America横断研修旅行
(1989/2/22〜1989/3/5)
はじめに
大学4年の頃の出来事である。筆者の就職活動が無事実り、第一志望の企業から内定を頂くことが出来た。そしてその企業の系列旅行代理店の主催で、内定者を対象に2週間のアメリカへの通信事情見学の研修旅行を実施するとの案内を頂いた。就職したら、なかなか海外旅行に行くようなまとまった休みも取れないだろうし、ここは一つ卒業旅行も兼ねて、親のすねを齧らせてもらって参加させていただくことにした。もっとも、このホームページに旅行記を書いているように、就職してからもバンバン海外出張に行く機会はあったので、この予測は必ずしも当たっていなかったのだが。何しろ公私取り混ぜて初めての海外旅行なので、パスポートを作り、クレジットカードやトラベラーズチェックを作り、ガイドブックを買いこんで入念な準備をした。
Narita
: 2/22
筆者らが旅立ったのは昭和天皇の大喪の礼の数日前で、成田には各国の要人が続々と到着している時期であった。集合は夕方であったが、警備が厳重でチェックにどれだけ時間がかかるかも分からず混雑するだろうと警告されていたので、当時住んでいた名古屋を早朝に出発する。京成スカイライナーで成田空港第一ターミナル(当時はまだ第二ターミナルは無かった)に到着すると、早速改札を出た所でスーツケースを一つ一つ開けて内容をチェックしているが、待ち行列は出来ていない。と言うわけで意外なほどあっさり通過してしまい、昼から丸丸半日時間が空いてしまった。昼食を食べてからもヒマなので、重たいスーツケースをごろごろ転がしながら成田空港内の店々を見物して廻るが、とにかく時間が余ってしょうがない。やっとチェックインカウンターが開いたので、とっととスーツケースを預けてチェックインを済ませ身軽になる。これが後にとんでもない悲劇を呼ぶことになるのだが、そんなこととは露知らず、初めての海外旅行への期待に胸膨らませる筆者であった。集合場所の南ウイングUAカウンター前でだいぶ待ってから、やっと他のメンバーも集まってきたので点呼を取って出国審査を受け搭乗口へ向かう。今回のメンバーは、我が社の人事部のI主査、系列旅行会社の添乗員W氏、近畿日本ツーリストの添乗員A氏それに内定者女性3人に男性10人の大所帯である。
Seattle
: 2/22
搭乗機はトランジットの為にシアトルに到着する。ここで入国審査も受けて、国内便に乗り換えて第一宿泊地のニューヨークへ向かうのである。飛行機の窓から、初めて見る異国の地をしげしげと見ていると、家の作りはアメリカ的だし、車はアメ車(当然か)だし、その車は右側通行で走っているしで、何もかもが珍しく、「あぁ、ホントにアメリカに来たんだなぁ。」と素直に感動する。シアトル空港に無事着陸し、広い空港ターミナル内を延々と移動ベルトに乗って入国審査へ向かう。ちゃんと「さいとしーいんぐ」と言えて入国審査をパスし、バゲッジクレイムでスーツケースの出てくるのを待っているときにその事件は起きた。他の人のスーツケースは次々出てくるのに、筆者のだけがいつまでたっても出てこないのである。とうとう新たに出てくるスーツケースも無くなって、ターンテーブルには引き取り手のないスーツケースが寂しげに2〜3個回っているだけになってしまった。ディナーに必要ということで\7万円出して新調した取っておきのスーツや、海外旅行に備えて今回揃えたもろもろのトラベルグッズや下着などが全て入ったスーツケースが、いきなり無くなってしまったかと思って呆然と立ち尽くす筆者であった。アメリカ恐るべし。ううむ、初めての海外旅行で異国へ降り立った第一歩からこれである。この後の数々の海外旅行でも、筆者がネタの神様に付きまとわれることになるのが良く分かるスタートである。とりあえず添乗員の方に紛失届を出していただき、一人身軽な筆者はスーツケースをゴロゴロ転がす他のメンバと共に、乗り継ぎ便へ向かうのであった。
New
York : 2/22 - 2/25
HOTEL WELLINGTON
7TH AVE.& 55thST.,NEW YORK CITY N.Y. 10019
