1999/5/18 Tue.
一月くらいからおなかの調子が悪かったのだが、次第に毎食後に痛むようになり、栄養の吸収も悪いのか、蛋白、カルシウムの不足、貧血がどんどんひどくなって、会社に行くにもふらふらするようになってしまったので病院へ行ったところ、即明日から入院ということになってしまった。とりあえず会社へ行って慌しく引継ぎ等をすませ、夜遅くまでかかって入院の準備をする。折角の機会なのでサボっていたホームページの更新を思いっきりやろうと、ノートPCを持参することにする。メールも読み書きできるしね。病院にグレ電があることは、今日ちゃんとチェック済みである。
1999/5/19 Wed.
主治医はU先生、担当看護婦はMさんである。かわいい。同じ病室に、個人経営の会社の社長で、手術をする予定のKさんという方が居た。「入院中も仕事をしたい」ということで、入院前にあわててノートPCと64kPIAFS対応のPALDIOを買って来たものの、設定が分からずOCNに接続できなくて困っておられた。そこでドライバをインストールして、PIAFSでOCNへダイアルアップするインターネットの設定をして上げた。おかげでスムーズに6人部屋の病室に溶け込むことができた。芸は身を助くとはこのことである。
1999/5/20 Thu.
今日は、採血、腹部エコー、心電図、出血時間の検査があった。エコーの後すぐU先生が写真を持ってこられて、「確かに腸壁の厚くなっているところはあるけれど今のところ痛みも出ていないし、個人的には手術せずに栄養療法(中心静脈点滴やED)で落ち着かせて行けるかもしれないと思っています。いずれにしても検査結果次第でY院長と相談しながらやっていきます。」と言われた。幸い、入院してからは痛みもなく、おかゆながら3食きちんと食べれている。
1999/5/21 Fri.
毎日病室の窓からピーカンの青空を眺めていると、うらやましく思える。雨が降っても憂鬱だし、晴れたら晴れたで外出できないもどかしさがある。改めて健康のありがたさというか大事さが身に染みて分かる。昨日の採血の結果では、炎症反応を示すCRP値は+0.4と非常に軽度であり、現在からだのだるい原因となっている、軽度の貧血、たんぱく質/カルシウム不足も、この病気ならこの程度は当たり前で、栄養療法で治癒できるとの事であった。
1999/5/22 Sat.
胃カメラの検査があった。のどに麻酔のスプレーをし、肩にブスコバンを打ってもらって検査した。昔胃カメラを飲んだときは、ゲロゲロ胃液を吐いて大変だったが、今日は十二指腸までカメラを通したにもかかわらず、スムーズに行って比較的楽だった。カメラで見ながら4〜5箇所くらい胃壁のサンプルを採取して、生検も行っていたがヘリコバクターピロリ菌は陰性だった。主治医の先生は、毎回検査のすぐ後に病棟まで上がってきて分かりやすく説明してくださる。それによると胃と十二指腸にも、ほんの少し症状が出 ているらしいが気にするほどのことはなさそうである。
1999/5/23 Sun.
I課長ご夫妻がお見舞いに来てくださった。丁度熊本から来ていた両親とかち合わせになってしまい申し訳なかったが、両親のほうは会社の上司に直接挨拶が出来てよかったようである。
1999/5/24 Mon.
今日は「ゾンデ小腸二重造影」といって、鼻からチューブを入れて小腸まで下ろし、造影剤を 注入して腸の状態をみる検査を受けた。しかし、胃から先がなかなか進まず、チューブを前後左右に行きつ戻らせつつさせるたびにのどの奥に当たるので、そのうち胃液が何度も込み上げてきて検査ができないような状態になってしまった。先生もだいぶ格闘されていたようだが、私が苦しそうにしていたので検査は無理と判断され中止になってしまった。どっちにしろ、またしないといけないので、今度はのどに麻酔をかけるなどの対策を講じるそうである。ただし、胃を休ませる必要があるので、明日というわけには行かず、木曜 くらいにできればと考えているとのことであった。例の、インターネットの設定をしてあげた窓側のベッドのKさんが手術で別室に移られたので、すかさず窓際に移ることができた。
1999/5/25 Tue.
天草に嫁いで行っている妹が気を使って、デジカメで撮った天草の美しい景色などをメールで送ってきてくれる。ありがたいことじゃ。また、職場のKさんからもメールがあった。こういうときにメールは本当に便利である。昨日は同じく職場のYさんからもメールがあったが、こうやって家族や職場の仲間からメールが来ると本当にはげまされる。
1999/5/26 Wed.
2回目の小腸造影検査を受けた。今日は、検査前に過敏な反射を押さえるための注射(ブスコバンかと思うが、肩ではなくひじの内側に打たれたので違うのかな?)を打たれ、主治医の先生自身にチューブを入れていただいたので、前回に比較してスムーズに行った。途中、注射の効果が切れる時間になるとまた反射(食道やのどの過敏な反応や胃液が上がってくる状態)が出てきたので、再度注射を打たれて何とか乗りきることができた。検査結果は写真が上がってから明日の回診で説明があるそうだが、検査後主治医と少し立ち話した内容では、「狭窄部分が5〜6個所ある(ほったらかしていた不摂生の報いか)。ただし食物が流れないほどのものではない。その他に潰瘍もあるようなので、その治療をメインに行っていくことになるのではないか。」とのことであった。
1999/5/27 Thu.
本日の回診でY院長の判断を仰ぐ予定だったのだが、Y院長が急遽学会で出張されたために、土曜日に延期となってしまった。昨日の小腸検査でわかったことによると狭窄個所が6箇所ほどあり、活動期の潰瘍もあるため、まずはIVH(中心静脈点滴)か、ED(鼻からチューブを小腸まで入れて栄養剤を流し込む)で腸を休ませて潰瘍の治療を行うのが先決という事になりそうだ。土曜日の話と、来週はじめくらいに実施予定の大腸内視鏡検査で当面の治療方針が決まりそうな見とおし。但し、潰瘍が治ればまた狭窄が狭くなるので、結局は将来そこがまた詰まって悪化(最悪は腸閉塞になる)することも考えられる。そうなればまた入院して同じような治療を繰り返すことになってしまう。折角入院したこの機会に、そういった将来のことも考えて不安を残さないために、狭窄部分を広げる手術を行うことも検討したほうがよいのではないかということを言われた。これは八尾先生の考えでもあるようである。手術の方法も、開腹するやり方と、腹腔鏡といって開腹せずに細い針金のようなものを入れてやるやり方もあるそうだが、後者の方法は椎間板ヘルニアの手術で一度開腹しているので、腸に癒着がある場合は難しいらしい。
また、夕方就業後に職場のSさん、Yさん、Kさんが、STARWARSと天文とエッチな本(^^ゞを持ってお見舞いに来てくれた。早良区などの遠くからわざわざ来ていただき、本当にありがたい。久しぶりなのですっかり話が弾んでしまい、面会時間終了の20:00まで話しこんでしまった。久しぶりで楽しかった。
1999/5/28 Fri.
遠からずIVHやEDをするようになれば外出もままならなくなるため、購入したい本があることや身の回りの整理もする必要があることを理由に、午後半日の外出許可を取る。一旦家に帰り、電車で博多まで出て、ネットワークの技術書や情報処理2種の試験対策書、NHKラジオの中国語テキストを紀伊国屋で買う。その後ベスト電器、αランド、キャナルシティのメガバンドールにT-ZONEとパソコン屋巡りをする。長期入院に備えて最後の市場調査と、もう一つの目的があった。同室のEさんにWindowsCEマシンMobile Gearのモノクロ廉価モデルが出る話をしたらすぐにでも欲しいようなことを言われていたので探してあげたのである。ベスト電器で店員に聞いたら最初は意味が通じなかったが、具体的な型番を言うとそれをキーに在庫システムで検索してくれた。結果、在庫はなく、卸業者からの割り当てがあっていつ何台入るか分からないため予約も受けられないとのこと。とりあえず上記4店でWinCE機のカタログをひたすら集める。最後の思い出にとキャナルシティでイタリアンジェラート中標津ミルクを食べて帰宅すると、遊びすぎたせいか残り一時間しかなく家内がむくれていた。もっともである。折角二人きりになるチャンスだったのに、あんまり一緒の時間を過ごせなかった。申し訳ない。取り急ぎ病院へ持っていくものを取り揃えながら、ノートPCのデータを家においておくほうのPCにバックアップして慌しく病院に戻った。
1999/5/29 Sat.
この病院は私のかかっている病気の権威として有名なので、佐賀や大分など他の県からも患者が来ており、今日その患者の交流会があった。その席上で「切ったほうがいいと言われているんですがどうなんでしょうか?」と聞いたところ、外来の婦長さんが「うちの病院は他と違ってなるべく切らずに治すという方 針で有名だが、それでも切ったほうがいいといわれるのなら本当に切ったほうがいいのでしょう。普通、この病気は加齢するほどに症状が落ち着いてくるので、若い20代なら再発する可能性も高いが、15年も普通の食事をしながらやってきて30歳過ぎにもなったら、切ってもそれから悪くことはないのではないでしょうか。」と言われた。
1999/5/30 Sun.
金曜日に買ってきた中国語のテキストが5月号だった(何で月末にも関わらずその月のテキストを平台に山積にしとくんだ>>紀伊国屋!!)ため、病院をフラフラっと抜け出して本を買いに行く。近所の本屋やコンビニを覗いたがない為、思いきっていつも行っているショッピングセンター「ゆめタウン」まで足を伸ばすことにする。実際に歩いてみると意外に近く、片道15分くらいで行けた。しばしシャバの空気を満喫する。
1999/5/31 Mon.
主治医のU先生がY院長に相談された結果を話しにこられた。前出のように狭窄個所が6箇所あるのだが、そのうち1箇所がかなり狭く、縦走潰瘍といって腸に沿って縦に潰瘍が出来て狭くなっている。これが将来腸閉塞を起こす恐れがあるのでやはり広げる手術である狭窄形成術(Stricture plasty)をしておいたほうがいいという結論だそうだ。まず、腸を休ませて現在できている潰瘍を治す為に、絶食して静脈に栄養を点滴する「IVH(中心静脈栄養)」という治療を2週間ほど行い、その後開腹して小腸を切って広げる手術をするとのこと。その時は折角開腹するので他の狭窄個所も広げるようにするだろう。切ってから外科で3週間、その後内科に戻って2〜3週間とのことであった。早速明日からIVHをするそうなので、どうしてももう一度欲しいソフトを買いに行きたくなり、夕食後ゆめタウンのベスト電器へ向かう。ところが、着いてみたら「棚卸のため本日18時閉店」の看板が。他の店はどこも20:00まで営業しているのに自分のところだけ閉めているのである。ヤマダやコジマやビックカメラが続々と九州に上陸して競争が厳しくなっているのに、相変わらずいつまでも殿様商売である。危機感がまるでない。
1999/6/1 Tue.
