SERAと私

はじめに
このページは、筆者のSERAに対する個人的な思い入れや思い出を綴ったものですので、一般のお客さんにはあんまり面白くないかもしれません。あらかじめご了承ください。
筆者がSERAを手放せない10の理由
ガルウイングである
全天候型オープンカーである
曲線美がセクシーである
セクシーなのに見る角度によってはスパルタンでもある
車高が低いのでコーナリングで安定感がある
車高が低いので洗車が楽(^^ゞである
インテリアも曲線や円を多用した優雅さがある
シートがバケットタイプである
絶滅した希少種である
ガルウイングでありながらお値段がお手ごろである
SERA日記
有史以前
当時住んでいた名古屋で行われたモーターショウでプロトタイプを見て、いたく感動。でも、自分がそんなコンセプトカーに乗れるような身分になるとは、そのときは思いも寄らなかった。
1990.2〜3
遂に発売になり、熊本鶴屋デパート前や長崎浜屋デパート前にこれ見よがしに飾ってある。当時丁度車を買おうと物色していて、定番のプレリュードかシルビアにしようかと思っていたのだが、現物を見て即SERAに転ぶ。
1990.4.28:納車
何せ月産1000台という少量生産なので、ディーラーの話では半年待ちだということであったが、ある日電話があって「アルミホイール付きなら希望色の『ダークグレーマイカメタリック』がすぐ納車できます」と言う。そこですかさず手を打ってお願いし、無事GW前に納車された。
1990.5.3:いきなりキズモノ
慣らしも兼ねて九州自動車道を北上し関門橋まで行くが、サービスエリアに停めている間に、いきなりドライバー側ドアのハンドル部分に、明らかに意図的と考えられる引っかき傷をつけられてしまう。目立つ車の宿命とは言え頭に来る。世の中には何と心の貧しい輩がいることか。
1990.5.7:またまたキズモノ
家族で買い物に行くために車庫から出して待っていたが、家族の一人がなかなか家から出て来ない。長いこと待っている間に家の前の路地を通りぬける車がミラーをこすって知らん振りして行ってしまった。慌てて追いかけて捕まえ、住所と名前を聞いて後日ミラー交換した代金を弁償させた。何か最初からついていないなぁ。
1991.2:特救指令ソルブレインに採用される
テレ朝系特撮番組「特救指令ソルブレイン」のメインメカ「ソルギャロップ」として採用され、気分はすっかりヒーローである。ヒーローと同じメカに乗ることが小さな頃からの夢であったので、SERAを買って本当に良かった。因みに司令は仮面ライダーV3の宮内洋である。いくら待っても、どこからもSERAのプラモもミニカーも出なかったので、ポピニカ「ソルギャロップ」を購入したが、変身後の形態を製品化してあるので、フロントカウル上に変なフードがついてみっともないことこの上ない。いつか改造してノーマルSERAにしてやろうと思っていたが、結局そのままである。トミーさん、今からでも遅くないからSERAのミニカー出してよ。
1991.10:バンパー交換
この年襲った台風17号と19号のダブルパンチで、仕事がめちゃくちゃ忙しく、2ヶ月近く土日無しの残業の日々であった、やっと2ヶ月ぶりの休みをもらって病院へ行ったところ、ボーっとしていたために前輪を切って壁に幅寄せして停めたのを忘れていきなり発車してしまいバンパーをこすってしまう。やすりで整えたり補修剤を塗ったりしたがどうしても気になるので、1ヶ月くらい悩んでバンパー交換してしまった。¥3万円なり。折角残業で得た金が元の木阿弥である。
1992.1.4:逆オカマ
仕事に行く母を送ってとある競輪上の近くへ差し掛かった時のこと。T字路の縦棒を下から交差点へ近づいて行くと、筆者の行きたい左折方向は空いているのだが、右行きが渋滞していて右折車が交差点内で立ち往生している。一旦停止して左右を確認し左折しようかとした瞬間、その立ち往生していた車が猛スピードでバックしてくるではないか。慌ててクラクションを鳴らすが、全くお構いなしにバックしてきて、あっという間も無く筆者の前方にバックで衝突しやがった。握り締めたハンドルに、「グシャッ」という鈍い嫌な感触が走る。そのまま走り去ろうとするのを捕まえて、「ぶつかったじゃないか」と抗議するが、降りてきた若い兄ちゃんは謝りもせず悪びれた様子もない。