱いだ靴をきちんとそろえるという習慣はないようだ。
店にあがってテーブルにつくと、掘り炬燵風に床がくりぬいてあって腰掛ける形で座れるので、Michaelも喜んでいた。流石にあぐらは苦手らしい。
3人で適宜、店お奨めの地ビールである赤坂ビールとそば茶(私がアルコールはドクターストップな為)を頼み、まずは乾杯する。その後、肉じゃが、てんぷら、煮物、揚げだし豆腐、雑炊など、とことん「日本らしい」料理の数々で責めてみる。Michaelはパリのとき以上に箸の使い方がうまくなっており、なま物以外は平気で食べられるようだった。刺身は「大丈夫」とは言っていたが、顔が嫌と言っていたのでオーダーするのは見合わせた。そうこうしているうちに田中さんが駆けつけてくれたので4人で改めて乾杯し、「英語で横メシ」に疲れて中だるみしかけていた筆者と空閑さんは、Michaelを田中さんに任せてしばし空閑さんの新しい職場のことや転勤後のこちらの近況などを話し合っていた。やはり英語を長いこと実践で使っていないと、どうしてもしゃべりつづけるのに疲れが出てしまう。Michaelとしゃべっている間も、時々「あの、その」とか入ってしまって空閑さんの鋭い突込みを受けてしまった。英語環境に2〜3日浸っていれば慣れて来るのだが。そういう意味では、パリに行った時に、本プログラムの4日前に着いて体を慣れさせるというのは非常にありがたい計らいであった。
暫く休んで復活した空閑さんと筆者も改めて会話に加わり、主にMichaelの日本での武勇伝を聞く。わずか数週間の間に彼は結構あちこちへ行っているのである。新宿からロマンスカーで箱根へ行って温泉に入っただとか、芦ノ湖に行っただとか、伊豆半島をぐるっと回って伊東や熱海に行っただとか。その旅行中に電車を乗り間違えてえらい目に会った話や、ラーメンが食べたくてふらりと道端のラーメン屋さんに入ったら、店員の女の子に英語が通じずオーダーするのに一苦労した話や、めったに外人なんか来ないところにもどんどん行くもんだから回りから「外人外人」と指差された話などを面白おかしくしてくれた。とにかく、パリのときも思い知らされたが、彼らの「折角来たんだからできるだけたくさん観光しよう」という行動力と言うかモチベーションはすごいものがある。「芦ノ湖と言えば、白鳥みたいな形の足こぎボートが在っただろう?」と聞くと「うん」とうなずくので、「昔家内と観光で行った時に、湖面に全然ボートが出ていなかったので『おぉ空いてるぞ』と喜んでチケットを買おうとしたら、湖面が一面凍結して休業になってたんだよ。」と体験談を披露したら大笑いされてしまった。
Michaelによると、この翌週の月火に大阪への出張が入り、折角なので土曜日から行って日本の古都京都をゆっくり見物したいので「Riyokan」(旅館のこと)も予約済みだと言う。そうか、そういう事情なら仕方ない。涙を飲んで明日は一人で東京見物することにしよう。ということで、とりあえずMichaelに、嵐山の紅葉、清水寺、金閣寺、銀閣寺等、京都で押さえるべき観光スポットをにわかレクチャーするが、どこまで分かったことやら。なお、このようなMichaelの行動力に触発されて、翌日の土曜日に空閑さんが芦ノ湖へ観光に行ったのはちょっとしたほほえましい後日談である。余談であるが、私はDr.Stopでアルコールが飲めず、ウーロン茶もおいていないというので、店の名物という「そば茶」を一人でちびちびやっていたのだが、他の3人は「この地ビールはどうだ、あれはこうだ」と盛り上がっているのを見るのはちょっと羨ましかった。普段職場の飲み会などではどうという事もないのだが、やはりこういう席で、折角遠路はるばる外国から友人が訪ねてきたのに杯を交せないというのはちょっと寂しい。