TEL:+1-212-2473900不安にさいなまれながらニューヨークのJFK空港に到着すると、筆者のスーツケースが一足先に着いて待っていた。スーツケースの最終目的地はNYとタグに書いてあったのだが、早く預けすぎてしまったために、どうやらNY直行便に載せられてしまったようである。何はともあれほっと一安心である。夕方到着し、ホテルへ直行する。今回の旅行では、コスト削減の為に全てのホテルで2人部屋を2人ペアで利用することになっていた。中には友人同士で応募してきている人もいるので、そういう人達は当然ペアで部屋に入り、余り者同士が組まされるという結果になった。筆者のルームメイトは関西人T氏であったが、関西人特有のあつかましさがことある毎に鼻に付いて、正直言って余り仲良くなれなかった。例えば一緒に入ったデパート!で値切ったり、到着そうそう彼の電気シェーバーが壊れたらしいのだが、こともあろうか毎朝筆者の電気シェーバーを貸してくれと言うのである。これは筆者にとっては、歯ブラシを貸してくれとか、パンツを貸してくれとかいうのに匹敵し、直接肌に触れるものを親しくも無い初対面の男に貸すのは非常に嫌であった。また2泊したこのホテルも最悪であった。部屋の鍵はかかりにくいし、シャワーの出も悪くシャワーとカランの切り替えもうまく行かない。その上ドアノブやら窓枠やらちょっとした金属部分に触れるだけで、ビリッと激しい静電気に襲われるので、皆ブーブー不満を洩らしていた。初めて泊まる海外のホテルなので、外国では皆こんなもんだろうと思っていたが、後に泊まったさまざまなホテルと比較するとやはり最悪の部類に入るといわざるを得ない。ホテルの窓から見下ろすNYの街は、鉛色の空の元凍える寒さで、地下鉄の通風孔から白い水蒸気が立ちあがっていたりと、まさに映画で見る雰囲気そのものである。
翌日の午前中はチャーターバスで国連ビル、エンパイヤーステートビル、バッテリーパーク、ウォール街、セントラルパークなどを駆け足で見て周る。国連ビルにはさまざまな国の観光客が来ていたが、反対側に当時郷ひろみのマンションがあり、日本人だけは反対方向を向いて写真を撮っていたので、他国の観光客からいぶかしがられていた。X線による手荷物検査を受けて国連ビル内を見学し、記念とお土産にTシャツやタイピンなどを買った。午後は「通信事情見学」の名に恥じずInfoquestを訪問する予定だったのだが、玄関先まで行ってなにやらもめている。どうもちゃんとアポが取れていなかったらしく、結局門前払いになってしまった。仕方ないので、急遽パンナムビル前にある我が社の現地事務所を訪れて、アメリカの電気通信事情やAT&T分割の話などを聞かせていただいた。現地事務所は日本から行ったスタッフ以外に沢山の金髪美人秘書がいるし、マンハッタンのど真ん中の高層ビルの上のほうのフロアで見晴らしも良く、実に羨ましい環境であった。窓から見ると目の前にはウルトラクイズの決戦でおなじみのパンナムビルがあるし、下のほうを見るとミニカーみたいな車が沢山走っているのが見える。しかし「イエローキャブ」と呼ばれる黄色いタクシーが実に多い。走っている車の半分以上が黄色かったような気がする。現地事務所訪問の後は、しばらくその近辺で自由行動となり、に紀伊国屋へ行って、お目当てのRobert A. Heinleinのペーパーバック10冊ほどを買いこんでホクホク顔で集合場所へ戻る。
夜も自由行動なのでミュージカルを見に行こうということになる。ギャル3人を囲んだ男女6人のグループは当時大ヒットしていたコーラスライン(だったっけか?)のチケットをどうにか入手していたが、筆者は成り行きで関西人他2名と場末の小さな劇場で演じられるのを見ることになってしまった。タイトルも覚えていないが、小さな劇場で、舞台からの指図に会わせて観客も観客席で立ちあがって一緒に踊るというもので、イマイチ乗りきれなかった。
翌日は1日自由行動なので、昨日からの成り行きでグループになってしまった4人で朝食を食べながら行動を相談するが、「怖いもの見たさで地下鉄に乗ってみたい」とか、「地下鉄でソーホーにでも行ってみよう」とかいう話になってしまったので、もっとNYらしいものを観光したいと考え、「腹が痛いのでしばらくホテルで休んでいる」と仮病を使って関西人達と分かれた。その頃はまだNYの地下鉄は怖いという印象が強くあったのだ。一旦ホテルへ帰って体制を整えなおし、見物がてら徒歩でマンハッタンを南下してバッテリーパークへ向かう。自由行動にあたって、服にわざとケチャップをつけて拭き取る振りをしながら財布を抜き取るスリが多発していると注意されていたので、歩きながらも周囲に目を配って注意する。