「どうもなってないよ」としらばっくれようとするので「ここがこんなにへこんでライトも曲がっている」と指摘すると、しぶしぶ認めて「知り合いの整備工場に治させるから」と言い出す。そんなグルの奴の所にやったらどんないい加減なことをされるか分からないので、警察を呼んできっちりさせることにした。警察がくるのを待っている間に、奴さんは自信がないのか姉というのを応援に呼びつけた。この姉というのがまた始末に終えず、事情を聞かず謝りもせずに一方的に弟の弁護をして、まるでこっちが悪いような言い方をする。「警察まで呼んで大げさにして」というので、「別にこっちはお宅が修理代さえちゃんと払ってくれるならどういう形でもいいんですよ」というと、「何でうちが全額負担しなければならないの?喧嘩両成敗でしょう?(おいおい(^^ゞ)どんな事故でも片方だけに100%過失があるという事はないのよ。この前だって、うちは悪くないのに20%くらい取られたわ。」と知った風なことをいう。そら見ろしょっちゅう事故ってるんじゃないか。弟のほうも勢いづいて、「どうしてこっちに来たの?競輪開催日はこの辺は込むんだよ」と、まるでこの道路を通るこっちが悪いような言い方である。頭に来たのを通り越して呆れてしまったので、無視することにした。バカの相手はしないに限る。1時間くらい待ってやっと警察が来て検分を行い、やっとこのいまいましい姉弟と別れることが出来た。これだけなら腹の虫が収まらずごねまくっていたかもしれないが、当日の夕方に父親と名乗る人物から電話があり、まずこちらの体を心配してくれて息子の非礼をわびてくれたので、どうにか溜飲を下げることが出来た。聞けばバカ息子は東京の富士通の新入社員で、免許取りたて3ヶ月だそうである。何とあんな常識のない奴が社会人とは。バカな息子を持つと親はいつまでも苦労する。筆者が富士通大嫌いになったのはこの事件をきっかけにしてである。
結局数ヶ月前に悩みぬいた末に自腹で交換したバンパーをまた交換することになり、こんなことなら交換しとくんじゃなかったと後悔することしきり。この話には後日談があり、結局ディーラーに修理に出したのであるが、台風後の車の修理でてんてこ舞いらしく、いつまでも修理から帰ってこないし、やっと帰ってきたと思ったらライトは相変わらずあさってのほうを向いているし、傷も充分補修してない。ということで再修理を命じたのであった。この間数ヶ月、非常に嫌な気分で過ごさざるを得なかった。
1992〜1993:熊本〜長崎往復の日々
筆者は熊本に、当時交際していた家内は長崎に住んでいたので、熊本〜長崎をSERAで何度となく往復する。この頃が一番SERAに乗っている時間が長かったし、手入れも充分にしていた。家内の趣味である古代史関係のゆかりの地は熊本の山鹿や菊地に多いので、朝熊本から長崎まで彼女を迎えに行き、それからデートで熊本まで戻り、デートが終わったら長崎まで送り届けて自分は深夜に熊本に帰りつくという、今考えるとすごい無茶をやっていた。まさに恋は盲目。しかし今でも家内は「あのデートは楽しかった」と言ってくれるので、苦労した甲斐があったというものである。一度、菊池の蛍を見に行くことがあり、あわよくば蛍の舞うロマンティックな雰囲気に乗じて唇を奪おうと考えていたのだが、家族連れなどの見物客がわんさか来ていて昼間のように騒がしく、とてもそういうシチュエーションではなかった。その晩も長崎まで送り届けたのだが、自分は帰りの高速代もなく高速より安価なフェリーも夜中でもうなかったので、フェリー乗船場の駐車場にSERAを停めて一夜を明かしたのだった。涙ぐましいなぁ。
1992.10:AUTOPOLISを走る
そんな忙しい中でもちゃっかり自分の楽しみも持っていた。大分上津江村に出来たレーシングサーキット「AUTOPOLIS」にF3000やFJ1600等を観戦に行っていたのである。今シーズン最後のレース後には、何とマイカーでペースカーに先導されながらサーキット内を2週できるという企画があり、飛びついて参加した。一番に行って車を停めて並んでいたのだが、後から来たやつが勘違いして他の位置に車を止めてその後ろにどんどん列が出来てしまったので、そちらに並びなおさねばならない羽目になってしまった。いくらこちらが正しくても数の論理には勝てない。これがデファクトスタンダードと言う奴か(^^ゞ。まぁ、サーキット走行を楽しめたから良しとするか。
