韓国出張記

(2000/2/17〜2000/3/16)


2000/2/17 Thu.

ついに韓国出張の日がやってきた。半年前に腸を手術したばかりで香辛料と焼肉の国へ行くのは、体調のことを考えると正直言って気乗りしないのだが、たってのご指名だし他に行く人も居ないので仕方ない。さらりーまんだし。朝、家内に見送られて、一緒にいく石川君と共に機上の人となる。1時間15分のフライトなので機内食は出ないだろうと思っていたが、しっかりサンドイッチとレモンティーが出た。そんなわけで入出国カードを書く間もなくあっという間に機はソウル金浦空港に着いてしまった。早い、早すぎる。ガイドブックを読むヒマもないではないか。これがネタの神様の前振りだったと気づくのは後のことである。
空港内はハングル文字のオンパレードで、漢字はもちろん、英語もたまにしか併記されていない。言葉の全く読めない国に来るのは初めてなので、いきなり不安が募る。税関の申請は流れに乗って申告カードを渡すだけという簡単なもので、ほとんどフリーパスという印象だが、1ヶ月前に先に現地入りした柳田さんは、荷物を開けて中身を調べられたそうなので、油断は禁物である。それでもどうにか入国手続きを済ませて銀行で両替をし、タクシーを探す。
タクシー乗り場で、安心と評判の、黒塗りに金のラインの入った「模範タクシー」を探すのだが見つからない。うろうろしている我々にタクシー運転手が寄ってきて、「どこまで?ホテルは?」などといいながら半ば強引に荷物を運んで行く。行った先には黒塗りに金のラインのタクシーが止まっているが、屋根の上に書いてある字はハングルだし、車体には「Delux Taxi」の文字しかなくてどこにも「模範タクシー」と書いてない。運転手がしきりに「模範タクシー、模範タクシー」というので、ええいままよと乗ってしまった。初めての国で空港から市街地へタクシーで向かう時が、実は筆者は一番緊張する。「このタクシーは大丈夫だろうか、突然強盗に変身したりしないだろうか、チャンと行き先を理解してくれているだろうか、ぼられたりしないだろうか」、と不安が募るばかりである。外を見ると、標識はもちろん、町の看板もハングル文字オンリーでますますやばい感じ。ふと石川君が「メーターがないですね?」と気づく。そう言えば確かにあるべきダッシュボード上にメーターがない。「やられた、白タクか!?」と焦るが、なんとハンドルの下、運転手のひざの所で静かにカウントを刻んでいるメーターを発見することができた。後でガイドブックを丹念に読み返してみると、『「模範タクシー」または「Delux Taxi」と書いてある』とあった。てなわけで我々の心配は杞憂だったのである。最初からチャンと読んでおけば、何ら心配することはなかったのであるが、何せいつもは移動中の飛行機の機内でガイドブックを読むのに、今回はフライト時間があまりにも短くて全く読む機会が無かったのである。因みに、ソウルの普通のタクシーは相乗りが当たり前で領収書も出ないのに対し、模範タクシーは英語(時には日本語も)が通じるのに加えて、相乗りはないし、レシートは出るしで外国人が利用するのには安心だそうである。しかし筆者がもらったレシートは、時計が狂っているらしく、1/16 6:00となっていたぞ。旅費の清算のときに認めてもらえるか心配である。
12時過ぎにホテルにチェックインする。部屋に入ってみると何とセーフティボックスがない!!5つ星だと聞いていたのに、セーフティボックスはないは、ポットはない(これは事前に聞いていた)は、大丈夫かいな。

とりあえずスーツに着替えて、迎えに来てくれた川畑さんにつれられて昼食を取った後、仕事先となる現法の事務所へ向かった。事務所で簡単なレクチャーと引継などを行った後、19時よりホリデイインで開催される日本人会の会合に出席する。辛い辛いと事前に相当脅されていたので、いきなり辛い攻撃かと緊張して臨んだのだが、幸いにもフランス料理だったので一安心。食事制限で食べてはいけないメインのハンバーグはちょっと囓っただけだが、前菜のサーモンやサラダ、パン、デザートのアイスクリームなどはほとんど平らげて満腹になる。この会には日本に駐在したことのある韓国人も参加しているのだが、食事も後半にさしかかると、メンバーの講演や討議が熱く行われ、いきなり国民性の違いなどを見せつけられてすっかりくたびれてしまった。長い議論も終わりようやくお開きになって、やれやれホテルに帰って荷ほどきをするかと思っていたら、トイレに寄って出遅れたため、玄関で先ほどの議論のメンバーに出くわして2次会に誘われてしまった。実は先ほどからおなかが張って体もかなりきつかったので、体調不良を理由にお断りしたところ、何と飲みに行くついでに車でホテルまで送っていただいた。実にありがたいことである。そのままKさんは他のみなさんと共にソウルの夜の町に消えていった。昨日飲み過ぎて二日酔いだと行っていたのにタフだなぁ。本来サラリーマンならおつきあいすべきなのだろうが、今年のスローガンは「体に無理をさせない」なので、悪いと思いつつ先にホテルに帰らせていただいた。この後1ヶ月の長丁場に響いても困るし。

2000/2/18 Fri.

まだ二日目なのに結構疲れている。午前中営業訪問をし、午後はネットワークの設定や、引き継ぎを受ける。Outlookの設定ですっかり手間取ってしまう。疲れていたので早く帰りたかったのだが、明日帰国する川畑氏と柳田氏の送別会で焼肉屋へ行く。食事制限のため肉が食べれないので「げげっ」と思ったのだが、サラダやにゅうめんなど結構肉以外のものもあったので何とかしのぐことができた。てなわけで今日も12時になってしまった。出張前数日も準備で結構夜更かしをしてしまったので眠い。早く寝たいよぉ。

2000/2/19 Sat.

韓国に来て2日しか経っていないのに、やっと休みが来たという感じ。今日は加藤さんが北朝鮮との国境付近の非武装地帯:DMZ(Demilitarized Zone)へのツアーに誘ってくださったので、石川君ともどもありがたく同行する。
朝8:10にロビーに集合してツアーバスにピックアップしてもらい、ソウル市内の各ホテルを次々に回って日本人観光客をピックアップして一路北へ向かう。
漢江沿いに一路北上してソウル市内から1時間ちょっと行ったところにある「望郷壇」という展望台でトイレ休憩した後、いよいよ非武装地帯へ入っていく。

ソウルも寒いが北のほうはそれに輪をかけて寒いので、トイレが出る出る。まず「自由の橋」のたもとで厳重なチェックを受ける。バスに兵隊が乗りこんできて、一人一人パスポートを提示させて事前に提出したリストと照合する。やっとOKとなり、晴れて自由の橋を渡って非武装地帯へ入っていくのだが、ここからは写真は原則禁止である。

橋を渡ると米軍基地の横を通り、とある記念館へ到着する。ここで朝鮮動乱の歴史や、この後訪れる北朝鮮の掘った秘密トンネルの概要等をビデオを交えて見学する。記念館の資料には日本軍占領時代の従軍慰安婦の資料等も展示してあり、ガイドの説明も含めてかなり反日的な傾向が強かったので複雑な心境になってしまった。
記念館を出て、次は「Dora Observatory Place」である。ここは北緯38度線の南2Kmのまさに非武装地帯の最前線に位置した小高い丘の上にある展望所で、北朝鮮の様子が手に取るようにわかる。若い兵隊さんが流暢な日本語で景色の説明をしてくれ、その後500Wのコイン式双眼鏡で北の様子をじっくり観察する。驚くべきことに学校らしきところの校庭で集会があっていたり、農道で沢山の人たちが農作業をしている様子が手に取るように分かり、感動モノであった。人が不自然に多かったのが、いかにも北朝鮮側のヤラセっぽかった。写真撮影ができないのがまことに残念である。

