プロローグ
前回、最後に「今後も夜間EDは続けて絶対に病気が再燃しないようにして行きたい。」と書いたのだが、結局また入院・手術することになってしまった。この病気の性質上仕方のないことであるが、自分としては毎晩EDの継続と食事制限でまじめに治療に取り組んできたので「これだけちゃんとやってる自分は大丈夫」との思いもあったため正直ショックである。前回は体力的に限界でふらふらの状態で入院したのだが、今回は栄養状態もよく余力があるのが救いか。
思い起こせば前回の手術後半年で韓国に1ヶ月間の出張に行き、食べ物等結構無理をして右下腹部が痛くなって、その部位がことあるごとに慢性的に痛んで狭窄が進んでいったようである。
それでは、リアルタイムで書いているので筆者もまだわからないこれからの顛末にお付き合いください。
2004/8/5 Thu. 晴れ
未明から(というより昨夜寝るころから)おなかが痛い。イレウス気味特有のつっかえたような独特の痛みである。一昨日大阪出張したときにマネケンのワッフルを買ったのだが、今日また横須賀日帰り出張で遅くなると思って、昨夜遅くによく噛まずにパクパクと食べたのがよくなかったようだ。
とは言うものの、今日の出張は筆者が行かないことには会議にならないので、ブスコパンで痛みを抑えイレウス部分をおなかの上から手で押して内容物を下流へ無理やり流しながら、這うようにして空港まで行った。空港では搭乗予定の便の使用機が変わった(どうも予約が少なかったので小型機=しかもJAL便なのにJAS機のレンタル、にチェンジするのに手間取ったよう)とかで、1時間近くも待たされた。おなか痛いくて死にそうのに。待合室の隅のすいてるソファーに横になってあえいでいた。おかげで早くも時間に余裕を持って計画したマージンがパーである。おなかが痛いので当然のように飛行機にも酔い、到着後暫く立てずに座席に固まっていたのだが、客室乗務員にとっとと追い出されてしまった。到着場所もローディングブリッジのない滑走路端の辺鄙なところで、そこからバスに揺られてターミナルまで連れて行かれる。泣きっ面に蜂とはこのことか。更に羽田からも京急とバスを乗り継いで1時間半以上かけてようやく出張先へ到着。ただ行って黙っているわけにもいかないので、朦朧とした頭で会議に参加し、必要最小限の発言をして一定の成果を引き出し、とにかくは目的を達しふらふらしながら同じルートで帰ってきた。元気なときでも大変なのに、イレウス気味で九州から横須賀日帰り出張は鬼のような強行軍であった。
2004/8/6 Fri. 晴れ
流石に今日は休みを取り病院に行く。レントゲンを撮ると腸閉塞時特有の腸管のぽっこり膨らんだ部分がはっきり写っており、あぁやっぱりねという感じである。今日はいつも見ていただいている主治医がいないので、明日もう一度きてくださいといわれ、前日から食事をしていないので点滴を打ってもらって帰る。この時点では一過性のものですぐ治まるだろうと甘く考えていた。
2004/8/7 Sat. 曇り
再度レントゲンを撮り、主治医が前日の写真と比較して説明してくれた。腸管の膨張部分は前日よりはしぼみ気味なので、完全閉塞ではないことがわかり少しは安心したが、前回の検査から1年半経っているので、検査しましょうということになった。検査方法は筆者の一番嫌いなゾンデ小腸で8/12実施となった。丁度夏休みを取る予定だったので、ちゃんと休める口実にもなる。
2004/8/12 Thu. 曇り
検査当日である。鼻からカテーテルを入れるときに相変わらずゲロゲロ吐いてしまった。だから「反射が強いので肩に注射(セルシン)打ってからにしてください」と前もって言っていたのにぃ。しかし家内がついてきてくれたのでずいぶん心強かった。検査の結果、狭窄箇所が少なくとも4箇所あり、以前検査したときよりも明らかに狭くなっていて(つまり狭窄が進行している)、鉛筆の芯の太さくらいしかないため、いつ腸閉塞を起こしてもおかしくない状態だそうである。前々から狭窄があるのはわかっていたので、いつかこういう日が来るとは思っていたが、あと数年は粘りたかった。いつイレウスになるかわからないということは、先日の横須賀出張のように出張先で発症して、訳のわからない病院に担ぎ込まれて緊急手術になるのはあまりにもリスクが高いので、この機会に手術することにした。今まではたとえ1食でも毎日ご飯が食べれていたのに、このままでは危なくて何にも食べられないので。
2004/8/18 Wed. 曇り
夏休み明けに会社に行き、上司および同僚に入院・手術の話しをする。皆さん快く受け入れてくれ「仕事のことは心配せずにしっかり治して来て」と言ってくれた。大変ありがたいことである。入院待ちまでの短い期間の中で慌しく引継ぎを行うことにする。
2004/8/30 Mon. 台風16号直撃
未明から接近中の台風が直撃し、「これが最後の電車です」というのに乗ってどうにか会社に行くが、社員も半数以下しか来ておらず引継ぎもままならない。逆に打ち合わせも来客もないので引継ぎ資料の作成に専念できる。と思っていたら病院から電話があり、「明日入院できますか?」とのこと。え?3週間待ちといっていたのにと思ったが、早いに越したことはないので、仕事の調整をしてみて返事しますと回答した。しかし今日は引き継ぎ相手の多くが出社してきていない。仕方ないので明後日にできないかと電話でお願いしたところ了承されたので9/1の入院が決定し、上司および在社の同僚に告げて明日引継ぎをすることにした。台風で帰れなくなりそうなので早めに帰宅し、家で引継ぎ資料作成にいそしむ。急遽入院が決まったので「おいしいものを食べよう」ということになったが、台風で外出できず出前もあまりやっていないので、近所の前から気になっていた本格寿司屋の上寿司を家内が取ってくれた。やっぱりちゃんとした寿司屋の寿司はスーパーや回転寿司とはぜんぜん違っておいしい。
2004/8/31 Tue. 曇りのち晴れ
会社で引継ぎを済ませ、早々に帰宅したかったが、色々とあってなかなか帰れない。忘れ物もあって会社に取りに戻ってそこでまたつかまって引継ぎをしたりして、結局家に帰ったのは22時になってしまった。今日が最後の晩餐なのと明日誕生日なので1日前倒しで家内がご馳走を作ってくれた。パエリヤにオニオンスープにサラダにデザートは手作りシフォンケーキである。白ワインがよく合う。これで明日から頑張れる。料理のうまい奥さんで幸せ。
2004/9/1 Wed. 雨
いよいよ入院当日。5年前に経験済みで勝手がわかっているとはいえ、やっぱり嫌なものである。案内された病室は北5階の505号室で、ベッドは幸い窓際であった。家内が早速同室のMさんに気付く。以前交流会でお会いしたとのことで挨拶を交わす。これでうまく病室に溶け込むきっかけができた。最初が肝心だからね。主治医はH先生、担当看護婦はIさんである。H先生は未来少年コナンのジムシー似で小柄でかなり若い。ちょっと不安かも。でも後でわかったが外来主治医のK先生が影に日なたにしっかりフォローしてくれるので安心できる。
入院の申し込みをしたときは初日は昼夜と食事が出ることになっていたが、H先生がやってきて「いきなりですがIVHしますので食事は出ません」。がーん、文字通り昨夜が最後の晩餐になってしまった。まぁ、最後の晩餐が家内の豪華手料理というのはそれはそれで良いが、「これがホントに最後」と思って噛み締める食事がなかったのでなんとなく心残りである。いきなり食事抜きの散々な誕生日になってしまった。
早速初日から、腹部レントゲン、心電図、出血時間、採血の検査を行い、明日以降も経口小腸造影、胃カメラと検査が目白押しである。前回入院時は方針が決まらずに何にもしない期間が2週間近くあったことを思えば、着実に事態が進展していくのはそれはそれでありがたい。これもK先生の心遣いのようである。
熊本から来た母と家内が食事から帰ってくると、インフォームドコンセントでIVHの術前説明があり、気胸や血腫および後日感染症(いわゆるカテ熱)のリスクがある旨説明され、母はかなり動揺していたが家内がうまくなだめてくれた。IVHは5年前同様右から入れることになり、最初Y先生がされたがうまくいかず途中からM先生が交代し1時間近く悪戦苦闘していたがとうとう入らず今日はギブアップとなった。曰く鎖骨が太く血管が細い。血管にあたってはいるが入っていかないとのこと。初日から前途多難。数週間前にドラマであった、研修医役の石黒賢がIVHを失敗した医療過誤死の裁判の話を思い出す。IVHが入らないので食事が出るかと期待したが、結局抹消からの点滴となり紐付きには変わらないため脱走もままならない体になってしまった。
【本日の検査】
・腹部レントゲン:結果説明なし
・心電図:結果説明なし
・出血時間:1分
・採血:CRP=0.8、貧血なし、栄養状態良好
【本日の処置】
・右鎖骨部IVH挿入:静脈に入らず断念
【本日の投薬】
・明日のゾンデ小腸に備え、就寝前に下剤(プルゼニド)2錠
2004/9/2 Thu. 晴れ
午前中は経口小腸造影の検査である。検査室では外来主治医のK先生が待っていてくださり自ら検査してくれるとのことで安心する。バリウムを飲んで腸管を下に流れていくのを待ちながら撮影するのだが、狭窄があるため流れが悪く、9:30に検査開始して終わったのは13:00過ぎであった。しかも最後にはお尻から空気を入れて撮影したので気持ち悪い。
午後ベッドで寝ていると再びK先生が来られ、前日IVHが入らなかったので今日は自分がやりますといってくださった。一気に安心する。慣れた手つきで準備をされ、こちらもリラックスして身を任せていた。途中苦労されていたようだが長年の経験でうまく乗り切られて、「頭のほうにいくこともありますがこればかりはどうしようもありませんから。頭に行っていません様に」と言って立ち去られた。ところが確認のためにレントゲンを撮ってみるとしっかり頭のほうに行っていたため、再度X線下での修正を行ったが、どうひねっても心臓のほうに行かないため、結局その日もギブアップとなった。最後に「めげないでくださいね。たまにこういうこともありますから」とフォローされるあたり、流石K先生である。
夜になって下剤が効いたのか、バリウムの真っ白な水様便がシャーっと出た。3回ほどトイレに行ったが、まだ出きっていないような気もする。おならと「実」の区別がつかないので、もよおす度にトイレにしゃがまねばならず結構面倒。
【本日の検査】
・経口小腸造影:前回のゾンデ小腸時の所見以外に、骨盤内(前回部分の15cm程度下)に狭窄部数箇所発見。
【本日の処置】
・右鎖骨部IVH挿入:挿入後X線確認で静脈の頭のほうに行っていることがわかり刺しなおしたがうまくいかず抜去。
【本日の投薬】
・ゾンデ小腸後にバリウム排出のため下剤(プルゼニド)2錠
2004/9/3 Fri. 晴れ
午前中胃カメラの検査である。これはゾンデ小腸の次に嫌い。のどの麻酔で早くもおぇっとなる。心底反射が強いようである。事前にお願いして肩に注射(恐らくセルシン?)を打ってもらい、どうにか無事に終わった。時間にして30分程度だが、注射のせいでボーっとなってしまい、病室に10時前に戻って14時くらいまでごんごん寝てしまった。
その後3度目のIVHチャレンジタイムとなる。来られたのがK先生ではなく別の研修医の女医先生だったので正直また不安が募る。今日は左から入れることになり、最初女医先生がやって途中からM先生に代わったが、やっと3日目にしてどうにか入った。レントゲンの確認結果もOKで、これで晴れてIVHチームの仲間入りである。ちなみに今の病室は6人中4人がCDでIVH中、1人がUCである。隣のUCのIさんはずーっとカーテンを足元まで閉めているのでほとんど口をきかない。当然その向こう隣と対角線の廊下側の人は死角になるのであまりしゃべれない。しゃべるのは正面のSさんと斜め前のMさんだけである。
昼ごんごん寝たせいか夜になっても眠くならず、RAS接続で読んだ会社の仕事のメールのことが気になりだして、2時ごろむくむくと起きだしてロビーで仕事のメールを書く。ちょっとのつもりが事細かに指示する内容になってしまい、結局寝たのは4時半になってしまった。
【本日の検査】
・上部消化管内視鏡(胃カメラ):数箇所に軽いびらんあり。
【本日の処置】
・左鎖骨部IVH挿入:3日目にしてやっと成功。
2004/9/4 Sat. 晴れ
4時半に寝付いてうとうとしたら、もう6時前から年寄りの洗面所騒音(うがいとそれに伴うおぇっと言う声やがやがやしたしゃべり声)で目が覚める。今回の病室の難点は洗面所の真正面であることである。今日は一日、中途半端だったパソコンの環境設定をしたり、たまっていたこの日記を書いたりして過ごした。家内と義弟がお見舞いに来てくれた。休日も組合の行事だなんだで忙しいのに、わざわざこんな遠くまで来てくれてありがとう。昨日から便が出ていないのでおなかが張って苦しい。温パックをもらっておなかを暖めたり腹筋をしたり化マグをもらったりしたが20時現在効き目なし。寝る前にプルゼニド(いつも造影の後にもらう赤い下剤)2錠を飲んで明日効果が出ると良いのだが。
20時過ぎに主治医のH先生がやって来て昨日の胃カメラの結果を説明してくれた。土曜日も夜遅くまでご苦労様です。胃に軽いびらんがある以外は取り立てて病変らしきものはないとのこと。併せて術前の問診(過去の病歴や家族の状況)と診察をされた。おなかの診察のときに「結構筋肉ついてますね。わぁすごいな。何かスポーツされてるんですか」と言われて、「腸の動きが活発になるように腹筋とあと水泳を」と答える。誰に見せるためでもなく自分のためにやっているが、こうやって人にほめられると正直にうれしい。H先生、ジムシーなんて言ってごめんね。
【本日の投薬】
・バリウム排出のため、酸化マグネシウム2包(昼・夜)、プルゼニド2錠(就寝時)
2004/9/5 Sun. 晴れ
6時前になんとなく目が覚めて、なんとなくおなかがごろごろするので、なんとなくトイレに行ってみたら、最初結構ガスが出てその後小さい塊2個と水様便が出た。色も白くないのでバリウムが出きったと考えてよいようである。すっかり目が覚めてしまったので、朝の散歩がてら点滴台を担いで5Fから1Fまで階段で下っていたら、前のほうに同じように点滴台を担いで下っていく人がいる。家内には「危ないからやめなさい」と普段言われているし、こんな変わった事するのは自分くらいかと思っていたら、同じ病室の向かいのベッドの佐藤さんだった。みんな体力づくりにがんばっているんだなぁ。