ウォールストリートを抜けてようやくバッテリーパークへ到着し、そこから船に乗って自由の女神のあるリバティアイランドへ渡る。海の上なので結構寒いが、デッキから見ているとおなじみの自由の女神の姿が次第に大きくなってくる。あぁ、本当にアメリカに居るんだなぁと感慨を新たにする。島に着いて上陸してみると、自由の女神像はかなり大きい。台座だけでも10階建のビルくらいはある。台座まで行くコースと頭上の王冠まで行くコースとあったので、迷わず王冠までのコースを選ぶ。7年後に来た時は夏休みということもあり、王冠コースは3時間待ちの札が出るのであるが、この時は2月で寒いこともあり待ち行列はそれほどでもなかった。入り口でX線検査を受けて王冠行きのエレベータで昇り、途中からは狭い螺旋階段をえっちらおっちら登って行く。流石にここまで来ると行列の進みものろく、一人分の幅しかない暗い階段をいつ果てるとも無く前の人に続いてのろのろと昇るしかない。やっと頂上についたが、折角ここまで苦労して昇ったのに、王冠の内側に作られたキャットウォークみたいなところを、止まらずに歩きながら、狭い窓からチラッと外の海が見えたに過ぎなかった。そう言えばこんなシーンがヒッチコックの映画に合ったなぁとしみじみ思い出すひまもない。ちょっと物足りなくて残念であった。自由の女神を降りると、降りた台座の所に博物館があったので、自由の女神建設の歴史などを見て周り、お土産店で緑色のスポンジで出来たとげとげの王冠を買った。これは帰国後妹にあげてしまったので、7年後に訪れたときに再度購入した。
自由の女神を後にして、再び船でバッテリーパークまで戻り、露店でホットドッグと温かいコーヒーを買って昼食とする。バッテリーパーク前でイエローキャブを捕まえて、次の目的地であるエンパイアステートビルへ向かった。エンパイアステートビルは地下のチケット売り場でチケットを購入してエレベーターで昇るのだが、チケット売り場には結構人が並んでいた。「軍人と子供と身体障害者は半額」と書いてあるのがいかにもアメリカ的である。海外での買い物はコインや紙幣の区別が瞬間的につきにくい上に、州ごとに率の異なる売上税がかかるので、とっさにちょっきりの額を出すことが出来ない。その為ついつい大きな札で買い物をしてしまって、おつりの小銭ばかりがジャラジャラ増えて財布が膨れることになる。チケット売り場の列で並んで待っている間に小銭を整理して、細かいのはここで処分しようと考えていたのだが、窓口前まで行くと「1セント硬貨は受け取らない」と書いてある。しぶしぶダイム(10セント)やクオーター(25セント)を組み合わせてチケット代を払ったのであった。エレベータは次々とやってくるので比較的スムーズに展望台に昇ることが出来た。展望台は、客以外は意外とがらーんとしており、お土産を売る数件のワゴンがあるのみである。その中におじさんがやっている記念メダル屋があった。メダルといっても、客の持っているダイム(10セント硬貨)を大きな万力みたいな機械の中に入れて、ハンドルを回してぐしゃっとつぶしてメダルにしてしまうのである。日本だったら硬貨の変造は違法行為だが、アメリカはOKだと知ってびっくりする。図柄は2種類あって、自由の女神とエンパイアステートビルである。筆者も早速記念に両方作ってもらった。展望台は外のテラスへ出られるようになっており、下を見下ろすことも出きる。眺めはなかなかでマンハッタンが一望に見渡せる。下を見ると相変わらず殆ど黄色い車で道路が覆い尽くされている。いつでもどこでもタクシーに乗れるのはありがたいが、供給過多ではないだろうか。
エンパイアステートビルを降りた後、ガイドブックに紹介してあったイントレビット航空宇宙博物館に行くことにする。ここは空母イントレビットをマンハッタンの西の端まで曳航してきて、そのまま博物館にしたもので、色々な戦闘機や宇宙船なども見れるということである。開館は17:30まで、入館時間は16:30までで、ぎりぎり入館に間に合いそうだったので歩いて行くことにした。5分前に道路を隔てた所まで到着し、「やれやれどうにか間に合った」とほっとしたのもつかの間、前に横たわる片側5車線くらいの道路の信号がなかなか変わらない。いらいらしながら、信号の変わるのを5分近く待っていると、目の前で博物館の門が静かに閉められ始めた。焦って守衛にゼスチャーで入りたいことを示したが、守衛は「ダメダメ」と手を振って返事を返し、結局入ることは出来なかった。折角一生懸命ここまで来たのに実に悔しい。この仇を討つのに7年もの時を待たねばならなかった。仕方がないのでそのままマンハッタンの中心へ戻り、ゴーストバスターズに出てきたニューヨーク市立図書館や、当時ズームイン朝で中継されていたロックフェラーセンター、5番街、7番街などを見物して回った。夜ホテルで見ていたCNNニュースでは、日本で行われていた昭和天皇の大喪の礼を大々的に報道していた。こうやって日本のビッグニュースを外国から見ると、客観的になれて何か不思議な感じがする。インタビューに答える日本語に英語の字幕が出るのが、何となく妙で面白い。