次はいよいよ今回のメイン、第3トンネルである。これまで北朝鮮は韓国侵攻用に20あまりのトンネルを掘っていると推定され、現在までに4つのトンネルが発見されている。今回行くのは1978年10月に発見された、ソウルまで48kmと最も近いトンネルである。一応入り口だけは写真OKである。

それにしても、ガイドさんはしきりに「ここは普通の韓国人は来れなくて、外人だけに見学が許されている。」と強調していたのに、我々のまえに韓国語を話しながらがやがや入っていったどう見ても韓国人らしきおじさん達のツアー一行は一体なんだったんだろう。さて、幅1m、高さ2m弱の急な下り坂を一列になって降りて行くのだが、所々天井が低くなっており、頭をぶつけないように首をすくめながら歩いていたので肩がこってしまった。トンネル発見の為に国連軍が掘った斜めのトンネル内を300mほど下ると、やっと北朝鮮の掘った本道に行き当たった。壁面は劣化して赤くなった花崗岩で、ダイナマイトで爆破した痕跡が今も生々しく残っている。奥のほうまで歩いて行くと、途中でトンネルはふさがれており、兵隊2名が直立で監視をしていた。2時間交代だそうであるが、大変な仕事だ。因みに韓国は徴兵制を取っており、特別な事情がない限り20歳から30歳までの間に2年2ヶ月の兵役の義務がある。これを怠ると様々な社会的不利益があるそうである。月給は12,000Wだそうな。中を見物した後急な坂を登って地表に戻るのだが、これがなかなかハードで、あんなに寒かったのに地表につく頃にはじっとりと汗ばんでいた。見学を追えるとまたバスに乗ってソウル市内まで戻るのだが、韓国はまだ土曜日が半日勤務なので、いきなり退社時の交通ラッシュに巻き込まれてしまい、行きの倍以上の時間をかけて3時半にようやくホテルに帰りついた。しかし、「終戦ではなく今も休戦中」と言われる生々しい緊張状態を垣間見た気がした貴重な体験であった。ホテルの近所で3人で遅い昼食を済ませ、会社へ行って昨日の仕事の残りを片付けているうちに1日が終わってしまった。
時間が中途半端になってしまったのでホテルのバーバーで散髪をする。本当は海外で散髪などしたくなかったのだが、日本でするヒマがなかったので仕方がない。
今回は、常用の栄養剤を溶かすお湯を沸かすために、スティック状のヒーターを持ってきていたのだが、夜お湯を沸かしているうちに沸騰しすぎて吹き零れそうになったために慌ててヒーターを水から上げてお湯の始末をしていたところ、空焚き状態となってヒーターが壊れてしまった。栄養剤は生命線なので、明日街へポットを買いに出かけなければならなくなった。週末だったのが不幸中の幸いか。

2000/2/20 Sun.

昼までこってり寝倒して、ポットを買いに不承不承街へ出かける。目指すは韓国一の電気街「龍山(ヨンサン)」である。

秋葉原よろしく様々な店が軒を並べているが、PCも周辺機器もそれほど割安感があるわけではなく、リスクを犯してわざわざここで買うべきものは特にないようである。そもそも値札のついているものが少ない。韓国では値段交渉をするのが当たり前らしいので、最初から値札はつけないらしい。それにしてもPCやAVの店ばかりで、なかなか家電品の店がない。やっと小さな店を見つけて「電気ポットはあるか?」と英語で聞くと店主が奥から出してきてくれた。英語の通じる店で良かった。サイズは手ごろで目的に合っているのだが、店晒しになっていたらしく、ごみが溜まって汚れている。値段を聞くと18,000Wとお手ごろなので、まぁしょうがないかと思ったが、ここは試しに値下げ交渉をしてみた。すると店主は「下げられない」と言いながら奥からもう一回り大きくて箱に入った新品の同型ポットを持ち出してきた。こちらは23,000Wだという。あんまり大きくてもかさばるからと思って「小さいほうでいいよ」と言うと、「サイズが大きくて値段はこれくらいしか違わないのになぁ」とか言いながら21,000Wまで下げてきたので買うことにした。サイズよりもむしろきれいさに引かれたからである。
さて、目的を果たして余裕が出てきたので、PC街をぶらぬら見て回る。PCはノート型はVAIOやDynabookが幅を利かせているのに対し、デスクトップ型はサムソンやヒュンダイのがちょこちょこっとあるほかは、ショップブランドの自作物が多いようで、どの店もタワー型のケースがずらりと並べてあった。他にはVCDの店が数件あったが、台湾のように日本のAVをバンバンコピーしてそのまま売っているというようなことはなく、Pent Houseなどの洋モノが多かった。他に特筆すべきものとして、台湾同様「クレヨンしんちゃん」のVCDがどの店にもずらりと並んでおり、親子連れが群がっていた。恐るべし「クレヨンしんちゃん」のアジア制覇。そのほかに目立ったのは、店店の店頭にDDR(Dance Dance Revolution)のマットが敷いてあって、結構遊んでいる人がいることである。こっちでもかなり人気らしい。
ひとしきり見てこれと言うのもなかったので、次に革製品の店が並んでいると言うイテオンへ向かう。「イテオン」と聞いて「伝説巨神」とか思い出す人は、立派なオヤヂである。JTBのポケットガイドによると、同じ新龍山の駅からが一番近いようなので、そのまま歩いていく。ところが地図の通りに歩いても、探せど探せどそれらしい通りが見つからない。何本か筋を入ってみたが、必ず米軍基地に行き先を阻まれるのである。1時間ほどうろうろしてからついにあきらめてホテルへ戻り、別の地図で確認したら、何とJTBの地図は間違っていて、次の地下鉄の駅「三角地」から行くのが正しいルートであった。どうしてくれるんだよJTB。
歩いてお腹が空いたので、ホテルのそばの食堂で早めの夕食を取る。注文したのは覚えたばかりのサムゲタンである。これは鶏を丸丸一匹使って、内臓を取り出した後にもち米と薬味をつめてうす味のスープで煮込んだものであり、あっさりした水炊き風でお腹の弱い筆者にも安心である。冷えた体も充分温まりすっかり満足することができた。

その後ホテルへ帰って、洗濯などを済ませた後、地下のプールで泳ぐ。夜8時だったせいか何と貸し切りであった。ずっと泳いで居たかったのだが9時に終了を告げられてしぶしぶ上がった。
今日は遅く起きた割には意外と充実した一日であった。明日からまた1週間がんばろう。

2000/2/21 Mon.

ひたすら仕事をした一日。10時に会社を引き上げ、近くの食堂で3人で遅い夕食を取り、ホテルへ帰る。ホテルへ帰ってからは将来についてちょっと悩んでいたこともあり、先輩に相談のメールを書いていたら、何だかんだで一時半になってしまった。まだ月曜日なのに既に眠い。乾燥した空気のせいか、太ももや二の腕の皮膚がかさかさになってきた。そういえば以前パリに行ったときもこうなって、放っておいたらひび割れあかぎれになって血がにじみ、シャワーも浴びれない状態になってしまったことがあった。今回はそうならない様に、毎日朝晩ホテルに備え付けのスキンクリームを塗ることにした。

2000/2/22 Tue.