天気はよく晴れて、元気だったら毎週通っている屋外の50メートルプールに行きたいところである。せめてもの慰めにベッド上で筋トレをした。その後暇に任せて、入院を機に持ち込んだ病気の情報誌バックナンバー1年分を読破した。
2004/9/6 Mon. 曇りのち雨
台風接近のため朝から怪しい雲行きの上に、11時ころ地震があった。
今日の検査自体はたいしたことはなく、会社のメールを読んで返事を書いたり、持ち込んだ日経の雑誌を読んだりして過ごした。ただ、夜になってマグコロールを飲んでからが大変である。まず既に一昨日の化マグとプルゼニドでかなりおなかはゆるゆるになっていたので、マグコロール(昔飲んだときは250mlだったのに今回は750mlしかもご丁寧にたっぷりの氷でオンザロック!!)を持ってこられた看護婦さんに、「既に下剤で下痢下痢なんですけど。。」と暗に量を調節するなど考慮してほしい気持ちを込めて相談したのだが、「検査のために腸をきれいにする必要があるので、30分で全部飲んでくださいね。」とあっさりかわされてしまった。結構紋切り型である。それでも心配そうにしていると、「心配だったらここにポータブルのトイレ持ってきましょうか?」と言われるが、個室ならともかく6人部屋で深夜では音も響くしにおいも強烈なのでお断りした。人間の尊厳にかかわる問題である。この時点ではまだ事態よりも自尊心のほうが勝っている。さらに処置や検査の間違え防止のために導入されたネームバンドを手首に巻く。先日行った城島後楽園遊園地の1日パスポートと同じ形状だが、趣はえらい違いである。
20:30にマグコロールを飲み終えると即トイレに直行である。病棟の男性用個室は2つしかなく、しかも洋式はひとつしかないので、篭城の長期戦覚悟で1階外来の一番奥のトイレに立てこもった。それからは長い戦いが続いた。何せ腸が詰まっているので一気には出てこず、ひとしきり出たかなと思って立ち上がると、次の詰まっていた分が少しずつ直腸に供給されてスタンバイ状態になるのである。立ったり座ったり腸を手でマッサージしたりして、3時間近く粘った。おなかが張って苦しい戦いの中役に立ったのは、意外にもたまたまポシェットに入れていたケータイである。内蔵の着メロ(特にクラシック)を聞きながら気を紛らわせてどうにか難局を乗り切った。このトイレはウォシュレットつきではないのだが、携帯ウォシュレットを持ってきていてよかった。オススメの一品である。
実はこのときとても感激した逸話をひとつ。2時間半を過ぎたくらいのときにトイレのドアが開く音がして、聞きなれたナースの世良さんの声で「川上さん?大丈夫ですか?」と呼ぶ声が。ベッドには「トイレに行きます」と書置きしていたのだが、何といつまでも帰ってこないので5F病棟だけでなくこんな遠くのトイレまで探しに来てくれたのである。コトが終わって5Fに戻りナースステーションにお礼を言いに行くと、「大丈夫?寝れそう?心配だったら紙おむつみたいのあるけど。。。」と、こちらの自尊心を傷つけないような聞き方で心配してくれたので、ありがたくいただくことにした。これで安心感がだいぶ違うので、その後は割と熟睡することができた。これぞ思いやりだと感謝の気持ちでいっぱい。
【本日の検査】
・起床時採血
・腹部レントゲン撮影
・心臓エコー
【本日の投薬】
・明日の大腸造影のため、13時と18時にガスモチン各1錠。夜マグコロールP:750ml。
2004/9/7 Tue. 台風18号による暴風雨
朝から嵐である。天気もおなかも。6時前におなかが張った感じで目が覚めてトイレに行くと、まだまだ大量に水様便が出た。1週間食べていないのでそんなにないはずだが、宿便が結構たまっているのだろうか。さらに極め付けに座薬2錠を自分で挿入するように手渡される。どれくらい我慢すればいいか言われなかったので、30分くらいして頃合かなと思った頃にまたまたトイレに行く。計6回、昨夜から通算すると6時間くらいトイレに座っていたことになる。生活時間の大半がトイレ中心で何のために生きているのかわからなくなる。入院中だからいいが、日常生活でこの状態だとかなりきつい。なんかだんだん情けなくなってくる。排泄は人間の理性とか自尊心とかの根本的なところに影響してくる。立ったり座ったりの繰り返しでスクワット筋?(正式には「大腿四頭筋」と言うらしい)もすっかりコリコリである。
最後に出たのをナースに見せないといけないのだが、もうほとんどでないのに許可が出ない。でもそうこうするうちに時間切れで11:30頃検査室からお呼びがかかった。検査室前では同じような検査着に着替えた若者が待っており、その横では豪雨の影響による雨漏りでメンテナンスの作業員が右往左往していた。結構世間は大変だなぁと実感。程なく検査に呼ばれ、検査台に横たわってお尻にチューブを入れられバルーンを膨らませて直腸内に固定される。この状態でバリウムと空気を流し込んで、上のほうまでいきわたるように横向きになったり仰向けになったりうつ伏せになったりを繰り返させられるのだが、つかまるところもほとんどなく硬い検査台の上で胸に点滴まで刺さっているので結構重労働であるのに、スケジュールが押しているせいか指示のペースが速い。せめて頭上から取っ手みたいなものでも下がっていればそれにつかまって回れるのにと、医療機器メーカーに改善提案をしたくなった。検査は30分程度で終わり、またまたバリウム排出のための下剤をもらって着替えてトイレに駆け込むが、出てくるのは空気ばっかりである。まぁ、そのうち出るでしょう。
雨がぱったりやんでいたので、この隙に売店に行って、以前から気になっていた「経口補水イオン飲料『OS-1』」というのを買ってみる。500mlのペットボトル入りのくせに200円もするので、さぞやご利益があるだろうと思ったのだが、味もあまりせずどこがどう違うのかよくわからなかった。まぁ下痢のせいで脱水症状なので、効くには効くだろうと自分に言い聞かせる。その後もバンバン水分を取り続けたおかげで、夜の就寝時までにはとりあえずバリウム便は出きったようである。どれくらい注入されたかがわからないので、どれくらい出た時点で終わりなのかがよくわからないが。
午後主治医がやってきて、大腸のほうはどこも異常はなく、いたって普通の状態であることと明日肺活量の検査があるところまで説明しているときにポケベルがなって、慌てて戻っていった。相変わらず研修医は忙しそうである。
【本日の検査】
・大腸透視:異常なし
【本日の投薬】
・検査前に便の出をよくするために座薬(テレミンソフト10mg)2T
・バリウム排出のため下剤(プルゼニド)2錠
【本日の処置】
・IVHライン交換(週2回)
2004/9/8 Wed. 晴れのち曇り
台風一過のいい天気である。トイレに行ってみたらガスが結構出ておなかもすっきり。こんな気持ちいい目覚めの日は、「あぁ世界ってなんてすばらしいんでしょう」と、赤毛のアンの気分になる。気分よく目覚めて天気もいいので、スパッツとスポーツシャツに着替えて点滴台を抱えて病院周りを散歩する。発売済みのコミックを買いたかったので、足を伸ばしてコンビにまで行ってみたがなかった。店員は慣れているようで、普通に「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」の対応だったが、コピーをしていた女子高生が点滴姿を見てぎょっとしていた。そらそうだわな。7時前だというのに通勤通学で駅に急ぐ人たちが駆け足で過ぎていくのを見ると、ちょっとだけこののんびりした生活も悪くないかなとの思いが頭をもたげる。しかし元気で日常生活を送るのが何よりであることは間違いない。最悪なのは病気の状態が悪いまま激務に追われることだが。。。
肺活量の検査も簡単に済んだので、外の売店脇のベンチに腰掛けて会社のメールを読んだり返事を書いたりし、12時近くになりIVHもなくなったので病棟に戻ったら、ナースから「あとで検温に来ていいですか?それともまたどこか出かけられますか」と聞かれた。探していたみたいである。申し訳ない。午後はおとなしく自分のベッドで会社のメールに返事を書いたりDVDを見たりしていたが、こういうおとなしくしているときに限って誰も来ない。パソコンのやりすぎか、右肩の痛みと手の痺れが出てきた。最近頻繁に出てくる。VDT障害かもしれない。
夜6時ごろ主治医がやってきて「カンファレンスで無事外科の許可が下りて手術が決まりました」とのこと。明日には外科へ転科して日程等は外科から指示があるそうである。
夜、家内を送って1階まで降り、しばらくだべって戻ると同室のMさんが外科の先生が3人来ておられたと教えてくれた。しまった。昼間はおとなしくベッドにいたのに。
【本日の検査】
・心肺機能:異常なし
2004/9/9 Thu. 晴れのち曇り時々雨
真っ暗な中で「ガラガラ、おうぇっ、ぺっ」と声が響くので「もう朝か、早いな」と思って時計を見たら、まだ3時だった。洗面所で誰かうがいをしているようである。もうすこし遠慮して常識的にやってほしい。根性で寝ようとしたが、右肩から首筋にかけて寝違えたように痛みも強いので、起きだして看護士さんにシップをもらってまた寝たが、中途半端な時間に起こされたせいか6時になってもなかなか頭がすっきりせず、スカッとおきれなかった。
しかし、そんな眠気を覚ますように看護士長が来られて、「13日の月曜に手術が決まりましたので明日外科へ転科していただきます」と告げられた。それから外科の先生が来られて自己紹介があり、明日16時から家族も含めた説明をするとのこと。慌てて家内と実家の母(来たがるので)に連絡する。一区切りついて安心したせいか、入浴後やたら眠くなり、おなかも張って苦しいので2時間ほど眠った。少しすっきりして丁度おきたときに、外来主治医のK先生が来られ「目論見どおりに進んでいますね。昨日、外科のカンファレンスに出したら(執刀医の)F先生覚えていらっしゃいましたよ。この病院歴代2番目にストレクチャープラスティを沢山した症例だったそうで。顔は覚えていなくても腸は覚えていらっしゃいます」とのこと。やっぱり継続して同じ病院に診てもらうと安心する。その後看護士さんが、例の手術前の呼吸訓練器具を持ってくる。懐かしい。またこれを使うことになるとは。。。いよいよ迫ってきたという実感が少しずつ増してくる。
午後は内科の回診だが、どうもおなかがごろごろして苦しい。何回かトイレに行っていたら、いよいよ回診の順番が回ってくる直前になって、黄土色の水様便がシャーっとでてだいぶすっきりした。ぎりぎりセーフである。
【本日の検査】
・パッチテスト(テープを4種類張って24時間経過を見、かぶれないかをテストする):異常なし
呼吸訓練器 パッチテスト
2004/9/10 Fri. 雨時々曇り
午前11時に外科に転科となった。荷物をまとめて台車に乗せて、看護婦さんに付き添ってもらって外科のある4Fへ降りる。廊下の一番端の部屋なので早朝の洗面所老人攻撃からか開放されたが、今度は洗濯機と乾燥機のまん前なので1日中低周波のモーター音が響いて神経に障る。新しい部屋でも幸いベッドは窓際であった。今回の部屋は平均年齢がかなり高そうである。唯一年下に見えた向かいのベッドの青年も、筆者と入れ替わりで5F内科へ上がっていった。
熊本の両親と家内がやってきて、外科の主治医からの説明を受ける。主治医は3人のチームで、ベテランらしいH先生と若手のN先生、K先生で、説明はH先生がしてくださった。まず内科での検査結果の所見として狭窄箇所が最低5箇所あることと、手術内容の説明として、基本的に狭窄形成術(ストレクチャープラスティ)で施術するが、術中に腸を全長にわたって確認し狭窄が連続していて形成術が難しい場合と、2cmのバルーンを通してみて通らないところは切除する可能性もあることが説明された。今回の狭窄部が、前回の施術時の縫合部分が再度狭窄したのか、あるいは前回バルーンで通して許容範囲だったので残してあった軽度の狭窄が進行したのかはあけてみないとわからないとのこと。ただし前回の形成術箇所でも柔軟性があれば再度形成術は可能とのことであった。また、手術時のリスクのインフォームドコンセントとして、腸の癒着を隔離する際の出血、縫合不全による術後の出血の可能性があり、これは腹部に挿入したドレーンからの分泌液の観察によって経過を見ていくが、止血剤等でも改善しない重度のものの場合は開腹再手術の可能性もあることが説明された。その後H先生による診察が行われたが、またしても「わぁ、腹筋がすごいですね。」と感心されてしまった。H先生からは前回手術後の経過などを聞かれ、「夜間EDなんかもまじめにされてたんでしょう?それでもなってしまうのがこの病気なんですよねぇ」と聞かれたので、力いっぱい「はい、まじめにやっていました」と答えた。再手術率は、5年後で30%、10年後で60%だそうである。何で自分がということはもう考えないことにしているが、やっぱり正直これで人生をだいぶ狂わされた思いは払拭できない。そこ代わりに得られないものを沢山得られたと思うのは気休めか偽善か。
2004/9/11 Sat. 晴れ
朝、のどがカラカラする感じで目が覚めた。何となく悪寒もする。やばい、早速風邪か!?とちょっとびくびく。朝から助教授回診で、前回執刀してくださったF助教授が回ってこられ、H先生が「おなかの触診では腸は柔らかくて癒着はなさそうなんですが、腹筋が発達しておられるのであまりよくわからなくて。。。」と説明され、実際F助教授が診察されるときも「わぁホントだ。すごいな」とまたまた感心されてしまった。今まで自己満足の世界だったが、客観的に見ても結構自慢できる腹筋のようでうれしい。
その後お風呂に入り十分温まったら寒気もとれ、眠くなったのでそのまま15時過ぎまで爆睡する。ふっと目を覚まして床頭台の横のテーブルを見るとなにやら袋が置いてある。何と以前職場でお世話になった財津さんがお見舞いに来てくださり、寝ていたのでそのまま起こさずに帰られたとのこと。申し訳ない!!