今日の朝からついに、IVH(中心静脈栄養療法)による治療に入った。具体的には、鎖骨のところの静脈に太い針を刺して24時間栄養剤を点滴して絶食し、腸を休ませるのである。お茶などの水分だけはOKだそうだが、それ以外は飴さえも糖分があるので駄目だそうである。針を刺す前には、「刺しそこなうとまれに動脈に入ったり肺に穴があいて気胸になったりすることがある」と言われたが、そういうこともなく無事に入った。危ない話のようだが、冷静に考えれば、それだけインフォームドコンセントがしっかりしているので信頼できるということになると言える。麻酔をしていたので痛みは殆どなかったが、最後のほうで挿入したチューブを固定するために縫合するときに麻酔が切れて痛かった。
点滴の導管には途中に下の写真のような0.2micronのケミカル繊維のフィルターがついている。直接静脈に流し込むので、万一血管を詰まらせるような異物が混入しても、ここでフィルタリングされるのであろう。
今日はとりあえず、小さ目の「ソリタT-3号」という点滴である。成分は、塩化ナトリウム、塩化カリウム、L-乳酸ナトリウム、ブドウ糖。明日からは本格的な点滴になるという。やっと治療といえるフェーズに入ってきたが、まだまだ先は長い。
前出のEさんにゆめタウンへのルートを教えたら早速遊びに行き、ベスト電器で問い合わせた結果、例のMobile Gear(以下モバギ)が天神本店にあるという情報を聞いてこられた。明日早速外出許可を取って行くそうである。すごい執念だ。
1999/6/2 Wed.
今日は大腸ファイバーの検査をした。朝から「ニフレック」という食塩水みたいな下剤を2リットル飲んで、腸の中を空っぽにしてからお尻からファイバーを入れた。今日の先生(K先生)はとても上手で、これまで4回やった大腸ファイバーの中では一番楽で全く苦しむことなく、ディスプレイに移った自分の腸の中を面白く眺める余裕さえあった。カメラで見ていると大腸の内壁はきれいなピンク色をしており、素人目にも正常なように見えた。時々黄色い残さが壁に付いていたが、先生が手もとのファイバーのキャップを開けて注射器で水をチュッと注入すると、一瞬おなかの中が冷っとして、それと同時に画面の中で残さがピュッと流される様が面白かった。その後何箇所か生検をされてあっという間に検査が終わった。こんなに楽なら何回やってもいい。ニフレックは嫌だけど。検査後の主治医のU先生の話では「小腸から大腸への出口のところに、若干『アフタ』と呼ばれる絨毯状の病変があるが、それ以外は特に異常ない」ということで、やはり典型的な小腸型の病巣のようである。IVHの点滴が予告通り変わった。「ピーエヌツイン1号」という大きめの2層構造の点滴で、2層の液を混ぜてから使う。I層成分(800ml):ブドウ糖、塩化ナトリウム、酢酸カリウム、リン酸二水素カリウム、硫酸マグネシウム、グルコン酸カルシウム、硫酸亜鉛。II層成分(200ml):L-イソロイシン、L-ロイシン、酢酸L-リジン、L-メチオニン、L-ファニルアラニン、L-トレオニン、L-トリプトファン、L-バリン、L-アラニン、L-アルギニン、L-アスパラギン酸、L-システイン、L-グルタミン酸、L-ヒスチジン、L-プロリン、L-セリン、L-チロジン、アミノ酢酸。
天神へモバギを買いに行かれるEさんにお金を預け、欲しいソフトを買ってきていただいた。勿論、モバギもしっかりゲットしてこられた。
1999/6/3 Thu.
検査も一通り終わったので、本日の回診で主治医から大体のスケジュールを知らされた。
- 6/21か6/23に6ヶ所の狭窄を広げる手術
- その後外科で3週間程度、療養と経過観察
- 内科に戻って2〜3週間の療養と鼻からの経管栄養治療
- 従って、退院見込みは7月末ぎりぎりか8月初旬
当初の予定では手術のみのスケジュールとして1ヶ月強と聞いていたが、病変部の特定の為の検査に手間取 ったことと、治療方針の決定が長引いた為に予想以上の入院を強いられることとなってしまった。仕事のほうが心配。 点滴が「ピーエヌツイン2号」に変わった。成分は同じだが、I層:800ml、II層:300mlであり、これを12時間かけて落として朝9時と夜21時に交換する。ちなみに、混合後の電解質量はNa+:50mEq, K+:30mEq, Mg++:6mEq, Ca++:8mEq, Cl-:50mEq, SO4--:6mEq, Acetate:40mEq, Phosphate:8mmol, Gluconate:8mEq, Zn++:20μmol。総熱量:840kcal, 非蛋白カロリー/N:158, pH約5。「2号」と「3号」を12時間交代で交互に点滴するようだ。
職場のI課長から、あるプロジェクトについての打ち合わせがあるためアイディアを出してくれというメールが入る。疎外感や寂しさを感じないように、あまり負担にならないアイディアだけの軽い仕事を回してくれたんだなと感謝する。ありがたい親心である。早速いくつか考えてメールでリプライする。リモートオフィスみたい。EさんにWinCEの使い方を指南し、以前から持っていたDOS版モバギのデータをWinCEのPocket Excel用にコンバートしてあげた。まさに芸は見をたすく。吉岡たすく。つまらん。
1999/6/4 Fri.
6月になり、先月申請していたBiglobeの15時間まで定額サービスの適用が開始されたので、早速無料オプションのホームページ開設の手続きを取る。とりあえずすんなり場所だけはとれ、ここ数日でファイル転送などの環境も整った。後はコンテンツの充実である。ノートPCがあるとインターネットに簡単にアクセスできるので本当に便利である。おまけにこんなこともあろうかとロッドアンテナ付きTVチューナーカードを買っていたので、これ一台で液晶テレビにもなる。これで少なくとも情報収集のルートは家にいるとき同様に確保できる。午後、散髪やさんが来たので短めに髪を切ってもらった。洗髪込みで\1,800円だが、中国の床屋みたいに人の往来する廊下で切られるので落ち着かない。まぁ安いから仕方ないか。
1999/6/5 Sat.
今日は「イントラファット」という点滴を受けた。IVHだけでは足りない脂肪分を補給するためだそうで、色は何と真っ白である。白い液体が血管中に入っていくのは何となく不気味である。思わずブレードランナーとかエイリアンとかを思い出して、若い看護婦さんに「レプリカントみたいだね。」と言ったが通じなかった(^^ゞ。
点滴は2時間ほどであったが、丁度その最中に職場のKさんが見舞いに来てくださった。お見舞いに石丸萬盛堂のおかき詰め合わせを頂いた。絶対よくなって食べてやる。午後は熊本の両親が来た。頼んでいたこの病気に関する本を超特急で取り寄せて持ってきてくれた。 両親の相手をしている横では、同室のTさんが結核の疑いがあるということが分かり、強制転院させられていた。院内感染の話題で病室内でも冗談を言い合っていたが、まさか身近にも起こるとは。大丈夫かいな?
入院してからの丸2週間書けて作ったHTMLファイルが飛んでしまってまっさらになり、ちょっとショック。テキストで140kbyteというと我ながら結構打ったと思うのだが、やっと完成して推敲しているときにエラーが発生し、慌ててHTMLエディターで上書き保存をした瞬間にシステムが落ちてしまった。再起動したら、ファイルはあるのだが容量が0byteになってて、まかさと思って開いたら中身が消えていた。キャッシュにもテンポラリーにも残っていなかった。スキャンディスクを掛けても破損ファイルとして検出されない。 ずぼらをしてプリインストールのFrontpage Expressなんか使ったからだろうか。幸い途中までの分はWebにアップしていたので、それを回収したら70kbyteと約半分は救済できたが、後半半分をまた書くのかと思うと、いくら閑でもちょっと気が重い。
1999/6/6 Sun.
昨日吹っ飛んでしまったHTMファイルを根性で書きなおす。結構かったるい。慎重にフラッシュカードにもバックアップを取りながら同じ内容を思い出して書く。2回目なので文章的には多少こなれたような気がする。Frontpage Expressは、ファイル容量が100kbyte以上になると、オーバーした分が表示されず編集できない。これってバグじゃないの? それともそれ以上のファイルを編集したかったら製品版を買えってことかな?ずるいぞMS。
1999/6/7 Mon.
昨日から今日にかけて「24時間クレアチニンクリアランス」という腎臓機能を調べる検査を行った。しかし、患者がすることは24時間の尿をためるのと、採血一本だけである。楽勝。空いていた2つのベッドが埋まった。一人は何故か他の個室から越してきた65歳のYさん。もう一人は13歳で私と同じ病気のY君である。まぁ仲良くやりましょう。
1999/6/8 Tue.
昨日と今日、明け方から午前中にかけて下降結腸の付近に、鈍いしくしくした痛みがある。一週間便が出ていないせいだろうか。食べないから出なくて当たり前と思うのだが、腸からの分泌物や腸内バクテリアの死骸などが便として排出されるのだそうだ。昨日は売店で冷たいジャスミンティーを買ってカーッと飲んだらその反射で少し粘液様の便が出た。適切な量なのかどうか分からないが、とりあえず痛みが軽減したため安心していたのだが、今朝もまたしくしく痛んだ。今日も朝から無理やり便を出したが、 相変わらず少なくとうとう水溶便になってしまった。今夜、週に2回の「イントラファット」点滴が突然やってきた。お陰で古畑任三郎をじっくり見れなかった。
1999/6/9 Wed.
手術に備えて肺活量と気道の流量が十分にあるかの検査があった。最新鋭の測定機で、ホースをくわえて息を吐いたり吸ったりすると、その場でディスプレイにチャート化されるので一目瞭然である。定量化の為に2回ずつやったが、そのチャートが画面上に重なって表示され、2回ともほぼ同じ曲線を示していた。肺活量は4,000ccで十分だとという事であった。また、大宰府の親戚であるTおばさんがお見舞いに来てくださった。
1999/6/10 Thu.
回診日にもかかわらず千客万来であった。13時過ぎに、以前同室で転院されたKさんが奥さんと挨拶に来られた。無事退院されて、週に一度の外来通院になったとのこと。おめでとうございます。14時過ぎには天草の妹が用事で福岡に来たついでに見舞いに来てくれた。16時前には職場のS室長とM課長がたくさんの本を持ってお見舞いに来てくださった。回診中なので病棟に入れてもらえず、ロビーで立ち話となってしまった。せっかく来ていただいたのに申し訳ないなぁ。
今朝の採血の検査結果でたんぱく質が6.2に向上していた。また血小板の数値も下がっていた。IVHの成果か。但しCRPは逆に0.7+と、以前の0.4+より少し悪くなっている。3組も見舞い客があったせいか、今日はいつもより疲れている。夜8時の検温でも36.7度と平熱より少し高い。いつもより早く(といっても消灯後だが)寝よう。
1999/6/11 Fri.