今日も一日ひたすら仕事。昨日同様、10時過ぎに会社を引き上げ、3人で昨日とは違う食堂に入る。ところが、メニューを頼むとおばさんがぶっきらぼうに壁に張ってあるハングルでのみかかれた5品ばかりのメニューを指差す。仕方ないのでメニューの前に行って3人で本を見ながらあれでもないこれでもないと悩むが、さっぱり分からないのでおばさんに本の写真を見せながら色々聞いてみる。しかしおばさんは相変わらずぶっきらぼうで、ろくに本を見ようともしないで「ない」の一点張りである。「魚は?鶏は?」と聞いてもないの一点張りなので、たまたま近くのおじさんが食べていた無難そうなどんぶりを指差して「アレをくれ」と注文してしまった。もうやけくそである。暫く待つとおばさんが3人分のどんぶりを重ねて持ってきて、ガチャガチャと乱暴に配膳する。中を見ると大量のレタスやきゅうりなどの野菜の刻んだのの上に、細かくぶつ切りにした何かの肉らしい白いものが沢山乗っている。しかも今冷凍庫から出してきたばかりらしく凍ってシャリシャリである。アヤシイ。これにご飯をぶっこんでかき混ぜ、ジャンで味付けして食べるらしい。食べながら「これって何の肉だろう」「豚かなぁ」「でも豚だったら生で食べるのヤバイよね」「でもこの前飲んだトマトジュース、酸っぱくて炭酸みたいだなぁと思って飲んだら、腐ってたみたいですよ。」等と恐ろしい話をしながらとにかくおなかが空いていたので食べる。食べているうちに解凍されてきて、生臭さが出てきたので、どうやら魚らしいことが分かってまずは安心したが、久しぶりにスリリングな夕食であった。

2000/2/23 Wed.

仕事の移動中に運転手の金さんに、「昨日の夕食でこんなの食べましたよ」と言ったら、「それは『ヘドバッ』と言って、鯛や鮪とご飯と野菜を混ぜて食べる料理ですよ」と教えてくれた。そうか、昨日のは鯛だったのか。そうれならもっと味わって食べれば良かった。というわけで、昼は鮪のヘドバッを一緒に食べた。正体が分かっていたので、これはなかなかおいしかった。

今日くらいは早く帰ろうと思っていたのだが、結局今日も会社を出たのは9時過ぎ。会社の近くの別の店で食事をするが、相変わらずメニューが分からない。本を見せながら「辛くないのを」というが、店員が指差すどれもがガイドブックで引いてみると「辛い」とか「唐辛子」とか刺激的な文字が踊っている。結局言いなりで辛くないというのをオーダーしたが、やってきたのは真っ赤なスープに唐辛子の赤い破片がちりばめられた、見ただけで汗の出るような辛そうなどんぶりであった。中には白菜や牛肉のぶつ切りが入っている。仕方ないので汗をかきかき赤い破片をできるだけ避けながらどうにか食べるが、やはりスープを全部飲むことはできず半分くらい残してしまった。

2000/2/24 Thu.

街でT-Zoneを見かけた。「よし休みに行っちゃろ」と場所をしっかり覚えてお客様訪問に望む。あいにくお客様は不在で帰ろうとしていたところへ、「T-Zoneつぶれちゃってたよ」と言いながら帰ってこられた。折角行こうとしていたのに残念。博多駅前のT-Zoneもなくなってしまったし、亜土電子も結構厳しいようである。ソウルの道路は広い。片側6車線の広い道路が市内を縦横無尽に走っている。名古屋の100M道路も顔負けである。車で走っていてふと気づいたのだが、交差点でUターンする車がやたらと多い。韓国は右側通行なのでメインストリートへ出て左へ行きたいときは、日本の交通慣習に従うと流れを横切って反対車線へ向かって左折するところだろうが、ここではどうやらそれは許されないらしく、一旦右折で道路に出て流れに乗り、最寄の交差点でUターンして初めて自分の行きたかった方向へ車を走らせるのである。また、メインストリートから反対車線側にある路地や駐車場へ曲がりたいときも、一旦通りすぎて交差点でUターンしてから反対車線を戻ってきて目的のところで曲がるのである。これだと流れを遮断することがないので非常に合理的な気がする。日本でセンターよりの車線を走っていて、前送車が交差点でもないところで突然右折のウインカーを出して停まってしまい、右側は流れが速くて車線変更できずに立ち往生してしまった経験は誰にでもあるだろう。日本でも中央分離帯のある道路では必然的にこうやっているが、この文化は日本にも定着して欲しいものである。今日もひたすら仕事。「切りの良いところで」と19:30に夕食を摂ったのがまずかった。それからはどっかり腰を落ち着けてしまい、会社を出たのは11:30。あ〜ぁ、でもあと一日で休みだ。頑張ろう。

2000/2/25 Fri.

街で「大味寿司」という寿司屋を見かけた。「Great Taste」とかいうのを直訳したのだろうが、「大味」ってのが悪い意味だというのを誰も教えてあげなかったんだろうか。それともアイロニーか。昼は金運転手の薦めで出先で見つけた食堂でさわらの焼き魚を食べる。ちょっと塩が効き過ぎのような気もしたが、焼き立てで温かくおいしかった。味噌汁のほうは相変わらず唐辛子交じりで辛かったが。今日は「明日が休み」という安心感もあってか、すっかり仕事にはまってしまう。19:30に近所のうどんやに食事にいくと、X Japanのアルバムがかかっていた。日本文化は規制されていると聞いていたのに、こんな過激なのを流していていいのだろうか?それがきっかけで石川君と歌手の好き嫌い談義に花が咲いてしまい、会社に戻ってからもMP3ファイルをあげたりして盛り上がってしまう。完全な逃避モードである。そんなこんなで会社を出たのは1時を過ぎてしまった。石川君の風邪がぶり返しぎみなのがちょっと心配。

2000/2/26 Sat.