Cicago
: 2/25 - 2/26
The CICAGO HILTON & TOWERS
720 S. MICHIGAN AVE. CHICAGO LLLINOIS 60605
TEL:312-9224400NYを早朝に出発し、昼頃Cicagoのオヘア空港へ到着した。飛行機の窓から見下ろすと、一面の雪景色である。NYも寒かったがCicagoはそれ以上に寒い。午後は貸切の小型バスで市内観光をし、シアーズタワー、シカゴ自然史博物館、アルカポネのアジトなどを見て回った。シカゴ自然史博物館には、ステゴザウルスやティラノサウルス等を始めとする大型恐竜の完全骨格が多数展示してあり、地球科学専攻の筆者にとっては垂涎ものであった。その後一旦CICAGO HILTON & TOWERSにチェックインし、そのまま夕食へ向かう。2次会でパブみたいな所へ行ったりしたので、結局ホテルへ戻ったのは23時頃になってしまった。Hiltonは流石名に恥じない立派なホテルで、NYのWelingtonとは雲泥の差であった。できればこのホテルのほうに2〜3泊したかったものである。ところが、翌日はアメリカを一気に縦断してOrland行きである為出発も早く、何と朝5時に起床である。折角のHILTONなのにわずか6時間しか滞在できなかった。とほほ。。。(;_;)
Orland
: 2/26 - 2/28
HOLIDAY INN MIDTOWN
929 W. COLONIAL DR., ORLAND FLORIDA 32804
TEL:407-841360Cicagoを後にした我々は、次にOrlandへ到着する。空から見ていると流石南国フロリダだけあって、緑が鮮やかで空も湖も青く、何もかも輝いているという風情である。上空から見える家々にはプールが必ず付いており、流石アメリカのリゾート地であると感心した。ここの目玉はディズニーワールドである。西海岸の元祖ディズニーランドの2倍以上の規模で、子供向けのディズニーランドに大人向けの凝ったパビリオンが併設されているのである。おまけに当時日本からの直行便がまだ無かったため、日本人観光客も殆ど居らず混雑していないのがいい。折角の機会なのだが、翌々日には西海岸へ移動しなければならないため、1日半しか楽しめないのが残念である。到着日は午後半日を子供向けのマジックキングダムで過ごし、翌日は大人向けのエプコットセンターで過ごした。スペースマウンテンやビッグサンダーマウンテンなど人気アトラクションを途中までグループで楽しみ、とにかく限られた時間を有効に活用するため後は単独行動をとる。それにしても、上記2つだけでもあまり待たずに乗れたのは賞賛に値する。いくら2月のウイークデイとはいえ、ここは南国の太陽がきらめきTシャツ1枚でも日なたではあっという間に日焼けするほど暑い。昨日まで居たNYやCicagoではコートを着て震えていたことを思うとギャップが大きく、とても同じ国とは思えない。流石アメリカは広いなぁ。アトラクションの中には、観客が水をかぶってしまうようなものもあったが、皆キャーキャー言って喜んでるし、空気が乾燥しているので濡れたTシャツもすぐ乾く。皆と別れた後は、まず話題の3D映画「キャプテンEO」を待ち時間なしで見る。3Dメガネをかけて上映を見るのだが、本当に良く出来ていて、目の前に隕石が飛んでくるシーンなどでは、観客の頭が一斉に避けるような動きをしたり、掴もうと伸ばした手があちこちからニョキニョキ伸びていて、観客を見ているのも面白かった。その後海中都市などのいくつかのパビリオンを見て回り、カーニバルを見物してショップでお土産用にTシャツなどを買う。そうこうしている内にあっという間に時間は過ぎて行ってしまった。まだまだ見たいものは沢山あったが、泣く泣くディズニーワールドを後にしてホテルへ戻った。