昨日の夜からどうもきついなぁと思って早く寝たのに、朝も起きられない。朝食がないのを良いことに午前中いっぱい寝たおしてしまった。だが、朝10時の検温で37.1度、昼2時の検温で37.5度と明らかに熱がある。おまけに体もものすごくだるい。これはやばいかも。IVHの感染症じゃなきゃいいけど。そんな中、職場のK部長がI課長の案内でお見舞いに来てくださった。数百人規模の大きな部の部長自ら私一人のためにである。ちょっと感激。おまけにお見舞いにきれいな花を頂いた。今まで殺風景だった部屋が華やぐ。
今日は体がだるく何もする気がしないので殆ど1日寝ていた。熱があるので勿論お風呂も駄目。しくしく。(>_<)
1999/6/12 Sat.
朝6時に36.9度、10時に37.3度、14時に38.3度と一気に熱が上がってしまった。心配した同室のEさんがナースステーションまで行って主治医を呼んでくださった。主治医の話では、感染症ならぽ〜んと一気に40度くらいまで上がるが、こういう風にじりじり上がるのは風邪ではないかとのこと。診察の結果、のども赤いとのことでイソジンと風邪薬、抗生物質を処方してもらう。更に、38度まで上がった時点で、念のため培養して感染症かどうかを調べるために採血し、解熱剤の筋肉注射を受ける。そのお陰で、その後は18時に37.1度、20時に37.1度、22時に36.9度と落ち着いてきた。
熱でうなされている間に妙な夢を見た。何故かステーキ屋にいて、フィレステーキを一口、口に入れてジューシーな肉汁が口いっぱいに広がり、ひと噛みしたところで痛みが走って目がさめた。何と自分の舌をステーキと間違えて夢の中で噛んでいたのである(^^ゞ。何日も食欲が満たされないと、こういう妄想を見るようになるのでだろうか。他によく見るのは仕事の夢。その都度シチュエーションは違うのが、大抵パターンは決まっていて、営業廻りかなにかに出かけて、1日なにもせずにぷらぷらして帰ってくると後輩達が何十件受注というような目覚しい成果をあげていて、とても恥ずかしい思いをするというようなストーリーである。こういう性格が消化器系疾患の一因かもしれないが、こればっかりはなかなかどうにもならない。まぁ、こうなってしまったのは仕方がないので、あまり深刻にくよくよ悩まずに治療に専念しよう。
そんな中、今日はいっしょに仕事をしているグループ会社のHさんが見舞いに来てくださった。
1999/6/13 Sun.
朝6時に36.9度、10時に37.3度、14時に37.1度と今日はそれほど上がらない。朝、昨日から一泊で福岡に遊びに来た妹夫妻がお見舞いに来てくれて、きれいな花を買ってきてくれた。ペットボトルで作った即興の花瓶に生ける。それと入れ違いに熊本の両親が来た。熱が38度まで出たと聞いて、居ても立っても入られずすっ飛んできたそうだ。ホントに心配性だなぁ。
熱が上がらず少し気力も出てきたので、溜まっていたメールのリプライを出す。妹がPostpetを買ったということなので、こちらもプリインストールのPostpetでメールを出してみるが、使えば使うほど使えんメーラだと分かる。1回に1通しか出せないし。送信ボタンを押すとオフラインにも関わらずすぐPOPサーバを探しに行って、つながってないからエラーになるし、これじゃ全然モバイルで使えないじゃないか。どういう仕様なんだ。何でもてはやされるのかイマイチ分からない。ペルソナのPostpetCEはどういう仕様になってるんだろう。あれこそ常時ネットワークにつながっているとは考えられないのだが。
1999/6/14 Mon.
今日やっと熱が下がり、どの時間帯に計っても36.8度まで落ち着いた。久しぶりにシャワーを浴びた。気持ちよかったー!!しかし、3日前に下剤を飲んでから、毎日3回は水溶便が出るようになってしまった。おならと区別がつきにくいので、ちょっとびくびくものである。何も食べていなくても、腸内細菌の死骸や、腸の古くなった粘膜やらで粘液状の便が出るのである。何も食べなきゃうんこしなくて良いぞとちょっと喜んでいたのに。
1999/6/15 Tue.
今日はイントラファットの日であった。またも不意打ちで来たので準備が出来ていずばたばたした。ちょっと体調が回復してきたので、Train Simmulatorの京浜急行をやったが、クリア基準がむちゃくちゃシビアである。ダイア通りに運行して、かつ停止位置をプラスマイナス1m以内にしなければならない。電車の運転もたいへんだなぁ。
Eさんから借りた「若者の腸が危ない」という本を読んでみたら、「中国の広州にはIBD患者が殆ど居ない、台北でも食生活が極端に欧米化する十数年前まではIBD患者が居なかった」というような趣旨のことが書かれていた。そういえば、昨年、一昨年と、中国の上海に1回、台湾の台北に3回、それぞれ1ヶ月ずつ仕事で滞在したが、その間、土日もなく1ヶ月働きづめだわ、夕食は毎日夜9時以降だわ、食後も会社に戻って0時過ぎまで仕事してるわ、3食とも脂っこい中華料理だわ、と、この病気にはよくないことばかりしてきたのに、帰国して採血してみると貧血はないし、たんぱく質もカルシウムも正常値を上回るほど改善してるしで、なんで?と思ったものである。台北で1回だけ調子が悪くなったのですが、その時は日系企業の懇親のバーベキューで、日本から持ちこんだ焼肉のたれなど日本の調味料を大量に使った日本式の食事だったのである。このように、自分の体験に照らし合わせても、本場の中華料理は「医食同源」のコンセプトがIBDによくあっているのではないかという気がしてきた。ただし、日本で食べる、日本の科学調味料を使ったまがい物の中華では駄目で、やっぱり本場の中華料理でないと効果がないようだ。誰かお医者さんがまじめに研究してくれないかな。
1999/6/16 Wed.
熱は下がったのだが、とにかくめちゃくちゃ眠い!!夜もたっぷり眠る上に、午前中も昼過ぎまで寝ている。ご飯を食べないので、完全にリズムが崩れてしまった。夜は職場のSさん、Aさん、Yさん、Iくんが見舞いに来てくれた。職場の話や会社の今後についてすっかり盛りあがってしまった。
1999/6/17 Thu.
手術が正式に6/21(月)と決まった。明日付けで、ベッドはここのままで外科に転科となり、手術の説明などがあるそうだ。今朝の採血でTP(Total Protain:総蛋白)が6.5と正常値に回復していた。CRPも0.3+とまずまずである。貧血が10とちょっと低いので造血剤を使うかもしれないとのこと。職場のAさんが私のノートPCを持って見舞いに来てくださった。明日I課長がPIAFSカードとPHSとワンタイムパスワードカードを持ってきてくれるそうで、これで会社に来ているメールが読めるというわけだ。手術前の身辺整理をしなければ。
1999/6/18 Fri.
朝からイントラファットの点滴を受けた。また、手術に向けて外科に転科となった。主治医はKi先生とKo先生。とりあえずベッドはこのまま。手術後は一晩だけ2階の集中治療室に入り、その後こちらへ戻ってくるか、4階の外科病棟に空きが出来たらそちらへ移るとのこと。手術に向けてのオリエンテーションがあり、肺機能を高めるための訓練とかばんそうこうにかぶれないかのテストとか何かと忙しい。
そんな中、I課長がPIAFSカードとPHSとワンタイムパスワードカードを持ってきて下さったので、1ヶ月ぶりに会社のネットワークへアクセスする。何と1,000通近くものメールが届いていた。2時間くらいかけて、とりあえず重要度の低いメールを削除し、とっておくメールは分類して、ローカルのPCへレプリケーションする。Notesなのでいちいちレプリケーションしないとローカルに保存されないのだ。そのくせ、NW管理者はサーバーのメールが一定以上の容量になると勝手に削除するし。だったらリモートアクセスさせてくれれば良いのに。管理ポリシーがなってないなぁ。
同室のEさんにOCNの設定パラメータが届いたので、MobileGearII MC-R320のダイアルアップ設定をしてあげる。私というSEのフルサポート付きであるのでお買い得。こうでもしないとOCNなんて入ってくれる人居ないわな。そんな忙しさにかまけていたら、たまごっちがお亡くなりになってしまった。享年17歳、まぁ十分長生きしたほうか。手術中どうしようかと思っていたので、丁度良かったのかもしれない。
1999/6/19 Sat.
今日は家内と、熊本の実家からやってきた両親も交えて手術の説明があった。外科の執刀医はF助教授、Ki先生、Ko先生、他1名である。手術の内容や、その際のリスクなどについても丁寧に説明され、またもインフォームドコンセントがしっかりしているなぁという印象を強くした。開腹して小腸を引っ張り出し、順に手繰って行って指の太さより狭くなっているところは通過障害があるので狭窄形成術を行う。その際、過去に起きた炎症などで腸が癒着していることが想定され、特に私の場合は以前椎間板ヘルニアの手術で一度開腹しているので、その影響による癒着の程度が通常の手術よりも大きいことが予想され、これを剥離するのが大仕事であるとのことである。また剥離個所からじわーっと出血するので、癒着個所が多いと必然的に出血量も多くなり輸血の必要が生じる可能性もあるとのことであった。術後2週間程度で再び内科へ転科となり、内科的治療を3〜4週間行って退院となる予定である。
1999/6/20 Sun.
明日の手術に備えて乳首から太ももまでの剃毛を行った。若くてかわいい看護婦のHiさんと、中堅ベテラン看護婦のHoさんの2人掛かりでやってもらったが、何せ毛深いので悪戦苦闘の様子だった。「剃っても剃ってもすぐ後から生えてくるような気がする。」「これは明日手術に行くときはまた生えてて、剃毛が不充分と怒られるかも。午前中じゃなくて午後剃れば良かった。」「(カルテを見ながら)尻の毛は剃らなくても良いのよね。でもなんかこの出てるのが気になるなぁ。出てるのだけ剃っとこう」等のせりふから苦労がしのばれる。以前椎間板ヘルニアの手術をしたときはまだ若かったので、看護婦さんに触られただけでびんびんだったが、今回は年を重ねてある程度コントロールできるようになっていたのでそんなこともなかった。ただ、やっぱり竿の毛を剃られるときは硬くなってしまったが。剃られてつるつるになった股間を見ていると赤ちゃんみたいで、いつもはグロテスクで凶悪な様相を見せているモノも何かかわいくて迫力がない。写真に撮ったのだがここに載せるのは不適当なので載せないでおこう。欲しい人は下記まで(^^ゞ 夜は福岡で開催されたK1をTV観戦した。武蔵、佐竹正明がKO勝ちし、メインイベントのサム・グレコVSマイク・ベルナルドでは、判定でサム・グレコが勝つという番狂わせもあった。明日の手術に向けて勇気付けられたような気がする。
1999/6/21 Mon.