今日は先週のリターンマッチとして改めてイテオンへ行くことにする。ホテルから最寄の地下鉄駅まで2Km以上あるし、三角地駅からイテオンまでも2Kmくらいあるので、結構歩くことになる。昨日、運転手の金さんが「ホテルからイテオン行きのシャトルバスが出てるかもしれませんよ」と教えてくれたので、あわよくばとフロントで聞いてみることにした。フロントでは一人の女性スタッフが忙しそうに何かを計算していたが、昼まで寝倒してしまったために時間もないので、「Excuse me, I'd like to go to Iteon. How can I get there?」と聞くと、ただ一言「By Taxi」とそっけない答えが帰ってきた。シャトルバスはなくても「何番のバスに乗って、地下鉄まで行って」とかいう答えを期待していたので、あっけに取られて苦笑いしながら、「By Taxi? OK Thank you」というのが精一杯であった。結局長い距離を歩いてイテオンへ向かうことにする。途中、「戦争記念館」というのがあったが、どうせ反日的な内容だろうから、そんなところに日本人一人でのこのこ入っていったらどんな目に会わされるか分からないのでそそくさと横を通りすぎた。身を刺す寒さの中を20分ほど歩いてやっとイテオンへ着く。お目当てはレザーのロングコートと、メンズ用のロングブーツである。店店を覗いて回るが相変わらず値札がなく、聞かないと分からない。ここは米軍基地が近くにあるので、韓国語、英語そして日本語が入り混じった何とも摩訶不思議な空間である。歩いていると、「ヒサシブリネ」という言葉を良く掛けられた。かなり昔のナンパの手口である。一体誰が教えたんだ!他には「時計イリマセンカ?」とか「革ジャンイリマセンカ?」とか言うのが多い。見ただけでどうして日本人と分かるんだろう? 英語の看板も非常に多く、何となく沖縄の国際通のような風情である。ただ一つ決定的に違うのは寒いこと!!まずJTBガイドブックに載っているお奨めの店を覗いて回るが、たいしたことなかったり場所がわからなかったりと、相変わらず振りまわされる。本のスタッフは本当にちゃんと現地取材をしたんだろうか?仕方ないので、信頼できそうなハミルトンホテルのデパート内を見て回る。ブーツを見ていると若い店員が上手な日本語で話し掛けてきたので、男物のロングブーツが欲しい旨を告げると、オーダーメイドで作ってくれるという。値段は210,000Wと高めだが、きちんと両足の寸法を測って1週間で作ってくれるそうだ。ちょっと心が動いたが、他店の値段も調べてみようと思い一旦店を出た。またブラブラ歩いているうちに今度はレザーコートの品揃えの豊富な店を見つけた。入っていって英語で「ブラックレザーのロングコートを探している」と告げ品物を見せてもらう。アジア人同士がお互い英語で会話するのは何となく滑稽である。しかも言ってる値段はドル立てである。本当は店頭に展示してあった$40くらいのバックスキンのロングコートくらいでいいかと思っていたのだが、彼はラムスキンのベルト付きの立派な奴を出してきて手際良く着せるとやたら誉め始める。確かに良さそうだが、値段が$180とかなり高い(まぁ、それでも日本で買うと\60,000くらいはするのであるが)。高すぎるからもっと安いのを見せてくれというと、彼は値段を下げ始めたがまだまだ予算オーバーである。「いくらなら買うのか?」と聞くので「$100以下なら」というと、かなり困った顔になったが、結局かなり引いてくれて120,000Wまで下げてくれたので、モノをもう一回じっくり点検して買う事にした。ちょっと衝動買いだったかな?
それから何件かのブーツの店を見て回るが、メンズはあってもどれもバイク用のブーツでだぼっとしていてイマイチスマートではない。ズボンの中に履きたいのだが、これではズボンが筒状になってしまってみっともない。そこで最初のブーツ店に戻ってオーダーすることにする。店員の兄ちゃんは良く分かっていて、「普通に売っているのはみんなバイク用ですよ。うちのはチャンと女性モノのようにぴったりフィットするように寸法を測って作りますから」と足のサイズからくるぶし、ふくらはぎと何箇所かの寸法を取ってくれた。1週間後にはできるそうで楽しみである。さて支払いであるが、さっきのロングコートの予算オーバーで手持ちの現金で払うには足りなくなってしまったのでカードで払うことにした。カードだと手数料がかかるのだが、その分は値引き交渉で負けてもらうことになった。ところがいざカード決済をしようとすると、どうもカードリーダーの調子が悪いようだ。そこで代わりに隣の宝石店のカードリーダーで決済してもらうことになった。宝石店のママはこれ幸いと「折角だからうちにも寄って行きなさいよ」と巧みに店まで連れて行かれてしまった。商品を色々見せられ、自分のばかり買って悪いかなという後ろめたさがあったので、乗せられるままに家内にアメジストのペンダントを買ってしまった。値段は秘密である。良く考えると本物かどうかも良く分からないのにちょっと軽率だったかなとも思ったが、まぁ、ちゃんとしたホテルの中の店だから大丈夫だろうと自分に言い聞かせた。
買い物も終わり、またまた長い距離を歩いて雪の舞う中をホテルへ帰る。帰ってから、ここ1週間悩んでいた人生の選択もとりあえず結論が出たのでほっと一安心する。充実した一日であった。ちょっと調子に乗って買い物しすぎかなとも思ったが、海外で毎晩遅くまで苦労してるんだから、これくらい許されるよね。

2000/2/27 Sun.

今日も何だかんだで出かけるのは昼近くになってしまった。まずいつものルートで駅まで歩き、地下鉄に乗って南大門へ行く。由来は良く知らないが国宝第一号で観光名所だそうだ。

門を見物した後、近くにある南大門市場をブラブラ歩いてみるが、食べ物あり、バッグあり、革製品あり、衣料品あり、ブランドもののコピー品ありと、雑然としたなかに活気があふれている。たどたどしい日本語の横断幕がいかにも怪しげである。

日本人観光客も多く、あちこちから日本語が聞こえてくる。暫く歩いてみたが、別に買いたいものもなかったし騒々しさに疲れてきたので早々に立ち去る。そのままひたすら歩いて、市役所の前を通り抜け、景福宮へ行く。

ここは5大古宮のひとつで様々な歴史のある建物が建ち並んでいた。また、敷地内に韓国民族博物館がありここをじっくり見て回ることにした。入場料は何とたったの700W(\70円)である。兵隊さんと子供は30Wという安さ。日本以外の国はこういった文化/芸術関係の施設が非常に安く利用できる。日本ももっとこういった面に力を入れないと、自国の文化がどんどん衰退してしまうのではないかと危惧せずにはいられない。中は三つのゾーンに分かれていて思ったほど広くはなかったが、石器時代からの民族の生活や風俗を中心にした充実した展示内容で、見て回るのにたっぷり2時間ほどもかかってしまった。ここも日本人観光客が多く、あちこちで日本語のガイドがツアー客向けに説明をしていたのでちゃっかり横で聞いてよく理解することができた。特に、伝統的な暖房設備である「オンドル」の仕組みは良く分かって面白かった。

どこに行っても日本人ツアー客の多さには驚かされるが、皆わざわざ旅費を自分で払ってここまで来ているのだと思うと、出張であちこちの国に行かせてもらっている自分は幸せだなぁと改めて痛感する。次に同じ敷地内にある国立博物館へ向かうが、残念なことに到着したのは16:07で、チケットの販売は16:00で終了していた。仕方がないので、そこから地下鉄に乗ってガイドブックにあったおかゆのおいしい「松竹」という店へ向かう。胃腸が疲れ気味だったので、おなかにやさしいお粥でインターバルを取ろうと思ったのが、出てきたお粥を食べているうちにどっと汗が噴出してぽたぽたと顔から落ちる。どうやらお粥にも香辛料とニンニクが入っているようだ。うーむ侮り難し。

汗を拭き拭きお粥を食べて、ほうほうの体で店を逃げ出すと地下鉄に乗ってホテルへ帰った。地下鉄の中の雑誌の広告に、またも「X Japan」の名前を見つける。韓国では今ごろブームなのだろうか?

そう言えば、町中にも「鉄道員(ぽっぽや)」のポスターがあったりして、日本文化は思ったより浸透している様である。

地下鉄の駅からホテルへ歩いて帰る際に、左足の足首から指の付け根にかけて、骨がずきずきうずくような痛みがある。歩き過ぎだろうか。ホテルへ帰って、今日も貸し切り状態に近いプールで2Kmほど泳ぎ、洗濯をして一日を終えた。

2000/2/28 Mon.

今日は午前と午後と会議があったので、初めて外出せずに一日屋内で過ごした。その為寒さにさらされることも殆どなかった。事務所でこれまでの仕事の整理や今後の活動についての検討などを行い、比較的早く21:00には会社を出ることができた。外は相変わらず相当寒かったが、一昨日購入した革のロングコートのおかげで暖かいまま大衆食堂へ行って夕食を済ませ、ホテルへ帰ることができた。夕食を食べながら、ずっと体調の悪い石川くんに、前日の夕食の話をすると「いいなぁ、体調が悪くてまだガイドブックに載っているようなところでご飯食べていないですよ」とうらやましそうに言う。彼は今日めがねが壊れてしまい、持ってきた予備のメガネでしのいでいるが、現在の視力に合っていないためにかなり見にくそうだ。今日は外出しなかったためそれほど歩かなかったが、ホテルへ帰る際にも昨日痛めた左足がずきずき痛む。明日もこの調子なら何か考えなければ。

2000/2/29 Tue.