もっと居てフロリダの太陽を堪能したかったのだが、翌日の早朝にはもう出発である。空港でしばらく時間があったのでショップを見て回っていると、流石ヒューストンに近い土地柄だけあって、宇宙や宇宙船に関するデザインのTシャツが沢山ある。面白いところでは、当時日本でも放送されて人気だったMIAMI VICEをもじってドン・ジョンソンらに似せたねずみ2匹の書かれたMIAMI MICE(マイアミのねずみ達)というパロディーTシャツもあった。折角なので、スペースシャトルのTシャツを記念に買おうとレジに並ぶが、レジのおばさんが非常にとろくて、5人くらいの待ち行列が出来ているのに、急ごうとか応援を呼ぼうとかいうことをせずに相変わらずクレジットカードの処理をとろとろやっている。クレジットカードは時間がかかりそうなので現金を用意したのだが、彼女はカード照会している間に次の客をさばこうとかいう気はさらさら無くて、とろとろと一人目のカード照会が終わるのを待っている。とうとう搭乗時間ぎりぎりになってしまったので、泣く泣く手に持った商品を元の棚に戻して駆け足で搭乗口へ向かった。買いたい物は買えなかったし、引率のI主査には怒られるしで散々であった。
Las
Vegas : 2/28 - 3/1
LANDMARK HOTEL CASINO & TOWER
364 CONVENTION CENTER DR., LAS VEGAS NEVADA 89109
TEL:702-7331110アメリカ大陸を今度は東から西へ横断して、途中デンバーで乗り継ぎし、次の訪問地は欲望の渦巻くギャンブルの街Las Vagasである。とにかく街中が昼間でもど派手なネオンできらきらと飾り立てられており、一晩中眠ることが無い。昼に到着してホテルへチェックインを済ませ、午後は自由行動なので、地球科学者のはしくれとして憧れのグランドキャニオンへのツアーに参加する。空港から7人乗りの小型セスナに乗って飛び立ち、有名なフーバーダムや壮大な渓谷等の景観を眼下に楽しみながら小一時間ほどでグランドキャニオンの小さな滑走路まで飛んで行く。小型機なので、渓谷の上の気流の悪い所などでは機体がきしんでかなり揺れる。筆者らが乗った翌週には墜落したなんてニュースを後で聞いて、胸をなでおろしたのだった。セスナの席には5カ国語切り替えダイアル付きの解説が流れるヘッドフォンが備え付けられており、日本語の解説を聞くことが出来て非常に良かった。グランドキャニオンの感想は、雄大の一言に尽きる。上面が平らな台状の岩山の間を切り立った峡谷が縫うように走り、地球の悠久の歴史を感じさせる。峡谷のほうまで見物に行きたかったのだが、時間が30分と限られていたため空港の周りを見て回るにとどまらざるを得ない。最後に急ぎ足でショップを見て回り、サソリを封じ込めた透明プラスチックのマグネットホルダーと、グランドキャニオンのロゴのスーツケースステッカー、それに3Dビューワー用のグランドキャニオンの風景のスライドを購入した。帰りは夕暮れに重なったために、オレンジ色の夕日に峡谷の岩肌が照らされて、影になっているところとのコントラストが実に幻想的であり、行きとは違った景色を堪能することが出来た。
夜は早速ホテル併設のカジノへ行ってみるが、ルーレットやポーカーなどのディーラーのいる勝負は言葉もルールも良く分からないので、結局スロットマシーンやポーカーマシーンのような機械相手のゲームに終始してしまった。マシーンに入れるコインは、両替窓口で現金を出してコインを受け取るか、駅弁売りみたいないでたちで現金からコインに両替してくれるおばちゃん達が店内を巡回しているのを捕まえて両替する。使い過ぎないようにちびちび両替していたので、随分しみったれている客だと思われただろう。カジノ店内は薄暗く、映画で見るような金髪美人のハイレグバニーガールが居たりして、結構雰囲気だけでも楽しめる。ただ、ツアーのメンバーの中には店内をうろうろしていたら年齢を聞かれた人も居た。やはり日本人は若く見えるのだろうか。そう言えばレストランでアルコールをオーダーするときも、「パスポートを見せろ」と言って年齢を確認されたことがあった。あちらでは未成年に酒を売ったほうも厳罰なので、結構チェックが厳しい。勝負の方はと言うと、こつこつ少しずつ勝って「行けるかな」と思っていると一気に大負けしてそれまでの勝ちがパーになるといった具合で、結局トントンか少し負けたぐらいで終わってしまった。流石良く出来ている。