いよいよ手術当日である。朝から浣腸3発を入れられ、排便を済ませてじっと時を待つ。実は同室のEさんのモバギのブラウザにちょっとした問題があってniftyに質問を投げていたのだが、回答がきていたのでそのやり取りをしたりお礼のRESを書いたりと、間際まで結構忙しい。そうこうしているうちに、家内、義母、両親と家族もそろい、話をしていると11時少し前に突然看護婦さんが「11:05に手術室にくるように呼ばれたので、超特急でおしっこを済ませてください」と告げる。慌ててトイレへ行き、手術着に着替えてストレッチャーに飛び乗る。手術着は服の型紙そのまんまのような感じで、前と後ろが完全に別パーツになっており、ベロクロで貼り合わせただけのシンプルな構造であった。看護婦さんが飛ばしてくれたおかげでどうにか間に合い、家族との別れもそこそこに11:05オンタイムに2Fの手術室に滑り込む。まず到着すると「お名前教えてください」と聞かれ、フルネームで応える。やはりとり違え防止確認の基本中の基本である。映画みたいにスーッと自動で開くドアをいくつか通り抜け「第一手術室」と書かれた部屋に入る。部屋の中は壁から天井にいたるまで一面薄緑色で、中央の手術台を囲むように所狭しと医療機器がならべられ、天井からはUFOみたいな例のでっかい証明灯が下がっていた。TVドラマのER IIIみたいである。手術台の上に移されると、早速いくつもの手が伸びてきて、右腕に血圧計、胸に心電図計、左手に心拍計と点滴という具合に手際よくいろんなものをつけられていく。そして横向きにされて背中を丸めさせられ、脊髄の何ヶ所かにお腹の部分を麻痺させる局部麻酔を打たれた。それから再び仰向けにされると、アルコール綿でお腹を触ったり胸を触ったりして感覚を聞かれた。ひどく寒くてガチガチと歯の根が合わない。恐怖で震えているとは思われたくないな。触った感じで麻酔が充分と分かると誰かが「よしGO」という声が聞こえた。そして口の前に何やらマスクが差し出されたなぁと思うまもなく、すぅっと意識が遠退いていった。
遥か遠くから「終わりましたよ」という声が聞こえると同時に、口から何かホースみたいなものが乱暴に引きぬかれ、胸から心電図の端子がべりべりっとひっぺがされる感覚で目がさめた。一瞬遅れて脳が状況を理解し、思わず口から「ありがとうございました」という言葉と、目から熱いものがあふれ出る。そのままストレッチャーを押されて手術室を出ていったんロビーで待つ家族の前を通りレントゲン撮影や後処置をしたそうだが、この辺の記憶はまったくない。この時点で15:00だったらしい。次に家族と再会したのは同じ2Fの集中治療室だったそうだ。「ご家族が見えられてますよ」という声に、まだ充分目は見えなかったが気配でなんとなく分かったので、まず家内の名前を呼んで「愛してるよ」と言い、両親と義母に「ありがとう」と告げた。こういう時だからこそ素直な気持ちが言葉になって出てくる。それから実家の祖母と、天草の妹と、職場の課長に電話するように要請する。どうも職場の電話番号までブツブツつぶやいていたらしい。先生が「気分はどうですか?」と聞くので足がしびれて感覚がないと訴えると、「麻酔の効き過ぎです」と説明している声が遠くから聞こえた。その他にも、鼻の穴から喉の奥にチューブが通っていてひどく息苦しかったのだが、そのことを告げる前に再び意識が遠退いていって深い眠りに落ちてしまった。この日の記憶はここで終わる。
1999/6/22 Tue.
うとうとしていたら「やっと朝ですよ」という声で起こされた。長く苦しい一晩目を過ごしたであろう術後患者へのいたわりが感じられる。足のしびれも取れて感覚が戻ってきているようである。ぼーっとしている間に暖かいタオルで顔を拭かれ、裸に剥かれて体を拭かれ、着替えさせてもらう。もうなすがままである。なんか物として扱われているような感じである。その後もまたとろとろぼーっとしていると、別室のほうから「わ〜ん」「おかあさ〜ん!」というような叫びが聞こえ、その後は号泣とすすり泣きがこだましていた。こうやって生き延びてぼーっと寝ているものもいれば死に行くものもいる。病院とは壮絶なところだなぁとしみじみ思った。顔を拭いてもらったのはいいが、鼻から喉の奥に通っているチューブを額に固定していたテープがはがれて、ちょっと顔を動かすたびにチューブが鼻の穴を支点にして喉の奥で暴れておえっとなる。看護婦さん達は何人か居るようなのだが、忙しく行き来していて呼びとめるのは悪いので、「点滴代えときますね」とやって来た看護婦さんに「すみません、ここのテープがはがれて、、、」ときりだすと、乱暴に口の酸素マスクをひっぺがし「はぁっ?」と聞き返してきた。明らかに嫌そうな顔である。出ない声を振り絞って「テープがはがれてチューブが喉の奥で暴れて苦しいので貼り代えてください。」とお願いすると、鼻にしわを寄せあからさまなしかめ面をして、「暴れるぅ?」と聞き返し、はがれたテープを再度額にぺたっとつけただけで「はい、これでいいですね」といい残してすたすたと行ってしまった。そうじゃないのにぃ!なんとなく2Fの看護婦さんは事務的である。しょうがないので自分で酸素マスクをつけ直し、額のテープをしっかりと貼り直した。そういやぁ、しゅっちゅう血圧測りに来た時も、終わった後あの空気で膨らませるベルトを強引にひっこ抜いていくので、ベロクロで腕が擦れて痛かったぞ。
やがてKi先生が「鼻の管を抜きましょうかね」と言いながら来られて、一瞬「やたっ」と喜ぶが、カテーテルの中を流れている液の流量と、ベッド脇でその流れ出た液を受けているであろう瓶の中の量の多さに、「こりゃまだ抜けんなぁ」とつぶやかれて取りやめになってしまった。確かに黄色と赤黒い色の混じった液がどんどん流れ出てきており、まだ当分は出てきそうな勢いである。この時点で点滴は4本。2本が途中で合流して鎖骨のところのIVHのラインに入り、残り2本が合流して左手首に入っている。しかもスケジュールがかなり遅れて次がつかえている様子である。先生は「どうすっかなぁ」としばらく思案して、「これとこれ破棄。抹消撤去」と指示を出された。とりあえず左手首の点滴だけは抜いてもらうことができ、小さいながらも自由を一つ取り戻した。
その後もまたうとうとしていると、「お迎えが来ましたよ」という声で起こされる。なに!縁起でもないと思ったが、5Fの病棟の看護婦さん達が私をもとの病室に戻すために迎えにきてくれたのだ。知っている顔を見て妙に安心する。その場で私の元寝ていたベッドにせーので移され、そのまま看護婦さんにベッドを押してもらって10:30頃には元の病室の元の位置に収まった。それと相前後して家内と両親が姿をあらわし、すっかり安心したのか、その日の残りはそのままうとうとして過ぎていった。
1999/6/23 Wed.
熱が高い。ずっと38.5度前後ある。ずっと氷枕を使っているがすぐに解けてしまう。おまけに鼻のカテーテルが気持ち悪い。外科のF助教授とKo先生が来られて、胃液と出血した血が腸が動き出さないうちは下に流れていかないのであふれて嘔吐し、誤飲の危険性があるとのこと。腸が動き出すまでは鼻から胃に通したカテーテルで排出する必要があるとのこと。確かに黄色い胃液7割の間に雲のように赤黒い血が3割ほど浮いて流れていっている。おえ〜、こんな気持ち悪いのならどんどん出さなきゃ。これは我慢するしかないか。また、両先生から狭窄が14箇所あり、そのうち一つは狭窄がひどくて手前で腸が膨張して滞留しており、中身を絞り出す必要があったということも教えてもらった。
1999/6/24 Thu.
鼻のカテーテルがうっとおしくて、ちょっと動いても鼻と喉の奥の粘膜を刺激するので何もする気がおきず、ただ寝てるしかない。昨日から梅雨末期特有の本格的な豪雨である。そんな豪雨の中、わざわざ天草の妹が見舞いにきてくれた。兄思いのやさしい妹である。本当は手術の日に来たかったらしいのだが、一人で心配しながら車を飛ばして行き帰りするのは危ないと母が止めたそうな。カテーテルのせいで疸と鼻水はしょっちゅう出るわ、38.5度の熱でもうろうとしてるわで、兄として情けない姿を見せてしまった。体拭き(正式には清拭という:シャレ)の時に、看護婦さんが背骨を触りながら「ここ痛くなぁい?」と聞く。確かに寝返りを打つたびにずきずきしていたのだが、「脊髄に麻酔打った時の注射跡でしょ?」と答えると、何と実はそこにも細いファイバーみたいなチューブで痛み止めの点滴を打っていたのである。寝返りといえば、もう一ヶ所、右脇腹、腸骨の上あたりにずきずきする痛みがあって、てっきり縫い傷だと思っていたのだが、ここにはドレーンといって傷の汁を外に排出する管が埋められていた。よって、現在体に入っているチューブは、鼻から胃、IVH、背中の痛み止め、脇のドレーン、導尿カテーテル、の5本である。すごいもんだ。ずっとまっすぐ寝ていると腰が痛くなるので、時々左右に寝返りを打つのだが問題が二つ。まず、右側を向くと丁度右脇腹のドレーンの刺さっているところに体重がかかって痛い。それから、左右を向くたびにおなかの中で腸の塊が、さながら石ころのように「どさっ」と向いた側に寄ってしまう。まだ十分腸が納まるべきところに落ち着いていないのだろうか。赤ずきんで腹に石ころを詰められた狼の気分である。
1999/6/25 Fri.