主治医のK先生が抗生剤のアレルギーテストに来られたので、術前の鼻からのマーゲンチューブの挿入は麻酔後にしてほしい旨を告げた。のどの反射が強いので、毎回これでゲロゲロしてしまうのである。
秋の深まりとともに朝晩はだいぶ過ごしやすくなって肌寒いくらいのこともあるが、困ったことに同室の御厨氏は冷房好きである。夜9時を回って消灯が近くなった頃「冷房入れますね〜」と言って冷房を入れられてしまった。十分涼しいのに。しかも食事をしていない身としてはカロリー不足で体温が上がらず寒さがこたえる。布団とバスタオルとガウンをかぶって、「消灯過ぎたら自動的に切れるだろう」としばらく我慢していたが12時を回っても一向に切れない。どうも今朝ののどのイガイガはこの冷房のせいだったようである。うげ、毎晩これが続くのかよ。我慢しかねてトイレに起きたふりをしてこっそり廊下側の壁にある冷房のスイッチを切ったが、30分と経たない内に、また御厨氏が起きてスイッチを入れやがった。スイッチは彼のベッドの脇にあるのが最大の不幸である。仕方ないのでベッドの上に立って自分の上の天井の送風口のフラップを懸命にアサッテの方向に向けてみたところ、直接吹き降ろしてくる風はだいぶ軽減されたが、やっぱり部屋全体の寒さは変わらない。ほかの人は平気なんだろうか。昼間、御厨の向かいのベッドの人は「私は足先が冷えるので、こうして毛布をかけてるんですよ」と訴えていたが。思い悩んだ挙句手術を控えた大事な体なので、ここはわがままを通させてもらってもう一度こっそりスイッチを切りに行き、しばらく様子を見ていたが今度は既に寝入ったあとだったのか再度スイッチを入れる様子もない。ようやくちょっと安心して眠ることができた。大部屋の団体生活は疲れる。
【本日の検査】
・抗生剤のアレルギーテスト(皮下に抗生剤を注射して15分後に反応を見る):異常なし
2004/9/12 Sun. 晴れ
朝、御厨氏が看護士さんに「寝汗をかいた」と言っていた。やばい。この様子だと今夜もクーラーを入れて寝そうである。その割にはしっかり毛布をかぶって寝ているので、代わりにバスタオルをかけるなどして調整すればいいのに。今夜もクーラー攻めになって大事な手術前に風邪でも引いたら大変なので、夜の巡回のときに看護士さんに「夜寝るとき寒いんです」と訴えると、「冷房切りましょうか」と言われるので、「実は切るんだけどあっちのかたがすぐ入れるんで布団を頂けないでしょうか」と囁いた。するとしっかり聞き耳を立てていたらしく「冷房やろ?切ろうか?私はこの毛布をかぶっとけば丁度よかばってん、夜中に私も蒸し暑いけん切ったり入れたりしよるんよ。自由に切ってもらってよかけん」と言われた。じゃぁずっと起きてていちいちあんたに付き合ってきりに来いってのか?大体TVやいろんな記事でも夜中の冷房入れっぱなしは体によくない、入眠時のみタイマーで使うようにって言ってるじゃないか。仕方ないので再度看護士さんに布団をお願いしたところほどなく持ってきてくれた。これで頑張るしかないか。あとは、のどを痛めないようにタオルを巻いて寝よう。
さて、手術の前処置であるが、当然今夜は下剤のニフレック2リットル攻撃と明日朝からの浣腸を覚悟していたのだが、何にもなしとのこと。わが耳を疑って再度確認してもらったがやっぱり浣腸すらないとのこと。ひどく拍子抜けしてしまった。この3日ほど便秘でぜんぜん出てないのだが、「どうせニフレックで一気に出すから」と油断していたのだが、何にもないとちょっと不安である。
下痢の心配もないので安らかな気持ちでF1イタリアグランプリをみて寝ようとしていたら、またしても御厨氏が冷房を入れやがった。暫く様子を見て寝静まった頃に消しに行こう。
【本日の処置】
・剃毛
【本日の投薬】
・ニフレック(下剤)を予想していたがなかった。拍子抜け。
2004/9/13 Mon. 晴天
新しく生まれ変わるにふさわしい雲一つない晴天である。 浣腸もなし、これがウレシイ。落ち着いて手術を待てる。2例目ということで、時間に余裕があるので朝いつものように起きて病院周辺を散歩する。裏の川にサギ?がいたが、これは5年前に見たやつ本人だろうかそれとも子孫だろうか?
白鷺?
手術着
程なく家内と義母及び両親がやってきたので、前回同様ベロクロで張り合わせるだけの手術着に着替えてじっと時を待つ。違うのはトイレに何度も行かずにすむので落ち着いて待てることと、血栓防止用のストッキングをはいていることである。左手の甲から末梢点滴を刺されるが、これが針がぶっとくてイタイイタイ。血管より太いかも。万一のときに輸血などもこのラインからするために太い針なのだそうだ。今回も前回に近い10:50にオペ室からお呼びがかかり、ストレッチャーに乗ってみんなに見送られてオペ室へ向かう。1度経験済みなので自分としては落ち着いているつもりだったが、前室に入っていろんな人と自己紹介(麻酔科の誰それです等)やら名前の確認やらをしていると、緊張が高まり「あぁもう引き返せない」という不安が増してくる。
手術室は全部で5部屋あるようだ
「手術室2」と書いた部屋に送り込まれ手術台の上に乗せかえられる。手術室ではサザンの曲がかかっていた。これで少しリラックスしたが、できれば患者のリクエストを聞いてほしいな。しかし後で家内に聞いたところによると、手術室で流す曲は執刀医の趣味で決めるらしい。す、するとサザンの次に流れ出したモー娘。は一体誰の?しかしそのときはそれどころではなく、背骨の脊椎のところに刺す硬膜外麻酔がなかなか入らないで苦労しているようなので、ひどくチクチクして痛い。本当は局部麻酔をしているので、痛いのは最初の麻酔の注射だけであとは感じないはずなのだが、メンタル的にやっぱり脊椎をいじられるというのは、「気持ち」で痛いと感じてしまうようである。そうこうしているうちにようやく入り、仰向けになって麻酔の効き具合を確認するために下腹やみぞおちや太ももに冷たいアルコール綿を当てて感触を聞かれる。「感じる」「感じない」のやり取りで硬膜外麻酔の注入量を調節し、無事準備が整った時点で今度は左手甲の末梢から全身麻酔の液を入れるとのこと。あれ?前回と違うぞ。前回はガスをかいで数を数えたんだったが。一気に入れるので冷えと内圧で血管痛がひどい。いたたたと言っているうちに意識を失ってしまった。
次に気付いたときはICUでお決まりのチュ−ブだらけ状態だった。後で聞いたところによると、手術中に血圧が上がってきたので麻酔を追加投与したとのことで、麻酔の効き過ぎで足が麻痺している。両「脚」ともまっすぐに伸びてはいるのだが、左の「足」首から先は天井を向いているのに、右「足」首は横に倒れているので腰に負担がかかって痛い。自分で動かしたいのだが足が麻痺していて動かすどころか感覚もない。「足をまっすぐにして」と懇願すると「まっすぐになっているよ」と答えが返ってきて、朦朧とした頭では上記の状況を説明できず「足が足が」としきりにうわごとを言っていたそうな。また、ICUではその日の夕方にはもう「上(の病棟)に戻りましょうね」と言われて、「寒いので元の部屋には戻りたくない」とか言っていたらしい。事情を知っている家内が看護婦さんに説明して色々お願いしてくれたそうだ。実はこのとき、寒いので電気毛布を借りてもくれたらしい。本当にありがとう。そんなわけでもないだろうが、ナースステーションのまん前にある重篤な患者をケアする402号室でその日は一夜を過ごした。熱があるのでお尻から座薬を入れられたような気がするが、朦朧としていたので定かではない。もう本当にされるがままである。
【本日の処置】
・手術:狭窄部の小腸30cm程度を切除
【本日の投薬】
・座薬:解熱
2004/9/14 Tue. 晴れ
朦朧と目が覚める。気分はそれほど悪くない。傷もそれほど痛まないし、鼻のマーゲンチューブも前回ほど吐き気を催さない。5年間継続した夜間EDで鼻の粘膜が鍛えられたのか?、うとうとしていると左の肩の下がひんやりする。何か液体がこぼれているようである。どうしようか暫く悩んだが、どんどん広がって後で着替えやシーツ換えで痛い思いをするのは自分なので、ナースコールを押して窮状を訴えた。看護士さんがやってきて確認した話を漏れ聞くと、どうやらマーゲンチューブの接続が外れて胃の内容物(と言っても血の混じった胃液だけだが)が漏れていたらしい。看護士さん2人は手早くシーツを代えてくれたが、ICUから借りた電気毛布を汚してしまい「どうしよう?とにかくあとで謝りに行こう」と困っていた。その後Dr.(朦朧としていたので誰なのかはよくわからなかった)がやってきて、あっけなく酸素マスクがとれ、鼻からのマーゲンチューブが抜かれ、尿道カテーテルも抜かれた。つまり自分の足でトイレに行けということである。前回マーゲンチューブに4日も苦しめられたのでかなり覚悟していたのだが、こんなに早く抜いてもらえるのはうれしい。でも例によってしっかり「吐き気が出たらすぐ教えてくださいね」と釘を刺されたが。
そんなこんなで身軽になった状態で、もとの408号室に戻ってきたのですかさず毛布をもう一枚もらう。3回ほど自分の足で歩いてトイレまで行ったが、この状態で蓄尿を命じられているのは辛い。でも妻がトイレの中までついてきて尿器をあてがってくれ、蓄尿器への投入までやってくれた。本当に献身的に看病してくれるので助かるしうれしい。感謝の気持ちでいっぱい。
熱が8度4分あるので再度座薬を入れられるが、このおかげか夜になって熱も7度強まで下がった。その間、先生が代わる代わる来て状況を説明してくださった。これくらいは手術の反射熱で当たり前とのこと。夜になって左手甲の末梢点滴も抜かれた。今回は「解放」のペースが驚くほど早い。(参考までに前回との比較をしてみた:末尾参照)
【本日の処置】
・マーゲンチューブ抜去
・尿道カテーテル抜去
・末梢点滴抜去
【本日の投薬】
・座薬:解熱
2004/9/15. Wed 晴れ
とにかくひたすらトイレに起きて歩く練習。あとはひたすら寝る。意識がぼんやりして集中力がなく、何もする気がしない。TVをちょっと見ても疲れる。隣と向かいのベッドの患者さんが手術で別室に行かれたので、自分の向かいにあるベッド上の送風口を確かめると、フラップがすべてこちら向きに斜めにセットされていた。このせいで冷気が壁づたいにカーテンの間からすべてこちらに吹き付けるようになっていたのだ。道理で自分だけ寒いわけだ。深夜にベッドに上ってフラップの向きを変えた。
2004/9/16 Thu. 曇り時々雨
水を少し飲んでもいいと許可が出た。まずは300ccから。家内が早速冷茶を持ってきてくれていたので、間隔を開けて2口ほど口に含んで転がしてからゆっくり飲む。水が入って腸が刺激されたせいか、夜寝る前に待望のガスが出た。
冷房の件は相変わらずである。もうすっかり9月も中旬を過ぎて涼しいというのに、相変わらず冷房を入れて寝たがる。寝静まった頃にもう2つある送風口をチェックすると、こちらも2つとも筆者の方を向いていた。つまり4つの送風口すべてが筆者のほうを向いていたので、自分だけやたら寒かったのである。陰謀かと疑ってしまうくらい良くできた話である。すかさず2つとも反対を向けたがそれでも部屋全体がキンキンに冷えて寒いのでこっそりスイッチを切って寝た。
【本日の処置】
・水分経口摂取開始
2004/9/17 Fri. 雨
朝のベッド掃除の時に看護助手さんが「もうシーツ1枚でいいでしょ」と取り上げられそうになったので、頑強に「いいえ、夜寒いのでまだ2枚ください」と抵抗していたら、御厨氏が「あら寒いね。俺は寒いくらいにせんと寝れんけん夕べも入れて寝たけど、切ってくれて言うてよかばい」と言われた。そうは言っても、入れる時点で寒いのですぐ切ってくれと言うわけにも行かないし。と思っていたら、それからしばらくして午前中の昼寝をしていた同室のK爺さんも看護士さんにクーラー入れてくれと言っていた。今日は雨混じりの肌寒いくらいの日なのに。この人たちが変なのか、筆者の家族が変なのか。少なくとも筆者の妻と両親は部屋に来る度に寒い寒いと言っているが。
今日の進展は、背中の硬膜外麻酔のチューブが抜けた。このチューブの先に、痛み止めの入ったでっかい注射器のようなものがついていて、ばね仕掛けで少しずつ注入されるようになっているのだ。抜去した後でも特にひどい痛みは出なかった。傷口よりもむしろドレーンのところが痛い。足の付け根に近いところなので、歩く度に動いて刺激されるのだ。
