上海出張記
(1998/2/22〜1998/3/21)
はじめに
今回の上海出張は、現地日系企業の通信システム構築が主な仕事だが、1ヶ月の滞在中に休みはわずかに真ん中の土日二日間だけで、殆ど毎日ホテルには寝に帰るだけという生活であり、楽しいことなど何もなかった。折角中国に行ったのにパンダさえも見れなかったのである。もっとも、それが出張の本来の姿であり、これまでの海外出張が楽しすぎたのであるが。。。そんな中でもいくつか面白い経験があったので、今回は趣向を変えて時系列の日記ではなく、テーマ別に語らせていただく。
<外港(ワイタン)より上海のシンボル東方明珠を望む>
上海のホテル
宿泊したのは九龍賓館(ジウロンピンカン)という勇ましい名前のホテルである。ホテルに限らず上海のビルはどこでもそうらしいが、手持ちの資金で作れるところまでまず下から作って、出来たところまででとりあえず営業し、金が出来たら更にその上を作っていくという自転車操業だそうである。従って、このホテルも最初に出来た10階以下と、新しく出来た11階以上では部屋のきれいさが全然違うらしい。幸い私は15階だったので割ときれいな部屋だったが、開業して1年にしかならないのに、ひどい部屋では絨毯のあちこちに焼け焦げがあったりして非常に汚いそうである。そもそも、客のマナーが全然なっていない。平気でホテル内を咥えタバコで歩いて、エレベーターにも煙草の火を消さずに乗ってくるし、吸殻はその辺にぽんぽん捨てるしで、いつ火事になってもおかしくないような状況である。また、夜中に子供が廊下でミニ4駆をぎゃーぎゃーわめきながら走らせたり、朝5時ごろに団体が廊下に集合してがやがやわめいてるしで、全くとんでもない国である。
上海の食事
上海といえば上海蟹。しかし残念ながら今回の出張は時期はずれであったため、食べることが出来なかった。おまけに毎日の生活は、朝ホテルのレストランで中華、昼会社の近所の路上に屋台で売りに来る名物5元弁当、夜会社の前の食堂で数人で連れ立って食事し、そのまままた会社に帰って深夜まで仕事という繰り返しであったため、結局豪華な中華料理というものにはありつけなかった。ちなみにそれぞれの食事内容はおのずと大体固定されてしまい、毎日それの繰り返しであったが、1ヶ月中華でも不思議と飽きは来なかった。マクドナルドやケンタッキーもあったが、会社から離れていたので結局一度もお世話にならなかった。3食は大体以下のような内容である。
- 朝食:ホテルの2階のレストランで、一定額を払って(ルームチャージに付けていたのでいくらかよく分からなかった)、好きなものをとって食べるバイキング形式。品揃えは、各種中華粥、おでんの卵みたいに濃い汁に殻ごと卵をつけてゆでた卵、シュウマイ、餃子、焼き豚、ごまダンゴと、いきなり朝から油濃い中華攻撃である。その他に生野菜、ミルク、どっかり甘いだけの西洋風ケーキなどもあった。生野菜は下痢の可能性が高い、ミルクは脱脂粉乳みたいで粉っぽいと聞いていたので、結局殆ど毎日中華粥と卵、シュウマイなどで済ませていた。土日などは休日出勤とはいえ、少しはゆっくり会社へ出て行けるので、会社までの道を歩きながら途中の露店で、具に餡や肉や青菜の入った中華まんやごま団子などを買って食べながら出勤した。
- 昼食:会社の近所の路上に屋台で売りに来る名物の「5元弁当」というのがあり、並んで買う。給食のバケツみたいなのがいくつも屋台に積んであって、その中から好みのオカズを選ぶと発泡スチロールの弁当箱に入れてくれる。オカズの内容にもよるが、4品くらいとご飯で5元(約\75円)から10元(約\150円)と大変お買い得であるが、ご飯が硬くて独特の匂いがした。主に良くオーダーしたオカズは、かに玉、豚の角煮、チンゲン菜の炒め物、朝食にもあったゆで卵、豚ひれ肉の生姜焼き、鶏肉の煮こみ等である。雨が降っているときなどはビーチパラソルを差して営業するのだが、パラソルのふちから雨のしずくがぽたぽたと私の順番に廻ってくるであろうご飯の上にたれていたのには閉口した。私が滞在したのは真冬だったので良かったが、夏場には食中りなどもあるそうである。
