プロローグ
これまでも何回か調子の悪いことはあったが、数日〜10日程度の絶食やスライド療法で何とか乗り越えてきた。
しかし、今回は絶食して痛みがなくなったと思って徐々に普通食に戻していっても、またすぐに悪くなるという具合で、特に夜間のエレンタールが速度が上げられない。
一時的に80ml/hrくらいに落として症状を落ち着かせても、速度を上げていくと右わき腹の膨満感や痛みで明け方に目が覚めて、1日中苦しいという状態である。
主治医に症状を訴えて検査をすることになった。
2009/10/6
Tue
いつもの、口からバリウムを飲んで小腸まで流れて到達した時点で、十二指腸・空腸・回腸と流れていくのに合わせてX線で写真を撮る「経口小腸」という検査を受けた。
飲んでからしばらくは順調に流れているらしく、検査の先生たちも手際よく検査台の角度を変えたり体位の指示を出したりして写真を撮っていった。
実際、途中では「早く流れているからもうすぐ終わりますよ」という話もあった。
しかし、問題の箇所にかかるとなかなか流れないらしく、角度を変えたり腹に枕で圧迫を与えたりして、撮影が難航している様子がこちらからも伺えた。
しまいには、肛門からバルブで空気を入れて腸管を膨らませてバリウムを流すという屈辱的な荒業も用いられた。
検査はどうにか終了し、へとへとになって着替えてから主治医に呼ばれて説明を受けると、やはり小腸と大腸の継ぎ目から上流側30cm位のところに狭窄が進行しているところがあり、1ヶ月以内に処置しないとまずいということで入院を勧められた。
仕事や家庭(およびマンション理事長業務)の都合もあるので、帰宅してから時期を相談しますということで、先生に電話をかける約束だけして呆然としながら帰宅した。
この5年間も前回同様にそれなりにまじめに治療(というか進行を食い止める食事療法)してきたつもりだったが、結局5年周期での手術法則という運命みたいなものには勝てなかったというのが、何よりショックだった。
ただし、今回は「ダブルバルーン拡張術」という新しい手法が適用可能らしいということで、開腹手術ではなく内視鏡による内側からの拡張ができれば、入院期間も短期間ですむというのだけが救いである。
専門誌などでは読んだことがあったが、一度狭窄形成術を受けたところには適用不可能と思い込んでいたので、この病院では実際にそのような症例にも多数の適用実績があるというのは、うれしい誤算だった。
腸や症状の状態は個人個人で異なるため、初めての場合は用心のために1週間程度の入院で実施するが、1回実施して状態がわかれば、2回目以降は2泊3日くらいで実施しているそうである。
やはり、メスで切り開くのとは違い、拡げるのにも限界があるし治癒力で元に戻ってしまうので、半年に1回の頻度で定期的に受ける必要があるとのこと。
帰宅後に妻と相談し、処々の予定は何とかクリアできそうな目処がついたので、「3日後以降ならいつでも」という電話をしたところ、結局内視鏡の予約がかなり埋まっていて、10/23(金)入院で10/26(月)手術というスケジュールを伝えられた。
2009/10/7
Wed 〜
2009/10/22
Thu
出社して上司に報告し、諸々の業務の引継ぎまでの段取りをつける。入院までには割りと時間的な余裕があるので、引継ぎ自体は無難にこなせそう。
しかし、摂取カロリーが足りてないので体がきつく、とにかく会社に行くのがつらくて2週間は長い。
夜間ゆっくり注入するとカロリー的には900Kcalくらいしか摂取できないので、会社に行くときもタンクとポンプを自作の専用バッグに入れてかつぎ、4パック=1,200Kcalを鼻からチューブで注入しながら仕事に通った。
手術までに体力温存しておかなければ、治るのも遅くなってしまうので、ここは我慢のしどころだ。
鼻からチューブを入れて電車に乗っても、もちろん誰も席を譲ってはくれない。
・ぐっすり寝てて(駅に着くと一斉に立ち上がるので実は寝た振り?)最初から気づかない人
・チラッと見て気づくが、そのまま気づかない振りをしてしまう人
・チラッと見て気づいて、その後も野次馬根性でジロジロ見てくる人
世間は冷たいもんだ。
まぁ、こちらも譲ってもらおうなんて虫のいい話だとは思うが、むしろ困るのはみんなが降りる駅に着くと、今までこってり寝ていたはずの人たちが我先に立ち上がって、立っていた我々さえもまだ降りる順番を待っているのに押しのけるようにしてぐいぐい押してくることだ。
タンクがつぶされないか、点滴チューブが引っ張られないか、そちらのほうが心配で、好奇の視線よりもこの降りるときの押し合いが毎日苦痛だった。
2009/10/23
Fri 晴れ
いよいよ今日から入院である。5年おきに入院しているので勝手はわかっているが、当然大部屋のメンバは違うので、やっぱり人間関係が一番緊張する。