鼻から入れているチューブが邪魔で邪魔で、鼻の粘膜を刺激して始終鼻水が喉の奥まであふれて呼吸が苦しいわ、寝返りを打つたびにチューブが喉の奥で暴れて目がさめるわで、うとうとしては1時間おきに目がさめるという状態であった。このままでは不眠でノイローゼになってしまう。しかし、午前4時に3発、午前5時半に1発、待望のガスが出た。午前中Ko先生がこられたときにそのことを告げたら、聴診器で腸の動きを診察され、胃を触診して「まだ動きが弱い。胃液もだいぶ溜まっているので今抜くと吐き気が出てくるはず。普通の手術だったら翌日には抜くんですが、14ヶ所も切っていると動き出すのに時間がかかるので、夕方まで様子を見てそれから抜きましょう。」といわれた。じゃぁ、もし夕方まで変化なかったらまた一晩このままなのかとかなりがっかり。その後、睡眠不足なのでうとうとしてはまた苦しくて目がさめということを繰り返していたら、12:30にKo先生が見えられ、苦しそうに鼻のチューブを手で支えてうとうとしている姿を見て「抜きましょう。」と言われた。やた!「但し吐き気が出てきたらまた入れます。」と言われ、かなりびくびく。ずずずずっと、胃の中から食道、喉、鼻と生暖かいものが通っていっておえっとなったが、何とかこらえて無事にチューブが抜け新鮮な空気が吸えるようになった。またひとつ自由を取り戻したという感じ。「吐き気が出たらまた入れますのですぐ看護婦に言ってください。」と言って去っていかれたが、なんか脅しをかけられたような感じ。入っているときも辛いが、入れるときが一番辛いんだよなぁ。特大の太さだし硬いし。今回は麻酔中に入れてもらったからよかったけど、昔別の手術のときは前処置で意識のあるときだったから目茶目茶苦しくてげろげろ吐いたもんなぁ。
鼻のチューブが取れたので自由を謳歌しようと廊下を散歩していると、ナースステーションからわらわらと看護婦さんが出てきて、すっかり囲まれてしまった。歩けるようになったのを自分のことのように喜んでくれて、本当にありがたい。しかし主任さんにはつんつるてんの浴衣姿を笑われてしまった。いわく「夏休みの、、、その先は言わないでおくわ。」その後看護婦さんに髪を洗ってもらい、久しぶりにさっぱりした気分になる。
夕方には担当看護婦のMさんが導尿カテーテルを抜きにきてくれた。こっちのほうはわざわざトイレまで行かずにすんで楽なのでずっと入れておいて欲しかったのだが、そう言ったらMさんが「膀胱炎になるからだめ」と教えてくれた。カテーテルを抜くときに一瞬「もれる!」と思ったのだが、それはカテーテルを抜く感じであって幸い粗相をすることはなかった。その後脱糸綿で尿道口を消毒してくれたが、これはとてつもなく気持ちよかった。初めておしっこに行った時は、出している途中で尿道口からぶりぶりっと空気が出てきてちょっとびっくりしたが、前の手術でもこんなことがあったことを思い出し、落ち着きを取り戻した。それよりも、おしっこを出していると最後のほうで下腹にキューっと絞るような痛みがあるのが気になる。中の傷の痛みなのか、膀胱の痛みなのか良く分からないがしばらく様子を見ることにしよう。
1999/6/26 Sat.
昨夜から梅雨末期のすごい豪雨である。しかし熊本から父がずぶ濡れになりながら様子を見に来た。さすがに15時くらいには帰ったが。それと入れ違いに、きれいな花かごを持った見慣れない女性が部屋に入ってきてまっすぐこちらへやってくる。はて?誰だろうと思っていたら、いとこの奥さんの直子さんであった。お互い福岡に転勤してきて隣の市に住んでいることは知っていたのだが、なかなか忙しくて疎遠になってしまっていた。それなのにこうやって来てくれるとはありがたいことである。だんなは雨にもかかわらず、今日明日は会社の慰安旅行でハウステンボスだそうだ。
今日は朝から1週間ぶりにメールをDLしたら、何と170通も溜まっており、全部に目を通すのと返事を書くのに1日かかってしまった。夜も気分がよかったので久しぶりに夜更かしをして、TBSのブロードキャスターを最後まで見たら、山瀬まみが結婚発表をしていた。
1999/6/27 Sun.
久しぶりに雨があがり、朝からくもり空である。昼前に熊本から母とその姉の叔母夫婦(昨日のいとこの両親)が来てくれた。このところ4週続けて日テレの雷波少年を見ることができないが、これもまぁしかたないか。昨日張り切ったのと夜更かししたせいか、体がだるい。熱も37.5度以上とちょっと高めである。夜はフジのスーパーナイトとF1フランスGPを見たかったのだが、あまりの眠さに21:00には就寝してしまった。
1999/6/28 Mon.
今日は朝9時頃から外科の回診があった。例によってそうそうたるメンバーが現れ、ちょこっと見た後「順調ですね」と言われて簡単に終わってしまった。その後、傷の抜糸と脇のドレーン撤去が行われたが、これは「簡抜糸」とかいって、部分的に抜糸しただけのようであった。ドレーンを撤去した跡がずきずき痛むので、後の付け替えの時に看護婦さんに言ったら、「そうでしょうね。傷がまだぱっくり開いてるもん」と教えてくれた。
1999/6/29 Tue. 豪雨
本格的に抜糸されたのだが、そのときに主事医から「傷口が化膿しているけど心配ないです。」と告げられた。そして、傷のところをぐいぐい押して膿を出している様子である。めちゃめちゃ痛い。2回目の付け替えの時に看護婦さんに聞いたら、「膿は出ていないし傷口もきれいよ」と言われたので気にしないでおこう。私と同じ日に同じような手術をしたある人は、腸の縫い目が裂けて腸の内容物が縫い目から腹腔内にもれて、ドレーンからどんどん出てきて大変な状態らしいので、私はおおむね順調といえるだろう。今日は福岡では観測史上2番目の記録的な豪雨で、博多駅周辺は水没し、地下街は完全に水に沈んで、地下鉄やJRは動かないし、博多駅は停電するしで大変だったらしい。こんなときは入院していて良かったと思う。(^^ゞ
1999/6/30 Wed. 曇り後晴れ
主治医から許可が出たので、久しぶりにシャワーを浴びた。傷に張ったガーゼの上から透明な防水保護シールを張ってもらい、体と髪を洗ってシャワーを浴びた。できればフロ上りに冷たいジュースを飲みたかったのだが、まだ水分を取ることは許可されていないので我慢する。今日から腹帯をはずしてよいことになった。
1999/7/1 Thu. 曇りのち雨
今日から7月、我が社は新会社としてのスタートである。その場に居合わせて体験できないのが残念。きっと今夜は飲み会だろう。入院中だから関係ないけど。朝ニュースをつけたら、いきなり生き別れた兄弟会社のCMをやっていた。張りきっているなぁ。朝のガーゼの付け替えで、傷の下のほうの化膿している部分を処置されてイタイイタイ。ガーゼが傷の下半分のみと、ちっちゃくなってしまったので、パンツのゴムが直接傷にかからないように苦労する。6日間も便通がないのを心配して看護婦さんが主治医にお伺いを立てるが、「便?出ないよ。オペ中にだいぶ引いた(腸をしごいて搾り出した)からね。」という答えだった。ふう、これで下剤を飲まずに済みそうである。ずっと36.8度の微熱と倦怠感があるので、10:00から15:00くらいまで寝る寝る。その後も技術書を読んだりF1本を読んだりと、だらだらすごしてしまった。こんなペースが身についてしまって、チャンと社会復帰できるのだろうか。
1999/7/2 Fri. 雨
やっと経口で水分を取っても良いというお許しが出た。シャワーを浴びた風呂上りに、控えめに熱いお茶を一杯飲む。おいしい!同室のEさんがとうとう退院して行ってしまった。「モバギやインターネットのことで分からなかったらメール出しますから。」という言葉を残して。同室のYさんが暑がりでクーラーをしょっちゅう入れるもんだからちょっと鼻風邪気味である。鼻をかむときに下腹に力が入るので傷が痛む。手で腹を押さえて、力が入っても腹が膨らまないようにしておけば少しはましである。ひどくならないように用心せねば。手術後ずっと3,000ccの点滴を24時間で落としていたのだが、いつのまにか2,000ccになっていた。1日2本の抗生剤の点滴も昨日からなくなった。排尿時の下腹の痛みも殆どなくなって、結構回復してきたという実感。
1999/7/3 Sat. 雨
昨日からの風邪が本格的になってしまい、36.8度〜37.8度の間を行ったり来たりしている。症状はのどのイガイガ、鼻水、悪寒、倦怠感である。一日中おとなしく寝て過ごした。ガーゼ付け替えに来られた主治医のF助教授とKi先生に「風邪引いたみたいで」というと、「じゃぁ内科だな。」と即刻内科への転科が決まった。即断即決である。午後来られた内科の元の主治医であるU先生に風邪の話をして、風邪薬(PL、抗生物質、胃薬)とうがい薬を出していただく。昨日退院したEさんの跡に、早速2Fから移ってきた人がいる。但し寝たきりでせいぜい座ることくらいしか出来ないようだし、ずっとカーテンを閉めきって部屋の人達と一言もしゃべらない上に、家族もすっと来てすっと帰ってしまって挨拶がないので、素性がさっぱりわからない。医者や看護婦との受け答えは結構しっかりしているようなので、単に人見知りしているのか。しゃべり方はタメ口でちょっと横着。とりあえず受け答えの中から名前だけはN氏と分かった。
1999/7/4 Sun. 曇り時々晴れ
薬のおかげで風邪もどうにか収束に向かっているようで、朝36.8度から昼36.6度、夜36.5度と熱も下がってきた。今日も熊本の両親が来てくれた。まめだなぁ。いつまでも子供扱いなのには困ってしまう。夜になって10日ぶりの便が出た。何にも食べていないので、当然茶色の粘液便少量のみである。検便を命じられていたので丁度良かった。
1999/7/5 Mon. 晴れ時々曇り
うーむ、熱は平熱に戻ってきたのだが、相変わらずのどがイガイガして鼻水も白く粘っこいのが少し出る。PLのせいで昼間から寝る寝る。今日やっとデータ通信の本を読み終わって、国際税務の通信教育の勉強に入った。日記を書いていたら、以前同室だったKさんが来られて、明日退院とのこと。記念にと草木染めのランチョンマットを頂いてしまった。
1999/7/6 Tue. 晴れ
まだ少し粘っこい鼻水が出るが、どうやら風邪も落ち着いてきたようである。とうとうYさんが島原へ転院してしまい、Oさんも昨日の治療の結果がうまく行って、木曜か金曜には退院だそうだ。残されるのは、少しボケの入って何を言っているかよく分からないYじいさん、無口な少年Y君、それにいつまでたってもカーテンをご開帳しないN氏である。今までとは打って変わって静かで暗い病室になることであろう。やれやれ。転院して空いたYoさんのベッド(端っこ)に早速真ん中のYaじいさんが移った。昨日の採血の結果、あいかわらず貧血があって気になるとのことで、今日からしばらくブルタールという造血剤を射つことになった。とはいってもIVHのラインに注入するだけなので新たに針を刺すわけではなく痛みなしの超楽勝である。どんどんやってもらいたい。手術後の症状も一段落したので、家内が会社へ報告と挨拶に行ってくれた。その関係でこちらへ来れなくなり飲み物の補給が絶たれてしまったので、売店へお茶と蛍光マーカーを買いに行ったら、閉店時間前なのにもう鍵がかかっていた。先日も飲み物を買いに行ったらワックス掛けとかで半日休んでおり、全く運が悪い。というか、やる気はあるのか!?>売店。トレインシミュレータの京浜急行でようやく普通電車の試験に合格し、京急川崎〜金沢文庫間の急行が運転できるようになったが、横浜〜上大岡間がカーブが多くて制限速度が厳しくかなり難しい。