- 夕食:夜7時か8時くらいになると、仕事の一段落した数人で会社の前にある食堂(「レストラン」ではなく、あくまでも「食堂」である)に食事に行った。遠くに食べに行くと会社に戻って仕事するのに不便だからである。基本的に中華料理は定食というような概念がなく、殆ど単品でしかも一皿の量が多いので、一人で食事に行っても一品を単調に食べつづけるということになってしまうため、数人で行かないとまともな食事にありつけない。我々が「第一食堂」と呼んでいたその店は、小姐(シャオゼ:おねーちゃんのこと)たちは愛想は良いのであるが、食器は砂場のままごとで使ったようなひび割れ黒ずみのボロボロだし、ナプキンで拭くと汚れはくっついてくるし、野菜の炒め物には必ずといって良いほど小虫が入っているし、お茶を注ぐときもお構いなしにぼとぼとこぼしてるしで、なんだかなぁーな店であった。但し、そんななので値段は安い。食べて飲んでも、一人\1,000円から高くても\3,000円以内であった。メニューの内容は、鉄板牛肉(テッパンニューロー)、水餃子(スイジャオ)、卵スープ、酸っぱいスープ、小龍包、海老のから揚げ(これが何故かめちゃ安い)、炒青菜(チャオチンツァイ)、炒飯(チャオファン)、麻餅(マービー)、パイナップルたっぷりの酢豚、チンジャオロースーなどをローテーションでオーダーしていた。店の造りが汚い割には意外とおいしかったし、それほど油濃くもなく全然胸焼けしなかった。強火で一気に加熱して素材のうまみを残しつつ調理し、消毒にもなっているようである。これらの料理に、時にはビールをつける。ビールはBeckaとかいうビールしかなくて、黙っていると棚においてあるのをそのまま持ってくるので、わざわざ「氷的麦酒(ピンダビーチョウ)」と冷えたのを指定しなければならない。食事は殆どこの店で済ませていたが、2回だけホテルの近くの食堂に行った。この店は造りは第一食堂より少しはこぎれいで、料理も結構おいしかった。特に水餃は口の中でかんだ瞬間、ジューシーな肉汁がじゅわぁっと口いっぱいに広がって、とてつもなくおいしかった。日本では餃子というと焼き餃子がメインだが、中国では水餃子が標準で、残った水餃子を次の日などに食べるときに再加熱の為に焼くのが焼き餃子だという。つまり焼き餃子は残飯整理なのである。この店は、厨房が席から死角になっていたのだが、小姐が料理をとりに行くために厨房へのドアを開けるたびに、奥から「ごぉー」というものすごい音が聞こえてきて、料理の際の火力の強さを窺い知ることが出来た。

<市場の新鮮な食材達>
上海の交通
上海の朝は早い、そしてうるさい。毎晩寝るのは1時か2時くらいだったにもかかわらず、朝5時過ぎか6時前には目がさめるのである。原因は外を行き交う車やバイクのクラクションである。とにかく鳴らしっぱなしである。赤信号で並んでいるときも、信号が青になると同時に後ろのほうの車が一斉にクラクションを鳴らすし、バイクも走っている間中クラクションを押しっぱなしのも多い。あんまり鳴らしすぎて音が割れているのもあった。そもそも前方を見てどう考えても動けるような状況ではないのに、とにかくクラクションを鳴らす鳴らす。運転マナーも最悪で、勿論制限速度無視、信号無視も当たり前、さながらストリートレースよろしく他車を押しのけて少しでも前に行こうとするし、譲り合いなんてこれっぽっちもない。F1のオープニングラップの第一コーナーみたいである。当然事故も多く、路上でぶつかってバンパーがごっそりもげた車の前で金で解決している光景を見た。朝はホテルから会社までバンで送ってくれるのだが、乗っていて生きた心地がせず、ずっと右足に力が入っていた。歩道も最悪で、敷石は割れてるは、陥没はあるは、ごみは散乱しているはで狭い危ない汚いの3拍子である。ある日その歩道を注意しながら歩いていたら、後ろからバイクらしきエンジン音がクラクションを鳴らしながら接近してくる。いつもの奴かと最初は気にも止めなかったが、異様な殺気を感じて脇に飛びのくと、なんとクラクションを押しっぱなしで「どけどけ」とばかりにバイクが歩道を爆走してきて、ドップラー効果を残しながら前方に走り去って行った。また、中国というと自転車での出勤風景が有名だが、彼らも「チリチリチリ」とベルを鳴らしっぱなしで歩行者を蹴散らしながら集団爆走して行く。あれじゃぁベルを鳴らす親指が腱鞘炎になってしまうのではないか。歩行者優先の考えは全くなく、とろとろ歩いているほうが悪いといった感じである。歩行者を轢いてしまって、「何で俺の車の前に出てきたんだ」と倒れている被害者を蹴っ飛ばしていたという目撃談もある。こんな状況を称して「上海は活気がある」という人もあるが、単にエゴイスティックでマナーが悪いだけじゃないか。
上海の郊外