1993.1:正面衝突
転勤、婚約を控え、忙しい日々が続いていた。仕事自体もこの一年間は特に忙しかった。思えば毎日何かに追い立てられるように暮らしていたので、常に焦る気持ちがあったのと注意力が散漫になっていたのが原因かもしれない。長崎から熊本に帰る途中の島原半島山中の国道251号線の一本道。ぎりぎりで1本前のフェリーに間に合いそうだと焦っていたが、前のセダンはとろとろと走っていて後ろにも金魚のフンの様に長い列が出来ている。早くどけよと焦る気持ちをどうにか押さえながら煽り気味にハンドルを握っていたら、やっとウインカーを出して左に寄ってくれた。停車か譲ってくれたのだと思いこみ、対向車も来ていないことを確認して、条件反射の様に追い抜きにかかる。すると、そのセダンの死角になっていた左前方のわき道から軽トラが右折で飛び出してきた。向こうはこっちを見ておらず、自分が合流する車線の後ろのほうから来る車だけを気にしている。左から出てきたので性一杯ハンドルを右に切って避けようとしたが間に合わず、結局対向車線上で正面衝突する形になってしまった。最悪。10:0である。言わせてもらえば向こうだって一次停止違反で飛び出してきて左右確認を良くしていなかったのも一因なのだが、対向車線上でぶつかったからには全面的にこっちが悪い事になるらしい。まぁ、お互い怪我も無く人身事故にならなかっただけでも不幸中の幸いとあきらめるしかない。こちらの被害はラジエータまで行っていたので、修理費¥30万円。向こうは、商売が出来ないからその間の代車代をよこせとか(これはまだ分かる)、自分も昨年同じ事故を起こしたので自分の保険の等級が下がって余分に払う分を負担してくれたらそれでいいとか、わけのわからんことを行ってごね始めたが、保険屋さんがうまく処理してくれた様である。やれやれ、カラーノートPCを買おうと思っていたのに、丁度その値段分が吹っ飛んでしまったので買えなくなってしまった。
1993.5〜9:首都圏を走る走る
転勤で横浜へ来たが、寮の駐車場は一杯なので、歩いて10分くらいのところに駐車場を借りる。下が砂利の所は\15,000/月だが、舗装の所は\20,000/月である。しかし水はけが悪いと水蒸気が上がってさびの原因になると聞いたことがあるので、可愛いSERAの為に張りこんで舗装駐車場を借りる。折角横浜に来たので、週末ごとに本牧、桜木町、山下公園横、ベイブリッジなどをSERAで走りまくる。BGMはもちろん「あぶない刑事」シリーズのボーカルサントラ集である。それにしてもSERAは横浜にとても良く似合う。天井のサンシェードをはずして、都会のきらめくネオンを車内一杯に浴びながら走ると、目くるめく光のシャワーに気分はまさにアーバンナイトクルージングである。時には渋谷、新宿、江ノ島、箱根まで足を伸ばして独身最後の夏を堪能した。
1993.10:半年ぶりの洗車
駐車場を借りていたときは、近所に洗車場も無く忙しかったこともあり、半年あまり洗車をしていなかった。結婚して社宅に入り、洗車設備があったので早速半年ぶりの洗車にいそしむ。「ちょっと車洗ってくる」と新妻に声をかけて出たのだが、エクステリア、インテリアと半年分の汚れを入念に落としていたら、何と4時間もかかってしまった。妻が呆れることしきり。
1993.11:SERA仲間との遭遇
会社の社内研修で行った鈴鹿で、同じクラスのSERAオーナーである石田さんに出会い、すっかり息投合する。石田さんのページは面白いので是非訪問をお勧めする。
1995.6:SERA北へ
SERAに乗って家内の念願の東北へ行く。仙台、平泉、福島を周る。NHK大河ドラマ「炎立つ」ゆかりの地を訪ね、テーマパーク藤原の郷を満喫し、磐梯山を眺めながら会津若松城へ行き、非常に充実した旅であった。今のところこれがSERAで行った北限。
1996:生産中止
ついに生産中止になってしまう。一頃は池袋AMLAXや天神IMSカープラザの目立つ場所に展示されて羨望のまなざしで見られていたのに。諸行無常。これもバブルの終焉を象徴する出来事の一つか。