翌日の出発では前回の失敗に懲りて、空港ではとにかく早め早めにショップを見て回って買うものを決める。とにかく速攻で決めて、おもちゃの小型スロットマシーンとラスベガスの絵柄のトランプを購入したが、後で見てみるとどちらも"Made in Hongkong"であった。わざわざ太平洋を渡ってきたのに、また太平洋を渡ってアジアへ戻るのかと思うとおかしかった。速攻で買い物をして搭乗待合室へ移動し余裕だなと思っていたら、搭乗予定の飛行機が2時間遅れとのこと。ガーン。今更ショップのほうへは戻れないし、周りには何にも無い。スロットマシーンを除いては。。。そう、流石ギャンブルの街Las Vagas、空港の待合室にもスロットマシーンが有って、例の駅弁スタイルの両替おばちゃんがうろうろしている。ヒマでやることも無いので、結局また両替してスロットマシーンに挑戦したが、去る客からは最後だから思いっきり搾り取ろうという設定にでもなっているのか、大負けしてしまった。飛行機の遅れもスロットマシーンをさせようという街ぐるみの陰謀かもしれない。飛行機は更に30分遅れでようやく飛び立ったが、負け逃げ?というのが実に悔しい。
San
Francisco : 3/1 - 3/2
THE SANFRANCISCAN HOTEL
1231 MARKET ST., AT CIVIC CENTER, SAN FRANCISCO, CALIFORNIA 94103
TEL:415-6268000San Franciscoへ到着すると、またまた貸しきりバスで駆け足で市内観光である。ツインピーク、ゴールデンゲートブリッジなどを見て周り、フィッシャーマンズワーフという、鮮魚市場が発展して新鮮な海の幸を食べさせてくれるシーフードレストラン街みたいな所で手短に昼食を取る。ここで食べたアツアツのクラムチャウダーとクラッカーがとてもおいしかったのが印象に残った。昼食後しばらく時間があったので、ガイドブックを頼りに近所のNature shopへ行ってみる。ここには色々と自然科学関係の教材や標本になりそうなものが売ってあり、化石なども日本の1/3〜1/10くらいの値段である。流石大陸。すっかり夢中になって、アンモナイト、三葉虫、ベレムナイトなどの入った化石セットを買ってしまった。その後、「通信事情研修」の第2の目玉である「ベイエリアテレポート」見学である。というかNYでのInfoquest訪問が却下になった現状では唯一研修らしい訪問先だと言える。「ベイエリアテレポート」は、海上に埋立地を作ってそこに通信関係の重要な施設を作り、通信関係の企業を誘致して集約し、San Franciscoの通信のハブにしようという重要なプロジェクトである。土地の余っているアメリカで何故わざわざ埋立地を作るのかも気になるが、何よりも「サンアンドレアス断層」という大断層が真下に走っている所で埋立地を作って通信の中枢を置く危険性が非常に気になる。その件について質問したところ、埋立地の土壌は充分にcompaction(ぎゅっと固められている)されているので、万一地震が起きても大丈夫だと言う答えだった。更に突っ込んだ質問をしたかったのだが、他のメンバが退屈そうにしているのと時間もなさそうだったのであきらめたが、この件についてはサシでじっくり議論したかったなぁ。
夜は自由行動である。この頃には関西人とはホテルで寝るとき以外はすっぱり縁を切って、東京から来たS君と一緒に行動していた。彼が、San Franciscoのケーブルカーの乗車券はトークンと言って、現在流通していない珍しい$1コインを購入して乗るのだと教えてくれたので、早速乗りに行って見る。自動販売機でトークンを買うが、日本の\500円玉のような感じでずしりと重たい。記念に数枚余分に買ってケーブルカーを待つ。ケーブルカーと言ってもケーブルにゴンドラがぶら下がっているような形態ではなく、見た目はあくまでも普通の市電でレールの上を走っているのだが、実はレールの地下に常時動いているケーブルが走っており、2本のレールの間に空いている溝から長い柄のついた鉤みたいなものを刺しこんでケーブルに引っ掛けると電車が走ると言う仕組みである。停留所で止まるときはこの鉤をケーブルからはずせば良いので、実にシンプルである。