あるシステムの納入と設定のため、上海郊外の蘇州を経て松江というところに行った。「上海、蘇州と〜」とまるで演歌のようである。一応会社のお抱え運転手付きである。行く途中で高架道路の建設工事現場の近くを通ったのだが、高さ40〜50mあろうかという道路を作るための足場が、なんと竹で組んであるのである。さらに驚いたことに、そこには「ISO9001ナントカ」というスローガンがでかでかと掲げられている。うーむ、竹で組んだ足場でも品質管理さえチャンとやっていればISO9000シリーズがとれるのか。奥が深い。本来、松江は風光明媚な水郷地帯だそうだが、前の仕事が押して出発したのが午後遅くだったため、到着したころはすっかり夕方になってしまっていて景色もよく分からなかった。その上、道路は道幅一杯に帰宅途中の自転車やトラクタや牛車!に占拠されていて、車は全く先へ進むことが出来ない。自転車と同じペースでとろとろ走らざるを得ないもんだから、ただでさえ遅れているのにますます遅くなる。お客様の工場へ到着したのは既に19時であったが、日本人の責任者の方ががらんとした事務所でちゃんと待っていてくれた。ありがたい。滞在中訪問したどの企業も、ぴったり17時に日本人の責任者以外の中国人労働者は全員帰ってしまう。残業などはしないようだ。我が社の事務所を除いては(^^ゞ。作業を1時間ほどで終わらせ、街灯もなく真っ暗で何も見えない夜道をヘッドライトだけを頼りに帰ったが、途中銃を持った何人かの集団に止められた。すわ追いはぎかと緊張したが、地元の公安(警察)だったらしく、免許証のチェックと2,3の簡単な質問に答えただけで許してもらえた。真っ暗で標識もないもんだから途中道に迷ったりし、やっと高速に乗って街中へ帰ってくる。途中道路の横にでかいショッピングセンターがあり、「ヤオハン」の看板が。あれ?倒産したはずでは。同行した現地スタッフに尋ねると、折角合資(合弁)で作ったので、今は国が引き受けて運営しているとのこと。結局会社に帰りついたのは10時過ぎで、折角松江まで行ったのに全然景色を見ることは出来なかった。
上海の娯楽
上海の娯楽、それは買い物である、、、と思う。休日ともなるとデパートは押すな押すなの大盛況で、エスカレーターに乗るために順番待ちの列が出来るくらいである。地元ローカルのデパートに加えて、三越(サンユエ)、伊勢丹、JUSCOなどもある。衣料品などは原産国なのでもっと安いだろうと考えていたが、日本とそう変わらない値段であった。食品は確かにちょっと安いが、日本のカップ麺やお菓子などは逆に高かった。外国産の食品はチョコ1個にいたるまで検疫済みのシールが張ってあるが、恐らくそのコストのせいだろう。地元のデパートに行ってみたら、当時日本ではもう下火になりつつあったミニ4駆が大ブームらしく、客寄せの大会があっていた。ここでも日本同様TAMIYAが幅を利かせている。ふと見るとプラモ売り場にはミニ4駆に混じって、戦艦大和やゼロ戦なんかも置いてあったが、この国でこんなの売ってていいのかな? TVでは古臭い人情ドラマか北京語のニュースくらいしかやっていなくて殆ど見る気がしない。滞在したホテルは衛星放送が入るので、夜はNHKのBSかCNNを唯一の情報源として生活していた。北京語ばかりの右も左も分からない生活の中でCNNの英語を聞くと妙に安心する。また、NHKの名物アナウンサー久保純子を知ったのも、このBSのニュースである。では、上海の人は買い物以外にどんな娯楽を楽しんでいるかというと、KTVとVCDである。KTVはカラオケTVのことで、日本のカラオケが上海でもえらい人気である。日本のカラオケと違うのは、スナックみたいな店でビデオカラオケ(だからKTVなのだ)になっていて、若い小姐が傍について色々なサービスをしてくれるらしい。私は結局行けなかったのでよく分からないが、小姐一人当たり一回当たり\3,000〜\5,000円という世界だそうだ。奮発すればその後のお楽しみもあるとか。もう一つのVCDはVideo CDの略で、mpeg1でエンコードした映画(勿論海賊版)などをCDに焼いて売っているのである。これはPCでも再生できるが、一般家庭向けに専用のVCDプレーヤーが\2万円〜\3万円で販売されており、市民はこれで映画を楽しんでいる。TV放送が面白くないので、日本のようにTVをビデオテープに録画してみるというような習慣はなく、もっぱら再生専用のプレーヤーで見るのがメインのようである。これだけ海賊版がはびこっていれば、よりダビングの容易なDVDにカントリーコードを付与して不正コピーを防止しようと、メーカーが神経を尖らせるのもうなずける。その他に音楽CDもあり、どの店でも取り扱いは中国古来の音楽が半分、日本の歌手や洋楽が半分といった感じである。当時流行していたTITANICのサントラを\1,000円ほどで買ったが、品質があまり良くなく、CDの内周の円がぎざぎざでプレーヤーにセットするときに指を切ってしまうわ、新品で買ったのにデータ面に細かい傷が入っていて音飛びするわで最悪であった。