1999/7/7 Wed. 曇り時々晴れ
どうも風邪が完全に抜けきらない。午前中国際税務の通信教育をやっていたら、のどの痛みと悪寒がしてきたので、布団にもぐりこんで11:00〜14:30まで熟睡する。看護婦さん達が主治医にいろいろと報告してくれたらしく、IVHのラインの取れかかっていたのを主治医が縫い直してくれ、イントラファットも来週から再開するということである。看護婦さん達と医者との間は少し溝があるようである。医者はやっぱり一人前になってくればプライドもあるので体面を繕わなければならないし、ベテランの看護婦さん達は若くて新米の頃は色々教えてあげたじゃないのという気持ちがある。どこの世界でも人間関係は難しいのね。空いていた真ん中のベッドにMさんという中年の方が入ってこられた。大きな声で「よろしくお願いします」と挨拶され、第一印象は良い。
1999/7/8 Thu. 晴れ
まだ風邪が完全に抜けきらない。熱はないのだが鼻水が出て倦怠感がひどく、朝起きてからめざましTVを見た後は14:00過ぎまで寝る寝る。いくら寝ても眠い。何でこんなに眠いんだろう。今日の内科の総合回診で、主治医のU先生がY院長に、「術後3週目で、4週目までこのままIVHをやってから検査をする予定です。」と説明すると、Y院長は「3週目か。もうやっちゃえば?しないと先に進まんだろう。」といわれていた。さてどうなることか。ただ、4〜5日に一回しか便が出ないので、まだ腫れているからだろうとU先生は慎重になっているようだ。家内に頼んで、今回から季刊になった「Mobile Press」を買ってきてもらった。マイナーなのでなかなか見つからず、紀伊国屋から電話をしてきたが、1冊だけあったのをゲットしてきてくれた。期待通りディープな内容で読み応えがある。
1999/7/9 Fri. 曇り時々晴れ
どうにか風邪が収まってきたので、一週間ぶりにシャワーを浴びた。また、朝8時と午後14時に便が出た。一回目は粘液便、2回目は水溶便だった。主治医がおなかを診察した結果、腸の動きがやや弱くてガスも溜まっているということで、明日レントゲンを撮ることになった。ネットからDLしたアップデータを使ってPostPetをVer.1.12からVer1.2へアップデートしたが、殆ど変わっていないようだ。やはりVer2以降じゃないとフル機能の恩恵は受けられないのか。
1999/7/10 Sat. 曇り
昨日の話の通りレントゲンを撮った結果、小腸と大腸にガスは溜まっているが便は溜まっていないとのことで、ガスを抜くためにガスコンを飲むことになった。午前中に熊本の母が来た。勤め先に東京本社から派遣されてきている社長がリストラで突然首になって東京に帰るので、その見送りがあるために早めに来たとのこと。どこもリストラで大変な中、2ヶ月も休んでいて大丈夫かと雇用不安が頭を過ぎる。母が帰った後、何となく催してきたので14:30と16:00にトイレへ行ったところ、水溶便交じりのガスであった。全く油断ならない(^^ゞ。私より一日早い入院のOさんがついに退院された。これで私が最も古株となってしまった。前回Eさんの退院で空いた壁際に移り損ねたY君に、窓際の元Oさんのベッドへ移ることを勧めると、喜んで移って行った。
1999/7/11 Sun. 曇り
午前8時にガス混じりの水溶便が出た。出始めると連続して出る。夜は一生懸命起きて、23:45からのF1イギリスGPを見たが、オープニングラップでシューマッハがタイアバリアにまっすぐ突っ込んでしまい、救急車とヘリコプターで病院へ運ばれて行ったために、一気に興味がうせて途中から寝てしまった。骨折しているかもしれないので、容体がとても心配。
1999/7/12 Mon. 雨のち晴れ
先週土曜日に退院したOさんの後釜として、Fさんという方が入院してこられ隣のベッドになった。最初から印象が良く、色々と病気のことを中心に話をした。昼前に熊本の父が来て、来月母と一緒にカリフォルニア、メキシコ旅行をするというので、色々と海外旅行の手ほどきをする。一方、妹からのメールで妹夫妻は夏休みにスイスへ行くという。昨年ドイツに行ったばかりなのに、何でそんなにリッチなんだ。最近うちの家族は海外旅行づいてるなぁ。早く元気になって海外に行きたい。夜は職場の看板娘、KさんとSさんが来てくれた。色々と職場の現状などを聞かせてもらい、大変そうなのでのんびり寝ているのが申し訳なくなる。お見舞いの品として、豹柄のロンパンとゲームを頂いた。流石よく分かってらっしゃる。
1999/7/13 Tue. 晴れ
夜中から朝にかけて、IVHの落ちが極端に遅い。全開にしても2〜3秒に一回という程度である。夜中にはナースが、首横の付け根から薬品を注入して流れを良くするフラッシュ(恐らくFlush?)というのをやってくれて一時的に落ちるようになったが、その後また止まったらしく朝起きたときは3時間分くらい遅れていて殆ど落ちなくなっていた。数人のナースが入れ替わり立ち代りフラッシュをやってくれたがなかなかうまく行かずに、若いナースのHさんが途方にくれていたら、担当ナースのMさんがやって来て、「そこ屈曲してるんじゃないの?ちょっといじってみて」と言ったら一発で直ってしまった。流石。原因は先日ルートを縫いつけなおしたときに根元部分の角度が悪くて、そこが昨日のガーゼ付け替えで屈曲してしまったことのようである。明け方からガスでおなかが張って張って苦しい上に、ガスを出そうと力むとみぞおちの付近が痛い。結局1日殆ど寝て過ごしてしまった。
1999/7/14 Wed. 晴れ
ガスが溜まっておなかが張っているせいか、苦しくて体もだるい。朝起床して洗顔するなり、昼2時過ぎまでこってりと寝てしまった。何でこんなに眠いんだろう。このままでは社会復帰がおぼつかない。今日から腸の動きを良くするために、追加でアセナリン錠という薬を飲むことになった。この薬はほかに吐き気を静めたりあれた胃を整えたりする効果もあるそうだ。おととい入院した隣のFさんが、毎日食後にコーヒーを入れて飲んでいるので香りが気になってかなりこたえる。毎日夜中におなかが痛くなって胃腸の検査で入院したんだから、少しは自重していただきたいものである。おまけにベッドでヘアスプレーをガンガン使うのでくさくて仕方がない。あ〜濃いエスプレッソが飲みたい。
1999/7/15 Thu. 晴れ
昨日の夕方から服用しているアセナリン錠が効いたのか、昨夜消灯後に2回、今日日中に5回もトイレに行ってしまった。軟便の粒交じりの水様便がシャーシャーと水のように出てきて、まるでニフレックを飲んだ後のようである。脱水気味になってお茶を飲むが、飲めば飲むだけ出てくるという感じである。ちょっと効き過ぎではないか。回診のときに主治医に言ったら、「様子を見てあんまり続くようだったらやめよう」といわれた。なかなかデリケートで難しい。昼間、回診の前にかつて一緒に仕事をした、会社の後輩のFさんが見舞いに来てくれた。月曜に来てくれたKさんから話を聞いてやってきたとのこと。彼女が熊本で入院していたときは、こちらから見舞いに行かなかったのに悪いなぁ。夜は現在の職場の後輩のN君が大宰府の健康お守りを持って見舞いに来てくれた。こうやって沢山の人に見舞いに来ていただくのは実にありがたいことである。しかし、またも職場の業務がうまく行っていない話を聞いて、ちょっと暗くなってしまった。このまま戻りたくないような気もするが、早く自分が戻って何とかしなければという気持ちも沸いてくる。おなかがゆるいので、今夜寝ている間にお洩らししなければよいが。
1999/7/16 Fri. 晴れ
同室の少年Y君だが、今週始めに40度の高熱を出し、感染症の恐れがあるということでIVHから普通の抹消血管への点滴に切りかえられていた。丁度IVH3週になり経過もよいようなので、そのまま脱IVHということになってしまった。塞翁が馬という奴か。それに伴い昨日から食事が始まったのだが、こちらも良好なのでとうとう点滴もなくなってしまい、来週には大腸ファイバーをやって退院と、とんとん拍子である。後から入院してきて追い越されるとやっぱり悔しい上に、「退院、退院」とはしゃいでいるので癪に障る。まぁ、こっちは手術してるし、子供だから許してやるか。
こちらも少しは良いことがあった。主治医と話した結果、下痢も収まってきたので、このままアセナリン錠を続けて来週小腸造影し、徐々に夜間EDに移行して食事と併用しながら退院ということになりそうである。
1999/7/17 Sat. 曇りのち雨
気分が良かったので一気に通信教育を仕上げてしまった。さらに台湾旅行記三部作も完成させる。ノリノリである。最近また食べ物の夢を見るようになった。おとといはどこかの宴会で目の前においしそうなおにぎりが山積されており、「まだ重湯から始めなきゃ行けないのに硬いご飯なんて」と思いつつも抗し切れずにおにぎりにかぶりつく夢。昨日は小船に乗って海上へ出て、取れたての刺身を選り取り見取食べる夢である。あーおなかが空いたなぁ。同室の少年Y君は今夜は外泊である。正直言って羨ましい。
1999/7/18 Sun. 曇りのち晴れ
熊本の両親が来て、何故か夏目漱石の「こころ」を置いて行ったので、3時間弱くらいで一気に読んだ。日頃大量のメールやWebを読みなれて、結構速読術が身についてきたような気がする。術後4週経ったので夜検査の予告があるかと期待したが、何もお知らせが無かった。明日無いと火曜日は祝日なので早くても水曜日になっちゃうんだよなぁ。周囲は順調に検査だ退院だと騒がしいのに、自分だけなかなか先に進まなくて焦りが出てくる。部屋で最古参になってしまったし、後から来た人もどんどん追い越して行く。色々考えて暗くなってしまったが、家内に慰められた。夜は1ヶ月ぶりのK1(名古屋レインボーホール)で燃えた。前回大活躍のサム・グレコが今回も検討したが、やはりピーター・アーツの貫禄勝ちで決着がついた。
1999/7/19 Mon. 曇りときどき晴れ
なぁ〜んにもない1日である。周囲は検査やら退院やらで騒がしい。やっぱり焦るなぁ。夜主治医が来て、「21日は無理なので、22か23に検査をしましょう」と言われた。やれやれ、出きるだけ早くやってもらいたいものである。夕方、空にきれいな虹がかかっていた。
1999/7/20 Tue. 晴れ