1996.2:伊豆旅行
関東での思い出作りに伊豆旅行をする。西湘バイパスを走っているときに降り出した雪は、小田原を過ぎた頃から本格的になり、最後の思い出にワインディングのクルージングを満喫しようとしていた箱根ターンパイクは通行止めになってしまった。仕方なく箱根新道を通るが、こちらも途中からチェーン規制である。これまでの生涯でただ一度のチェーン装着をするが、事前に練習していたこともあって10分足らずで完了した。その後十国峠からの雪景色を楽しみ、熱海、修善寺、天城峠、熱川バナナワニ園、大室山、下田等伊豆半島を一周する2泊3日の旅を楽しんだ。下田の海沿いにある「海女の小屋」の海鮮味噌汁はおいしかったなぁ。
1996〜1999:九州でのSERA
九州へ帰ってからはもっぱら日常の買い物や、長距離ドライブと言えば熊本と長崎の実家に帰るぐらいである。遊びに行ったのは、三井グリーンランドと有田ポーセリンパークくらいか。有田ポーセリンパークは倒産寸前で規模を縮小して細々と営業しており、営業時間は16時までだわ、場内に食事をするところは無いわ、パビリオンの半分以上が閉館してるわで期待はずれであった。有田の陶器店を見物して帰った。
1998.9:クーラー効かず
長期海外出張を終えて9月に帰国してみると、何とこの残暑の中クーラーが全く効かない。Autobacsでガスを入れてもらうが、3本半も入ったのでどこからか漏れている可能性もあるとのこと。これでまたすぐ抜けるようなら、漏れている個所を探して修理する必要がある。だいぶあちこちガタが出てきたなぁ。
1998.12.28:ナンバー変更
ローンは3年目に払い終わっていたのだが、何とまだ名義変更をしておらず、所有者:農協、使用者:父のままである。一番の原因は転勤続きで社宅の車庫証明が取り難かった事があるのだが。任意保険を知人の保険会社に移行する際に自分が所有者(または使用者)である必要があるのと、買い替え時の利便性なども考えて名義変更を行う。ディーラーにお膳立てしてもらい、自分で陸運局に行ってナンバーを付けかえる。色々な思い出の詰まった愛着のある熊本ナンバーから福岡ナンバーになった。このナンバーをどれだけ付けていられるか。
1999.2:オカマを掘られる
踏切り待ちで停車しているときに、後ろからかつんと軽い衝撃があった。エスティマに軽く追突されたのだが、相手は同じくらいの年代のやさしそうなマイホームパパで、奥さんと4〜5歳くらいの女の子同伴である。ひどく恐縮して何度も平謝りされるのでこちらも恐縮してしまった。警察による検分の上連絡先を交換し合い、後日見積もり修理額をわざわざ家まで持って来て下さった。\5,000くらいの豪華な洋菓子の菓子折り付きである。聞くと過去に追突した際に、相手がヤバイ系だったので解決にかなり苦労されたらしい。こんな気のやさしそうな人を苦しめるとは悪い奴がいるもんだ。自分も何か同類のような気がして嫌な気分になってしまった。
1999.3.16:バッテリーあがり
故障したビデオデッキを修理に出すために、博多駅前のV社サービスセンターまで行ったが、ビデオデッキを預けてさぁ帰ろうというときにエンジンがかからなくなってしまった。これまでも何回かかかりにくいことはあったのだが、しばらく置いて掛けるとかかっていたのと、何かと忙しくてそのままにしていたのだが、今度は本当にかからない。仕方なくJAFを呼ぶと、電話では40分くらいかかると言っていたのに30分くらいで来てくれた上に、とても親切である。バッテリー上がりということで応急処置をしてくれ、親切にもAutobacs等でのバッテリーの買い方まで教えてくれた。親切ではつらつとしているのは良いが、大きな声で話されるのでバッテリーあがりを周囲に宣伝している様で恥ずかしかった。一応シガーソケットに付けるタイプのバッテリーチェッカーを装着していたのであるが、この1件で役に立たないことが良く分かった。帰りに速攻でAutobacsに寄りバッテリー交換したことはいうまでも無い。