夜のニュースで「プロ野球が70年の歴史で初めてスト」と言っていた。改革のために権利を行使して戦うのはよいことだと思うが、街頭インタビューで「週末の予定が立たない」とか「TVで野球がないと観るものがないので仕方ないからサッカーでも見ようかな」といっている人が多いことにびっくり。この人たちは野球中心の生活をしているのか?空き時間ができたら読書でも映画でも家族サービスでもやることは一杯あるだろうに。
【本日の処置】
・硬膜外麻酔抜去
硬膜外麻酔の注入器
2004/9/18 Sat. 雨時々曇り
朝の助教授回診のときに、F助教授がいきなり「よしドレーンを抜こう」と言われた。まだ黄色い液が出ていて心配だったので「まだこんな風に液が出てるんですけど大丈夫でしょうか?」と聞いてみたら「これは腹水で、(ドレーンを)入れていれば入れているだけ出てくるんだよ。大丈夫」と説明され納得。K先生とN先生の手によってあっさり抜かれた。抜いた直後は腹帯に染みるくらい傷口から液が漏れていたが、一回付け替えをしたらその後のガーゼにはほとんどつかないくらいに傷口もふさがっていっているようである。
また、点滴も手術直後からずっと使われていた水分補給をメインにした「ヴィーンD」から、本来の高カロリー輸液「フルカリック1号」に戻った。(末尾の点滴変遷参照)
【本日の処置】
・ドレーン抜去![]()
向かって左側の右脇腹に刺さっているのが「ドレーン」 ドレーンを流れる液体
2004/9/19 Sun. 晴れ時々曇り
夜中の3時くらいにおなかがごろごろする感じがあって苦しくて目が覚めた。右に左に寝返りを打っているとガスが何回か出て少しは楽になったのでそのまま寝たが、6時に起床するとどうも本体が来そうな雰囲気だったのでトイレに行ってみると、待望の便が出た。えらい硬くて裂けぢになるんじゃないかと思いながら出したのをよくみると、やけに白っぽい薄い黄土色をしている。もしかしてこれは9/9の大腸造影の名残のバリウム便か? その後若干粘液便も出たが、おかげでやたらとのどが渇く。
今日も朝からガーゼの付け替えの回診でF助教授とN先生とK先生が来られたのにはびっくり。お医者さんには本当に休みがない。F助教授は筆者の傷口を確認して「よし、もう大分ふさがってきてるな。昨日ドレーンを抜いたけど熱は出らんかったね?場合によっては抜くと同時に8度くらい出ることがあるからね」と聞かれたが、特に熱も出なかったことを答えると「よしそろそろ内科へ転科の話をしておこうかな」と言われた。え?この前来たばかりなのにもう帰されるのか。こう移動が多いと落ち着かない。
2004/9/20 Mon. 晴れ
世間は敬老の日で休日なのだが入院中の身には関係ない。せっかくの祝日もありがたみがない。でも医者の世界も祝日とは無縁のようで、しっかり回診がありH先生の手によって半分だけ抜糸が行われた。最近は傷口を糸ではなくぶっといステープラーみたいなもので留めているので正確には「抜鈎(ばっこう)」と言うのだそうである。残り半分は1日置いた水曜日に抜鈎(ばっこう)するとのこと。
熊本から両親がやってきた。
【本日の処置】
・簡抜鈎(ばっこう)(5針)
2004/9/21 Tue. 雨
家内が会社の上司に挨拶に行ってくれた。「仕事のことは何も考えずゆっくり体を直してください」との伝言を頂き、大変ありがたい。
数日間空いていた6人部屋の真ん中2つのベッドに、別のフロアから手術予定の患者さんが転科してこられた。1人は以前内科で同室だったSさんで明日手術だそうである。ところが再開の喜びもつかの間、看護士長が来られて「明日内科へ転科していただきます」とのこと。Sさんとは入れ違いになってしまった。Sさんは元の部屋で窓際のベッドだったので、できればSさんとトレードの形で行きたかったのだが、1日タイムラグが出ると窓際は誰かに取られてしまう可能性大だな。
今夜が最後なので主治医のN先生とK先生が来られたときにお礼をいい、自分の摘出した小腸の写真を要求してコピーをいただいた。
2004/9/22 Wed. 曇り時々雨
夜中におなかにガスがたまって張って苦しくてたまらないので、腹帯をはずしズボンもパンツも脱いでスッポンポンでいたらそのまま眠ってしまい、点滴をチェックに来た看護婦さんの気配で目が覚めた。やばい!!、あられもない姿を見られてしまったかも(~_~;)。トイレに行ってみたがさっぱりガスも出ない。ただ、トイレでいつものように測尿用の尿瓶を手に取ろうと寝ぼけ眼で探していたら、My尿瓶に「もう測尿しなくていいです」とメモが張ってあったのはうれしかった。その後もおなかが張って苦しく、あまり熟睡できないまま明け方になり、今日は同室から3名の手術者があるので5時半くらいから前処置やら何やらで騒がしくなって完全に目が覚めてしまった。仕方ないので病院の周りを散歩しているうちに、だいぶガスが出て一時的には楽になったが、戻ってベッドでじっとしているとまたガスがたまって苦しい。朝の回診のときに主治医にその旨を告げたが、もう転科して出て行く患者にはあまり構ってもらえそうにない。とりあえず残りの抜鈎(ばっこう)をしてもらうが、N先生の判断で下の2本だけを取り、上3本はまだ残しておくことになった。
内科へ移るのはベッドのやりくりの関係で14時過ぎになるとのこと。昨日大量の入院患者(後で聞いたところによると7名だったそうだ)があり、ベッドの調整で難儀しているらしい。ということはやっぱり真ん中か?まぁ、これまで窓際だったから仕方ないか。14時ちょい前にH先生が来られたので「おなかが張って苦しいんです」と訴えたところ、念のためレントゲンを撮ってから内科へ行くことになった。レントゲンを撮り終え内科のフロアへ行くと、部屋は元いた505号室だそうだ。やれやれ、またあの早朝うがい攻撃につき合わされるのかと思いつつ部屋の入り口まで行くと、真ん中と廊下側のベッドが空いている。一瞬「やった!」と思ったが廊下側のベッドは上がってて、真ん中のベッドは「いつでもどうぞ」と言わんばかりに下げてある。つまり真ん中と言うことか。引率の看護婦さんに「できれば端がいい、端がいい」とお願いしたら、ナースステーションに確認してくれ、「どちらでもいい」とのことだったのでしっかり廊下側のベッドに陣取らせていただいた。このベッドにはついさっきまで誰かがいたのだが、急遽別の部屋に移ったとのことで、そのままだったら本来真ん中のベッドになるはずだったのがタナボタで廊下側になれたということらしい。洗面所に一番近いポジションになるが、まぁ広さは一番だし真ん中よりは遥かにましなので贅沢は言うまい。実はあとでずっと悩まされるのだが、トイレの匂いが結構漂ってくるのが困りものである。
Sさんに習って部屋の先輩一人一人にこちらから頭を下げて自己紹介した後、ベッドに落ち着いて荷物の収納なんぞをやっていると、なじみの看護士さんが「お帰りなさい」「元気そうね」「早く戻れてよかったね」等と声をかけてくれるのがうれしい。
夜になって外科のH先生と内科のH先生が立て続けに来られ、レントゲン写真を見せられて「腹腔内にガスが溜まっている。恐らく腸管内のガスが縫い目からもれて溜まったものだろうが、放っておけば消えるので特に問題ない」とのことだった。暫く様子を見てみようということになったのだが、それから暫くして看護士さんが下剤(プルゼニド)を持って来られた。正直、縫ったばかりの腸に下剤で負荷をかけるのはどうかな?と素人ながら不安になったので、持ち込んだCD-ROM版の医学辞典で調べたところ「投与に注意が必要な人:腹部手術後」とあったので自主的に飲まないでおくことにした。その後再度内科のH先生がおなかの診察に来られ「それほど張った感じはないので様子を見ましょう」とのことだったので、「下剤は先生の指示ではないんですか?飲むのは不安なんですけど」と聞くと「飲まなくてもいいでしょう」との答えだったので、そのまま引き出しにしまって寝た。
【本日の検査】
・腹部レントゲン写真:腹腔内にガスが溜まっているが特に問題なし
【本日の処置】
・簡抜鈎(ばっこう)(2針)
【本日の投薬】プルゼニド2錠(飲まなかった)
2004/9/23 Thu. 曇りのち雨
洗面所前なので早朝の騒音防止のために耳栓をして寝たらすっかり寝倒してしまい、起きたのは8時半であった。眠い。9時頃外科のH先生が来られ残りの3針を全て抜鈎(ばっこう)された。その際「同じところ(正中線)を何回も切っているので皮膚が硬くなっていて傷の直りが悪い」と指摘されたので、用心のために暫くは腹帯をしておくことにした。
眠くてあまり難しい本を読む気もしないので、先日Zさんからお見舞いにいただいたクロスワードパズルの本に取り掛かると、これが結構すいすい解けるのですっかりはかどり眠気も大分緩和された。その後会社のメールを読んだりWBTをしたりしているとナースステーションから連絡があり、以前職場で一緒で今は東京に勉強に行っているSくんから電話とのこと。驚きながら電話口に出てみると、休みで帰省したところ入院のことを聞きつけわざわざお見舞いに来てくれるとのこと。ありがたいことである。その後風呂に入り、眠くなったのでベッドで2時間ばかりまどろんでいると人の気配で目が覚め、Sくんご夫妻が立っていた。危なくまた寝過ごすところであった。奥様の見立てによるお見舞いの花を頂き、1Fのロビーに下りて近況を語り合う。
さて、点滴交換のときに看護士の世良さんが気付いてくれたのだが、筆者の点滴は「フルカリック1号」が1日2本である。しかし1本あたりのカロリーが560Kcalしかないため、これでは成人男性の必要量の半分程度しか取れない。体はだるいしどんどん痩せるし術後だからかと思っていたが、カロリーが足りないのでは道理でだるいわけだ。世良さんの計らいで早速今夜からカロリーアップしてもらうことになった。
【本日の処置】
・全抜鈎(ばっこう)(3針)
2004/9/24 Fri. 曇り
午前中に天草の妹がご主人と一緒に見舞いに来てくれた。1歳未満の甥の面倒を見るという口実で両親も一緒である。月曜に来たばかりなのに。。。甥がいるので長話をするわけにもいかず、30分くらいで帰っていった。本当は甥を実家に預けて、夫婦水入らずでゆっくりドライブしたかっただろうに。ご主人の実家からもお見舞いを頂き恐縮してしまった。
その後、今度は夕方に職場の上司と部下がお見舞いに来てくださった。職場もなかなか大変そうであるが、「仕事のことは考えず、いい機会だと思ってゆっくり養生してください」とのありがたい言葉をいただいた。豪華な花かごを頂き、これまた恐縮。
昨夜カロリーアップしてもらったはずの点滴だが、朝の交換でまた1号に戻ってしまったので、再度看護士さんに訴えて主治医に確認していただき、今夜からやっと2号&2号で行くことになった。
2004/9/25 Sat. 晴れ
ハレノキュウジツハキライ
ココロガハバタキタガルカラ
アメノヘイジツハスキ
トクニツウキンジカンタイ
ヌレテシゴトニイクユウウツガナイカラ秋晴れのいい天気である。元気だったらどこかへ出かけたい。午前中少しだけ駐車場に出て日光浴をしたが、休日なのでお見舞い客が来られてベッドにいないとまずいので、あまりうろうろもできない。かといって体がだるくて何もする気が起きない。カロリー不足のせいだろうか。ベッドで何をするでもなくボーっと来るでもない人を待って、とろとろとまどろんでいるうちに1日が終わってしまった。何かむなしい。
2004/9/26 Sun. 曇り時々晴れ
1週間便通がないため、昼過ぎに看護士さんが下剤(プルゼニド*2錠)を持ってきた。おなかを切ったばかりで腸に刺激を与えるのが心配という話と、前回主治医に確認したら「飲まなくていい」という話だったということを言ったら、再度主治医に確認してくれた結果、結局飲んでくださいとのことだった。しかたなく「えいやっ」という気持ちで飲む。3時間後ぐらいにおなかがぐるぐる言い出し「渋り腹」っぽい感じが来たのでトイレに行ったら出た。最初は水様便ぽいのがちょろちょろっと出たが、おなかは張っているのに力むと傷が痛むので苦しんでいたら、大分たって今度は大物の気配がし、痛みにかまわず思い切って力んだら塊が出た。くらくらした。傷が痛むのであまり力を入れられず、その後も力を加減しながら粘っていたら、ちょろちょろと水様便と泥状便が出た。結局夜までに計3回トイレに行って結構出たと言う感じ。おなかがすいた。
