(1994.12.11〜12.18)

<Redbankはココです>
はじめに
筆者の所属する研究所と米国ニュージャージーのRedbankに本拠地を持つB研究所が、今年から共同研究を行うことになった。研究のスタートとしてこの年5月に東京でミーティングを開き、基本方針を確認しあって、その後はずっとE-mailで議論をしながら研究を重ねてきたのだが、その総括と今年度成果のまとめに向けての意識合わせを行うために、今度は先方の本拠地で締めくくりのミーティングを行うことになった。プロジェクトに参加させて頂いていた筆者も、このミーティングに同行させていただく光栄に浴することになったのだが、何せ仕事での海外出張は全く初めての経験なので勝手が分からず緊張する。また、筆者がお供をするのは、Y部長様(以下Y部長)、Y主幹研究員様(以下Y主幹員)、Y主任研究員様(以下Y主任員)の、YYY強力トリオである。勝手が分からない上に、偉い方々の間に埋もれてひたすら肩身の狭い筆者であった。こうなったらとりあえず、もう全て皆さんのおっしゃる通りにして付いて行くしかない。
<Japan Meeting終了後の懇親会>
1994/12/11Sun. JST
時差調整の為に1日早く発たれたY主任員を除く3人は、夕方発のUA802便に乗るために16時前に成田に集合する。それにしても横須賀の南端から成田まで行くのには殆ど半日掛かりであり、折角の日曜日が丸丸つぶれてしまった。我が社の出張制度として、移動日は勤務扱いにならないので、丸っきりの休日只働きであり、ちょっと不満が残る。しかし初めての海外出張なので、こんなもんかと気にしないことにする。待合室はアメリカへ帰る人々だろうか、やたらアメリカ人が多かったので簡単に落ち合うことが出来、何事も無く機へ搭乗していよいよ出発である。
1994/12/11Sun. EST
フライトはスムーズで、定刻通り現地時間の16:25にNEWARK空港へ到着する。NewYork市内へ行くならJFKの方が便が多いのだが、ニュージャージーへ行くにはNEWARKの方が便利なのである。それにしても、エコノミーで12時間以上はホントに辛い。寝るには寝たのだが、緊張していたこともあって体はバキバキになってしまった。入国審査を済ませ、3人でタクシーに乗ってRedbankへ向かう。緯度が高いせいか、5時過ぎだと言うのにこの時期周囲はもう真っ暗であり、しかもめちゃめちゃ寒い。吐く息も白く氷点下まで行っているようである。久しぶりのアメリカ本土で、見るもの聞くもの珍しく、こんな所でホントに自分はチャンと仕事できるんだろうかとボーっと考えていると、Y部長に「ボーっとして大丈夫かい?」とからかわれてしまった。タクシーで1時間くらい走って、20時前に目的地であるRedbankのCourtyard by Marriottへ到着し、我が社の他の部署から来た他のメンバーの方々5〜6人と無事合流できた。
皆夕食がまだなので、チェックインするなりホテルのレストランへ行くが、ハンバーガーやフライドチキン等の軽食しか無いと言う。ホテルのある場所はすごい田舎で近所にはスーパーもレストランも無く、そういった店へ行くには車で30分ほど走らなければならない。結局そのレストランで夕食を摂る事になった。機内食のせいであまり空腹でもなかったので、とりあえずフライドチキンでいいやと言うことでオーダーしたのだが、しばらく待った後厨房からボーイが戻ってきてフライドチキンは1人前しか無いという。仕方がないので全員ハンバーガーをオーダーしたのだが、流石アメリカ、これだけでも結構なボリュームであった。そのときは喜んだのだが、実はこれは序章に過ぎず、その後2度3度とアメリカ出張するたびに量の多い攻撃に戦々恐々とすることになるのであった。早く部屋に帰って休みたかったのだが、その後レストランで延々と仕事の話などが続いてしまってすっかり遅くなってしまった。本当は屋内プールがあると聞いていたので泳ぎたかったのだが、それにも間に合わなかった。部屋に帰って「安全のしおり」等を眺めていると、「駐車場では車からすぐ降りず、怪しい人影がないことを確かめること」とか「人前ではむやみに現金を数えないこと」とか書いてある。流石アメリカである。身の安全には注意しなければ。
1994/12/12 Mon. EST