部屋に案内されると、10年前にいた南館5Fの507号室である。なんだか懐かしい気がした。
大きな声で挨拶しながら部屋に入る。
ベッドの位置は当然ながら、6人部屋の真ん中。
雰囲気も前いたときとほぼ同じだが、唯一異なる点は床頭台が大きく変わっていたことである。
以前は、事務机の横についているような腰高の引き出しボックスの上にTVが載っているだけだったが、今回は最近の一般的な病院でよく見られるような、背が高くて下の段に引き出し、真ん中の液晶TVを挟んで上の段に棚、奥側に服をつるせるクローゼットのようなものが一体になった、収納力たっぷりのものになっていたのである。
いつも荷物が多くて収納に苦労していたが、今回は下着にパジャマにガウンにお風呂セットにパソコンに本を入れてもまだ余裕である。
程なくすると、みんなカーテンを閉めてこもってしまい、真ん中のベッドはなんだかすごく圧迫感がある。
来たときはたまたまベッド清掃と空気の入れ替えのためにカーテンを開け放していただけで、どうやらこれがデフォのようである。
ほかの部屋も大体みんなカーテンが閉められていて、なんだかとてもうっとうしい。
部屋内のコミュニケーション(具合が悪いときに助け合うとか)とか、看護婦さんが廊下から患者の状況を確認できないとか、空気の流れ的にもあまりよくないと思うが、時代が変わったということか。
まぁ、確かに興味本位で人の病気のことをあれこれ聞いてきた挙句に、無責任な評論をするおじさんとよく同室になることが多かったので、その点は助かるが何か寂しいなあと思う。
ベッドに寝ても、3方カーテンで囲まれて、見慣れた懐かしい天井しか見えない。
枕もとのプレートによると、主治医は「鶴身 小都絵」先生で、担当看護師は「上原 幸子」さん。主治医のほうは変わった名前だが、名前から察するに女医さんのようである。以前ほどときめかないのは、もう自分が歳ということか。
執刀?してくださるのは「別府 孝浩」先生で、2人とも検査と処置に入っているので説明は夕方になるとのこと。
それまでは、当番看護婦さんに一通りの経緯の説明をして、術前に必要なお決まりの検査(出血時間、心電図、レントゲン)等をし、合間の時間は持参した東野圭吾の本を読みまくった。
そういえば、入院計画書も婦長さんの挨拶もなかったなぁ。担当看護師がどの人かもいまだにわからないし。。。なんかあっさりしている。
枕もとのプレートも、個人情報保護のためか、以前あった生年月日の記載がなくなっている。
患者の間違い防止のためのリストネームバンドは、以前はマジックで手書きだったが、バーコードになっていてWindowsCEベースと思われるハンディターミナルでスキャンして、本人確認したり投薬の記録を取ったりしている。無線LANアナライザでスキャンすると電波が2ch飛んでいたので、ターミナルから無線LANでサーバに飛ばしていると思われる。
![]()
5年で進化
変わっていないようで細かいところでいろいろ時代に合わせて変わっている。
それなら、各ベッドにLANポートくらいあってもいいもんだろと思ったが、さすがにそれはなかった。期待してRJ-45のケーブル持ってきたのに。
夜18時過ぎになり、ようやくお呼びがかかって、妻と両親とともに別府先生から以下のような説明を聞いた。
【説明内容】
・ダブルバルーン拡張術の仕組み(省略)
・既に何百という症例があるが、まれに拡張の際に腸管が破れて大量出血したり、カメラがうまく通らなくて腸の壁に穴があく(穿孔)等の合併症が起こりうる。
・また、一度手術したために腸が癒着していることがあり、ここを無理に通そうとすると腸壁から腸がはがれて大量出血になる。
・他の病院ではそのような事例がいくつか発生しているが、当病院ではない。(だからといって100%ないとはいえない)
・そのような事態になったときは緊急手術で開腹することもありうる。
・ただし、できるだけそうならないようにカメラで慎重に確認しながら実施し、危なくなった場合はそこで中止する。
・中止した場合は後日、開腹等の別の手段で治療することになる。
・今回の治療箇所は、小腸と大腸の継ぎ目から上流側30cm位のところ(前回手術したところ)に、3〜4mmまで細くなっている狭窄がありここを広げる。(正常な腸管の内径は30mm)
・写真でわかるようにここで流れがせき止められるために、上流側に滞留箇所があり腸管が大きく膨張し、流れていけない食べ物の残渣なども写っている。
・往々にして一度手術した吻合部がまた狭くなることは起こりがちである。
・腸の屈曲している箇所に狭窄があるため、まっすぐなところのようにはスムーズにカメラが通らないため困難な部類である。
・ただし狭窄は屈曲部に発生しやすいのも事実である。
・吻合部をまた拡げたら破れるのではないかとの心配にはあたらず、通常の箇所と同様に拡張可能である。