終点まで乗って、近所のレストランで夕食にステーキを食べたが、ボーイが親切にも「Do you need soy sauce(醤油は要るか)?」と聞いてくれたので「Yes, please」とうなずくと、何と卓上サイズのミニボトルのキッコーマンが出てきた。流石ジャパニーズナチュラルフーズブームである。帰りは終点の奥の操車場みたいな場所に止っているケーブルカーに乗って待っていたら、操作員が乗りこんできて「あそこの停留所で待っていてくれ」という。仕方なく停留所で待っていると雨が降ってきたのだが、2人とも傘を持っていなかったので、近くの電話ボックスの中で肩を寄せ合って雨をしのいだ。西海岸はゲイが多いと聞いているが、こんなところで野郎二人が体を寄せ合っていたら、ゲイに間違えられて誘われないかとびくびくものであった。電話ボックスの中から見ていると、操作員2人が出てきてケーブルカーをターンテーブルの上でぐいぐい押して回転させ180度向きを変えてから、停留場まで運んできた。走行方法もシンプルだが、操作方法もプリミティブである。
Los
Angels : 3/2 - 3/4
HOLLYWOOD ROOSEVELT
7000 HOLLYWOOD BLVD., HOLLYWOOD CALIFORNIA 90028
TEL:213-46670002週間に及ぶ旅の締めくくりは、映画の都Hollywoodを控えたLos Angelsである。同じ西海岸なので移動にそれほど時間もかからず昼前に到着した。例によってチャーターバスでオルベラ街、チャイニーズシアター、サンセット大通りなどを観光して回る。夕食は、メンバー全員でどこぞのヤキニク店へ行く。そう、日本のヤキニクを目の前の鉄板の上でコックが華麗な包丁さばきを見せながら調理してくれる日本でおなじみのアレである。ご飯もついているものの米は当然カリフォルニア米で、大粒でぱさぱさしているが、久しぶりの米のご飯なので贅沢は言えない。他に当時ブームになりつつあったスシもついていたが、案の定刺身のネタは殆ど無く、アボカドとかキュウリとかフルーツとかそんなんばっかりであった。
翌日は終日自由行動なので、早速数名でタクシーに相乗りして「ユニバーサルスタジオ」へ向かう。日本人同士でしゃべりながら乗ったので、ドライバーに行き先を告げるときもつい勢いで「ユニバーサルスタジオ」と口から出ていまい、ドライバーからしっかり「ノーノー、ユゥニヴァースルストゥウディオゥ」と修正を入れられてしまった。日本人観光客が多いので、いつもこうやって発音指導をしているのであろう。「ユニバーサルスタジオ」の入り口で記念撮影を行い、まずは低速で走る連結車両(テーマパークや万国博覧会に良くある移動用の奴)に乗って、パーク内に再現されているさまざまな映画をモチーフにしたアトラクションを体験して回る。わざわざ歩かずに乗って座っているだけで、色々な仕掛けが体験できるのでとても楽である。ドラキュラやフランケンシュタインに歓迎され、「大洪水」もどきの洪水に襲われたり、池からいきなり「ジョーズ」が襲って来たり、「キングコング」が暴れる崩壊寸前の街中を潜り抜けたりと、なかなかスリリングであった。勿論パニック系だけではなくて、「ウェストサイドストーリー」の街が再現してあったり、丘の上には「サイコ」に出てきた洋館が建っていておどろおどろしいテーマ曲を奏でていたり、面白いものとしては「コロンボ」のおんぼろルノーも密かに道端に駐車してあったりと、なかなかマニア心をくすぐる仕掛けが随所にあった。
場内を一周した後は集合時間を決めて自由行動とする。おなかが空いて何か食べたかったのだが、実は現金の持ち合わせがそれほど無かった。今回の旅行ではガイドブックをそのまま信じて、現金を持ち歩くと危ないので大半をTCとクレジットカードで済まそうと思っていたのだが、実は毎日のチップとか、タクシーでの移動とか、朝昼食などでは大仰にTCやカードを出すわけにも行かず、意外と現金の必要な場面が多い。あっという間に底をついたので、街角でATMを見かけるごとに少しずつ引き出していたのだが、たまたまこの時はあまり持ち合わせが無かったのである。そこで仕方なく少しは腹の足しになるかと、発泡スチロールのでかいバケツに入ったポップコーンとコーラを買ったのだが、さあ食べようとテーブルにおいてベンチに座ろうとした瞬間、強風が吹いて軽いポップコーンは見事に吹き飛ばされてしまったのであった。あぁ、何たること。なけなしの現金で買ったのに! 