朝起きてレストランに行ってみると、既に何人かの方々が朝食を摂っておられる。どういうシステムなんですかと聞いてみると「適当にとって食べてるよ」という答えが返ってきたので、私も並べてあるパンや卵、ベーコン、コーヒーなどを適当にとって席についた。席にあるメニューによると、アメリカンやコンチネンタル等のパターン毎に値段が決まっており、ある程度そのパターンに沿って自由に選択できるようになっているらしかった。例えば、パン、卵とあったら、パンと卵料理(目玉焼きやスクランブル)を何種類かの中から選べばいいのである。これで大体$8〜$10くらいである。まぁホテルだからこんなもんか。着替えてロビーに集合して待っていると、程なく迎えのバンが来たので乗りこんでB社へ向かう。ところがB社はホテルの筋向いで、乗っていたのは5分くらいであった。一方通行のために回り道をしたので、これなら歩いても5分くらいで到着するのではないだろうか。
B社へ到着してまず驚いたのは、建物全てが禁煙ということである。各建物の玄関の外に灰皿が置いてあり、建物に入るときは必ずそこで煙草を消さなければならないのである。流石嫌煙活動の盛んなアメリカ。実に羨ましい社会習慣である。また、煙草を吸うときもそこまで行って吸わなければならない。ヘビースモーカーのY部長と言えども、休み時間には雪の降りしきる中、わざわざ吹雪に吹き晒されながら玄関の外で煙草を吸っておられた。それでもタバコが吸いたいそうであるから、これはもう意地の張り合いである。会議初日なので、まずお互いに自己紹介をしてから議題に入る。
ここでまた驚くことが一つ。会議中、10時頃であろうかドアが開けられ、ワゴンに乗せられたコーヒーやマフィン、クッキーなどが運び込まれたのである。そして会議中であっても自由に立って行ってそれをつまんで良いというのである。会議というとしかつめらしく机にしがみついてやるもんだと思っていた筆者は、このおおらかさというかフランクさにすっかりカルチャーショックを受けてしまった。マフィンはチョコやナッツやフルーツチップの混じったの等種類も豊富であり、クッキーも同様色々な種類があってついつい手が伸びる。時差ぼけで眠たいので当然コーヒーも何杯もお代わりする。アメリカ人が太る理由がわかった気がする。昼食はB社のカフェテリアに案内され、ミールクーポンを頂いてバイキング方式で好きなものを取って食べられるようにしてくれた。サラダ、スープ、肉料理、魚料理、ケーキ、ジュースなど選り取り見取で迷っていると、日頃E-mailのやり取りを頻繁にやって親しくなったStephenが、「これがいいんじゃないか」とあるカウンターへ案内してくれた。そこは、お椀を手にとって色々な野菜やら肉やらを盛ってコックに渡すと、鉄板の上で麺と一緒に炒めてくれる一種の焼きそばみたいなものであった。ソースも洋風、中華風、和風とあり、筆者は迷わずしょうゆを指定したが、これはなかなかおいしかった。
午後も会議は順調に進んだが、そんな中15時ごろ再びマフィン、クッキー、コーヒーのお代わりが運び込まれてきた。本当に至れり尽せりである。時差ぼけの関係で胃もバカになってしまっているので、思わず惰性でつまんでしまうが、これでは本当に太ってしまう。そうこうしている内に初日の会議もどうにか無事に終わり、一同ホテルへ引き上げることとなった。ホテルまではすぐであることが今朝分かったので、わざわざバンを出してもらうまでも無いと徒歩で帰ろうとしたのだが、B者の皆さんは是非とも乗って行けと譲らない。実は途中に上下10車線ほどの道路があって、車がびゅんびゅん飛ばしているので、何かあったらいけないと心配してくださるのだ。とうとう根負けして徒歩5分ほどの距離をまたバンで帰った。
何人かの方々が夕食に中華料理店に行かれるということでお誘いを受けたのだが、どうも昼間バカ食いしたマフィンとクッキーが今ごろ効いてきたらしくて、全くおなかが空かない。Y主幹員、Y主任員、筆者と同期のM女史なども断っていたので、筆者も体調不調を理由に丁寧に辞退申し上げた。実はもう一つ大きな目的があって、是非とも今夜こそは屋内プールで泳ぎたかったのである。皆さんを送り出してから、水着を持って屋内プールへ行ってみると意外と広く、15mくらいの長さの温水プールと円形のジャグジーが、薄暗がりの中に満々と水をたたえて筆者を迎えてくれた。しかもだれも泳いでいない。いそいそとプールサイドで水着に着替え、プールを独占して泳ぎまくる。ある程度体が冷えたら隣のジャグジーで温まれば良い。はっきり言って部屋の狭苦しいバスタブに体を押し込むよりは、このジャグジーに肩までゆったり浸かった方がはるかに気持ちいい。泳いではジャグジーに入りということを繰り返し、時間一杯までリゾート気分を満喫して部屋へ引き上げた。