世間は「海の日」で祝日である。TVで見た海水浴が羨ましい。同室のYじいさんが急転直下退院してしまった。最後までインシュリンの名前「ヒューマカートN」は覚えなかった。曰く「英語の名前は分からん。日本語で『牛若丸』とか付けてくれると分かる。」(^^ゞ また一人、見送る側である。
1999/7/21 Wed. 晴れのち曇り
シャワーを浴びているときに、何となく濡れた感じがしたのでIVHの所を見てみると、防水シールに対して中のガーゼが大きすぎて、上の辺がガーゼがはみ出しておりぱっくり開いていた。そこからじゃんじゃんシャワーの水が入っていたのである。急いで上がって付け替えをしてもらったが、既にガーゼはびしょ濡れである。固定している糸は1箇所を除いて取れているし、針の入っているところは化膿気味で液が漏れている。結構ボロボロ。感染症でカテ熱が出なければ良いが。昨日退院したYじいさんの後に、茶パツの兄ちゃんが入ってきた。最近は茶パツじゃない若者を探すのに苦労するが、またかという感じ。K兄ちゃんという24歳のトラック運転手で、ナースとの話し方などいきなり馴れ馴れしく軽薄そうである。初対面で合コン持ちかけるし。やってくる友達も皆軽薄そうである。あぁ、やれやれ、めまぐるしく同室者が変わるので、気を使って皆と仲良くするのもなんか疲れてきた。
1999/7/22 Thu. 曇り
隣のベッドのFさんが退院してしまった。わずか2週間の入院であった。折角親しくなったのに残念。午前中に経口小腸造影検査をした。これできちんと通過していることが確認されれば、次のステップへ進むことができる。経口小腸は消化器系の検査の中では一番楽な検査だと思う。バリウムを飲んで、右側を下にして横たわり、バリウムが蠕動運動で腸まで下りていくのをゆっくり待って、15分おきくらいにX線撮影するのである。前処置としてニフレックやマグコロールなどの下剤を飲んでおく必要も無いし、胃透視のような発泡剤を飲む必要さえない。撮影のときにレントゲン技師の先生が、バリウムを流そうとおなかを押さえたりさすったりするのが、傷に当たってちょっと痛かった事ぐらいである。
結果は良好でバッチリ通過しているとのことで、今夜から早速夜間EDをすることになったが、こっちは最悪であった。先生が7時くらいに来て説明され、自分でキシロカインゼリーという一種の局部麻酔の軟膏を塗った2ミリ径くらいのカテーテルを65cmのところまで鼻から挿入したのだが、以前書いたように反射がひどいために何回も嘔吐しそうになるし、実際落ち着くまで寝ていようと右側を下にして寝ているときもカテーテルがのどに当たって胃液を何回も嘔吐した。今日はまだなにも食べ物が胃に入っていないのでマシだが、食事と併用するようになったらどうなるのだろう。9時半ごろナースに促されていやいやながらエレンタールの溶解液を作りに行く。行く間の廊下でも嘔吐するので、ずっと洗面器とお友達である。結局気分が悪いので全部ナースにやってもらった。1袋(80g)を60度の600ccお湯でといて、50cc/hで落とす。きついのでそれからすぐに寝ついたが、熟睡できずに何回か目がさめた。夜間EDの導入予定は次の通り。
日付
エレンタール量
溶解液量
滴下速度
7/22
1パック (80g:300kcal)
600ml
50ml/h
7/23
2パック(160g:600kcal)
600ml
60ml/h
7/24
3パック(240g:900kcal)
900ml
70ml/h
7/25
3パック(240g:900kcal)
900ml
80ml/h
7/26
3パック(240g:900kcal)
900ml
90ml/h
7/27
4パック(320g:1200kcal)
1200ml
100ml/h
以下
同じ
同じ
同じ


1999/7/23 Fri. 雨
朝目がさめるが、エレンタール溶液はまだだいぶ残っている。10時くらいになってほぼなくなったので、ナースの許しを得て洗面所でカテーテルを鼻から撤去し、各部品を洗浄する。人心地ついたので、もうそれからは寝る寝る。しかし、今夜も明日もこれからずーっとやると思うと気が重い。皆は慣れだというが、本当に慣れるようなもんなんだろうか。こんな状態では夜寝れないので、昼間の仕事にも差し支えるし、フレーバーを入れて経口摂取したほうがマシなような気がする。今日とうとうY少年が退院してしまった。思えば来た当初は自分の殻に閉じこもって無口だったが、だんだん心を開いてしゃべるようになった。特に嬉しかったのは、筆者が毎晩消灯時に「おやすみなさい」と言うのを継続していたら、そのうち彼も必ず「おやすみなさい」と言って寝るようになったことである。しかし、同病で後から入院してきた人が先に退院すると、やはり精神的には辛い。
1999/7/24 Sat. 雨
前日左の鼻の穴にカテーテルを入れたらあまり具合が良くなかったので、昨夜は右の鼻に入れてみた。すると、ちょっとオエッとはなったが、入ってしまえばそれほど吐き気も無く、比較的スムーズに夜間EDをすることが出来た。木、金で空いた2つのベッドに入院者が入ってきた。一人は中年のMさんで、数年前にもこの病室に入院していたらしい。早く来たので窓際のベッドがゲットできた。もう一人は年の近いKさん。両親と一緒で随分色んな話をした。先日入院してきた茶パツのK兄ちゃんの両親が来たが。挨拶もせずにすっと入ってきて息子とだけ話し、また黙ってすっと出ていった。子が子なら親も親である。というか、この親にしてこの子ありか。最近は親が挨拶しないから当然子供もしない。日本はどうなるんだ!!
術後1ヶ月の節目なので千客万来であった。まず10時過ぎに熊本のおじさん2人が両親と共に来てくださった。一旦昼食に出て帰ってこられた頃に、今度は熊本の高校時代の同級生、Fくん、Sくん、Mくんが来てくれた。お土産は「クリーミーマミ」のハイブリッドCD-ROMゲームである。最近、「TV歌えもん」とかいうバラエティで人気再燃らしく、太田貴子本人が出ていたそうである。うーん、恥ずかしいのでカーテンを閉めてこっそりやらなければ。高校時代の思い出話や、皆の近況、最近の半導体業界の話!!等で盛り上がる。1時間半ほど話している所へ、大宰府へ行っていた叔父2人が帰ってこられて、続いていとこ夫妻まで来てくれたので、友人3人を追い返すように帰してしまったのが申し訳ない。で、叔父たちといとこ夫妻が椅子を譲り合っている所へ、今度はグループ会社のHさんまで来てくれた。叔父たちはすぐに帰り、いとこ夫妻とも2言3言話をしただけで、E-mail交換の約束をしただけで遠慮してそそくさと帰ってしまった。5年ぶりくらいに会うのでゆっくり話をしたかったのだが、近くに住んでいるので退院したらこちらから挨拶に行こう。Hさんは長期出張で東京から福岡に来ていて、一緒に鹿児島などに出張したりした仲なのであるが、任期が切れて明日東京に帰る直前の忙しい中をわざわざ挨拶に来てくださった。ありがたいなぁ。
という訳で朝から夕方まで引きも切らず来客があって、非常に忙しい1日であった。それぞれの人ともっとゆっくり話をしたかったのだが残念。おまけに、とどめは今夜のEDが指示の量を一度に作ると全部落とすのに12時間を越えて腐敗してしまうため、2回に分けて作らねばならず、18時過ぎから早速あの嫌な鼻へのカテーテル挿入をしてひたすら耐えたのだった。今日は先端が12指腸までうまく入らず胃の中でとぐろを巻いている感じで、落とし始めると生臭い匂いが込み上げてきたので、再度途中まで抜いて入れなおした。なかなか慣れるまでが大変である。
1999/7/25 Sun. 晴れ
今日はヒマである。昨日のお客さんの半分が今日来てくれれば良かったのに。EDで熟睡できないせいか、疲れが溜まっているような気がする。職場のI課長が来て下さった。職場の状況や今後の予定などを話し合った。その後入れ違いでY君夫妻が来てくれた。同じく職場の状況や退院見通しなどを話した。
1999/7/26 Mon. 雨
夜間EDもようやく慣れて来つつあるかなという感じ。薬剤士さんからフレーバーをもらったので、早速試してみよう。夜Dr.が来られて今後の予定を話し合った。3パックでも大丈夫そうなので、とりあえず流動食を1日1食から始めて、徐々におかゆにして行きながらIVHをやめて普通の小さなボトルの点滴に代えていく。同時にEDの濃度や速度を調整しながら最終的には4パックにする。4パック+普通の米飯2食を食べても支障無いようになれば退院とのことである!2週間はかからないだろうということ。やっと先が見えてきた!但し、昨日くらいから舌がざらざらして違和感があるので鏡で見てみたら黄色い苔状になっている。なんじゃこりゃ。一応ナースに言ったのでDr.に報告してくれると思うが。
1999/7/27 Tue. 曇り時々雨(強風)
台風5号接近の影響で強風である。今日から昼食が来るはずなのに来ない!まったくここの病院は食事の連絡だけは恐ろしく連携が悪い。夕方Dr.がやって来て「ごめん、食事出すの忘れとった。」(おいおい)食い物の恨みは怖いゾ。ついでに今後の予定を話す。今夜からエレンタールを4パックにして、食事を徐々に増やして行き、代わりにIVHの点滴量を減らして土曜日に抜く。順調に行けば来週退院とのこと。やっと先が見えてきた。昨日くらいから右手親指付け根の腱鞘炎が再発してきた。何か力を入れて掴むとずきっと痛みが走る。ついでに右の肩と首の付け根も痛い。シップをもらって貼っておいたらだいぶ楽になった。
1999/7/28 Wed. 晴れ
昼に待望の食事が来た!重湯、パンプキンポタージュスープ、オレンジジュース、トマトジュースと、固形物が無いが久しぶりに味のついたものを口に入れたので、涙が出るほどおいしい。じっくり味わって食べたかったのだが、隣のKさんが何かと話しかけてくるので充分堪能できなかった。まぁ、ありがたいことではあるのだが。今日やっと、ヤンキー兄ちゃんKくんが退院してくれた。わずか1週間だったが、がらの悪い友達は来て騒ぐし消灯後の夜中でもかまわず携帯でしゃべってるしで迷惑していたので、せいせいした。最後に父親が迎えに来て一言だけ挨拶して帰ったのがせめてもの慰めか。他には廊下のワックスがけがあった。
1999/7/29 Thu. 雨
午前4時におなかが張って苦しくて目が覚め、トイレへ行ったら下痢だった。それから昼までに計4回、粘液状の茶色い便が出た。これが噂に名高いエレンタール下痢か。これから濃度やスピードを上げて行ったらますます下痢になるのではないかと、ちょっと不安。遂に今日Mさんも転院してしまった。今夜は6人部屋に3人である。
1999/7/30 Fri. 曇り
今朝、めざましTVの「わんこスペシャル」を見ていたら、病室に見覚えのある人影が入ってきた。2週間前に退院したYさんであった。胃カメラ検査だそうだ。その後、今度はEさんもやって来た。16:30過ぎにDr.が突然やって来て「IVHを抜きましょう」と言ってあっさり抜いてくれた。糸が全て取れていたので、痛みも何もなく意外なほど簡単にすっと抜けた。抜けたカテーテルを見ると、20cmばかり入っていたようだ。これでやっと丸2ヶ月に及ぶ長かった紐付き生活ともお別れである。またひとつ自由を取り戻した。日曜日から昼と夜の2食になって、同時にエレンタールの濃度を濃くして行くとのこと。毎日進展があるとやっぱり嬉しいものだ。