夜はF1中国グランプリである。トイレから戻ってきたとき丁度23時くらいだったので、それからパソコンなどをいじって23時50分からTV観戦した。シューマッハが最後尾ピットスタートだったり珍しくスピンしたり、オーバーテイクがあったりと結構波乱の展開だったが、ボリュームを絞っているせいもあってどうしても途中何回かうとうとしてしまい、ファイナルラップのところでも、うっかり眠ってしまって次に気付いたときは終わっていた。
【本日の投薬】プルゼニド:2錠
2004/9/27 Mon. 曇り
昨日夜更かししたせいか、目が覚めたのは9時だった。洗面所の騒音もなんのそのである。長らく空席だった隣のベッドにWさんという人が入院してきた。土曜日に緊急入院して今日までICUにいたそうである。人当たりがよくおしゃべり好きそうで、早速色々話した。ある意味気さくでいいがこちらがきつくてしゃべりたくないときはちょっと困るかも。
入れ替わりに反対サイドの真ん中のベッドにいたクーラー入れたがりのKさんが退院した。これで少しは寒さも軽減されるかも。
2004/9/28 Tue. 曇り時々雨
昨日隣に来たWさんはなかなかやってくれる。何かあるたびに「ん?ん?」を連発し、一つ一つ細かく確認してくる。「このカーテンは僕のかね?」「このカーテン閉めるとあんたのところは暗くなるね?」(いえ枕元に電気があるから大丈夫です)「すると消灯後はこれをつけとけばいつまでもいいわけね」(いつまでもつけられてても困るんですけど)「この病院は外食は取れるの?」(取れるわけねーだろ)「僕はまだお風呂禁止だけどお風呂はどうなってるの?」(各部屋順番に回ってきて2〜3人ずつ一緒に入ります)「一緒にね。混浴だね?」(-_-;)てな感じ。
Kさんが退院したので、もうクーラーに悩まされることもないと思っていたら、実は筆者の対面のJさんも結構クーラー好きのようである。隣のWさんと二人で寒い寒いと午前中は震えていたが、Wさんが看護婦さんに言ってクーラーを切ってもらった。そうこうしているうちにKさんの退院で空いたベッドに早速Nさんという人が入院してきた。一人一人ベッドの前まで行って挨拶して感じがいい。筆者と同病だそうで、この病気の当地での友の会立ち上げに関わっているそうである。
夜主治医が来て今朝の血液検査の結果を教えてくれた。炎症反応を示すCRPは0.2と正常(この5年間で初めて!!)で、やっぱり食事をしないのが一番の治療であることが痛感させられる。その他、血小板が多い・貧血、GPT・γ-GTが高い等の異常値があるが、これらはいずれも手術の影響(肝機能のほうは手術時の薬剤投与のせい)だろうということであり、経過を見ていけば落ち着くことだろうとのことであった。ただし、血糖がちょっと高めに出ていたので、本来点滴はフルカリック3号+3号で行くつもりだったが、3号+2号で行くことにしたそうである。また、術後3週間たった頃からEDを始める予定だそうである。夜は家内の薦めに従い、ドラマ「アットホームダッド」(阿部寛主演)を見て寝た。
2004/9/29 Wed. 台風21号による暴風雨のち曇り
明け方からまたおなかが張って痛くて苦しい。歩き回れば少しはガスが出て楽になるのかもしれないが、そんな元気もなく10時の検温までごんごん寝る。その後起きて動いていたら多少楽になったが、なんだかいつまでもシクシク痛い。外は台風の暴風雨で出歩けないし元気もないので、本を読んだり音楽を聴いたりしてだらだらと過ごしていたが、あまりにも生産性が低いので思い立って折り紙をはじめた。もともと家族が手術のときに持ってきて千羽鶴を折るのに使った千代紙を置いていったので、インターネットから折り方をDLしてチャレンジしてみた。オススメのサイトはここ。シンプルでわかりやすく気軽に折れる。一気に折った作品群は下の写真のとおり。
折り紙作品集
2004/9/30 Thu. 晴れ
台風一過の快晴のいい天気である。隣のWじいさんは今日も飛ばしている。窓際の青年Kくんが退院するということで主治医(F女医)に言って摘出した臓器の写真を見せてもらっていたが、Wさんも興味深々で覗き込みながらどんどん近づいていき、とうとうメガネまで取り出して隣のベッドまで行き、患者本人と主治医と3人で頭を並べるようにして写真を覗き込んでいた。おい!失礼だろ!!(~_~)。その後退院の準備をしていたKくんに「女医さんと友達だったの?ずいぶん親しげだったじゃない。」「いえ、いつもあんな感じですけど。年も近いし。」会話がかみ合わない(^_^;)。いくら年の近い研修医とはいえ自分の命を預けている医者とため口でしゃべるほうもどうかと思うが、それをまたいちいち取り立てて言うほうも言うほうである。まぁ、年が半世紀も離れているのでジェネレーションギャップが大きいのも仕方ないが、筆者は筆者でどっちにも否定的立場である。そもそも看護士さんを女中さんか何かと勘違いして気軽にナースコールを押したり馴れ馴れしくしゃべる輩が多すぎる。もっと「病気でできない部分を助けてもらったり医療行為をしてもらっている」という感謝の気持ちと節度を持って接するべきだ。
その後今度はWさんの主治医が来てうれしそうに検査結果がよかったという話をしていたが、本人はそんなことはそっちのけで、「今日隣が退院するので隣に移らせてくれ。このベッドだと治りが遅いが、窓際なら治りが早くなる」などと言っている。オイオイ、まだ本人がいるんだし、そもそも言う相手が違うだろ。そういうことは士長さんに言わなければ。主治医は困ったように「僕には権限がないから伝えときます」と言っていたが、その後W氏はKくんが退院した後のベッドにちゃっかり我が物顔で座ってお茶を飲んだりお菓子を食べたりしていた。まだシーツも代えてないのに。それから暫くしてW氏はKくんが退院したあとのベッドを片付けに来た看護助手さんに「そっちに移る。もう言ってある。詰所に伝わっているかどうかは知らないが。」と、勝手に既成事実にしてしまった。ううむ、恐るべし。まぁ、結構独り言が多くてうるさいし、夜中に何度も枕もとの電気をつけたり消したりするし、トイレに起きて間違えてこっちのベッドに入ろうとするしで、隣にいると何かと迷惑なのでこれで少しは助かるだろうからよしとしよう。
夜は夜で就寝前の巡回の看護士さんにくどくどくどくどと「僕の病気は何だろうか?」とか「部屋の温度調整は個人個人ではできないのか」とか話をしてなかなか看護士さんを開放しない。筆者は、次に回ってくるからとお休み前の歯磨きやトイレにも行けずにずっとベッドで待っていたが、いつまでも話が終わらず、かといって巡回に来ているのでいなくなるわけにも行かずすっかり待ちくたびれてしまった。
さて、朝の巡回のときに3ヶ月前から右手親指の痺れがあるので整形外科を受診したい旨を言ってあったのだが、主治医にはまだ伝わっていないようで何も話はなかった。情報伝達が遅いのか主治医が忘れているのか。時を同じくしてWじいさんも眼科受診を希望していたらしく、こちらは夜の巡回のときに明日眼科から呼び出しがありますとしっかり手配済みらしいことも癪の種の一つである。
家内が食事ができないせめてもの慰めにと、各種フレーバーティーを持ってきてくれた。感謝感謝。
2004/10/1 Fri. 晴れ
今日のWじいさん報告。この病棟のS看護士長さんは、時間が許す限り毎朝マメに各部屋を回って患者一人一人と話をしてくださるので非常にありがたいのだが、今日来られたときにもくどくどと色々と言っていた。薬の話で「化マグを出してもらっているが便の回数が少ない」ということを言っていたので、士長さんは「え?下剤出てましたっけ。確認してきますね」とナースステーションにわざわざカルテを確認に行かれた。筆者も栄養相談の日程のことで相談があったので話をする順番を待っていたのだが、相変わらず今日も待ち長くなりそうだ。程なく戻ってきて「出てないみたいですよ」と言われると「うん。今は出てない。前の病院で出ていたのが家にある」とほざくではないか!!そんなの確認に行く前に言えよ!わざわざカルテをめくりにいかれたのに!!その後来られた看護士さんには「今のは女医さん?違うの?え、婦長さん?さすがにしっかりしとる。婦長回診は毎日あるの?あ、本人の気の向くままにあるのね」とボケをかますし。いきなり朝から唖然としてしまった。
さて、また日曜日から5日便が出ていないということで、朝からプルゼニドを渡されてしまった。何も食べていないし、力むとおなかの傷が痛むし出なきゃ出ないでもいいのだが。前回2錠で効き過ぎだったので今回は1錠に勘弁してもらう。9時頃飲んで水分を多めに取ったりあちこち散歩したりして運動したりしていたら14時頃にやっと泥状便が出た。15時までに出なければもう1錠追加といわれていたのでほっとした。
【本日の投薬】下剤(ブルゼニド)*1錠:5時間後効果あり
2004/10/2 Sat. 晴れ
秋晴れのいい天気である。外に出て日光浴を楽しみたいところだが、休日で見舞い客が来られて不在だとまずいので、じっとベッドで勉強や読書をして過ごす。動かないとガスが溜まっておなかが苦しくなるので、時々院内を歩いたり点滴台を担いで階段を上り下りする程度にとどめた。
午後主治医が来られて、「月曜日からEDを始める。1パックから初めて1日1パックずつ増やしていく」と言われたので、前回手術時の計画表を示し、それではペースが速すぎるという話と、ED開始前の経口小腸造影はしないのかと言う質問をしたら、造影はしなくてよい(あとで看護士さんに聞くと最近は造影なしでEDを始めるそうだ)ということと、ペース表は参考にして計画を立ててみると持ち帰られてしまった。また、先日からお願いしていた整形外科受診の件は、やっと主治医から指示が出され月曜日受診となった。
Wじいさんの移動によって空いた隣のベッドに、23歳のT青年が入院してきた。駄菓子屋にあるような飴の詰まった大きなガラス瓶やPS2等を持ち込んで、かなり入院慣れしているようである。お兄さんも同病でこの病院に入院していたとかで、看護士さんたちにも顔が売れてて人当たりはよい。同年代の茶髪が入れ替わり立ち代りやってきて大きな声でしゃべるのと、夜更かしが過ぎていつも昼近くまでカーテンを閉めて寝ているため部屋が暗くなるのがちょっと困るが。
マリナーズのイチローが大リーグ年間安打記録を破って849本目のヒットを打ったと世間では騒いでいる。
飴の瓶
2004/10/3 Sun. 雨のち曇り時々晴れ
ちゃんと消灯の10時過ぎには寝ているのに、やたら眠い。午前中は頑張って家内が持ってきてくれた推理小説「十角館の殺人」(綾辻行人)を一気に読んだが、どうしても眠さに抗せず11時から13時半くらいまで熟睡し、見舞いにやってきた家内の気配で目が覚めた。秋も深まり肌寒くなってきたので、家内が長袖のパジャマを買ってきてくれた。夜家内が帰った後は、もって来ていた本「SEを極める」(馬場史郎)を根性で読み上げた。
【本日の検査】体重測定:54.55kg
2004/10/4 Mon. 晴れ
朝の採血のときWじいさんと看護士さんの会話。「何本とるの?」「5本です」「じゃぁ龍角散だね」「?・・・」「看護婦さんなら知っとろうもん」・・・・(ーー;)何年前のCMだよ。最近の若い人は知らないって。あまりの寒い駄洒落に一気に睡魔に襲われ、また8時半まで寝てしまった。
さて、かねてより申請していた整形外科受診をした。「部長」と名札をつけた整形外科の先生に症状を説明し一通りの診察を受けた後、手と念のため首のレントゲンを撮ってもらったが、結論としては手をぶつけたか何かで局部的な浅いところの神経の圧迫であり、頚椎関係の障害の心配はなさそうである。まずは一安心。
その後主治医が来られて、明日経口小腸造影をしてY部長の許可を得てからEDを始めるとのこと。また、毎夜寝ているうちにおなかにガスが溜まって張って腹痛がするので、腹単(腹部単射X線)のレントゲンを撮ってもらった。
今日は結構盛り沢山にかまって貰えた感じ。夜になって、明日の検査のために下剤(プルゼニド)と何故か胃薬のザンタックを飲まされた。
【本日の投薬】
・プルゼニド(12mg)*2錠:明日の造影のための下剤
・ザンタック(150mg)*1錠:目的不明(口内炎のため?)