夢中でしゃべっていたので気づかなかったが、時間も結構良い頃合になってきたので、一旦お開きにして店を出る。ここの払いは\3万円くらいあったのだが、何と田中さんが「飛行機代とかホテル代とか掛かってるでしょ」と言って、全部払ってくださった。「私は好きで来てるんですから払いますよ。家内からチャンともらってますから」と言ったのだが、「いやぁ、何にもアレンジしなかったし、どっちにしたって自分の給料から出てるわけでしょ」と固辞され、全額負担してくださった。何か忙しいのを無理に引っ張り込んだ上に悪いなぁ。ご馳走様でした田中さん。で、Michaelはまだどこかへ行きたそうだったので、六本木にすっかり慣れ親しんだ彼を先に歩かせて付いて行くと、そのままアマンド近くのPRONTOへ入っていった。Michaelによると、"PRONTO"とはイタリア語で"Hello"のことだそうだ。パリの翌年、アムステルダムで同窓会をやった(我々日本人二人は参加していない)とき、イタリア人のDaniloの携帯電話がしょっちゅう鳴って「PRONTO, PRONTO」と言って出ていたので良く覚えているそうだ。「そう言えば今年の同窓会はイタリアでやると言っていたのに、あのイタリア人二人は全然何のアレンジもしなかったなぁ」と、このときだけはまじめな顔でしみじみ語る、几帳面なドイツ人のMichaelであった。色々思うところもあるのだろう。
2次会でも、ビール、カクテル、ウーロン茶などをめいめいにオーダーし、引き続きMichaelの日本武勇伝が話題のメインである。「芦ノ湖でお土産用に『Dried Sardine』(乾燥イワシ)が売ってあったので買って食べたら、結構おいしかったよ。」と言うので、何だろうとその正体を突き止めるための詳細な事情聴取に入る。我々は最初、海老せんみたいなもの(写真左上)と考えていたのだが、彼が言うには「Whole Sardine」だと言って、写真右のような絵を描いてくれた。

色々考えていてハタと思いついたので、「それはもしかしてビニール袋に入っていて、軒先かなんかで売られていたかい?」と聞いてみると「そうだよ」と言う。「それは土産のお菓子なんかじゃなくて、鯉やアヒルにやる餌だよ。」と私が答を見つけたところで、一同大爆笑となった。で、下はその話に因んでオーダーしたシラス煎餅をかじる記念写真である。

その後、「日本のお土産にピカチュウのお土産を買って行くと良いわよ。」と空閑さんが提案するが、Michaelには「ピカチュウ」がどんなものか分からない。そこでこれまた紙ナプキンを広げて、それぞれ思い思いのピカチュウの絵を描いて説明する。しかしこれがまた、全員おっそろしく下手なんだ。ちゃんと伝わったかどうか非常に心配である。
そうこうしているうちに店も閉店の片づけをはじめたので、いよいよお開きとなった。流石に悪いので、ここは筆者が全て払いを済ませて店を出る。Michaelのマンションに荷物を置いていたので、まっすぐ帰る田中さん空閑さんと分かれて、マンションまでMichaelに同行し、硬い握手を交して別れを惜しんだ。そのままホテルへまっすぐ帰ったが、着いたのは12時を回っていた。楽しい時間はあっという間である。

1999/11/6 Sat. JST

ゆっくり起きて、終了ぎりぎりにホテルのカフェテリアで朝食を摂る。その後部屋に戻って、CASSIOPEIAで昨夜のメンバにメールを書いていたが、メーラの調子が悪くフルリセットする羽目になってしまった。そんなこんなでホテルを出たのは昼の12時近かった。その足で渋谷へ向かい、駅から徒歩で「新日本プロレス闘魂ショップ」へ向かう。店で暫く商品を見て回って時間を過ごし、目当ての携帯ストラップを買って駅まで戻った。次に駅前のビックカメラに入るが、狭くてごちゃごちゃしていて非常に商品が見にくい。田舎暮らしが長くなって、ゆったりした商品配置に慣れてしまったので、都会の店はひどく見づらい。いい加減疲れてきたので、今度は道玄坂をえっちらおっちら上っていって、道玄坂上に在るガレージキットショップ「海洋堂」へ行って見る。。。行って見ると、店はもぬけの殻でフェンスがしてあり、移転後に取り残されたらしいごみ袋だけがぽつんと、すすけたショーウインドウから垣間見える薄暗い店内に残されているのみであった。が〜ん。折角ここまで苦労して坂を登ってきたのにぃ。筆者の知る限り15年くらい前からそこに存在し、2年前までは在ったのだが、やはりちょっとのブランクで変貌してしまう東京という街の恐ろしさを実感してしまった。仕方なくとぼとぼと坂を下り、東急ハンズへ行って満たされない思いを癒すのであった。
結局出発が遅かったのと無駄足があったりしたので、あまり東京の街を堪能できずに帰りの便の機上の人となった。もう少し計画的に行動していれば秋葉原にも行けたのであるが、まぁ本来の目的であるMichaelとの再会を楽しむことができたのでよしとしよう。

さて、次は誰が日本に来るかな。
おしまい。


 

後日談

 

2000/1/9 Sun. JST

Michaelからメールが来て、「ホームページ見たよ。僕の名前が載っていたけど、日本語だから内容は分からなかったよ。いつか英語にしてね。」と言われてしまった。さらに、「ドライフィッシュの話が載ってたみたいなので、僕が食べた菓子袋をスキャンして送るよ。」と言って送ってきてくれたのがこの写真である。

何と味ごのみだったのだ!! 「餌だよ」とか言って散々ばかにしたが、悪い事をしてしまった。反省。


Written by Y1K