余談になるが、この2ヶ月でビデオが故障したのは3回目である。1回目はテープがイジェクトされなくなった。それが直ってきてすぐ、今度は録画ボタンを押すとモーターがハングアップして電源が落ちてしまう。3回目はBSが受信できない(但しビデオデッキ経由で繋いでいるTVではちゃんとBSは受信できる)である。その度に仕事が休みの土曜日に車で持って行っては、1週間〜10日くらい後に修理が出来た時点で昼休みに職場から引き取りに行き、重いのを提げて電車で帰るという事を繰り返していた。話題になったホラー小説「リング」の続編の「らせん」で、首都高で事故を起こした車にビデオデッキが積まれている事を主人公が不審に思い、そこから呪いのビデオの存在が明らかになる。その際に主人公は「普通の人間はビデオデッキを車に積んで運んだりしない」とことさら異常な行動の様に言っていたのだが、2ヶ月で3回もビデオデッキを車で運んだ奴がここにいるんだってば。これで事故ってたら、「不審な事故死」ということになるのだろうか。
1999.5:再びクーラー効かず
暑くなったのでクーラーを入れるが効かない。昨年9月にガスを入れ替えてから、まだ半年である。やっぱりどこかから盛大に漏れているらしい。昨年秋に危惧していたことが現実になってしまった。処置しなければならないが、5月から8月まで入院してしまったのでそのまま放ってある。真夏の炎天下のクーラー無しSERAは、はっきり言って地獄である。このまま秋まで粘れるか(^^ゞ。
1999.8.7:再びバッテリーあがり
2ヶ月半に及ぶ長期入院から帰ってキーをひねって見るが、セルモーターがうんともすんとも言わない。完全にバッテリーが放電してしまった様だ。JAFを呼んでブースターケーブルで予備バッテリーと接続してもらい、とりあえずエンジンはかかった。「2〜3時間走って充電するか、どこかで充電してもらったほうが良い」と言われたので、バッテリーを購入したAutobacksへ行くが、充電には預かりの上、最低でも半日はかかるという。色々と今日中に買い揃えるべきものがあったので、買い物に走り回って充電することにした。また、クーラーガスも完全に抜けてしまっており、修理には\5万〜\7万かかる上に、部品調達の関係でお盆明けになるとのこと。仕方ないのでクーラー修理は別の機会にすることにするが、真夏にクーラーなしのセラは辛い。買い替え時期かなぁ。。。
1999.8.13:免許更新
2週間後の誕生日に運転免許が切れるので、自宅療養中の休みを利用して免許更新に行くことにした。自宅療養とはいえ、やっぱり少しずつ外に出て体を慣らしておかないとね。ところが、免許センターはとんでもなく町中から離れたところにある。公共交通機関を使って来てくれとあるが、家からいく場合は一旦町まで出て、そこからバスに乗って折り返すような形で行かねばならないので非効率なことこの上ない。そこで迷わず車で行くことにした。地図では家から車で30分程度のようだったので、余裕をみて45分前くらいに家を出る。途中までは順調だったのだが、3分の2くらいのところから渋滞気味になる。更に、出るときは曇っていたのに日が差し始め、クーラーは壊れてるは、走らないので風は入ってこないはで、かなり暑い。おまけに慌てて出てきたのでハンドタオルを忘れ、持ってきたハンカチで汗を拭っては、絞ってダッシュボードで乾かしということを繰り返す羽目になってしまった。挙句には免許センターのすぐ近くまで行った時点で車の列はうんともすんとも動かなくなる。よく見てみるとT字路の信号待ちで、あほな自家用車が出っ張りすぎて停車しているためにバスが曲がれず立ち往生している。結局、信号1回分丸丸どの車も動くことが出来ずに無駄に時間が過ぎて、次の青信号でそのあほ車が動いてからようやくバスが曲がることが出来た。その後も渋滞の列は続き、免許センターは見えているのにたどり着けないいらいらした時間を10分ほど過ごしたが、ようやく到着した時点で既に午前中の締め切りの11時。車を駐車して汗をかきかきダッシュで駆け込んで、ダメ元で受付へ行って見ると、ありがたいことにまだ開いている。受付のおばちゃんは「うわぁ、まだいるの?もう、時間過ぎてるんですよ」とぶつぶつ言いながらも、しぶしぶ受付をしてくれた。そこの横で早速申請用紙を記入するが、よく見るひまも与えられずおばちゃんがつきっきりで「はい、そことそこ書いて」と指示を出す。1箇所不明な点があったので「これはココに書くんですか?」と聞くとそうだと答えるので、言われた通りに書くと「違う違うそこじゃない!」