・少し裂けて血がにじむくらいの状態まで拡げて、その後治癒して出血がないことを確認して治療完了となる。
・ただし一度拡げても、治癒力等によりまた元に戻ってしまうことが多いため、半年ごとに拡張を行っているケースが多い。
・今回は初回ということで腸の状態や予後を慎重に確認しながら実施する必要があるため1週間の入院で実施するが、2回目以降は2泊3日程度で可能になる。
・麻酔は半覚醒の意識がぼんやりある状態で行う。
間に質問を挟みながら、以上のような説明を聞いて、同意書にサインと捺印をした。
簡単に治療できると思って軽い気持ちでいたが、実はうまくいかないことも起こりうると聞いて、ちょっと落ち込んでしまった。
本題とは関係ないが、電子カルテ化されているために、レントゲン写真はすべて高精細ディスプレイに次々と投影されて説明されていたが、これだけの大量の高精細画像を患者の人数分を長期にわたって保存するにはドンだけのストレージを使っているんだろう?バックアップはどうするんだろう?と変なことが気になってしまった。
部屋に戻って読書をして、10時の消灯で寝た。最初からみんなカーテンを閉めているので、「おやすみなさい」もナシ。
【本日のメニュー】
2009/10/24
Sat 晴れ
朝、鶴身先生がこられ「今日は、夜に下剤を飲む以外は何もないのでゆっくりしていてください」とのこと。
実は前の晩は、ナースコールの音や点滴台をガラガラ引いて歩く音や隣の人の寝言などで何回か目が覚め、よく寝られなかった。
そこで、午前中に少し寝て、その後は東野圭吾の本を2冊読破したり、パソコンのHDDに入れてきた映画などを見て過ごした。
部屋の人とは一言も会話する機会がない。
夜21時に看護婦さんが「ラキソベロン」という点眼薬みたいな容器に入った少量の薬を持ってきたので服用した。こんな量で聞くのかなと思いつつ、、、、、。
ところが、それは大間違いだった。
なんだかおなかが苦しいと思って目が覚めると午前1時。おなかがぐるぐる言ってて、かなりピンチな状態。
あわててトイレへダッシュする際に、夜間だけやっているEDの点滴台が左隣の人のベッドの足に当たってしまった。
トイレに駆け込むや否や、猛烈な滝のように出る出る。
結局それから1,2時間おきに目が覚めてはトイレへ駆け込むというのを繰り返して朝になった。
【本日のメニュー】
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CD-B食 |
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内容 |
鶏シャリアピンステーキ |
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日付 |
2009年 10月24日昼 |
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CD-B食 |
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内容 |
鮭マヨネーズ焼き |
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日付 |
2009年 10月24日夜 |
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2009/10/25
Sun 晴れ
朝から洗面所で髭剃りをしていると、右となりの「橋本さん」が「おはようございます」と声をかけてきた。チャンス!とばかりに、「すみませんねぇ、夕べは下剤が効いて何度もトイレに行ったのでうるさかったでしょう?」と答えると「いえいえ、つらいですもんねぇ。自分も寝言いってたみたいで済みませんでした」と返してくれた。
見た目はヤンキーっぽいけどいい人みたい。(寝言は喧嘩して凄んでるみたいで怖かったが)
この勢いでと思い、左となりの人が自分のベッドを通り過ぎる際に「おはようございます。昨夜はあわててトイレに行くときにベッドにぶつかってすみませんでした。」と誤ると「いえいえ、ぐっすり寝てたので気づきませんでしたよ」と愛想よく答えてくれた。
今日も朝から鶴見先生が来られ、下剤の利き具合を確認したうえで、「今夜もラキソベロンを飲んでいただいて、明日は朝からマグコロールPを飲んでいただきます。本当は2L飲むんですが、狭窄があっておなかが張るので500mlにしておきます。」と言われた。
「昨夜のラキソベロンだけでも結構効いてて、かなりキテて水様便に近いんですが。。。。今夜も飲まなきゃだめですか?」と聞くと、「腸をきれいにして便を全部出しておかないとカメラが入っていきませんから」とぴしゃりと断られた。
厳しぃ〜い!