【本日の検査】
・採血
・整形外科受診:頚椎等の重篤な疾患ではない
・腹単:特に異常なし
2004/10/5 Tue. 晴れ
昨夜寝る前に飲んだプルゼニドのせいで、おなかがぐるぐる騒がしく午前3時頃目が覚めた。トイレに行ってみるがガスしか出ない。このまま寝るのも不安なので朝まで起きていようと思っていたが、いつの間にか眠ってしまったらしい。8時半頃目が覚めてトイレに行ったら、泥状便がちょっと出て楽になった。あまり溜まっていないようなので、おなかの傷も痛むし無理に粘って力むのはあきらめる。9時半過ぎに透視室から呼び出しがあり、10時にバリウムを飲んで10:20から撮影となった。10:40から10分ほど休憩を取って再開し11時には検査は終わった。手術前の狭窄があるときに3時間くらいかかっていたのが1時間弱で済んだので、少なくとも検査時間だけ見ると流れは順調のようである。検査後再度プルゼニド2錠を渡される。
前々回が9時に飲んで14時に効果が出、前回(昨夜)が22時に飲んで3時に効果が出たので、今回も11時服用後の5時間後で16時くらいだろうと踏んでいたら、案の定それくらいの時間に集中的にもよおして、都合5回トイレに行った。最初の1回は今朝の出し残しの便とバリウムが混じったカフェオレ色の粘液便だったが、2回目からは真っ白な水様便で、多分殆ど出切っただろうと思えるくらい出た。途中結構ガスが出たのにはびっくりしたが。下痢続きで何もする気力も体力もないので「イブの7人の娘たち」(ソニーマガジンズ)を読み上げる。全世界の人類は、アフリカにいたたった一人の女性とその7人の子孫の直系であることをDNAに基づき明らかにした研究を一般向けにわかりやすく解説した本である。興味のある方はこちらをどうぞ。
その後主治医のH先生が来られ、レントゲン画像では1箇所狭いところがあるが、これは狭窄ではなく手術の影響で腸がはれているとのこと(画像の特徴で腫れとわかるらしい)、そのため大事をとってEDは明日からということになったと伝えられた。ここで焦って取り返しがつかなくなるのはいやなので、慎重にやって行きたい。
昨日整形外科を受診して軟膏を出していただく話だったのにいつまでたっても来ないので看護士さんに確認していただいたところ、何と処方されていなかったので先生に言って改めて処方してもらったとのこと。おかげで1日遅れでやっと入手することができた。これで手の痺れが治ってくれればよいが。
夜、職場で隣の担当のH課長がお見舞いに来てくださった。直属の部下ではないのに、忙しい中わざわざ来ていただいて大変ありがたかった。お見舞いに花をいただいた。
【本日の投薬】
・プルゼニド(12mg)*2錠:造影剤排出のための下剤
・モビラート軟膏:手の痺れ
【本日の検査】
・経口小腸透視:1箇所腫れがあるが時間が経過すれば腫れは引くとのこと
2004/10/6 Wed. 晴れ
腸に腫れがあるのにEDを始めることにどうしても抵抗があり、主治医に食い下がったところ、外来主治医のK先生が一緒に説明に来てくださった。「本来IVHは腸を安静にして炎症を治めるためにしているわけで、その趣旨から言うとまだ腫れが残っている状態でEDで腸に負担をかけて徐々にIVH離れすると言うのは時期尚早だと思う」と疑問をぶつけたら、K先生は「確かにそれは正論で、きちんきちんと段取りを踏んでやるならば、腸の腫れが引くまで(恐らく1ヶ月程度)IVHを継続して、その段階で再度検査を行い確認を取ってからEDに移行するのが正しい順序。しかし社会復帰のこともあるし、狭窄箇所は手術で切除されており一時的な腫れなのでそこまで念を入れなくても平行してEDを始めるべきというのが今の大勢の意見。走りながら様子を見て、もし具合が悪ければその時点でEDをやめてもよい」と説得され、しぶしぶ了承した。忙しいのに長々と時間を割いて説明してくださった両先生に感謝。結局今夜から夜間EDをスタートすることになった。1ヶ月ぶりにアーガイルEDチューブを右の鼻の穴から空腸に入れたところ、結構反射が強くむかむかしたので早々に横になってじっとしていた。12時間かかるので、明日の起床に合わせて6時半には終わるように、少し早いが今夜は18時半から開始した。
家内からの知らせで、夏から衰弱していた義理の祖父が息を引き取ったとのこと。看護士さんと主治医に事情を説明し、明日の葬儀への出席のための外出許可を取る。現在IVHの24時間点滴中だが、ラインを皮下に残してコネクタ部分をロックしておけば半日程度の外出は可能なのである。夜になって再三家内から「点滴からの感染症の心配もあるし、何かあったら申し訳が立たないから来なくていいとみんな言っている。妻のあなたが言ってとめなさいと言われている」と連絡があったが、お義理ではなく正直に自分の気持ちとしてお別れをしたいので、葬儀に行く決意は変わらなかった。
【本日の投薬】
・夜間ED:1パック(300kcal)を600mlに溶解して50ml/hで鼻注
2004/10/7 Thu. 晴れ
朝起床してEDの後始末をし、IVHをロックしてもらって9:30に病院を出た。タクシーでいったん自宅に戻り、喪服に着替えて葬儀場に向かう。早めについたのでまだ本当に親しい親族しか来ておらず、先に行っていた家内と一緒にゆっくり祖父とお別れをすることができた。それからは続々と到着する親族と挨拶をするが、半数くらいは知らない人たちである。色々面倒なので、出張先から急遽駆けつけたことにしてある。そろそろ葬儀が始まるというのに、義弟がまだ受付をさせられていたので、代わってやった。自分はもう十分お別れをしたし、何といっても直接血のつながった孫のほうが葬儀に出席すべきだと考えたからである。これで少しでも役に立てれば、外出許可を取っていった甲斐もあるというものである。葬儀は粛々と進み1時間弱で終わったので、出棺を見送って火葬場へ行く皆さんと別れ、そのままタクシーで病院へ取って返す。もう少し娑婆の空気を楽しみたかったのだが、今日は週に一度の部長回診の日なので早めに戻ってベッドにいたほうがいいのである。
病院に戻ると、丁度部屋に入浴の順番が回ってきていたので、すかさず入浴する。外出+回診で今日は入浴は無理かなと思っていたのでラッキーと思ってゆったり体を洗っていたところ、看護助手さんが「回診が始まるので上がってください」と呼びに来られた。慌しく入浴を済ます。回診時にY部長が「早く進めて社会復帰できるようにしてやりなさい」と指示を出されたが、主治医と本人が同時に「右下腹部に痛みがあるんです」と訴えると、「便通がないせいだな。せめて1日1回は便通があるようにしてあげなさい」と指示された。と、いうことで毎日化マグを飲むことになった。また、念のため明日腹部エコー検査を受けることになった。これに伴い夜10時以降は絶飲絶食となるので、いきなり夕方17時くらいからEDを開始し22時の時点で終了・残廃棄ということになった。
【本日の投薬】
・夜間ED:1パック(300kcal)を600mlに溶解して50ml/hで鼻注
・化マグ:2包(夕方・就寝時)
2004/10/8 Fri. 晴れのち曇り
明け方、右下腹部の腹痛で目が覚める。この数年しばしば痛みのあったところだ。これは狭窄による腹痛で、手術すれば痛みとおさらばと思っていたのに、相変わらず同じ部位が痛むので正直ショックである。痛みの疲労感で眠くて仕方ない。朝の検温のときに看護士さんに訴えると、昼前に主治医が来られて「大事をとって暫くEDを中止して様子を見ましょう」と告げられた。順調に来ていたのだが、ここへ来てちょっと足踏みになってしまった。
昼前に腹部エコーの検査があり、その結果肝臓の周りに脂肪がついた、所謂脂肪肝状態であることがわかった。カロリーのとりすぎということか。
昼過ぎにプルゼニドと化マグが出されたが、イントラファットもあるということなので、下剤が効き出す前に済ませてもらうことにした。イントラファットとは、IVHを長いことやっていると脂肪分が不足するため、それを末梢から点滴で補うものである。レプリカントの血液みたいに真っ白な液体が血管に入っていくのは、何となく不思議な感じである。脂肪肝なのに脂肪を入れてもいいのだろうか。よく分からん。

夜いつものように見舞いに来てくれた家内としゃべっていたら、職場のK主査が職場代表でお見舞いに来てくださった。長期休んで迷惑をかけているにもかかわらず、筆者と入れ替わりで着任されまだあったこともないYさんや、派遣社員のSさんを含む職場全員からお見舞いを頂き恐縮してしまう。また、以前あるプロジェクトでお世話になり今は別会社のUさんからもお見舞いを頂き、思いがけずうれしかった。
【腹部エコー】
肝臓の周りに若干脂肪がついてた。
【本日の投薬】
・プルゼニド*2錠
・酸化マグネシウム(0.5g)*3包
2004/10/9 Sat. 台風22号の影響で雨
世間は台風22号の接近で大騒ぎである。NHKや在京民放各局は、台風が九州直撃のときはそれほど大きく報じないくせに、首都圏に接近するとなるとトップ扱いで番組編成を変更してまで大騒ぎするのは、なんか中央集権主義の差別を感じる。
窓際のWじいさんがやっと退院した。うるさくて仕方なかったので正直せいせいした。筆者のいる廊下側のベッドはただでさえ暗く、その上午前中は真ん中のT青年がカーテンを閉めて寝ているのでますます暗い。窓際に移りたいなーと思っていたが、真ん中の2人が優先だろうと遠慮していた。しかし、暫くして看護士さんが「窓際に移りたくないですか?」と聞いてくれたので、「移りたいのは山々だけど、真ん中の人が優先じゃないですか?」と問い返すと「Nさんはもうすぐ転科だからいいそうです。Tくんは端っこならどっちでもいいでしょう。今日入院患者さんがあるので、先にいる人の希望を聞いとこうと思って」と、看護士さんの粋な計らいでめでたく窓際に移ることができた。思い返せば入院した最初がこの場所だったのでめぐりめぐって戻ってきたことになる。退院が見えていればそのままでもよかったのだが、足踏み状態なので少しでも明るいところがよい。朝の目覚めにも影響するし。
昼前に伯母夫妻と従兄弟夫妻がお見舞いに来てくださった。お見舞金と花をいただいた。
また、午後には職場の同僚Nさんがお見舞いに来てくれた。上司や管理職にはなかなか聞けない職場の実態などをつぶさに教えてもらうことができた。
メールチェックをしたら、上半期が終わって毎度恒例の業績のまとめを個人別に出さなければならないようなので、自分だけ知らん振りもできないだろうと、消灯までかかって提出資料を作成した。
【本日の投薬】
・酸化マグネシウム(0.5g)*4包
2004/10/10 Sun. 曇り時々雨
今朝も明け方少し右下腹部が痛んだが、窓際の明るさのおかげで自然な目覚めとなり、散歩したり冷たい水を飲んだりしていたら納まってきた。
両親が先日なくなった義祖父の霊前におまいりするということでやってきた。病院で家内と待ち合わせして、家内の案内で伯父の家まで行った。そのほかには大したイベントもなし。右下腹部の鈍痛さえなければ順調なのだが。
夜は、昨日の台風で予選が行われず、史上初の予選決勝同日開催となったF1日本グランプリを見た。期待の佐藤琢磨(BARホンダ)は4位スタートの4位フィニッシュ。鈴木亜久里以来14年ぶりの母国表彰台を期待していたのだが、またしても同僚のジェンソン・バトンに邪魔される形で表彰台には乗れなかった。順位がフィックスした後半30分くらいは眠くて堪らず、うとうとしながら見ていた。
【本日の便回数】5回
【本日の投薬】
・酸化マグネシウム(0.5g)*4包
【本日の検査】
・体重測定:55.4Kg
2004/10/11 Mon. 晴れ
世間は体育の日の祝日である。入院して以来何日も折角の休日を無駄に過ごしているようで何かもどかしいが、逆に言うとその分年休を使わなくて済むのでよしとしよう。
相変わらず明け方に右下腹部の痛みで目が覚め、どうも目覚めが悪い。シクシクした痛みで何もする気が起きないのと、体もだるいので13時まで寝ていた。その間何度かトイレに行ったが、出るのはガスばかり。それでも結構出た。13時過ぎになってこれではいかんとやっと起き出し、歯磨き・髭剃り・洗顔などをしてトイレに行ったら、「こんなに出るの?」と思うくらい水様便が出た。その後も合計4回トイレに行ったが、水様便とガスの混じったものばかりである。これではガスか実かわからないので、危なくて普段は放屁できない。ガスかなと思っても毎回トイレに行かねばならず、結果的にガスがたまる要因になっているという堂々巡り状態である。化マグ4包は明らかに効きすぎのような。。。。
【本日の便回数】4回
【本日の投薬】
・酸化マグネシウム(0.5g)*4包
2004/10/12 Tue. 晴れ
今朝届いていた薬にメモが添えてあって、「下痢が続くようなら調整してください」とあったので、今日は化マグは飲まないことにした。朝目覚めたときに相変わらず右下腹部の鈍痛があったのだが、散歩に行ってトイレに行ったら夜中に溜まっていた大量のガスが出てだいぶ楽になった。散歩の途中でよいトイレを見つけた。1階の外来の身障者用トイレである。広くて点滴台を持ったまま入れてゆったり座れるし、外来なのにウォシュレットもついている(1階の他のトイレはウォシュレットなし)。6時台であれば本来の権利がある人も滅多に来ないので迷惑にならないだろう。
今日は痛みもたいしたことがないので、このままではいかんと思い、腸の動きを活発化するために、スパッツに着替えて腹筋・背筋・腕立て・スクワット等を行った。そうしたら向かいのベッドのYさんが自律神経を活性化する体操を教えてくださった。
1.直立して両手を振り子のように前後に振る。慣れてきたら遠心力を感じるくらい勢いよく振る。
2.手指の爪の両側を反対の手の指で10秒間強く挟む。ただし薬指だけはしない。
時々ご機嫌伺いに来られる薬剤部の方がこられたので、「自分には化マグは効き過ぎるのでマーロックスにしてほしい」とお願いしたら、主治医に伝えておくとのことだった。
バーゲンに行った家内が本場イギリスの各種フレーバーティーを買ってきてくれた。これまでもたびたびハーブティーなどを買ってきてくれたが、何も食べれない飲めないなので、せめてこれくらいは飲ませてあげようというありがたい心遣いである。本当にやさしくて感謝の気持ちで一杯になる。
毎週火曜日は消化器科カンファレンスの日で、回診と並び今後の方向性が示される日である。消灯の22時ぎりぎりに主治医が来られて、腫れと痛みがあるのでもう少し点滴で様子を見ましょうということになった。就寝時ひどくおなかが張ってかなりガスが出た。
【本日の便回数】2回
【本日の投薬】
・酸化マグネシウム(0.5g)*3包出たが就寝前に1包のみ服用。(明日便検査があるため)
2004/10/13 Wed. 曇り
4時くらいにおなかの張りで目が覚めたが、ガスがかなり出て楽になった。昨日下半身を中心に体操をしたせいか、下半身がやけにぽかぽかと暖かく気持ちがよい。いやな熱っぽさではなく血行がよくなったような感じなのだ。これは体操を続けるべきだと思った。
とは言うものの、メールチェックをしたら先日の業績振り返りの続きと次年度の目標策定などの指示が来ていて、上司からは「無理しないでいい」という連絡もあったが、締め切りの決まっている仕事なので自分だけ特別扱いもよくないと思い取り組んだが、ネットが遅いこともありぶっ通しで9時から15時までかかってしまった。更に見舞いの家内が帰った後、夜に確認のためにもう一度メールチェックをしたら、仕事の質問が2通来ており、これに回答を返しているうちに消灯になってしまい、殆ど終日パソコンに向かっていた一日だった。
【本日の便回数】1回
【本日の投薬】
・酸化マグネシウム(0.5g)*3包出たが効き過ぎるので2包服用
【本日の検査】
・採血
・検便
2004/10/14 Thu. 晴れ
朝目覚めてどうも熱っぽいので、8時に巡回に来た担当看護士のIさんに訴えて体温を測ってもらったら39.4度あり、早速主治医を呼んできてくれた。まずは原因を究明するために採血をして検査と培養をするという。いつもは患者にはニコニコと笑顔でおだやかなIさんも、こういうときはきりっとして主治医に対しててきぱきとリードしてくれて頼りになるなぁと感じた。その間にも熱は上がり10時前には40.1度になったため、解熱剤としてボルタレンSRが処方された。
その後外来主治医のK先生も来て下さり、おなかの診察をして「この発熱はおなかからではない」という診断であった。去り際に「解熱剤は出されてますか」と聞かれたので「はい、先ほどボルタレンを内服で」と答えた(ボルタレンには内服と座薬と点眼があるので)が、素人の知ったかぶりぽくて嫌味だったかなと後で反省。