部屋へ戻ると、丁度Y部長から電話があり、中華料理店からテイクアウトしてきたから取りに来いとおっしゃる。ありがたく頂戴しに行くと「留守番のみんなで食べるように」とおっしゃったので、部屋に帰ってY主幹員やY主任員の部屋へ電話するが誰も出ない。とりあえず、炒飯やチキンのから揚げ、エビチリなどを食べたが、全部はとても食べきれないのでもったいないが残りは処分した。ごめんなさい。明日はいよいよ自分のプレゼンテーションなので、じっくり予習して深夜に就寝した。
1994/12/13 Tue. EST
朝レストランへ行ってみると、どこぞのおばちゃんが筆者の着ているMr.Junkoのトレーナーを見て、「Oh, I know it. I like it very much」と話しかけてきたので、すかさず「Thank you」と答える。こんな田舎でも知っている人が居るなんて、さすが世界のコシノジュンコ。今日のセッションはテーマ別に2グループに分かれて議論を行う。今回の会議にはB社が用意したアメリカ男性の通訳が一人ついていたので安心していたのだが、この2グループに別れた時に、もう一つのグループのほうのM主幹技師が「そちらは英語達者な方ばかりだから通訳は必要無いですよね。」とおっしゃって、通訳を取られてしまった。そこで自分のプレゼンは急遽英語でせざるをなくなってしまっって、冷や汗ものであった。もっとも、この通訳というのがあんまり役に立たない人で、筆者が元の英語と彼の訳した日本語を聞き比べても分かるほどの異なる訳をしたり、我々が聞いたこともない日本語を使ったり、筆者が発言したボリュームを10とすると、適当に略して3くらいしか伝えてくれなかったりと頼りなかったので、自分でやったほうがマシだったかもしれない。とにかくどうにかこうにかプレゼンを終えると、B社の皆さんから「Nice presentation」と言って頂いたのでほっと一安心する。
夜はB社のVice Presidentが出席してのディナーということで緊張する。とっておきのピエールカルダンのスーツを着て出かけると、車に分譲して街中の落ち着いた感じのイタリアレストランへ連れて行かれた。日本人アメリカ人と互い違いに座って、嫌でも英語を話しながらの「横メシ」をせざるを得なくなる。緊張のあまり食べた内容を良く覚えていない。乾杯が終わると食事の前にシェフが出てきて、恐らくイタリア語で色々と口上を叫んでいる。どうやら今日のメニューの内容を説明していたようだったので、隣に座っていたStephenに「何て言ってたんですか?」と聞いたが、彼も「さっぱり分からなかった。」と言っていた。まぁそんなもんなんだろうと納得する。サラダにはオリーブオイルがかかって出てきたので、サミットでオリーブオイルに当たり寝こんでしまった村山首相(当時)のことをチラッと思い出すが、食べても別に何ともなかった。アメリカの正式なディナーを経験するのは初めてだったのだが、料理の出てくるペースは遅いし、皆会話を楽しみながらゆっくり食べるのでとにかく時間がかかる。トータル4時間くらいはかかっただろうか。筆者は途中からトイレに行きたくてたまらなかったのだが、こういう正式なディナーで中座するのは失礼だろうと必死で我慢していた。我慢の限界に達しようとした時、何人かの人が連鎖的にトイレに立ったので、これ幸いと筆者も続いた。因みにアメリカの男性用便器は、やっぱり高さが高い。場所によっては筆者の身長でもぎりぎりの所がある。足の短い人は苦労するだろうなぁ。無事に用を済ませてほっと一息ついたときに何となく下腹部がぐるぐる言うので、今度は大の方に入ってみると、座るや否や一気にドーっと出るものが出てきた(食事中の方ごめんなさい)。どうやら腹が完全にバカになっているようである。席へ戻るとデザートタイムで、トレイに色々な種類のケーキが載って出てきて、好きなのを選ぶように勧められる。大きなティラミスに食指が動いたのだが、さっきのトイレのことを思い出して泣く泣くお断りし、コーヒーだけにした。そんなこんなでディナーが終わったのは23時を廻っていたので、そのままホテルへ送っていただき、丁寧に今夜のお礼を言ってめいめいに部屋へ引き上げた。泳げなかったのが残念である。