結局、昨夜から計8回トイレに駆け込んだ。何かしてても中断して駆け込むことになるので、何をやろうとしても何となく落ち着かないまま1日が終わってしまった。パソコンで見ようとした映画も中途半端なままである。
午前中に、当面の予定などを会社の上司にメールで知らせた。
夕方家内が着替えと新たな本を持って来てくれた。いつ便意がくるかわからないので、パソコンなどを広げているわけにも行かない。おとなしく本でも読んで過ごすことにした。
そして夜、500mlのマグコロールPを30分で飲み干すという試練に挑んだ。
【本日のメニュー】
2009/10/26
Mon 晴れ
いよいよ手術当日。昨夜から朝までに6回トイレに行き、更に午前中いっぱいまで計14回行ったが、いつまでも残渣っぽいのが出てくるのでなかなか看護婦さんからOKが出ない。とうとういつものように時間切れで行くことになった。
ベッドの上で検査着に着替えて点滴を打ち、ぼーっとなってきたので車椅子で1階の内視鏡室へ移動する。内視鏡室で台に移動して助手のおばちゃんが手際よく準備を進めるが、指にはまったままの結婚指輪に気づいて預かられてしまった。そうじゃないかと思ってはいたのだが、早く言っておいてくれたら家内に預けていたのに。。。
それから主治医の鶴身先生が来られて、「xxx注入します」と言って点滴の横から注射器でなにやら麻酔らしきものを入れた時点で意識がなくなった。途中何回か、画面に腹部のX線写真が写っていて内視鏡が腹の中を横切っているような絵柄が見えたような気がするか、夢か現実かよく分からないままに、「終わりましたよー。お部屋に戻りましょうね」と促されて目が覚めた。台から降りて車椅子に座るが、吐き気がしてひどく気分が悪い。誰かしきりに後ろから背中を叩くので、吐きそうになるのでやめてくれと言いたいが言えず、手をひらひらと振って精一杯拒否の意志を示した。後で聞くと心配で降りてきた母が発見してちょっかいを出していたようだ。当初予定は1時間半とのことであったが、カメラがうまく患部に到達せず、10何回もトライしていたために2時間半以上かかっていたそうである。
その日はそのままベッドに戻り、麻酔が残ってもうろうとしているので、そのまま眠りについて終わった。この間、家族に対しては結果の説明がされていたそうだ。
【本日の点滴】
2009/10/27
Tue 晴れ
朝から鶴身先生が来られて「結果を今日あとで説明します」とのこと。午前中、看護助手さんに車椅子を押してもらってレントゲン撮影に行く。手術の影響で、腹部に穿孔や出血がないか確認するためである。そんな重病人じゃないので悪いなぁと思って断ったのだが、実際に放射線室で立って動き回っていると、ふらふらする目眩と吐き気を感じた。
隣の窓際の患者が退院されたので、ベッドを窓際に移してもらった。窓から外の景色が見え、明るくて開放的で気分が全然違う。早く行けば木曜日退院ということだったが、何となくそうは行かないような気がしていたので思い切って移動の希望を申し出た。トイレには6〜7回行ったが、最初は青い便が出てびっくりした。内視鏡でよく使われる、内壁の凹凸を際だたせるための染料だろう。
その日は1日そわそわしながら「説明」を待っていたが、何もないまま夜になってしまった。20時の検温に来られた看護婦さんにその旨を聞いたが、「今日はもうないんだろうなぁ」と思って寝る支度をしていたところ、21:30過ぎに鶴身先生が「すみません。お待たせして」と飛んでこられて下記の説明を聞いた。今日はとても忙しかったようである。説明内容は正直落胆させる内容だった。折角貴重な休暇を消費して苦労して受けた手術が、ほとんど効果がなかったのだから。。。。
【説明内容】
・前回の手術の影響で腸が癒着していたため、カメラを挿入するのが非常に困難だった。
・10数回トライしてあきらめかけたが、別府先生が「もうちょっとやってみよう」と言って運良くカメラ先端が患部に入った。
・狭窄部を内視鏡で見ると、それなりの内径は開いており、ひどく詰まるほどではないように思われた。
・しかし実際に自覚症状のある部分と合致しているので、もしかしたら癒着による痛みかもしれない。
・また狭窄部に活動期の潰瘍も確認された。
・狭窄部まで進めてバルーンで拡張したが、思ったほど拡がらず6〜7mm程度で限界だった。
・カメラのガイドチューブの外径が10mmなので、当然ここより先へは進めず、狭窄部より上流の状況は確認できなかった。
・カメラを戻しながら途中を観察していくと、何カ所か潰瘍があった。
・結論として、あまり拡張できなかったので、近い将来に腸閉塞を繰り返すようになったら、再度拡張するか手術をしなければならないだろう。
【質疑内容】
Q.今後の生活・治療について
A.基本的には今までの治療(EDと食事の併用)で、できるだけ温存して腸閉塞を繰り返すようになったら、再度拡張するか手術。最新の特効薬であるレミケードは、狭窄がある人には狭窄を進行させる副作用があるので使えない。
Q.食事について
A.消化の良いものを、とにかくよく噛んで食べること。丸飲みしないこと。
Q.近々出張(東京へ日帰り、金沢へ2泊3日)とハーフマラソン出場を予定しているが、行ってもいいか?その他、運動はどれくらいの強度まで許容されるのか?