血液検査の結果、白血球もリンパ球も上がっていないため、細菌感染ではなく残る可能性はウィルス感染、特に時期的にインフルエンザではないかと言うことであった。しかしそれにしては、のど・鼻等の呼吸器系の症状がなく本人としては疑わしいところである。
今日は木曜日で教授回診の日であるが、熱が出ているため寝たままでいいですよということを教授からも言ってもらって助かった。
ボルタレンのおかげで熱はどんどん下がり、たまたま電話してきて「熱が出た」と聞いて心配しながら家内が来た頃にはだいぶ回復してきて一安心だったのだが、夜6時くらいからまた、37.4度、38.4度、39.1度と上がり始め、22時には再度主治医に指示を仰ぎボルタレンを内服した。ボルタレンの下熱効果は10時間程度のようである。
【本日の便回数】1回
【本日の投薬】
・ボルタレンSR:10時と22時に1錠ずつ
【本日の検査】
・採血:白血球は正常値で細菌感染なし
【本日の体温推移】
時刻 8:30 9:50 〜 18:00 20:00 22:00 体温 39.4 40.1 一旦下降 37.4 38.4 39.1
2004/10/15 Fri. 晴れ
相変わらず目覚めたら熱っぽい。起床時点で37.8度だったのだが、これは昨夜就寝前のボルタレンの効果が残っていたらしく7:30にはまた39.1度まで上がった。その後1時間ごとに38.4度、37.4度といったんは下がりかけたのだが、また38.1度、38.5度と上がり乱高下が激しい。その間、インフルエンザの可能性も捨てきれないと言うことから、のどの粘膜から痰を採取して検査を行ったが陰性で、結局インフルエンザ感染でもないことが確認された。そうすると残る可能性はカテ熱である。「カテ熱」とは、IVHを長期間にわたり静脈に挿入していると、カテーテルの挿入部位から雑菌が入って感染症を起こし高熱が出る症状である。一般的にIVHを抜去すると熱は収束する。特に今回のようなバースト的な高熱が特徴である。今回、挿入してから40日以上たっていることや、熱の出方が特徴と一致するので最も疑わしいということになり、11時にIVHを抜去した。抜いたIVHを見ると、カテーテルそのものではなく、カテーテルを皮膚に縫い付けている糸に垢のような汚れがたまっていた。これでは感染症になるのも当然かもしれない。
抜去後も一時的に38.5度まで熱が出たが、再度ボルタレンを13:30に服用してからは熱も下がり、その後効果時間切れの100時間経っても上昇することもなく、まずは一段落となりそうである。
IVHを抜いたために栄養補給は末梢からの点滴に切り替えとなった。右下腹部の痛みも、ガスと便がコンスタントに出るようになってからは大分軽減されてきたので、月曜日に採血をして、結果がよければEDを再開して末梢点滴と併用しながら徐々に移行していきましょうということになった。神様が「いつまでもダラダラするな」と背中を押してくれたと思いたい。
【本日の便回数】1回
【本日の処置】
・IVH抜去:カテ熱発症のため
・末梢点滴挿入:IVHの代わり(1日4本6時間ごとに交換)
【本日の投薬】
・ボルタレンSR:13:30に1錠
・イントラファット(点滴)
【本日の検査】
・インフルエンザウィルス検査:陰性
【本日の体温推移】
時刻 6:30 7:30 8:30 9:20 11:30 13:00 14:30 15:50 18:30 20:00 22:00 体温 37.8 39.1 38.4 37.4 38.1 38.5 37.4 36.8 36.1 36.3 36.1
点滴 抗生剤
2004/10/16 Sat. 晴れ
秋晴れ快晴の行楽日和である。眼下のバイパスは高原方面へ行くマイカーで朝早くから渋滞気味である。発熱もどうやら収束したようで、まずは一安心。高熱の影響からか、鼻の頭と唇がやたら乾燥して、皮がぽろぽろ剥ける。また、これも発熱の影響でおなかがゆるくなり、ここ数日は化マグを飲まなくてもコンスタントに1,2回の便通がある。
朦朧としていたので気付かなかったが、先日いとこからお見舞いにいただいた花篭のつぼみが、熱が出ている間に一気に花開いていた。
久しぶりに入浴しようと点滴のロックをお願いしたら、処置をしに来た看護士さんが「腫れてる」と指摘し、液漏れでいったん抜くことになった。おかげで久しぶりに「ヒモなし」のまったくフリーでゆっくり入浴できた(正確には外科のときも点滴のラインをはずして入浴しているが、このときはIVHの針は静脈内に残置してロックしていたので肩まで湯船に浸かれなかった)のは良かったが、入浴後に今度は左手に刺しなおしになってまた痛い思いをする羽目になってしまった。ベッドの位置の関係で点滴台は右側にあるので左手に点滴すると結構寝にくいし動きづらい。
昼過ぎに主治医が来られて、「月曜日に採血し、その結果がよければEDを再開する方向で話し合いをする」ということだった。
夜寝る頃になって右下腹部がシクシク痛みだした。ここ数日化マグを控えていたので便が出きっていないのかもしれない。就寝前に化マグを一包だけ服用。
【本日の便回数】1回
【本日の投薬】
・酸化マグネシウム(0.5g)*1包(就寝時)
【本日の体温推移】
時刻 6:30 9:00 10:00 11:20 13:00 14:40 16:00 19:00 20:00 体温 36.3 36.3 36.4 36.2 36.6 36.5 36.5 36.8 36.4
2004/10/17 Sun. 晴れ
今日も秋晴れ快晴の行楽日和である。眼下のバイパスは相変わらず渋滞気味である。朝から例によって右下腹部がシクシク痛い。起床後早速1包服用し、家内が毎日買ってきてくれる冷たいポカリスウェットやら自家製冷茶やらを飲んだり、散歩・腹筋、果ては看護士さんにお願いしてホットパックまで当てて、やっと昼ごろ少し水様便が出た。夕方もう一度便が出て、ようやく楽になった。
ここで衝撃の事実が判明。末梢の点滴を最初に見たときに、400Kcalと書いてあったので、1日4本で1,600Kcalと思っていたのだが、もう一度確認すると「400Kcal/L」と書いてある。そして1本の容量は500mlである。つまり1日800Kcalしか供給されないのだ。どうりでちょっと筋トレをしても息切れがすると思った。
金土日と主治医が「月曜日に採血」と言っていたのに、消灯前に看護士さんに確認すると予定に入っていないとのこと。どうなってるんだろう?
【本日の便回数】2回
【本日の投薬】
・酸化マグネシウム(0.5g)*1包(起床時)
【本日の検査】
・体重測定:55.5Kg
【本日の体温】
・7:00 36.3
・18:00 36.4
2004/10/18 Mon. 晴れのち曇り
今日は比較的快適な目覚めだった。体温も36.5度と落ち着いてきたようである。起床時の採血がなかったので、担当看護士のIさんに言ったら、先生に言っておくとのこと。朝の目覚め時はまぁまぁのおなかだったのだが、起きているうちに軽くシクシクしてきたので、念のためホットパックをもらって暖めながら、おとなしくMobilePressを読んでいた。昼前にトイレに行ったらどうやら治まった。
そうこうしているうちに主治医が来られて自分で採血していかれた。その後腹部レントゲンも撮影される。レントゲンの結果は、ガスがかなりたまっているものの異常というほどではないとのこと。また、血液のほうはCRPが3.1で、これはカテ熱の影響、肝臓の数値が上がっているが、これは抗生剤の影響だろうとのことだった。そのほかには特に気になる所見もないので今夜からEDを再開することになった。試しに体温を測ってみたところ、昨日から600gも減っていたので、少しでもカロリー補給したいところだ。
また、今日から化マグが本人希望によりマーロックスになった。
【本日の便回数】2回
【本日の体温】
・9:20 36.5
・20:00 36.4
【本日の投薬】
・マーロックス(0.5g)*1包(昼)
・夜間ED:1パック(300kcal)を600mlに溶解して50ml/hで鼻注
【本日の検査】
・血液検査:CRP 3.1(カテ熱のため)
・腹部レントゲン:ガスがかなりたまっているものの異常というほどではない
・体重測定:54.9Kg
2004/10/19 Tue. 曇りのち雨
今日も快適な目覚めだった。EDをしても特に支障なく、おなかも痛くならなかった。エレンタールが入ったせいか、おなかの活動が活発になり、4回も便通があった。ちょっとですぎかも。
末梢点滴が3日を経過したので右腕に刺しなおしとなった。その他は、1日読書や昼寝をして特に変わったこともなく過ごした。
【本日の便回数】4回
【本日の体温】 10:00 36.6
【本日の投薬】
・マーロックス(0.5g)*1包(朝)
・夜間ED:1パック(300kcal)を600mlに溶解して50ml/hで鼻注
2004/10/20 Wed. 台風23号のため暴風雨
また台風が来た。入院中3回目である。今年は本当に台風の当たり年だ。午前中はおとなしく、会社からまとめて送ってきた技術誌2月分を一気に読んでアンケートを書いた。昼ごろトイレ(大)に行って、いつものようにウォシュレットで洗った後お尻を拭いていたら、突然電気が消えて真っ暗になった。どうやら台風の影響による停電のようである。窓のないトイレなので本当に真っ暗で困った。いつも持ち歩いているマグライトを点灯し、ティッシュに「ブツがついているか」を見て真っ白なのを確認してから流してトイレを出たところで電気がついた。 ニュースによると平成にはいって最悪の被害の台風だったそうだ。
今日からエレンタール2パックなのだが、溶解量は変わらず濃度2倍で、滴下スピードはいきなり50ml/hから60ml/hへスピードアップの指示が来たので、主任さんと相談してとりあえず滴下スピードはおなかの様子を見ながらということで、最初40ml/hで落として就寝時に50ml/hに上げた。
【本日の便回数】 2回
【本日の体温】9:40 36.6
【本日の投薬】
・マーロックス(0.5g)*2包(朝・昼)
・夜間ED:2パック(600kcal)を600mlに溶解して50ml/hで鼻注
2004/10/21 Thu. 晴れ
台風一過の快晴である。エレンタールの影響か下痢気味に傾いてきたので、自主的にマーロックスを減らした。回診時には先週のカテ熱のことしか話題に上がらず、今後どうこうという話はなかった。そこで主治医に「あと10日くらいですかね」と話題を振ってみると「早ければ来週前半くらいには」とのこと。随分ペースが速いような。「その前に食事が始まりますよね?」「金曜日に採血してみないと分かりませんが、土日くらいには。」金曜日って明日じゃないか。でも結局今回も採血指示は出てないみたいだ、また主治医自ら採血するんだろうか。また、「1日1パックずつ増やして大丈夫ですか」と聞かれたので「いや流石におなかが張って下痢回数が増えてきたので、2日で1パックペースでお願いします」と頼んでおいた。そのペースだと今月一杯ぎりぎりくらいか。
夜は21時からの「黒革の手帳」(松本清張原作、TV朝日40周年記念ドラマ)を楽しみにして、EDも開始しハーブティーも淹れて万全の体制で待っていたのに、日本シリーズとやらをやっている。結局22:30まで野球があって、「黒革の手帳」はなし崩し的になかった。消灯過ぎまでずっと待ってたのにどうしてくれるんだ。<(`^´)> 松本清張のファンと中日ファンとどっちが多いと思ってんだ。「TV朝日40周年記念」は飾りか!? 時間を守らないやつは大嫌いと興奮して寝れなくなりそうだったので、冷めたハーブティーを飲みながら、PDA版の「吾輩は猫である」を読んで心を落ち着けて寝た。
【本日の便回数】 4回
【本日の体温】9:40 36.5
【本日の投薬】
・マーロックス(0.5g)*1包(朝)
・夜間ED:2パック(600kcal)を600mlに溶解して60ml/hで鼻注
2004/10/22 Fri. 晴れ時々曇り
明け方おなかが張ってシクシク痛んで目が覚めた。まだED2パックで滴下スピードも通常の半分なのにおなかが張るようでは先が思いやられる。退院までの道のりは長いと、ちょっと暗くなってしまった。根性で寝ていたら7:30頃にごろごろし始めたのでトイレに行ったところ、まるでニフレックを飲んだ後のように一気に水様便が出てだいぶ楽になった。まぁ、固形物を食べておらずエレンタールのみなので、この程度の下痢は仕方ないか。マーロックスは暫く自主的に中止しよう。結局3回水様便が出た。主治医が来たときにこの話をし、下剤中止の許可を得た。明日から待望の食事開始(1日1.5食)とのことである。前回入院時は主治医が食事の指示を出し忘れていて1日お預けを食らってしまったので一抹の不安があるが、とりあえず期待して待つことにしよう。
毎週金曜日は向かいのベッドのYさんの白血球除去療法(G-CAP)の日である。この治療に毎週やってくる業者の女がとにかく五月蝿い。患者を退屈させないサービスのつもりか、とにかく1時間強の治療の間ず〜っとぺちゃくちゃしゃべっている。個室じゃなくてほかの患者もいるのだから、もう少し小さい声でしゃべってもらいたいものだ。結局こっちは耳栓かヘッドホンで大音量で音楽を聴くかして自衛するしかない。途中結構間違ったことや自分勝手な解釈を言っていることがあるのでずっと気になっていたのだが、今日はとうとう1回だけ突っ込みを入れてしまった。近所のショッピングセンターの駐車場代について間違ったことを自慢げに言っていたので誤りを指摘したという他愛もないことなのだが、周りにしっかり聞こえているよと言うアピールになればいいのだが。
今日からED3パックなのだが、滴下スピードが遅めなので15時間かかる計算になり、全部一度に溶解すると品質保持リミットの12時間を越えてしまうので、1パックだけ溶解して早めに始めて、就寝時に残り2パックを溶解して続けると言う面倒な手順を踏まなければならなかった。
【本日の便回数】 3回
【本日の体温】10:00 36.5
【本日の投薬】
・夜間ED:3パック(900kcal)を900mlに溶解して最初60ml/h〜消灯時より70ml/hで鼻注
2004/10/23 Sat. 晴れ
今日も明け方おなかが張ってトイレに行ったら水様便が大量に出た。まぁ、エレンタールだけの間は仕方がないかとあきらめる。それよりも鼻の奥の喉とつながるところがもやもやといがらっぽく、水鼻も出る。やばい、今度は風邪か?EDチューブで鼻の奥が冷えたのがいけなかったのだろうか。午前中の早い時間にお風呂の順番が回ってきたので早速入り、その後布団をかぶって暖かくして寝ていたがあまり変わらない。
そうこうしているうちに昼になり、期待でどきどきしながら配膳カートのところに行くと、ちゃんと自分のトレーもあった。メニューは想像通り汁物ばかりであったが、特に久しぶりに飲む味噌汁(但し具なし)は格別においしかった。「1.5食」と言われていたので、半分だけ食べて名残惜しく残りはカートに戻した。
その後末梢の点滴も抜けて、これで晴れて完全にヒモなしの自由の身になった。どこかに遊びに脱走したいところだが、風邪を治すために大事をとっておとなしく寝ることにした。邪魔されないように耳栓をして布団をかぶってごんごん寝たのだが、今日は土曜日ということもあって同室の患者に次々と見舞い客があり、年寄りが多いこともあって声がでかく、そうかと思えば子供づれで来て子供が退屈して騒ぎまくっても注意しない親もいて、ずっと騒がしくあまり寝た気がしなかった。
夕食も昼と同じ汁物で食べた気がしなかったが、まぁ贅沢は言うまい。18時前に新潟で震度6の地震があったとかで、夜はTVは全て特別編成で予定していた番組がことごとく中止になったので早く寝たいところだが、昨日同様最初にED1パックを溶解・滴下して、23時くらいに残りをまたセットしなければならないので、音楽を聴いたり本を読んだりして根性でおきているのが辛かった。
【本日の便回数】 2回
【本日の体温】10:00 36.8
【本日の投薬】
・夜間ED:3パック(900kcal)を600mlに溶解して最初100ml/h〜消灯時より70ml/hで鼻注
2004/10/24 Sun. 晴れ
相変わらず明け方におなかは張るが、比較的気分良く目が覚めた。冷たいポカリスエットを飲み1階を散歩しているうちに便意が来たのでトイレに行ったところ、昨日までの様な完全な水様便ではなく少し泥状に近い便が出た。やはり食事を始めたことによって残渣物に便が吸着して形を形成しつつあるのだろうと思いうれしかった。しかし、その後も結構水様便が出て、計3回トイレに行った。ペースを急速に上げつつあるせいかと思うが、腸が慣れて落ち着いてくれればいいが。また、相変わらず少し風邪気味なので、PLを出してもらうようにお願いした。