<IVHを抜いた跡>
1999/7/31 Sat. 晴れのち曇り
身軽になったので、久しぶりに病院周辺を散歩した。5階〜1階の行き来も階段を利用したが、久しぶりなので足がちょっと突っ張って降りる時は違和感があった。熊本の両親が来て、IVHが外れているのを見て喜んで帰っていった。それにしても、ヒモ付きでなくなっただけですごく体が軽くなった気がする。夕方には、7/1に発売になったコミックを買うために、歩いて15分ほどのショッピングセンター「ゆめタウン」まで行ったが、残念ながら売り切れであった。今日から下の表の様にEDの濃度を上げて行くという指示が来た。1000mlから700mlってのはちょっと急だなぁ。
日付
エレンタール量
溶解液量
滴下速度
7/31
4パック(320g:1200kcal)
1100ml
100ml/h
8/1
4パック(320g:1200kcal)
1000ml
100ml/h
8/2
4パック(320g:1200kcal)
700ml
100ml/h
以下
同じ
同じ
同じ
1999/8/1 Sun. 晴れのち曇り一時雨
とうとう、また月が変わってしまった。今日から昼食と夕食の2食である。今は何を食べてもおいしい。食事をするようになって、うんこも塊で出るようになった。今日は8時と11時の2回で硬いのが出た。ついでに今日から蓄尿もしなくて良くなった。今までは毎回尿瓶に尿を採って、それを個人IDカードで動作する蓄尿機に入れて成分や比重を記録していたのだが、動作が遅く誰かが測定した後はしばらく待たねばならないし、しょっちゅう「洗浄中」や「プリントアウト中」の表示が出て待たされていたので結構苦痛だった。これでまた自由度が上がった。
<蓄尿機>
午後は退院に備えて荷物を減らす為に、読み終えた本や着ない下着、長袖パジャマなどをまとめて家へ持って帰った。無断外出である。その報いか、帰りの電車を降りた所でざーっと夕立が来たが、ちょっと雨宿りをしている間に止んだのでほっと一安心。入院前はちょっと階段を登っても、いや普通に歩いていても息切れがしていたが、今は病室のある5階と1階の間を階段で行き来してもまったく大丈夫である。足がちょっと筋肉痛になってしまったが。
1999/8/2 Mon. 曇り時々晴れ一時雨
空いていたベッドに3人入院してきた。Kさん、Iおやぢ、Iさんである。ところがKさんは病院側の手違いで、検査を行う主治医が出張中で今週は検査ができないため、入院して昼食を食べて入浴しただけで帰されてしまった。主治医は「来週以降入院」といわれていたのだが事務との間で行き違いがあったようである。私の隣に来たIおやぢは競艇場で赤鉛筆持っていがちな風貌で独り言が多く、いちいち自分の行動や感想をぶつぶつ声に出して実況するので、かなりうるさい。IVHが抜けて初めて入浴したが、何も気にせずシャワーを浴びれるのはやっぱり気持ち良い。夜ネットに接続するためにグレ電のある1階のロビーに降りていったら、なにやら工事をやっていて床の上に見なれた水色のツイストペアケーブルが何本ものたくっている。そう言えば先日から通線道具やケーブルの箱が置いてあるのをしばしば見かけたが、どうやら大規模なLANの導入があるらしい。今まではカルテや伝票を白衣を来た再就職らしき高齢者の方々がひっきりなしに往来して持ち運んでいたが、これらが全て電子化されるのであろうか。ところで見た所普通のUTPだったが、有線LANをあんなに大規模に敷設して医療機器への影響はないのかな。
1999/8/3 Tue. 曇り時々晴れ(強風)
台風の影響か強風である。食事を摂っているにも関わらず3日間便が出ないのでおなかが張って苦しい。明け方、下降結腸と横行結腸の曲がり角くらいの所が鈍く痛み、トイレに行ったらガスが出て少し楽になった。しかし便は出ない。昼ご飯を食べようとしたまさにその時、職場のMさんが見舞いに訪ねてきてくれた。仕事でこっち方面に来たので寄ったとのこと。面会時間外なのでロビーで話すことになり申し訳なかった。午後硬い便がちょっと出て少し楽になった。隣のIおやぢは今日も飛ばしている。ぶつぶつと忘れ物の声だし確認をしていたかと思うと、やおら「水がない、水がない。どうするね?とうちゃん。どうするね?とうちゃん。」と5,6回繰り返し。夕方になって突然「忘れものを取りに帰る」と言い出してナースを慌てさせていた。外出申請は前日までに出さなきゃいけないんだから、そりゃ無理だって。ところがそれから数分も立たないうちにDr.自ら飛んできて、「ちゃんと帰って来い」とか「外出中に飲酒するな」とか何回も念を押して、スピード許可になった。過去によっぽどトラブルを起こしたのだろう。無事外出から帰ってきたおやぢは、重そうなでっかいポリタンクを抱えている。これが言っていた水かぁ!!夜はベッドサイドに置いたそのポリタンクから、せっせとその水をペットボトルに注ぎ分けて冷蔵庫をあっという間に占拠してしまった。とことん驚かしてくれる。とどめは就寝前の強烈ヘアトニック攻撃である。何とかしてくれ〜ぇ。さて、夕食後にDr.がやって来て調子を聞くが、その時濃度を聞かれたので「昨日から700mlですよ」と答えると、「濃すぎるなぁ、そんな指示出したっけ」と言われる。そこで取っておいた指示書を見せると「あぁ、これ900mlの間違い」が〜ん!「濃くするとおなかが張るって言う人もいるんですよ」どうりで今朝おなかが張ったわけだ。で、900mlにして、今度は滴下スピードを110ml/h、120ml/hと上げて行くことになった。その後Dr,と退院スケジュールの相談をして、一応金曜日に退院する方向で了承を得た。そんな訳で夜EDを作りに炊事場に行ったら、奥のポットの前でギャル二人が話し込んでいる。普段ならまずお湯を確認するのだが、二人が邪魔なのでとりあえず「こんばんわ」と挨拶だけして容器の洗浄から取りかかった。しばらく待っていたが、2人は姑の悪口などを言ってなかなかどく気配がないので、「すいません」とポットに手を伸ばしたら、ギャルAが「お湯ないんですよ」という。「あぁ、沸かしてるんですね?」と聞くと、あっけらか〜んと「いいえ」と答える。すかさず「沸かしなさいよ」と突っ込むギャルB。で、気まずくなったのかギャルAは自分のカップにお湯を注いでカップスープを作るとそそくさと立ち去った。無いって分かってたら沸かせば良いのに、何とその女は自分のカップスープ分だけの少量の水だけ入れて沸くのを待っていたのだ!何というエゴイスト。ポットは2つあるんだから、どうせなら待っている間にもう一つのポットにもお湯を入れておいてくれれば良いのに、両方とも全くの空焚き状態なのである。全く呆れてしまった。まじめな筆者は一方のポットは満タンにし、もう一方のポットは自分の使う分だけの水を入れて沸くのを待った。待っている間に手持ち無沙汰なので、チューブをキシロカインなしで素のまま鼻から入れるのにチャレンジしたら、意外にもすんなり入った。災い転じて福となす。
1999/8/4 Wed. 晴れ時々曇り
家内と一緒に栄養指導を受けた。まず日頃の生活パターンや食事の内容をヒアリングされ、それに基づいてアドバイスがあった。要旨としては、食べ物との因果関係はそれほど認められないので、その時々の体調に合わせて食べたいものを適量食べて良いという話であった。むしろストレスが大きな要因で、特にこの病気の人は「良い子ちゃん」であろうとする完璧主義者が多く、これが大きなストレスになっているので、もう少し肩の力を抜いて80%でも体調を崩さずにやっているほうが良いという風に考えるのが大事だといわれた。そう言われるといくつも思い当たる節があり、実例とデータに基づいた説得力のある話であった。栄養指導というよりはむしろ心理カウンセリングといった内容であった。家内は昨夜4時間掛けて本で食事制限の勉強をしてきて、「あれもだめ、これもだめ」と書いてあるのですっかり暗くなっていたが、この話を聞いてほっと安心していた様子。最後に、このホームページに勝手に食事のメニューを乗せているという話をしたら、栄養士さんが早速アクセスしたいとおっしゃったのでURLをメモして渡した。
今日からご飯がお粥から米飯に変わった。入院前も調子が悪くて1ヶ月近くお粥を食べていたので、実に3ヶ月ぶりの米粒である。ご飯も普通に食べれてEDも出来ているので、Dr.から「金曜日退院で良いでしょう」という判断が出た。明日の回診で了承されればいよいよ本決まりである。
向かいのベッドのMさん(五島出身)と五島うどんの話をしたら、何と早速奥さんに連絡して五島うどんを持ってきていただいた。昨日TVのチューニングをしてあげた御礼だと思って、ありがたく頂戴した。
夜は職場のI君がやってきてくれた。実は退院後にある資格試験を受けようと思っていて、そのアドバイスを彼からもらっていたのだが、試験の願書が付いている雑誌名として違う名前を言ってしまって、なおかつ願書閉めきりが明日なのでわざわざ買って掛けつけてくれたのである。実にありがたいことである。人の親切が身に染みる今日この頃である。(後日、試験には無事合格した)
1999/8/5 Thu. 晴れ時々曇り一時雨
今日の総合回診で正式に明日退院ということが決まった。進捗がはかばかしくないときや、あとから入院してきた人達がどんどん先に退院して行くのを見送っているときは、一刻も早く退院したいと思っていたのだが、元気になるとこんな楽チン生活と別れるのもちょっと名残惜しいような気がする。なんてことを言っているとばちが当たるかな。とにかく明日は退院だ。素直に嬉しい。早速課長に電話した所、課長も非常に喜んでくださった。来週はお盆で殆ど皆休みなので、自宅療養をして再来週から出てくるといいとまで言っていただいた。ありがたくお言葉に甘えさせていただくことにする。
1999/8/6 Fri. 曇り時々雨のち晴れ
いよいよ退院である。朝起きてEDの後始末をしてから、時々拝みに行っていた近所の神社にお礼参りに行き、田んぼの中の道をぐるっと散歩してもどった。それから、先に片付けをして後はゆっくりしようと思って帰る準備に入ったが、荷物(特に本)が多くて殆ど半日かかってしまった。最後の見納めに院内を一周する。2階の手術フロアに行って見ると、今日も手術があっているのか不安そうな面持ちの家族が数組ロビーで待っていた。フロア見取り図を見て初めて、自分の手術の際の搬送されたルートを理解した。また術後一晩過ごした201号室を見たら、ちゃんと「ICU」の表示があった。昼食を食べてから家内、両親と共に、看護婦さん達に盛大に見送られて、大量のエレンタールと共に病院を後にした。今後も夜間EDは続けて絶対に病気が再燃しないようにして行きたい。
Written by Y1K