1994/12/14 Wed. EST
今日のセッションもさくさくと終わり、さて夕食をどうしようかということになった。実は筆者も含めて何人かはおなかの調子を崩していたので、Y主幹員が気を使ってくださって、あっさりした日本食の食べられる所を教えてくれとB社の皆さんへリクエストしてくれていた。それならということで、B社の何人かも含めて一緒に寿司屋へ行くことになる。車に分譲して市街地へ向かったのだが、筆者はStephenの車に同期のM女史と乗ることになった。カーラジオからマライアキャリーの歌声が聞こえてくると、M女史はノリノリでいっしょに歌っており、それをきっかけにStephenと盛りあがっていた。今なら筆者もマライアキャリーくらい知っているが、当時はそれほどでもなかったので、洋楽の知識のない筆者はちょっとおいて行かれた格好である。
「いらっしゃいませ」という絣姿の日系女性に迎えられて寿司屋に入ると、店内の作りは和風であり、障子があったり太いはりが天井に渡してあったりとそれなりの雰囲気である。メニューは英語だが、一部写真も載っている。とりあえずコースになっているのをオーダーすると、下駄に盛られた握りが出てくるが、やっぱり寿司ネタは刺身は少なく野菜とかアボカドとかそういったヘルシー指向のネタである。まぁしょうがないか。ちゃんと味噌汁が付いていたのには感心したが、一口味わってみてどうも永谷園のインスタントのようであることがすぐ分かった。しかしそれでも、久しぶりの味噌汁にほっとする。メニューに「Red bean cake」とあるので、これは何だろうと気になり店員さんに尋ねてみると、なんと羊羹のことであった。なるほど確かに他に言いようはないわな。久しぶりの和食で胃が休まり、ほっとした心持で店を出る。
帰りもM女史と一緒にStephenの車だったが、彼が「いいものを見せてやろう」と回り道をして住宅街のほうへ入っていく。次第にまわりが明るくなってきたなぁと思っていたら、住宅街の家々で、家の中といわず外といわず敷地中に色とりどりの小さな電球を張り巡らせて、クリスマスイルミネーションをしているのである。さらに大抵の家では玄関脇に、中が空洞になっていて電球で光を放っている大きなサンタクロースや雪だるまの人形が置いてある。最近は日本でも真似する家が出てきたが、当時の筆者らは初めて見る光の幻想にしばし酔いしれたのであった。流石アメリカ人はやることがはでである。丁度クリスマスシーズンということもあって、家々ではクリスマスに向けての飾り付けに余念がない様であり、道路を走っているときにも車の上に山から切り出して来た大きなもみの木を括り付けて家路を急ぐ車を何台も見かけた。
ホテルへ帰ると皆ロビーでくつろいでいる。部屋に案内が入っていたのだが、今夜はクリスマスの無料バーのサービスである。そのまま無視するわけにも行かない雰囲気だったので、部屋で着替えて戻ってきてしばらく皆さんにお付き合いする。そのときに例の通訳の男性から「エッグノック」というものを教えてもらった。これはホットミルクシェーキをリキュールで割ったもので、勧められるままに飲んでみるとなかなかおいしい。冷えた体もすっかり温まって、いい気持ちになって部屋に引き上げた。明日はいよいよ出発なので荷物のパッキングを行う。折角プールがあるのに結局1日しか泳げなかった。。。
1994/12/15 Thu. EST
<会議最終日の記念撮影>
いよいよ会議も今日の午前中で終わりである。B社で会議のまとめと記念撮影を行い、昼食を摂ってめいめいの次の目的地へ向かう。大部分のメンバはNew Yorkへ行くといっていたのだが、今回筆者はY主幹員にこの身をお任せしていたので、Y主幹員のお供で2人でSan Franciscoへ行くことになっていた。ホテルでスーツからラフなスタイルに着替えて2人でNewark空港に向かい、San Francisco行きの国内便に乗る。4時間ほどのフライトでSan Francisco空港へ到着し、迎えのN氏と落ち合う。N氏は今回訪問するNext社とのミーティングをコーディネートしてくれたK氏の会社の社員である。N氏の借りたレンタカーでシリコンバレーにある宿泊予定のホテル「Cupertino Inn」へ向かうが、迷いに迷って地図を見たりガスステーションで聞いたりして、10時過ぎにようやくホテルに到着した。