教訓:ポップコーンを屋外で食べるときは、手から離してはいけない。その後Star Treckのパビリオンへ向かうが、一足違いで上映が始まっており、次の上映は集合時間後になってしまうので、見る事が出来ない。次に向かったKnight Riderは整備中で動いていなかったので、仕方なく張りぼてのKnight2000だけを写真に撮った。次に行ったのは、当時日本でも放送されて人気だったMIAMI VICEのスタントアトラクションである。小さな湖のような所を囲む形ですり鉢状の客席がしつらえてあり、湖の岸には舞台やセットの小屋などがある。ショーはMIAMI VICEをベースにした刑事アクション物で、銃撃戦を繰り広げながら湖せましとボートでチェイスをしたり、爆発する小屋からトロッコで脱出して来たり、最後にはヘリコプターまで出て来る、ど派手なものだった。MIAMI VICEロゴをそのままプリントしたおしゃれなTシャツがあって気に入ったのだが、残念ながらサイズがSしかない。あてがってみると何とか行けそうだったので買ってみたが、後でホテルで着て見たらちょうど良かった。このTシャツは生地も良く、10年以上経った今でも愛用している。
ホテルへ帰ったら夕食までまだ少し時間があったので、ホテル斜め前にある有名なチャイニーズシアターを見物しに行く。流石にこの辺は日本人観光客が多い。チャイニーズシアター前の歩道には、映画スターやミュージシャンなど色々な有名人の手形が敷石にはめ込まれてあり、お目当てのスターを探しては自分の手をあてがったり写真を撮ったりしていた。アメリカ最後の夕食は、宿泊ホテルでの豪華立食ディナーである。実は我々のグループとは別に、この日アメリカ入りして我々とは逆のルートで行動する同じ研修旅行のツアーがあり、今夜は彼らとの合同ディナーなのである。男はスーツを着用し女はドレスを着飾って、思い思いに歓談しながら最後の夜を楽しんだ。ディナーの後は我々のツアーのメンバーだけでホテルの一室に集まり2次会である。男全員でダークスーツにサングラスという危なそうな記念写真を撮ったりしながら、今回の旅の思い出話に花を咲かせる。ずっとバドワイザーなどを飲んでいたら、買出しに行った組が気を効かせてワインを買ってきたのはいいが、ワインオープナーが無いのに気付いて大問題になってしまった。ビンを廻しながら、ああでもないこうでもないとこねくり回しているうちに、誰かがナイフで穴をあけるようにしてこじ開けたが、コルク片が大量に入ってしまってとても飲めるような状態では無くなってしまった。酔いが回ってきた一部の男子は、ギャル3人を酔わせて押し倒そうとか夜這いをかけようとかいう相談をしていたが、結局どうなったんだろう。そんなことが後でばれたら内定取り消しではないか。そもそもこのホテルは、後で知ったのだが色んな幽霊が出ることで有名で、極めつけはマリリンモンローの幽霊だそうだ。だいぶ後になって、NTVの「世界まるみえTV特捜部」やフジの「アンビリーバボー」でやっていた時に、ホテルの名前にはたと思い当たったのであった。知らぬが仏とはこのことか。ホントに仏に会うことにならなくて良かった。
Narita
: 3/5
結局何事もなく夜は明け、いよいよ帰国である。何と4:30バゲージアウト、5:30集合である。今回の旅は困難もといこんなんばっかし。団体旅行なんて嫌いだぁ〜。ロスから空路で一旦サンフランシスコまで戻り、出国手続きを行ってサンフランシスコから帰国の途につく。毎朝早かったのと結構疲れが溜まっていたので、帰りの便はもう寝る寝る。ずっと寝ていたらあっという間に成田に到着したという感じである。何と帰国したら首相が変わっていた。成田で現地解散となったが、流石に女の子たちにはちゃんと家から迎えが来ていた。成田の人ごみを掻き分けながら歩いていると、人にぶつかりそうになったときなどに、つい「エクスキューズミー」と出てしまう。ちょっと恥ずかしいぞ。その日のうちに名古屋に帰るには遅すぎたので、東京駅八重洲口前のホテルに一泊して、翌日は秋葉原見物をしてから名古屋へ帰った。初めての海外旅行でいきなりトラブルに遭遇したり、アメリカの主要都市を一通り訪問したり、念願のグランドキャニオンやユニバーサルスタジオへ行くことが出来たりと、非常に中身の濃い充実した旅であった。快く送り出してくれた両親と、大学の指導教官に心から感謝したい。
Fin.
Written by Y1K