A.出張は代われるなら代わった方がいいと思う。別府先生もマラソンをされているので、併せて相談してみる。
→後日回答あり、「運動は自分の体と相談しながら、無理の内容に適度にやってください」とのこと。
Q.会社の健康診断で胃透視のためにバリウムを飲むが、狭窄部で詰まったりしないか心配。
A.そのときの腸の状態にもよるので、年1回であれば、その時期に主治医に相談してください。
Q.昨日の家族への説明で、禁忌の薬があると聞いたが?
A.解熱鎮痛剤のボルタレンとロキソニンは潰瘍をつくる副作用があるので、服用しないこと。
以上を踏まえて、とりあえずの社会復帰を目指して、当面のスケジュールを以下のようにすることにした。
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昼食 |
夕食 |
夜間ED |
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10/28(水) |
エレンボトル:1本 |
ナシ |
ED:3パック |
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10/29(木) |
エレンボトル:1本 |
3分粥 |
ED:3パック |
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10/30(金) |
エレンボトル:1本 |
5分粥 |
ED:3パック |
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10/31(土) |
エレンボトル:1本 |
全粥 |
ED:3パック |
で、10/31(土)退院という計画を提示された。
ここに大きな計算間違いがあるのだが、それよりも手術結果の方にショックを受けていたので、気づかないまま悶々とその夜は眠りについた。
2009/10/28
Wed 晴れ
今日も明け方に右下腹部がしくしく痛んで目が覚めた。トイレに行くと大量のガスとちょっとばかりの腸のかす(腸液と腸内細菌の死骸など)が出て楽になるということの繰り返しだった。何も食べていないのにどうしてこんなにおなかが張ってガスが出るのだろう。こんなことで社会復帰できるのだろうかと、このフェーズの時はいつも不安に思う。
昼にエレンタールのボトルを1本、ゆっくり時間をかけて飲む。何も食べていなかったので、エレンタールでさえおいしいと感じる。案の定おなかがぐるぐると騒ぎ出すが、とりあえずは大丈夫そう。
午後、おなかも落ち着いてきたので、久しぶりにメールをチェックすると、日曜日に会社に送ったメールが文字化けしていたらしい。Bcc:で送った仲良しの同僚2人が返信で教えてくれた。手術の結果で、日曜日に送った内容とは状況も変わってきたので、とりあえずその2人にだけお礼の返信をした。上司にはまた改めてメールしよう。何て書いたらいいか、まだ気持ちの整理が着かない。
夜は久しぶりのEDなので早めに準備し、18時から開始。
【当面のED計画】
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10/28(水) |
10/29(木) |
10/30(金) |
10/31(土) |
11/1(日) |
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量 |
3P(900Kcal) |
3P(900Kcal) |
4P(1200Kcal) |
4P(1200Kcal) |
4P(1200Kcal) |
|
溶解量 |
720ml |
700ml |
900ml |
900ml |
900ml |
|
滴下速度 |
60ml/hr |
70ml/hr |
75ml/hr |
90ml/hr(残り3割は95ml/r) |
100ml/hr(残り2割は120ml/hr) |
|
時間 |
12時間 |
10時間 |
12時間 |
10時間 |
9時間 |
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症状 |
明け方に右下腹部の痛み。 6:00に排便とガスが出て楽になる。 |
明け方に右下腹部が張った感じ。 起床して動いているうちに解消。 |
特に問題なし |
特に問題なし |
特に問題なし |
【今日のED】
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量 |
溶解量 |
滴下速度 |
時間 |
|
3P(900Kcal) |
720ml |
60ml/hr |
12時間 |