と、もうつきっきりで怒られっぱなしである。後ろのほうからは、次のステップの視力検査コーナーのおじさんが「もういませんかぁ?」と聞いてくる。「あなたが遅いから閉められないじゃないの」と怒られながら写真を貼ろうとすると、インスタントコーナーで撮った写真はサイズが合わない。備えつきのくりぬきカッターで切ろうとすると「それでは切れません!鋏はこっち!」と別の所へ連れて行かれそうになる。鋏は持参していたのでかばんから取り出すと、「あら?持ってきてるんじゃないの」と珍しく誉めてもらえた。その後ようやく書類が書きあがり、ダッシュで視力検査へ掛け込むが、暑さと気の動転で目の焦点が定まらず散々な結果であった。更にその後の写真撮影でも、汗で髪は振り乱し襟ははだけ、目はうつろでひどい有様の写真になってしまった。免許場の写真撮影は本当に事務的で、どんなにひどい有様でも取り直してくれないのね。そんなこんなでやっと申請が終わり、30分のビデオを見て新しいクレジットカードサイズの免許証を受けとって無事帰路についた。2期連続ゴールドカードなので、今度も5年後である。やれやれ、せめてもの慰めか。
1999.10.20:遂にエアコン修理を決断
ついに一念発起してクーラーを修理する決意をする。暑いのは我慢すれば何とかなるが(SERAの場合何ともならんが)、フロントウインドウが曇ったときにデフが効かないのは安全上も問題がある。6ヶ月定期点検の際にクーラー修理のの見積もりをしてもらった結果、何と\16万円もかかるという。コンプレッサーや配管を取り替えるために、室内のダッシュボードなどもはずさなければならず大がかりな工事となるためだそうだ。1カ所だけ修理しても結局弱いところから漏れてしまうために総取り替えした方がよいらしい。普通でもエアコンは5年くらいで壊れるので、10年持ったのは長持ちした方だとのこと。一旦帰宅して家内と相談した結果、やはりSERAが気に入っていて向こう数年は買い換える気もないからということで修理に出すことにした。
1999.10.27:エアコン修理から戻る
やっとやっとエアコン修理から戻ってきた。日曜日の夕方に用事を済ませてから出しに行って、月曜日の工場休日を挟んで水曜日の夜にできあがってきたので、作業は2日で完了したことになる。喜び勇んで出かけて、見積もりよりちょっと安い\15万円を支払い(端数の数千円は負けてくれた)、弾む心でハンドルを握って帰宅の途についた。大して暑くもないのにエアコンを効かせながら。。。ところがその週末、日中に乗ったときに気づいたのだが、フロントバンパーの左下側の目立たない部分に、直径10cmくらいの円形のスプレーで吹き付けたような青い塗料がついている。さらに、助手席側のドアを開閉してもルームランプがつかなくなってしまっていた。早速電話でクレームして、数日後にまたディーラーに持っていくことにする。あ〜ぁ。
1999.11.7:気持ちの良い対応
ディーラーに持っていって、いつも対応してもらっている整備士のK氏に症状を話すと、まず塗料の方は今回の工事では板金屋ではなく電装屋に出したので塗料がつくような機会がないことや、こういう色の塗料は使っていないことを説明された。まぁ、あまり目立たない場所だし、どこでついたかも分からないので素直に納得したが、「できるだけこすって落としてみましょう」と言ってくださった。また、ルームランプの件も配線をチェックして必要な処置を執ってくれるとのこと。20分ほど待つうちに作業は完了し、原因は助手席側のドアの開閉に押されて連動して動く小さなバネ仕掛けのスイッチが劣化して、動かなくなってしまったことによるもので、このスイッチを交換することにより解決したとのことであった。また、フロントの塗料もきれいに落とされていた。車を引き渡してそのまま見送ろうとされるので、「あのう、料金は?」と聞くと、「今日は結構です。大事に乗ってあげてください。」と、ありがたい言葉が返ってきた。10年ものの古い車をいつまでも我慢して治し治し乗っていながら、細かいクレームを付けて申し訳ないなぁと卑屈になっていたのに、その気持ちをくみ取ったような「大事に乗ってあげてください」という気持ちの良い対応に、心が晴れ晴れとした。