足の痛みが徐々にひどくなってきた。おまけに今日はマンハッタン方面へ出かけたために、空き時間を利用して国会議事堂を見物しに痛い足を引きずりながら歩いて行ったりと、ちょっと無茶をしてしまった。

夕方会社に戻る頃には我慢できなくなってしまったので、会社の女性に薬局の場所を聞き、紙にハングルで「温シップ10枚下さい」と書いてもらって薬局へ向かった。薬局で紙を見せると、店員の女性は良く見もせずに2枚入りのパックを持ってきた。もう少し欲しかったのでもたもたしていると、脇でスタミナドリンクを飲んでいた若い女性客が日本語で「10枚欲しいんですね?だったら5パック必要ですね。」と言って、店員さんに伝えてくれた。実にありがたいことである。旅先で受ける親切は本当に心に染みる。「カムサハムニダ」とお礼を述べると、彼女はにっこり笑って去って行った。うーむ、電話番号くらいは聞いておくべきだったかもしれない。事務所に帰って早速シップを張るが、効いているんだかいないんだかよく分からない。夜になって契約にない飛びこみの仕事が入って来たりして、今日も会社を出たのは11時過ぎになってしまった。部屋に戻ると、月末だからだろうか、これまでのルームチャージの明細が部屋に届いていた。ところが宛先の部屋号数は合っているのだが、宛名が隣の石川くんになっている。一方石川くんに聞いてみると、彼のほうは部屋号数も宛先も筆者のものになっていた。つまり筆者の部屋号数宛ての請求書が2通来ていることになる。因みに中身の明細は両方とも正しいようだ。トラブルになっても困るので、石川くんがフロントに電話するが、「後で電話します」と言ったきり一向にかかってこない。とりあえず後の対応を彼に任せて部屋に戻ることにした。

2000/3/1 Wed.

ここだけの話だが、今日は「独立運動記念日」で休日である。事務所もお休みなので我々もゆっくり休ませていただくことにする。いつも規定時間以上に働いているから、これくらい許されるよね。しかし、「明日が休み」という気の緩みからか、昨夜も洗濯をしたりCD聞いたりしていたら寝るのが3:30過ぎになってしまった。実は隣の部屋からきゃっきゃと騒ぐ声が聞こえて耳障りだったのでCDを聞いていたのが敗因だった。てなわけで必然的に起きるのは昼になってしまい、起きてから石川君と一緒に昨夜の請求書の件をフロントにクレームに行く。フロントの女性は良く見もせずにOK,OKと言っていたが、これで我々の責務は果たしたのだから後は何が起こっても先方の責任である。その後、今まで行ったことのないアップジョンのほうにでも出かけようと一旦ホテルを出るが、足の痛みが我慢ならないほどに一歩一歩ずきずき来るので、引き返して部屋でしばらくNifのログ読みなどをしていた。何となく体も疲れていて出かける気がしなくなってしまったので、地下のプールに行ってゆっくり1:30ほどかけて2Kmを泳いでリフレッシュした。ホテルのプールがわずか3,170W(\300円ちょっと)で泳ぎ放題なのだから幸せな気分である。これだから海外出張は止められない。その後ホテル近くの「納豆の店」に夕食を食べに行き、滋養をつけるためにサムゲタンを食べた。「納豆の店」というのは我々が勝手につけた名前で、入るとぷ〜んと納豆の匂いがするのが由来である。多分キムチの醗酵している匂いが、納豆の醗酵している匂いと似ているので納豆のような匂いがするのだと思うのだが。

2000/3/2 Thu.

目覚ましを2つかけていたのに、2つとも気付かずに寝過ごしてしまった。と言っても30分程度なのだが。やはり疲れが溜まっている様だ。今日も営業に回ったが、最初の訪問先は韓国で一番高いビルである大韓生命ビル63の50Fにあった。

受付の電話で訪問先の方の番号をダイヤルするが応答がない。何回かやっても応答がなかったので、あきらめて一旦帰りかけたが、折角なのでまた出直すよりはと展望台で時間をつぶして再度アタックすることにした。展望台に昇り5,500W払って展望室からぐるりとソウル市内の町並みを見下ろす。晴れているにもかかわらず、遠くのほうはかすんでいるために町のはずれまで見通せない。改めて広い街なのだと痛感する。やっぱ海外に来たら必ず高いところに昇らなきゃね。

その後先ほどの訪問先に行って再度電話で呼んでみたらあっさり会うことができた。たまには息抜きも役に立つものである。いつもの様に昼間は営業回りをして夕方かえって議事録を書いていたら、今日は営業チームの飲み会があるとのことで慌てて切り上げてご一緒する。飲み会では皆ビールやコーラをちびちびやるだけで、意外とあっさりしたものだった。その中で、日本に研修に行っていた現地スタッフの人がDDR(Dance Dance Revolution)の話をしたら、別のスタッフが「え、日本にもDDRがあるの?」と驚いていた。「DDRは元々日本のだってば」と突っ込んだら二度びっくりしていた様であった。これじゃぁ、アメリカに行って「おぉ、こっちにもマクドがあるぞい」と言っているおのぼり日本人と同じである。そのほか、人気ユニットY2Kや話題の映画「シュリ」の話などで盛り上がった。一次会はさくっと終わり、店を出て歩きながら「2次会はカラオケかなぁ」「でも、韓国の歌って『釜山港へ帰れ』くらいしか知らないよぉ」とか言っていると、そのままタクシーに乗せられて解散になってしまった。もしかしたらよそ者を帰して、皆さんでどこか行かれたのかも知れないが。

2000/3/3 Fri.

昨夜食べたものが体に合わなかったのか、明け方からおなかがしくしく痛んで目がさめる。思い当たるのは、禁じられている牛肉とベーコンを一口ずつ食べたのと、ちょっと焦げて硬くなった油っぽいチャーハンくらいである。大事を取って朝、昼食を抜き持参の栄養剤オンリーで一日過ごす。午前は打ち合せにかこつけて外出しなかったのだが、午後は流石に外回りに出ないわけにも行かず思い腰を上げる。運転手付きの車で行けるのがせめてもの救いか。どうにか午後のお勤めを果たし、夜も8:30には切り上げて早めにホテルに帰り、持参のレトルト梅粥をお湯で温め、インスタント味噌汁を溶かしてつましい夕食を取った。明日は休みなのでゆっくり体を休ませよう。

2000/3/4 Sat.

昨日の腹痛で体力を消耗したせいかだるい。ただ、1日ホテルでごろごろしているわけにも行かないし、動いたほうが腸も動くだろうと思い、昼から出かける。目的地は先週時間切れで見れなかった、キョンボックンにある国立博物館である。体力を温存するために、今日は地下鉄のアップクジョン駅までバスで行き、そこから4号線1本で行くことにする。バスも地下鉄同様500W(\50円)と安い。運賃前払いで乗りこむと、ラジオがでかい音で鳴っており、韓国の演歌みたいな歌がかかっていて運転手さんはノリノリである。ローカルっぽくて良いなぁ。景福宮の敷地にある国立博物館は、先週見た感じでは1階建ての小規模な印象を受けたし、例のJTBガイドブックにも大した事ないような書き方だったため、さくっと済ませて帰ろうと思っていたのだが、これが広い広い。