19時過ぎに職場の秦課長、富田課長、荒木主査がお見舞いに来てくださった。ロビーで職場の状況(愚痴)や待っている仕事のことなどの話を聞く。たっぷり1時間ほどだべっていたが、昨日のこともあり結構落ち込んでいたので、随分気晴らしになった。実は事前に朝から病棟事務員さん経由で、「今日お見舞いにいても良いか」との問い合わせをわざわざしていただいたのでOKしておいた。手みやげもお返しに気を使わせないようなもの(マラソンのムック本、鉄道のムック本、官能小説*3冊)で、さすがお見舞いのお手本のような鮮やかさだった。
【今日のお見舞い】
・秦課長
・富田課長
・荒木主査
2009/10/29
Thu 晴れ
早朝にまた右下腹部の痛みで目が覚め、悶々としたあと6:00にトイレに行ったら、いつものように大量のガスとエレンタール特有の軟便が出て治まった。朝からその旨を主治医の鶴身先生に告げるとともに、「土曜日退院だったら土曜日の食事とその後の経過の確認ができないのではないか?」と指摘し、結局普通食まで戻して経過を確認した上で退院しましょうということで、11/2(月)退院予定ということに変更になった。特定疾患の医療費助成は1ヶ月単位なので、月をまたがるとまるまる1ヶ月分をまた払わなければならなくなるのが痛いが、やはり体のことには代えられないので仕方ない。
鶴身先生に追加質問で、今回の狭窄部の、前回経口小腸造影の際の時期と状態を知り、今回までの繊維を知りたいと言ったら、夜には以前のカルテと造営写真を探し出して持ってきてくれた。前回は2007年6月10日で、そのときの写真にもくびれた感じは写っているが、小腸の蠕動運動にもとれるくらいのもので、そのときは明確に狭窄とは認識されていなかったようだということだった。つまり2年で急激に狭窄が進行したということであり、これはこれでショックだった。
午後は週1回の回診があり、松井先生が回ってこられた。「どうですか?」と聞かれたので、「まだ絶食中で昨夜からEDを始めたばかりで、明け方にはEDでおなかが張ってしくしく痛みました。明確に改善されたという実感がないですね。」と答えると「1回で効果が出るものではないですから、何回か繰り返さないとですね。」という、当たり障りのない答えが返ってきた。雑誌や講演会でよく見る松井先生の実物を間近に見て直接会話して、何か不思議な感じだった。
さすがに1週間音信不通なのはまずいと思い、直属の上長と退院後に出張に同行する予定の上長及び休み中の業務の引継をした同僚にのみ、手術結果と経過及び今後の見通しを伝えるメールを送って電話をした。出張同行予定の上長にはムリポと伝え、続いて直属上長にも2回電話したが出られないので、結局話はできなかった。
【本日のメニュー】
【今日のED】
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量 |
溶解量 |
滴下速度 |
時間 |
|
3P(900Kcal) |
700ml |
70ml/hr |
10時間 |
2009/10/30
Fri 晴れ
マンションの理事長をしている関係で用事ができたため、外出許可を取って久しぶりに一時帰宅する。10時の検温を済ませてJRで帰宅。管理人さんに挨拶して、奥様方に捕まらないようにこっそり家に帰ると、程なく業者が来られたので対応して用事を済ませる。そのあとはメールチェックしたり(やっぱり光の常時接続は快適!)、ゆっくり風呂に入ったり(病院の風呂は慌ただしいし気を使うし)、病院に持参しているPCに新たな映画のmpgファイルをコピーしたりして過ごし、18時の夕食に間に合うように病院に戻った。
朝起きるまでは特におなかが痛くて目が覚めることもなく、周りの雑音で目が覚めるまでは割とぐっすり寝ていた。そのことを鶴身先生に伝えると、とても喜んでくれた。起きてからは、朝までやっていたEDの液が滞留している感じで右下腹が張ってしくしくしていたが、外出して動き回るといつの間にか解消されていた。ただ、まだカロリー不足なのでちょっと動いても疲れる。エレンタールと食事を合わせて、全体として2500Kcalは摂取できるようになるまでは回復したい。
【本日のメニュー】
【今日のED】
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量 |
溶解量 |
滴下速度 |
時間 |
|
4P(1200Kcal) |
900ml |
75ml/hr |
12時間 |
2009/10/31
Sat 晴れ
明け方に20台くらい次々と通過する消防車のサイレン音で目が覚めた。今日も腹痛で目が覚めることはなかったが、午前中はエレンタールの滞留でどうしても右下腹部がしくしく痛む。