上海の健康
上海の健康の源、それは何と言っても太極拳である。ある週末の話をしよう。翌週の月曜日に納品するシステムに致命的なバグというか仕様の未熟性な部分が見つかり、一緒に行っていたA氏と検討した結果、日本から開発者を呼んで再度基本仕様から検討を行うことになった。そんなこんなで金土はばたばたし、日曜に開発発注元のK氏が上海に来ることになった。私はその件とは別にもう一つ別の情報システムの案件を持っていたので、日曜日も朝から出社してその仕様検討や見積もり作成等をしつつK氏が来るのを待っていたのだが、その日生憎成田に降った雪の影響で、K氏が到着したのは日曜の夜9時。その頃には、一旦ホテルに寝に帰っていたA氏も出てきたので、とりあえず3人で第一食堂にて食事を済ませ、その後一晩中かかって仕様検討を行った。工期の遅れを最小限にするために、何としても月曜の朝には新しい仕様で地元のソフトハウスに再プログラミングを依頼する必要があったのだ。ここまでは、はっきり言って土日をつぶした上に日曜の夜から月曜の朝という一番いやな時間に徹夜仕事をせざるを得なくなった愚痴である。で、やっとのことでとりあえずの仕様が固まったときには既に時間は朝の5時であったが、せめてシャワーくらいは浴びたいのでA氏と私は一旦ホテルに帰ることにする。朝もやの中、会社の入っているビルの玄関を出ると何となく怪しい雰囲気が。眠い目をこらして良く見ると、どこからともなく老人達が玄関前の広場にわらわらと沸いて出てきて、ゆっくりした動作でおもむろに太極拳を始めるのである。今まで気付かなかったが、町のいたるところで、走る車やバイクにもお構いなく太極拳をやっている人々が大勢いた。更にタクシーを拾ってホテルへ帰る途中、自動車専用の高架道路を通るのだが、そこをジョギングしている人も居るのである。危ないことこの上ない。車も車なら人も人、何かどっちもどっちという気がしてきた。最後に、2人ともタクシーの中で落ちてしまっている間に、タクシーがとんでもない方向へ行ってしまい、ただでさえ少ない時間がなくなって、徹夜明けの二人の神経を逆なでしたことを付け加えておこう。なんか、健康の話といいながら愚痴のネタばらしになってしまった。もう一つ、健康産業としてアダルトグッズが堂々と売られていたのには驚いたが、それは次の章で詳しく説明することにしよう。

<ビルの谷間で太極拳に興じる人々>
上海の性
上海の性は一見閉鎖的である。上述のようにTVはお硬くつまらない番組で、日本のようにギャルが水着で愛想振り撒くような番組なんて考えられないし、町で売っている雑誌も日本のような露骨なヌードが載っている訳ではない、と思う。買ってないので分からないが。しかし、その一方ではデパートや町の薬局で、健康商品としてアダルトグッズが堂々と売られているのである。日本の薬局のように白衣を着た若い女性店員が、やってきた男性客の相談を真剣に聞いて、一緒にバイブ選びをしてくれるのである。恥ずかしさや照れもなく、当然といった感じなので、この国ではこれが当たり前なのであろう。一人っ子政策のせいで、うっかり子供が作れないのでこんな形で発散することが社会的に広く容認されているのであろうかと一人納得する筆者であった。因みにバイブは日本製が多く、従って当然価格は日本よりも高かった。デリケートなものだし、あの繊細な動きばっかりはやっぱり日本の技術でないとねぇ。
<薬局の看板>
<客の相談に乗る女性店員>
<展示されている商品の数々>
とは言うもののちゃんと売春もあるそうで、ホテルの部屋に直接若い女から電話がかかってくるらしい。それもどんなに遅い時間であっても、部屋に入ると同時に電話がかかってくることから、恐らくホテル側とぐるでそれらしいカモを教えているのではないかということであった。その他には、繁華街傍の景色の良いデートコース外港(ワイタン)を歩いていると、若いギャルから良く声を掛けられる。"What are you come from?"とかめちゃくちゃな英語で話しかけてくるが、目的は明白である。
<Street Girlが出没する外港>
当然性病も蔓延しているようで、街にはよく「性病治します」みたいな張り紙が多く見られた。くわばらくわばら。
<「性病治します」の張り紙>
以上、簡単だがガイドブックにはない上海の紹介をしてみた。
Fin.
Written by Y1K