1階建てと思っていたのは実は見せかけで、入り口から入ったところが2階エントランスになっており、その下に1階と地下1階があるという秘密基地張りの構造であった。入り口を入ると「日本語の案内ありますよ。」と声を掛けられインフォメーションにふらふらと引き寄せられてしまった。そこでしっかり音声ガイド装置を借りることになってしまう。でもまぁ先週の国立民族博物館でも解説の殆どがハングルで良く理解できなかったので借りて正解だったかもしれない。3,000Wと安いし。中は意外なほど空いていたので、途中までは一つ一つじっくり鑑賞することができた。やはり韓国はまだ土曜半日勤務なので、そのためだろうか。ところが途中から、日本語の若者たちのわいわいがやがや言う騒音が近づいてくる。ルーズソックスのギャルズやずんだれズボンのボーヤ達の格好から、一目で日本の高校生の修学旅行と分かる。最近の高校生はリッチだねぇ。でも、殆ど展示をまともに見ていないようであり、「眠い」とかだべりながら歩いているだけである。頼むから外国でまで日本人の恥をさらさないでくれよ。幸いにも彼らはあまり展示物に興味がないらしく、しばらく待っているとぞろぞろと行ってしまった。おかげで嵐の過ぎ去った後、また静かな中でゆっくり鑑賞することができた。先週の国立民族博物館が庶民の生活を中心にした展示だったのに対し、こちらは王道というか、政治や上流階級の文化を中心にした展示であった。なまじ空いていてじっくり見ることができたおかげで、何と13時前に入ったのに、出たのは16:30を回っていた。さくっと済ますつもりがすっかり長居をして疲れてしまった。先週のブーツ屋の兄ちゃんが「土曜日に電話をくれ」と言っていたので、あわよくば今日できあがっていればピックアップして帰ろうと期待して、地下鉄に乗る前に電話してみる。ところが、「火曜にできて水曜に日本向けに発送します」とかとんちんかんなことを言っている。「あの、日曜に取りに行くはずだったんですけど」と言うと、「日曜は無理だから水曜に取りに来てくれ」という。先週と話が違いヤンケ。またも1週間お預けとなってしまった。結構適当だなぁ。仕方ないのでそのまま地下鉄に乗ってアップクジョンまで戻り、帰りは繁華街や高級ブランド店を見ながらホテルまで歩いて帰った。帰ってしばらく休憩すると今日もプールで一泳ぎする。ただし今日はがむしゃらには泳がずあくまでもリフレッシュと言うことで1Kmだけ泳いで早々に切り上げた。夜CNNを見ていると、日本で本日発売のプレイステーション2のニュースを大々的にやっていた。サイエンス誌のライターとLIVEで結んで詳しい解説をやっていた。NHKのBSニュースでは昼にちょこっと(しかも製品名も出さずに「新型ゲーム機」としか言っていなかった)しか取り上げていなかったが、こういうことは単に宣伝とか言うレベルの話ではなく日本の社会現象の一つでかつ日本がエンターテイメントの分野で世界に誇れる数少ない成功例なのだから、隔靴掻痒のまだるっこしい報道ではなく、もっとチャンと報道して欲しいものである。それにしてもこんな大事なときに日本にいないとは。。。。とほほ(>_<)

2000/3/5 Sun.

昨日早めに寝たおかげで、今日は9:40過ぎに起きることができた。これでも充分遅いが。しかし午前中はだらだらと部屋でCNN他のTVを見て過ごした。CNNでは中国全国人民代表大会の模様がライブで流れていた。そう言えば2年前の全人代のときも上海にいたなぁ。他にはSTAR TVでプロレスがあっていたので思わず見はまってしまったが、ルールは万国共通なので結構面白かった。アメリカプロレスはテクニックよりも力任せのところがあるのだが、なかなかどうしてチャンと駆け引きがあったりして面白い。ただ、定番のパイプ椅子で殴るシーンなどは、日本と違って殴る瞬間にカメラが観客席を抜いたりして殴る瞬間そのものを見せてくれない。やはり暴力シーン規制のためであろう。ちょっと興ざめしてしまった。昼過ぎにホテルを出て、バスでアップクジョンへ向かう。今日の運転手さんは若かったので、BGMには韓国のロックがかかっていた。体調もイマイチなので、途中の按配次第でアップクジョンの現代デパートで買い物を済ませて帰るか、地下鉄で足を伸ばすかと考えていたのだが、現代デパートには大した物がなかったので足を伸ばすことにした。まず市役所そばの徳寿宮へ行き、入場料700Wを払って中を見学する。ここは李王朝最後の宮殿だそうである。

今日は天気が良く暖かかったので、庭園をゆっくりと散策する。すると、庭園のあちこちで記念写真を撮っているウェディングドレスとタキシード姿や民族衣装のカップルを見かけた。春先の暖かくなってくるこの季節は結婚式が多いらしく、筆者の泊まっているホテルでも毎週結婚式があっているが、こうやって歴史的な建物をバックに記念写真を取るのがしきたりなのだろう。それにしても、普通に並んで撮っている分にはいいのだが、カメラマンのしかけた鳩と戯れたり、芝生の上に二人寝そべって見詰め合っている姿などはこっちが赤面してしまいそうである。

どこへいっても当てられっぱなしなので、早々に徳寿宮を切り上げ、次に目指すは光化門ロータリーにある東和免税店である。ここには沢山の日本人観光客がバスで乗りつけてブランド品を買い漁っていた。取りあえずお世話になったかたがたにお土産を買わなければならないので、うろうろしていたらしっかり捕まってしまい、高麗人参エキスと粉末の詰め合わせを買うことにした。これまでもデパートなどいくつかの店で見ていたのだが、言葉が通じず買うのをためらっていた。ちょっと高いかなとも思ったが、ここは日本語が通じたので色々説明を聞くことができたし、この後また探してうろうろするのも疲れるので、思いきってここで買うことにした。無事買い物も済ませ、おなかも空いてきたので先週のおかゆの店「松竹」でおかゆを食べ、地下鉄に乗ってアップクジョンまで帰った。帰りは少し元気が出てきたので昨日同様ホテルまで歩いて帰った。どうも体のリズムが半日以上ずれている様である。

2000/3/6 Mon.

うーむ、夕べは復調していたのだが、今朝起きたときからまたおなかがしくしく痛む。今日は一日間全絶食して栄養剤4パックのみで過ごした。と言うわけで早く寝ることにしよう。あ、そうそう、今日もCNNでは大々的にPlay Station2発売のインパクトを伝えていた。SONYの利益の20%を稼ぎ出し、ビデオゲーム市場の70%を占めているそうだ。これだけ大きく取り上げるのはやはりPC以上の処理能力とDVD-VIDEO再生機能を安価に入手でき、ネットワーク端末としての可能性も持っているからだといっていた。ドイツのClaudiaからメールが来て「TVをザッピングしていたら『風雲たけし城』をやっていて、面白かったので見はまってしまった。」と知らせてくれた。うーむ、あんな昔のおちゃらけ番組がヨーロッパで放送されているなんて、相当日本の恥さらしだと思うのだが。

2000/3/7 Tue.

昨日まで一人で営業廻りに行っていたのだが、今日から事務所の田淑蘭(ジョン・スーラン)女史が一緒に来ることになった。若くて美人の女性である。これまで日本本社に研修に行っていたそうである。ところが一緒にいつもの黒塗り社長専用車Dynastyに乗って移動していたら事件は起こった。下り坂を下って信号待ちで停車したとき、ゴン!というすごい音と共に後ろからかなりの衝撃を受けた。一瞬何が起こったのか分からなかったが、何と追突された様である。金運転手が車から降りて、追突した車の若い兄チャンと話し合ったりリアをチェックしたりしていたが、結局住所とナンバーを控えて何事もなかったように走り出した。衝撃からすると後ろはかなりへこんでいるだろうと思ったのだが、そこは流石黒塗り、全くへこんでいないどころかかすり傷もついていないのである。流石高級車は違うなぁと感心した出来事だった。ただ、むち打ち症などは数日後に症状が出るそうなので、しばらくは用心しておこう。何も出なければ良いのだが。。。今日もおなかの調子はイマイチなので一日絶食して栄養剤のみで過ごした。このままのペースだと手持ちの栄養剤がちょっとピンチである。

2000/3/8 Wed.

相変わらずおなかの調子はイマイチ。という訳で今日も一日絶食である。今日は朝からTV局に行ったのだが、到着早々そこの支局長さんが「日本ですごい事故が起こっていますよ」と言われる。日比谷線?が中目黒で脱線衝突事故を起こしたらしい。しばしTVに見入ってしまった。また、夜ホテルに帰ってお茶を飲んでいると、窓の下から「キーッ!ドン!!」という音が聞こえてきた。見てみると、ホテルに入ろうとした乗用車の横腹にバスが突っ込んでいる。まったく昨日から事故続きである。今日の「ここがヘンだよ日本人」のテーマは「日本と韓国」である。当然家内がビデオに録っていてくれるだろうと思っていたら、録ってなかった(番組放送中にホテルに帰ってきて電話して発覚した)。しょぼん。

2000/3/9 Thu.