朝食もないので、ベッドが窓際に移ってからは、朝起きてエレンの後始末をしてから暫くは、窓から外の景色を見て過ごす。黒一色だった景色が、やがて灰色からモノトーンに変わり、日が昇るにつれて次第に色が付いていくのを眺めていると、死に絶えていた世界が次第に生命を取り戻していくような気がして、とても好きな時間だ。仕事をしているときは、勿論そんなにのんびり世界の移り変わりを眺めているような余裕はないし、「会社行くのやだなー」としか思ってなかった。
窓からはJRの線路が見えるので、いつも通勤で乗っていく電車を眺めたり、特徴ある特急電車を種類別に写真に収めたりという楽しみも発見した。PDAに時刻表ソフトを入れているので、通過時間を計算してカメラを構えて待ち受けて写真を撮った。
午前中は、そんなことをしたり昨日家から持ってきたビデオファイルを見たり、読書をしたりして過ごした。
午後は、まず同僚の中山さんがお見舞いに来てくれた。家から走って!相変わらず、ジョギングに登山にと、アウトドアライフを満喫しておられるようだ。うらやましぃ〜!引き継いだ仕事の結果とか、職場の近況・愚痴などで結構盛り上がってしまった。
中山さんを見送って売店に買い物に行こうとしていたとき、谷口部長と出くわした。危うく行き違いになるところだった。谷口部長は家族ぐるみのおつきあいをさせていただいており、今日は通っておられるパン教室のバザーがあるということで、以前から「買いに来ますね」とお約束していたのが入院で行けなくなったので、わざわざ「奥さんに」とパンを持ってお見舞いに来てくださったのだ。パン作りと販売でお疲れのはずなのに、わざわざ遠くまで来ていただき、本当にうれしかった。
【本日のメニュー】
【今日のED】
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量 |
溶解量 |
滴下速度 |
時間 |
|
4P(1200Kcal) |
950ml |
90ml/hr (7時間経過後から95ml/hr) |
10.5時間 |
【今日のお見舞い】
・谷口部長
・中山主査
【今日のお隣さん】
隣のベッドに「一木さん」という75歳のおじいさんが入院している。昔ながらの亭主関白の頑固爺さんといった感じの人である。火曜日の入院当初から、年寄り特有のマイペースとわがままぶりを発揮していたが、ここに来てかなり顕著に現れるようになった。昨日、肝臓のポリープのところまで針を刺してラジオトープ?で焼くという手術をされ、今日退院予定だったのだが熱が下がらなくて退院が延期になったため、ご機嫌を損ねたようである。その旨を朝から主治医が来て説明し、そのときは黙って聞いていたが、典型的な内弁慶らしく、午後に奥さんが来られたら怒り爆発で駄々をこね始めた。
本人「今まで何してたんだ!朝から先生が来て説明があったぞ!」
奥さん「アンタが帰ってくるからこたつ布団を干したり、電気の傘を洗ったりしてたんじゃない。説明があるって分かってたら朝から来たよ。説明は何て?」
本人「知らん!ようわからん!失敗したって!」 (あれ?そんな話だったっけ?)
奥さん「わからんてあるもんね?じゃぁあたしが明日、朝一番で来てもう1回説明してもらおうか」
本人「おおかた、何人もで練習台にしていじくり廻したんだろう」 (してないしてない)
奥さん「まぁ、そんなことがあるもんかねぇ」
本人「もともと小さかったからせんでも良かったんだ。あんの藪医者が!ここの払いは○○と◇◇にさせろ!」
(本人は入院を渋ったが、子供の勧めで手術を受けることになったらしい)
奥さん「小さくっても、放っておけば大きくなるかもしれんやろ?アンタのためにと思って。」
本人「もう知らん!帰れ!!」
奥さん「じゃぁ、看護婦さんに先生の説明をお願いして明日朝一番で来るから。」
それからはだだっ子みたいに、何かちょっとした用事でもナースコールを押して、
「薬が来てない!」 「さっきもう飲まれましたよ。残骸もあります。」
「ご飯ですよー。」 「食いたくない!いらん!」 「さっき血糖値を下げる薬を飲んだから食べないと低血糖になりますよー。」
「痛くて寝返りもできん!何人もでいじくり廻したんだろう!」 「一番痛い時を5とすると今いくつですか?」 「5より上!」
「窓際のベッドに代えてくれ!」(彼のベッドは真ん中なので) 「ゆうべもお話ししたでしょう、今日廊下側に代わりましょうね」
「窓際がいい!」 「午後まで待ってもらったら融通できるかも・・・・」
みたいなことが延々と繰り返された。
看護士さんは嫌な顔をせず、あやすようにニコニコと対応されていたが、看護士さんも大変だよ。素直に尊敬します。
2009/11/1
Sun 雨
今日から11月。そして久しぶりの雨。この雨で一気に寒くなるらしい。体力も落ちているし、風邪を引かないようにしなければ。