このホテルはリゾートペンションぽい作りで、中庭にプールとジャグジーがあって、それを囲むようにして3階建ての宿泊棟が建っている。部屋は2間あって、入ったところがソファ、TV、簡単なバー設備のある応接室、さらにバスルームを挟んで奥が寝室となっており、ダブルベッド2つと簡単なデスク、クローゼット、TV等がおいてある。応接室のTVと寝室のTVは切替式になっており、放送やビデオの信号をどちらの画面に映すか選択できるようになっている。特筆すべきことにこのホテルは各室にビデオデッキが備え付けられており、宿泊客はフロントでカセットを借りて、自分で再生する事が出来るのである。「しめしめ、これなら配信方式のビデオと違って、お気に入りのシーンを何回も再生できるわい」と思って、早速フロントにHなビデオを借りに行ったのだが、結構な数が借り出されており面白そうなのを借りることは出来なかった(と言っても、タイトルは似たようなもんだが)。流石シリコンバレーだけあって、日本人のビジネスマンが沢山泊まっていたので、きっと彼らがごっそり借りたに違いない。とりあえず適当に在庫の1本を借りて再生してみるが、以下にもアメリカという感じの明るい内容である。日本のAVは変態物以外は屋内で撮られている事が多いが、今回見たビデオは屋外のジャグジーやロッジのテラスで3人の女性と金髪男性が戯れており、しかもバックにはお気楽なアメリカンポップスが延々と流れているのである。日本のどこか秘め事っぽい暗さのあるビデオとは違って、とにかくあっけらかんとしている。
1994/12/16 Fri. WST
朝食はバイキングスタイルでロビーに用意されており、代金は宿泊費に含まれているとのことなのでありがたく頂く。典型的なアメリカンスタイルで、ベーコン、卵、各種パン、シリアル、コーヒー、ミルク、フルーツジュース等、品揃えも豊富である。アメリカはどこもそうだが、紅茶はまずいので手を出すべきではない。今日の予定は午後のNext社訪問だけなので、午前中は3人でのんびりと周囲を見て廻る。近所のスーパーマーケットや巨大スポーツ店で買い物をして戻って来て、ホテル横のハンバーガー店で軽い昼食を摂る。もっとも我々にとっては充分な量であったが。その後ホテルでスーツに着替えて、迎えにきたK氏の案内でNext社へ向かってさくさくと仕事を済ませた。仕事の後は少し時間があるので、お土産を買うために1時間ほどSan Francisco市内のショッピングセンターで自由行動である。家族や職場へのお土産を買った後、ふと見かけたコンピュータショップを覗いてみると、日本未発売のMicrosoft Dinasauerが売ってある。当時は円高だったので価格も\7,000くらいとお手ごろである。思わず買ってしまった。1年後に日本で\3,800円の日本語版がリリースされるとも知らずに(^^ゞ。
夜はK氏が家へ招待してくださるということなので、ありがたくお受けし、ホテルで再びラフなスタイルに着替えてK氏のお兄さんの自宅へ向かった。K氏自身は普段日本に住んでアジアを中心にビジネスをしているので、Coupertinoではお兄さんの家に泊まっているのである。K氏のお兄さんの家は、外側こそ派手な飾り付けはしてなかったが、玄関を入ると絨毯の敷かれた広い居間に、吹き抜けの2回の天井まで届こうかという巨大なツリーが立てられて色とりどりの飾り付けがしてあったのでびっくりした。やっぱりスケールが違うなぁ。アメリカ人の一般家庭にお邪魔するのははじめてなので緊張する。絨毯が敷いてあるのに、本当に靴のまま入っていいのかなとためらうが、他の方がされているように丁寧にマットで靴の泥を落としてから家の中へお邪魔した。食堂へ行くと暖炉でまきがぱちぱちと燃えており、とてもいい雰囲気である。あぁアメリカだなぁと実感した。お兄さんは我々を温かく迎えてくれた後、てきぱきと料理の準備をしている。冷蔵庫から巨大な牛肉の塊を取り出して包丁でスライスし、暖炉の火のついた巻きを持って庭に出たかと思うと、火を炭に移している。今夜のメニューは分厚いステーキを炭火で焼くバーベキューであった。こりゃお土産にスーパーでワインでも買って行くべきだったかもしれないとちょっと後悔する。暖炉の燃える前でアットホームな雰囲気のうちに夕食を楽しみ、しばしくつろいで歓談した後お礼を述べてその家を辞した。見ず知らずの日本人なのにすっかり歓待されて、とても温かい気持ちになっていた。その後ホテルへ帰ると、折角なのでライトアップされたプールでひと泳ぎしジャグジーで体を温めてから、部屋でシャワーを浴びて就寝した。明日はいよいよ帰国である。