今日からは昨日までの営業の結果の分析に入る。そこで外出せずに1日デスクワークをして過ごすことができた。体力が温存できて何よりである。で、取り立てて何も無かったので、今日は言葉のことを書いてみよう。韓国人の英語の発音は、ネイティブの英語とも違うし日本のカタカナ英語とも違う。発音記号で、aとeがくっついたような中間音を、日本人は「ア」と発音するが、韓国人は「エ」と発音する。例えば「ハンバーガー」ではなく「ヘンボゴ」である。また、摩擦音Fに日本人はハ行のHの音を当てるが、韓国人は破裂音Pの音を当てる。たとえば「パンフレット」ではなく「パンプレット」だし、「コーヒー」ではなく「コピー」である。流石コピー製品の国(^^ゞ。最初のうち飲食店で「コピー、コピー」と言われるので何のことかと思ったら「コーフィー」のことであった。こちらのTVでもコーヒーのコマーシャルは美人の女性が出てきて優雅な音楽が流れるお決まりのパターンだが、ナレーションで「コピー」とか言っていると何となくおかしい。そんなわけで同じ起源を持つ言葉でも、取り入れられた国によって様々に変化するものだと言うことを感じた出来事であった。

2000/3/10 Fri.

昨日に続き1日デスクワークでデータの集計分析を行う。おかげでどうにか体調もだいぶ回復してきたので、今日は久しぶりにまともな夕食を摂った。といってもうどんであるが。長い1週間が終わってほっと一安心。あとは来週の分析、まとめにかかっている。もうすぐお別れということで、お抱え運転手の金さんが「韓国の家庭を見せたい」ということで、明日は家へお呼ばれすることになった。楽しみである。

2000/3/11 Sat.

朝、意外に早い時間に自然に目がさめる。時計を見ると何とまだ8時前である。もう一眠りしようかどうしようかと迷っているうちに、こてっと寝てしまったらしく次に起きたのは12時であった。しまったこれではいつもと同じではないか。慌てて身支度をし、13時にホテルを出る。行き先はイテウォンである。オーダーしていたブーツを取りに行くのだ。いつもの様に710番のバスでアップクジョンまで行き、地下鉄で三角地まで行ってそこから歩く。歩いていると、81番のバスが何台も追いぬいて行く。良く見ると英語と日本語で「To Itewon」「イテウォン行き」と書いてある。しまった、アレに乗れば20分も歩かなくて済むのである。今日は特に夕方の予定もあるので帰りはアレに乗ることにしよう。店に着いてブーツを履いてみるとぴったりである。流石オーダーメイド。少し余裕があったのでブーツを受け取って店々をざっと見て廻るが、これといって買いたいものも無かったので、早々に立ち去ることにする。イテウォンから81番のバスに乗って戻るが、三角地の地下鉄に一番近いバス停が分からずに乗り過ごしてしまう。しかし結果的にはこれが功を奏し、一つ手前の女子大前の地下鉄駅で降りることができた。そんなこんなで予定より早くホテルへ帰ることができ、一休みして夕方から今度は金さんの家へ出かける。一緒に行く加藤さん、石川君とホテルのロビーで待ち合わせ、タクシーで再びアップクジョンの駅まで行って、現代デパートでお土産の花束と酒を買って地下鉄に乗った。地下鉄を降りると、駅まで迎えに来てくれていた金さんにつれられて、10分ほど歩いて金さん宅に到着した。外から見るとなかなか立派な豪邸で、更に中に入ると沢山の壺や鉢植え、豪華なシャンデリアなどに囲まれた居間兼応接間で奥様の手作り韓国料理の数々が迎えてくれた。烏賊蛸牡蠣の入ったお好み焼き、ほうれん草炒め、野菜の炒め物、春雨と豚肉の和え物など、どれもおいしくて栄養価の高いものであった。それらを食べながら、韓国のビールや焼酎を飲み、金さんは昔の仕事のことを中心に思い出話や日本に対する考えを熱く語ってくれた。更に食事が進むと、赤飯、味噌汁、そして大きくて新鮮な苺などが出されて豪華な夕食は締めくくられた。味噌汁は例によって唐辛子が入っていたので、「もうおなか一杯です」と言って半分くらい残してしまったが。金さん奥さんごめんなさい。珍しい日本人が来ているというので、近所のおばさんが他が遊びに来たり、今年から兵役に行くという長男さんや大学入試に落ちて浪人中の次男さんなどを紹介されたりして、賑やかなうちに時間はあっという間に過ぎ、すっかり遅くまで長居をしてしまった。金さんは酒が入ってますます饒舌になり、まだまだ話し足りない様であったが、あまり遅くなってもご迷惑なのでそろそろおいとますることにした。帰りもわざわざ駅まで送ってくれ、「仕事でなくてもまたいつでもいらっしゃい」と言って下さった。実にあり難いことである。そんなこんなでホテルに帰ったのは11時前であった。ちょっと調子に乗って食べ過ぎたかもしれない。

2000/3/12 Sun.

今日も比較的早く9時頃には自然に眼が覚めた。このまま寝てしまっては昨日の二の舞になってしまうので、とにかくTVをつけてザッピングする。お目当ては、今日メルボルンのアルバートパークサーキットで行われる、2000年Formula1チャンピオンシップの開幕戦オーストラリアGPである。このところF1の開幕戦は見逃すことが多くてついていない。96年は転勤のどたばたで見れなかったし、98年は上海出張中で見れず、99年はフジTVがなぜか気を聞かせて昼間にライブで放送してくれたので気付くのが遅れ途中からしか見れなかった。今年もソウル出張で見れないかと思いつつ家内にしっかり念押ししてビデオ録画を頼んでいたのだが、やっぱり少なくとも当日中には見たい。というわけで、ケーブルTVのStarTVのスポーツチャンネルをつけっぱなしにしていたら、香港時間10:00(ソウル時間11:00)からF1情報番組「Today's Race」、そして香港時間10:45(ソウル時間11:45)から決勝の様子をライブで放送するという。やった。というわけで今日はどこにも出かけずに、休養も兼ねてF1観戦をすることにする。「Today's Race」は英語の放送で、今年のチームとドライバーのラインアップや見所などを解説してくれた。こういうときに英語が分かると徳だなぁ等と思いながら見ていると、何と決勝の放送はいきなり北京語である。香港のケーブルTVだから当然といえば当然なのだが、これにはまいった。ところどころしか分からない。こんなことならもっと中国語を勉強しておくんだった。レースのほうは、スタートでマクラーレンのハッキネンとクルサードが先行し、「あ〜ぁ、またいつもの展開か」と思って見ていたら、途中でクルサード、ハッキネンと立て続けにエンジンブローし、フェラーリにツキが転がり込んできた。終盤、トップを走っていたシューマッハ兄にバリケロが肉薄して抜き去るシーンがあり冷っとしたが、バリケロはタイヤ交換の回数が1回多くその後ピットインして元の順位に戻った。結果は1位シューマッハ兄、2位バリケロ、3位シューマッハ弟と、フェラーリファンにとっては最高のできであった。その後プールに行って1時間半ほどかけてゆっくり2Kmを泳ぎ、さっぱりして仕事をした。来週少しでも早く帰れる様に。

2000/3/13 Mon.

「少しでも早く帰れる様に」と言っていたのに、やっぱり今日も9時過ぎになってしまった。それから食事をしてホテルに10:00過ぎに帰る。こんなペースだからなかなかおなかの調子は良くならない。おまけに、水曜日までに報告書を仕上げて帰国日の木曜日に提出するのだが、なんと午前中に報告会があり、なおかつTV会議で東京本社にも中継される羽目になってしまった。荷物の関係でスーツは荷物にパッキングして私服で帰ろうと思っていたのに。。。。いっそ、木曜日は私服で行こうか。

2000/3/14 Tue.