今夜からED4パックである。喉の奥の粘膜のもやもやはEDチューブの冷えによる刺激も原因かと思い、温めるための「リフォート」を家内に言って家から持ってきてもらった。
【本日の便回数】 3回
【本日の体温】9:30 36.5
【本日の体重】 54.56Kg
【本日の投薬】
・PL:毎食後1包(風邪のため)
・夜間ED:4パック(1200kcal)を1200mlに溶解して100ml/hで鼻注
【本日のメニュー】
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CD-A食 |
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内容 |
ロイヤール |
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日付 |
2004年 10月24日昼 |
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CD-A食 |
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内容 |
重湯 150g |
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日付 |
2004年 10月24日夜 |
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2004/10/25 Mon. 晴れのち曇り
流石にED4パックが効いて下痢便が4回も出た。ついこの前まで化マグを飲んで無理に出さなければならなかったのに、両極端である。特に、夜就寝後におなかが張って、23時頃と24時半ごろにトイレに行ったら結構な量の水様便が出て、それからは落ち着かなくてなんだか熟睡できなかった。昨日からの下痢の状況を主治医に訴えて、下痢止めにビオフェルミンを飲むことになった。下痢で体力を消耗したのと風邪気味なので、おとなしくベッドに横になってシグマリオンIIIで電子ブック(吾輩は猫である)を読んでいたら、看護士さんが目ざとく見つけて電子ブックのことを色々聞かれてしまった。
食事は昼はうどん、夜は3分粥に魚・南瓜・茶碗蒸し等、随分食事らしくなってきたのでうれしい。夜日テレのブラックジャックを見ようとしていたら、番組冒頭にクレジットが出て「本日放送予定の中に地震の場面があるため、先々週の放送内容と差し替える」と説明があった。まぁ、あんな被害が出た直後だから仕方がないが、楽しみにしていたのでがっかりである。
【本日の便回数】 4回
【本日の体温】9:50 36.7、 21:30 36.6
【本日の検査】
・採血:CRP、GOT等ともに平常
・検尿
・検便
【本日の投薬】
・PL:毎食後1包(風邪のため)
・ビオフェルミン:毎食後1包
・夜間ED:4パック(1200kcal)を1200mlに溶解して100ml/hで鼻注
【本日のメニュー】
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CD-B食 |
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内容 |
五目うどん |
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日付 |
2004年 10月25日昼 |
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CD-B食 |
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内容 |
白身魚蒲焼 |
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日付 |
2004年 10月25日夜 |
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2004/10/26 Tue. 雨
昨夜下痢で熟睡できなかったのと、注入ペースを90ml/hに落としたので、8時過ぎまで起きれずに寝ていたが、またおなかが騒ぎ出したのでトイレに駆け込み水様便が大量に出た。よくもまぁこんなに出るもんだと思うが、このまま下痢が続くようでは社会復帰できない。主治医に報告したところ、下痢止めの薬がもう1種類増えることになった。食事のほうは、ご飯が5分粥になりおかずも結構普通食に近づいてきたのでおいしくいただけているが、1.5食といわれているので昼を半分残すのがなんとも心苦しい。
午前中は会社から送ってきた書類と日経NETWORKを読みふけり、午後は入浴後パソコンで音楽を聞きながら静かに寝ていた。
【本日の便回数】 1回
【本日の体温】9:50 36.7
【本日の投薬】
・PL:毎食後1包
・ビオフェルミン:毎食後1包
・タンナルビン:毎食後1包(下痢止めのため)
・夜間ED:4パック(1200kcal)を1200mlに溶解して100ml/hで鼻注
【本日のメニュー】
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CD-C食 |
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内容 |
チキンソテー |
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日付 |
2004年 10月26日昼 |
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CD-C食 |
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内容 |
白身魚紅葉焼 |
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日付 |
2004年 10月26日夜 |
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2004/10/27 Wed. 晴れ時々曇り
ED4パックに増やしても特段支障がなかったので、主治医の指示により今日から米飯になった。どんぶり一杯に白いご飯が来たので、昼は半分しか食べられなくても結構食べ応えがありうれしかった。下痢気味だったのも収まってきたので、下痢止めの方は自主的に飲むのを中止した。
午前中は久しぶりに会社のネットワークにアクセスして、溜まっているであろうメールをDLしようとしたが、リモートアクセス用のP-inが何故かうまく繋がらない。アンテナの向きを変えたり、モデムの設定を色々変えたり、果ては風邪気味なのに屋外に出て試したりしたがどうしても繋がらない。コンパネのハードウェアプロファイルで呼び出し時間をデフォルトの58秒から長めの120秒にしてみたらやっと繋がったが、何だかんだで結局午前中の半日がつぶれてしまった。しかし、後でわかるのだが原因は別だったようなのである。
さて、昼食でおなかも満足して眠くなったので昼寝といきたいところだが、今日は14時から栄養指導である。家内と一緒に栄養士の吉留さんという方から話を聞いた。概ね今までの経験やいろんな文献に載っている内容だったが、総括的に再確認でき、特に家内は「たまに肉(豚、牛)も食べていい」ということを聞いて大変喜んでいた。お土産にCD-ROM付のレシピ本をいただいた。
そんなこんなで夕方になり、楽しみな食事の時間である。夕食は1食分食べていいので、ゆっくり良く噛んで食べたが、どんぶり一杯のご飯は結構なボリュームであり、久しぶりに満腹感を味わうことができた。ちょっと食べ過ぎたかなと思って心配したが、食後3時間4時間と経過してもおなかは何ともなかったので大変うれしかった。思えば手術前は毎日、夕食後の経過時間を気にしておなかの調子を心配し、食べたものが腸を無事通過できたか不安だったのだが、暫くはそういう心配もしなくても済みそうだ。
昼メールチェックしたところ、職場から「近況と退院見通しを知らせるように」とのメールが来ていたので、ここ2週間の経過と今後の見通しを簡単にまとめてメールで送ろうとしたのだが、またまた何度やってもRASに繋がらない。とうとう消灯時間を過ぎても繋がらず、2時間ばかり悪戦苦闘した結果ふと思い当たってP-inカードを一旦抜き、パソコンの発熱で熱くなっていたのを扇いで冷ましてから再度トライしたらあっさりと繋がった。以前LANアダプタで同様に繋がらないことがあり、冷やしたら回復したのを思い出したからである。メールサーバに繋がったら繋がったで、半日のうちにまた大量の添付ファイル付メールが来ておりDLに時間がかかって、結局午前0時過ぎくらいまでかかってしまった。
社会復帰に向けてEDの滴下スピードも上げていく必要があるため、今夜は溶解量はそのままで時間120mlで落としてみることにする。
【本日の便回数】 2回
【本日の体温】9:50 36.4
【本日の投薬】
・PL:毎食後1包
・ビオフェルミン:毎食後1包
・夜間ED:4パック(1200kcal)を1200mlに溶解して120ml/hで鼻注
【本日のメニュー】
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CD-C食 |
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内容 |
米飯250g |
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日付 |
2004年 10月27日昼 |
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CD-C食 |
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内容 |
米飯250g |
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日付 |
2004年 10月27日夜 |
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2004/10/28 Thu. 晴れ
昨夜、夕食を満腹に食べた上にEDの滴下スピードも上げたが特に支障なく快適に目覚めることができた。ただ、会社のメールのせいで夜更かししたので眠たいが、社会復帰に向けて、ある程度睡眠もコントロールし始めなければならない。1.5食昼寝付のこの極楽生活とももうすぐお別れと思うと名残惜しい。食事をしても特に問題は出ていないので、あとは外来で大丈夫ということで主治医から退院希望日を聞かれ、今日の明日と言うのもあんまり急なので土曜日に退院することにした。毎週木曜恒例の教授回診でも了承され、明後日土曜日の退院が決まった。上司に電話するとともに、同僚にメールで報告すると、上司からは「無理しないようにゆっくり自宅療養してから出ておいで」とありがたいお言葉をいただいた。
【本日の便回数】 0回
【本日の体温】10:00 36.3、 20:00 36.7
【本日の投薬】
・PL:毎食後1包
・ビオフェルミン:毎食後1包
・夜間ED:4パック(1200kcal)を1000mlに溶解して120ml/hで鼻注
【本日のメニュー】
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CD-C食 |
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内容 |
米飯250g |
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日付 |
2004年 10月28日昼 |
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CD-C食 |
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内容 |
米飯250g |
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日付 |
2004年 10月28日夜 |
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2004/10/29 Fri. 晴れのち曇り
昨夜はエレンタールの溶解量を少なくして濃度を上げたが特に下痢することもなかった。というか、またしても便秘である。マーロックスを毎食後飲むようにしたが、なかなか便の調整が難しい。おまけに昨日筋トレを頑張りすぎたせいか、喉が痛く風邪が悪化したようである。仕方ないので1日おとなしく寝て過ごした。
隣のおじいさんは手術のため外科に転科して行き、向かいの真ん中のおじいさんは退院して行った為、今日は比較的静かで良く寝れた。
2日も便通がないのはどうもよくないので、就寝前に化マグを飲んだ。また、社会復帰に備えて、EDの溶解量を1000mlまで濃くして滴下速度も入院前のレベル120ml/hにした。これで出ないとやばいかも。
【本日の便回数】 0回
【本日の体温】11:00 36.4
【本日の投薬】
・PL:毎食後1包
・ビオフェルミン:毎食後1包
・マーロックス:毎食後1包
・酸化マグネシウム:就寝時1包
・夜間ED:4パック(1200kcal)を1000mlに溶解して120ml/hで鼻注
【本日のメニュー】
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CD-C食 |
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内容 |
おじや(米飯250g) |
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日付 |
2004年 10月29日昼 |
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CD-C食 |
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内容 |
米飯250g |
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日付 |
2004年 10月29日夜 |
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2004/10/30 Sat. 晴れ
いよいよ退院である。1.5食、昼寝付き、仕事の責任も何にもないお気楽生活とも今日でお別れである。何となく名残惜しい。困難な山を乗り越えたと言う達成感と、帰ったら帰ったでまた忙しい仕事に追われる日常が待っているという憂鬱感の綯い交ぜになった気持ちである。荷物をまとめながらそんなことを考えていると、長期海外出張から帰るときの気分に似ているなと気付いた。
昨夜化マグを飲んでEDも通常まであげたにもかかわらずまったく便意がない。朝から冷たいスポーツドリンクを飲んでみたが変わらない。暫く化マグを続けなければいけないようだ。
まぁ、何はともあれ今回も色々あったがこうやって無事退院できるようになったことは何よりである。次に手術するのはいつになるか分からないが、できるだけ自重してなるべくならもう手術しないで済むようにしたい。
【本日の便回数】 0回
【本日の体温】11:00 36.4
【本日の投薬】
・PL:毎食後1包
・ビオフェルミン:毎食後1包
・マーロックス:毎食後1包
・夜間ED:4パック(1200kcal)を900mlに溶解して120ml/hで鼻注
Appendix.1:点滴の変遷
Appendix.2 :術後経過の前回との比較表
1回目 2回目 手術日 1999/6/21 2004/9/13 末梢点滴抜去 1日目 1日目 尿道カテーテル抜去 4日目 1日目 マーゲンチューブ抜去 4日目 1日目 硬膜外麻酔抜去 5日目 4日目 ドレーン抜去 7日目 5日目 簡抜糸 7日目 7日目 抜糸 8日目 10日目 歩行 4日目 1日目 飲水 11日目 3日目 ガス 4日目 3日目 便 13日目 6日目 シャワー 9日目 10日目 経口小腸像影 31日目 22日目 ED開始 31日目 35日目 食事開始 37日目 40日目 IVH抜去 39日目 32日目 退院 46日目 47日目