気持ちよく帰宅して社宅の駐車場に止め、ふと前方にある隣のY家の倉庫のドアが開いているので中を見ると、ドアの内側にべっとりと例の青い塗料がついているではないか!!やられた。隣のY家のガキは、いつも自転車で強引に私の車の横をすり抜けてボディーにたくさんの擦り傷やへこみを付けやがるし、親父は親父でスプレーつけて知らんぷりとは!ちょうど私の車の前が奴らの倉庫なので、そのスペースを使ってなにやら塗装したのだろう。全くあきれた一家である。せっかくのいい気持ちが半減してしまった。
2000.8.12:再びクーラー壊れる
数週前からクーラーの効きがイマイチだなぁと思っていたのだが、どうやらまた壊れてしまったようである。風は出てくるが全然冷えていないので、またガスもれの様である。しかもお盆の帰省で渋滞の九州自動車道で完璧に効かなくなってしまったので、風も入ってこないカンカン照りの中、5時間もの間蒸し焼き状態でへとへとになってしまった。都合で2日連続2往復したのでかなり体力を消耗してしまった。後日再びディーラーへ持って行って症状を説明すると、去年の修理記録がちゃんと残っていて、「去年15万円もかけて修理されて1年も経たないうちにまた壊れたのではあんまりですから、そこのところを私のほうから電装屋さんにクレームします。ご都合の良いときに入庫して頂いて、去年修理をした電装屋さんを呼んで調べさせます。」と、こちらの気持ちを全て汲んだ対応をしていただいた。結局、入庫して調べてもらった結果、去年はコンプレッサーとエバポレータを交換したのだが、そこだけ新しくなったために古いまま再利用していたホースに負担がかかってそこから漏れているとのこと。修理には\3万円かかるとのことだが、去年\15万円も払ってまたそれではあんまりだとディーラーさんが交渉してくれて、ディーラーを通さず直接電装屋さんへ発注した形にして、しかも部品代だけで\2万3千円でいいとのこと。前回といい、今回もまた気持ちのいい対応に感心させられたのであった。高い買い物なので、こういうしっかりしたサポート体制が、「またここで買おう」という気にさせてくれるのである。見習わなければ。
2001.8.:ドアノブ壊れる
助手席側のドアノブが壊れた。前から開け閉めの時に堅い感じがあったのだが、ある日ノブを引いてもロックがはずれず、外から開かなくなってしまった。内側からは開くので、2人で乗る場合はまず運転席に乗り込んで、内側から助手席のドアを開けるというやり方でしのいでいたのだが、さすがに不便なので定期点検の際に申告して修理してもらうことにした。ついでに助手席側のガラス天井につけるサンシェードのプラスチック製留め具も、長年の日射で劣化してぼろぼろになっていたのをプラ板で応急処置していたので、 併せて修理をお願いした。
まず定期点検の際に故障の状況を確認して部品を発注するということで、ノブの部品は2週間後くらい、サンシェードの部品はそれから10日後くらいに入ってくるとのこと。セラの部品はもう在庫もなく、注文生産になるのだそうだ。何回もディーラーに行くのも面倒なので、両方の部品がそろってから持ち込み修理してもらうことにした。サンデードライバーで、週末しか乗らないのでそれで十分である。
そんなわけで、翌週末もそのままの状態で家内と買い物に出かけたのだが、いつものように運転席に乗って助手席のドアを内側から開けようとしても開かない。あれっと思って外側に回ってドアノブを引いたらポロッとノブがもげてしまった。仕方ないのでその場はとりあえず2人とも運転席側から乗り降りするという恥ずかしい醜態をショッピングセンターの駐車場で晒すことになってしまった。帰宅して早速ディーラーへ電話するとノブの部品だけは来週入って来るということなので、当初の予定を変更してノブだけ先に交換してもらった。翌週末にはサンシェードの留め具も来たので、再度ディーラーへ出向いて交換してもらい、無事に修理完了となった。
駐車場(青空)の駐車位置が北西向きで、昼過ぎから日没までの強い日差しが左側に当たるので、左側のパーツの傷みが早いようである。但し、9月からは転居により地下駐車場になったので、これで日ざらし野ざらしの状態から解放され、痛み方もだいぶ緩和されるだろう。To Be Continued.
Written by Y1K