分析・報告書作成もいよいよ大詰め。てなわけで今日は12時過ぎまで会社で仕事をしてしまった。会社を出てホテルに帰ったのが12時半過ぎ。早く風呂入って寝よ。あーっ!!ホワイトデーなのに家内に電話していない。ヤバイ!!

2000/3/15 Wed.

いよいよ追いこみ中の追いこみ。18時くらいまではチョイチョイと修正オーダーをこなし、楽勝ペースで収束しつつあったのだが、18時のレビューで新たなオーダーが山の様に出てしまった。何の事はない、それまでろくに内容を読まれていなかったのである。事前の打ち合せで内容の頭出しはしていたつもりだったのだが。てなわけで、今日も何だかんだ言ってホテルに帰ったのは午前1時を廻っていた。ソウルの夜はまだまだ寒いぜ。それからパッキングにかかったのだが、これがまた大変。何しろ、今回は「寒い寒い」と聞いていたので、来る時点でコートやらセーターやらももひきやらでスーツケースは満杯状態だったのに加え、革のロングコートに皮のブーツとかさばるものを買ったので結構厳しい。圧縮パックでセーターや下着をつぶし、靴には靴下を詰め込むなどして出きるだけ無駄な空間を減らして、どうにか蓋を占めることができた。流石にこちらで購入した電気ポットは置いていくことにした。220Vだから日本では使えないし。。。ふぅ、パッキングに2時間もかかってしまったぜ。

2000/3/16 Thu.

朝いつも通りの時間に何とか起きて、さくっとチェックアウトを済ませる。出張旅費の清算の関係で、ルームチャージとその他の電話代やクリーニング代は分けて清算しなければならないのだが、意外にあっさりと終わってしまった。台湾のときは、フロント嬢が電卓片手に一生懸命分計してくれて時間がかかったので、かなりびびっていたのだが。午前中は今回の成果の報告会である。軽く考えていたのだが、先方の社長以下営業部門のスタッフがずらりと揃い、さらに日本と電話会議でつないで行うという物々しさである(最初はTV会議という話だったのだが、費用の関係で没)。しかしこういうシチュエーションでのしゃべりは得意なので、ついついしゃべり過ぎてちょっと時間をオーバーしてしまった。内容については、(お世辞かもしれないが)社長にも満足していただけた様で、これで安心して日本へ帰れるというものである。報告会も無事終わり、後は片付けるのみなので、豹柄シャツに革パン、ブーツといういつものビジュアル系スタイルに着替える。事務所の中で思いっきり浮いてしまったが、実は李さんも虎柄ワンピースにブーツというスタイルだったので、「おそろい」とか「虎対豹」とか言って冷やかされてしまった。

その後、お別れの昼食会として近所のレストラン「シズラー」へ移動する。ステーキとシーフードとサラダバーのレストランで、日本にもあるそうだが筆者は知らなかった。取りあえずシーフードを食べようと思っていたのだが、生憎ランチにはステーキとハンバーグとチキンしかなかったので、チキンをオーダーする。普段ハンバーガーが主食の石川くんは、ローカルスタッフの「韓国式ハンバーグだからまずいですよ」との忠告を無視して案の定ハンバーグをオーダーしていた。出てきたハンバーグには赤いソースがどっぺりと乗っており、彼はやおらそれを塗り広げて一口食べる。ところが、とたんに「う、辛い」と言って、塗り広げたソースを全てこそぎ落としてしまった。ふつー、こういうときは塗り広げる前に味見してみるってば。意外とお茶目な石川くんであった。しかしその後は意外にもその味が気に入ったらしく、結局八ソースに絡めながら食べていた様である。チキンのほうは、実はオーダーのとき良く見ていなかったのだが、正確には「スパイシーチキン」であり、結構辛い。サラダとアイスティーと付け合せの人参などで味を薄めながら、どうにか平らげることができた。食事をしながら現法の皆さんと楽しい語らいをする。1ヶ月も居たのに、こうやってじっくり話をするのは初めてのような気がする。Kinki KidsやDDRや韓国の人気ユニットY2Kのネタなどで盛り上がるが、現法の若手女性スタッフは驚くほど日本の芸能界やエンターテイメント情報に詳しい。日本文化は現在でもかなり厳しく制限されている(例えば200人以上集まるコンサートでは日本語の歌を歌ってはいけない等)そうだが、なかなかどうして若い人たちにはしっかり浸透しているようである。レストランからの帰りは、若手女性スタッフと一緒に歩いて帰ったが、この日は特に寒く、彼女らも寒い寒いと震えていた。「彼女と歩いていて『寒い』と言われたら日本の男性はどうしますか?」と聞かれたので、「コートをかけてやるんじゃないかな」と答えると、「韓国の男性は違うんですよ。『我慢しろ』って言うか『走れば寒くなくなる』って言われるんですよ。」とのこと。思うに、徴兵制のある韓国では、若い男性は皆軍隊でそのような教育を受けたために、日常生活でもそれが出てしまうのであろう。「ここがヘンだよ日本人」で「韓国の男性は女性にやさしい」と自画自賛していたが、とんでもない大嘘である。
事務所に帰り、最後の後片付けをして玄関前でデジカメで記念の集合写真を撮る。ちゃっかり李さんと一緒に虎柄&豹柄ペア写真も撮ってしまったのだが、時間がなかったためにPCにコピーして持ち帰ることができなかった。早く送ってきて欲しいなぁ。その後皆さんに最後のお別れをして、盛大なお見送りを受けて事務所を後にした。事務所を出るとホテルへ戻り、脱いだスーツをスーツケースに詰めて、丁度やってきたDelux Taxiに乗って空港へ向かった。タクシーの窓から、営業で何度も通ったビルの町並みが見えると、これでもう終わりかと妙に感傷的な気分になる。途中事故でちょっと渋滞したりして焦ったりもしたが、1時間弱で空港へ着きチェックインを行う。

空港カウンターの女性は韓国人だったが、ネイティブ並みの流暢な英語で受け答えしてくれて、韓国訛りの英語に馴染んでいた耳には随分心地よく響いた。少し時間があったので、お土産店で「サムゲタン」のレトルトパックと、家内へ螺鈿の小箱と、職場へ人参チョコレートを買って機上の人となった。
帰りもあっという間に着いてしまい、入国手続き後のターンテーブルでの荷物受け取りも何と2番目という早さで出てきたので、申し訳ないが石川君にはここでお別れを言ってさっさと税関へ向かう。あまりの早さに空いていた為か、あるいは若い職員でOJT中だったのか、税関では随分色々と質問されてしまった。韓国入国時は「観光」で誤魔化したが、流石に帰りに「観光」を使うとどこに行ったか等を聞かれてすぐばれそうなので、正直に「仕事」と答えた。すると仕事の内容などを2,3質問され、アタッシュケースの中だけ見せてくれと要求されたので、素直に開けて見せる。中にはノートPCや書類、名刺などが入っていたので、あっさり信用してくれ、最後に名刺を確認して通してくれた。やれやれである。後で聞いたところによると、石川君はスーツケースの中まで開けさせられて、靴箱が2箱入っていたので不信がられて、中身を確認されたそうである。因みに、筆者は豹柄シャツで「仕事」と答え、石川くんはネクタイスーツ姿で「観光」と答えたそうである。疲れていたので、そのままタクシーを拾って自宅へ直行したが、左側通行で運転手席が右側というのが妙に違和感があった。
という訳で、今回も疲れる出張であった。
海外出張というとみんな羨ましがるが、現実はこんなもんである。たまにはどっぷり観光で行ってみたいものだ。

 


 

2000/12/18 Mon. (後日談)

このページをご覧になった韓国のかたから、「自分がやっている韓国観光情報のページからリンクさせてください」というありがたいお申し出を英語で頂いた。快く承諾し、相互リンクすることになった。そのサイトはGuide Koreaで、アドレスはhttp://guidekorea.org。訪問してあげてください。

Fin.


Written by Y1K