1994/12/17 Sat. WST
昨日と同様バイキングのアメリカンブレックファーストを楽しんだ後、荷物をパッキングする。出発までちょっと時間があるので、最後にもう一回プールで火と泳ぎする。温暖なカリフォルニアらしく、12月の午前中だと言うのにプールで泳ぐことが出来るとは、何と幸せなことであろう。冷えた体はジャグジーで温めて何回も泳ぐことが出来る。これぞ海外旅行の醍醐味といえよう。
時間になったので着替えてチェックアウトを済ませ、Y主幹員と2人でロビーで迎えのK氏を待つ。程なく現れたK氏と共に空港へ向かうが、我々の乗るエコノミーのチェックインカウンターはすごい混雑である。先にゴールドメンバーの特典でビジネスクラスのカウンターでチェックインをしていたK氏が手招きして一緒に手続きしてくれたが、残念ながら隣同士の席は既に無く、筆者はY主幹員と分かれて3人掛けの真ん中に座らざるを得ない羽目になってしまった。これが後に悪いほうへと転んでしまうのだが。そんなことは露とも予想せず、DFSでいくつかのお土産を買い、UA837便成田行きへ搭乗して11時間あまりの空の旅へと飛び立った。
1994/12/18 Sun. JST
3人掛けの真ん中は狭い。只でさえこれで11時間はきついのに、さらにとんでもない事件に遭遇するのである。筆者の左側は窓際で、中年のおとなしそうなおじさんであり、右側は通路側でデブの若い日本人であった。靴からスリッパに履き替えて筆者がうとうとしていると、右足をスニーカーで思いっきり踏む奴がいる。「痛い!」と飛び上がって目を覚ますが、デブは知らん振りである。頭に来たが無視してそのままの体制でまた寝ていると、「ちょっと!はみ出さないでくれます?」と言うのである。何をわけのわからんことを。こっちは椅子のフレームに沿って自分のスペース内で足を投げ出しているだけなのに、とんでもない言いがかりである。そのことを丁寧に説明したが、デブは理解してくれないので、再度足を踏まれることの無いように二人の足もとの間にPowerbook240cを入れたPCバッグでで仕切りをして眠りにつこうとする。全く自分が太っているから狭いのに人のせいにするなんて、とんでもない奴だ。大体足元に巨大なスポーツバッグを置いているが、そんなものを置いているから足元が狭いんだ。すると、またまたとげのある声で「ちょっと、言っときますけどね。」と絡んでくる。こっちは連日のハードスケジュールで眠かったし、下手にバカの相手するとろくでもないことになると無視していたのだが、筆者の右肩を小突きながら「ちょっと、ちょっと」とさらに絡んでくる。こっちもいい加減切れそうになったが、海外出張の身で暴力沙汰にでもなったらまずいのでひたすら我慢して無視する。やっと向こうもあきらめたらしく「聞く耳持たずですか」と捨て台詞を吐いて引き下がったが、険悪なオーラが彼の出っ張った体からビンビン伝わってくる。気になって眠れないので、時々薄目を開けて観察していると、足もとのスポーツバッグから英文の技術書らしいものを取り出してページを開いたは良いが、何時間たっても同じページで一向に先に進む気配が無い。大方出張で来たものの、英語が出来ずに仕事を失敗したので八つ当たりしているんであろう。そんな訳で、筆者も奴のことは無視し、奴に頭を下げるのも癪なので、11時間のフライト中1回もトイレに立たずに日本時間17:25に成田に到着した。全く地獄のようなフライトであった。成田に到着してからは何事も無く、Y主幹員と合流して自販機で買った久しぶりの日本茶を味わう。一度だけNEXのホームで奴を見かけたので殴ってやろうかと思ったのだが、出張中であること、Y主幹員が一緒であることを思い出しぐっとこらえた。到着時刻が時刻なだけに、NEX、横須賀線と乗り継いで帰宅したのは既に午前0時近かった。初めての海外出張とは言え、あまりに多くの出来事があって非常に疲れる旅であった。(しかも移動で土日がつぶれると言う最悪パターン(;_;))
Fin.
Written by Y1K