今朝は、ここ数ヶ月で最高というくらい、おなかのことが気にならずに朝を迎えることができた。このところしばらくは、日中もそうだが特に夜中から明け方にかけて、右下腹部がつっかえたような感じが24時間ずっとあり、しくしく痛んだり張って苦しかったりして目が覚めていたが、今日はそういうこともなくおなかの「存在感」を全く感じることがなかった。できればこの状態がずっと続くといいな。。。
食事はできれば、お粥ではなく普通食まで戻しても大丈夫であることを確認してから退院したかったが、今日も日曜だというのに主治医が来られて、「処置したばかりなので大事をとって今度の土曜日の外来診療日までお粥にしましょう」と言われてしまった。まぁ、夜間EDも再開したしお粥食だったら大丈夫そうだし、とりあえずわざわざ病院にいなくても自宅で生活可能なようなので、明日退院することになりそうである。夜、念のため看護婦さんに確認したところ、退院伝票が出ているということだった。明朝、主治医が来られたときに正式に確認してみよう。
今日は、職場の直属上長の松本部長と、同僚の守田さんが来てくださった。
【今日のED】
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量 |
溶解量 |
滴下速度 |
時間 |
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4P(1200Kcal) |
900ml |
100ml/hr (7時間経過後から120ml/hr) |
8.5時間 |
【今日のお隣さん】
奥さんが来られるやいなや、「昨日は朝から帰ったくせに、何回電話してもおらん!」と再びエンジン全開!
(いやいや、アンタが午後追い返したんだろうが)
奥さんが一通り説明を聞かれ、「今回のラジオトープでは完全には取りきれなかったので、熱が下がったら一旦退院して、また改めて低周波ナントカという治療をする」という説明だったらしい。
本人は「何人もでかかっていじくり廻して失敗しやがって!人を研究材料にしやがって!」と相変わらず息巻いている。
大声で「失敗だ」とか「研究材料」だとか不穏なことをわめかないでほしい。まったく迷惑な話だ。嫌なら嫌でとっとと退院してほしい。
私の前の窓際のベッドが夕方には退院されて空く予定なのだが、結構ぐずっているので看護婦さんたちも早目がいいと判断されたのか、昼過ぎには廊下側のベッドに移された。もうちょっと我慢してればよかったのにねー。
夜になって、どう話をつけてきたのか、退院に必要な書類を取りに帰るための外出許可を書いていた。しかし結局これは、ご家族が明朝もって来るということで思いとどまらせたようだ。まったく、同室には痛みがひどくて痛み止めを打ってもらっている患者もいるのに、その患者のベッドで処置している看護婦さんを捕まえては、ぐずぐずと自分の都合ばっかり言っている。どうしようもないわがまま爺さんである。
【本日のメニュー】
【今日のお見舞い】
・松本部長
・守田主査
2009/11/2
Mon 晴れ
いよいよ退院である。朝から職場の上司と同僚に、退院して自宅療養に移る旨のメールをして、荷造りや入院中の経過をこの日記にまとめたりしていると感慨もひとしおである。と同時に、復帰してからの仕事の数々が頭をよぎり、憂鬱な気分に。毎度2ヶ月程度は入院していたのが、今回は10日程度だったので今になって思い返すともう少しのんびりしていたかった様な気もする。家族や職場には悪いけど。
いつものように8:00過ぎに鶴身先生が来られて昨晩の経過の問診と触診をされる。昨晩は4:00頃いったん目が覚めたので、途中から120ml/hrにあげたのだが、それでもおなかが痛くならなかったことを伝えたらとても喜んでくださった。これが最後なのでもっと色々感謝の気持ちを伝えたかったのだが、いつものように慌しく去っていかれた。まぁ、あっちにとっては大勢いる受け持ち患者の一人でOne of themなのでいちいちのめりこんでいては仕事にならないのだろうが。。。。
いつもは時間がかかる退院の手続きも、今回は9:30には請求書が来て会計を済ませたら、たいした説明もなくすべて終わってしまった。期間が短かったのと、自宅での治療内容は基本的に今までの継続なので、特に何もないからだろう。手持ち無沙汰で家族の迎えを待つことになった。
5年おきに入院を繰り返してきたが、今回は開腹手術ではなく、暫定の引き伸ばし処置で狭窄も残っているので、いずれまた近いうちに入院することになってしまうだろう。そう思うと手放しでは喜べないが、できるだけ先へ引き伸ばせるよう自制しなければならない。
おしまい
つばめ・リレーつばめ

白いかもめ

みどり・かもめ・ハウステンボス
ゆふいんの森号

特急ゆふDX

通勤列車

通勤列車(いつも利用している便)
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貨物列車
