はじめに
このF1日記はあくまでも筆者の趣味でレースの感想などを書きとめているものです。レース結果をお知らせしたり、難しい技術解説をしたりするためのものではありませんので、あらかじめご了承ください。
Round 1 Australian GP(1999/3/7)
日曜日なので朝ゆっくり起きて、いつもの様に新聞のTV欄をチェックするが、深夜の欄にF1がない。「あれぇ、今日開幕じゃなかったっけ?それとも視聴率不振で今年は放映しないのかな」等と思っていたら、昼下がりに改めて新聞をじっくり読んでみると何と真昼間に衛星生中継で放送されているじゃぁないか。慌ててTVを点けたが既に半分くらい終わっていた。時差のないオーストラリアGPを衛星生中継するとは粋な計らいだが、意表を突かれて一番大事な開幕戦の頭を見逃してしまった。今年もマクラーレンは予選では強いが、レースでは本命がどんどんつぶれて、アーバイン(フェラーリ)、フレンツェン(ジョーダン)、ラルフ(ウイリアムズ)の3人が表彰台に立った。何と3人ともフォーミュラニッポン(全日本F3000)卒業生である。日本人として自慢すべきことだ。あとは日本でラルフとやりあっていた虎之介が早く良いマシンを手に入れて表彰台に立ってくれれば言うことないのだが。
Round 2 Brazilian GP(1999/4/11)
順当にハッキネンが優勝した。マシンも良いし本人の実力もそれなりにあるので勝って当たり前である。何か面白くない。
Round 3 San Marino GP(1999/5/2)
途中までリードしていたハッキネンがぽかをやり、何とシューマッハ、アーバインのフェラーリ地元ワン・トゥフィニッシュである。久しぶりに燃えたなぁ。
Round 4 Monaco GP(1999/5/16)
シューマッハ強し。皆が遊びほうけている金曜日にイタリアでひたすらスタート練習をやっていたなんて泣かせるなぁ。この人はとかく才能の人だと思われているが、それ以上に勝つための努力をやっている。努力なくして勝利なしである。
Round 5 Spanish GP(1999/5/30)
入院してしまったので、消灯後にこっそり見ていたのだが、途中で寝てしまった。翌日仕事じゃないので心おきなく見れるはずだったのに。
Round 6 Canada GP(1999/6/13)
シューマッハ久々のポール。スタートでも順当に飛び出し快調にトップを飛ばしていたのだが、最終コーナーで縁石に乗り上げ、コンクリートウォールにクラッシュ、リタイアしてしまった。あ〜ぁ。最近焦っているのかなぁ。レースはその後ハッキネンが余裕でリードして1位でフィニッシュするが、後方では色んなことがあった。セーフティカーが3回導入されたのだが、最初のセーフティカーが引っ込んだ直後に、2位走行中のアーバインに3位のクルサードが突っ込み、一気に2人とも最後尾まで順位を落とす。そこからアーバインは追い上げて、最終的にはフレンツェンに続く3位でフィニッシュするのだが、クルサードはペナルティストップまで食らって入賞できなかった。最近調子の出ないシューマッハに代わって、アーバインの安定性が目に付く。
Round 7 France GP(1999/6/27)
雨のマニクールの予選を制したのはスチュアートのバリチェロ。94年雨のベルギー以来のポールポジションである。2位スタートのクルサードが途中で抜いてトップに立つが、例によってその後こけてしまう。6位スタートのシューマッハはアデレードヘアピンで前走車をずばずばオーバーテイクして首位に立ち見せ場を作ってくれたが、途中からギアトラブルでペースが上がらず、結局5位でフィニッシュとなってしまった。14位スタートのハッキネンも猛烈な追上を見せて首位確実かと思われたが、ピット戦略のうまさで唯一1回ピットストップで粘ったジョーダンのフレンツェンが首位を守りきった。オーバーテイクシーン盛りだくさんで久々に面白いレースであった。
Round 8 British GP(1999/7/11)
- Qualify. PP:Hakkinen, 2nd:Schumacher, 3rd:Coulthard
- Result. Winner:Coulthard, 2nd:Irvine, 3rd:Ralf
入院中にもかかわらず一生懸命起きて見ていたが、オープニングラップでシューマッハがタイアバリアにまっすぐ突っ込んでしまい、救急車とヘリコプターで病院へ運ばれて行ったために、一気に興味がうせて途中から寝てしまった。骨折しているかもしれないので、容体がとても心配。あ〜ぁ、これで今年のチャンピオンシップも面白くなくなったな。ゲストに世良公則が来ていて、ピットインでタイヤのはずれたクルサードを見て、「昔マンセルもやりましたよね」と言って通ぶりを見せつけていた。筆者もTVのこっち側でおんなじ事を考えていたぞ。
Round 9 Austrian GP(1999/7/25)
- Qualify. PP:Hakkinen, 2nd:Coulthard, 3rd:Irvine
- Result. Winner:Irvine, 2nd:Coulthard, 3rd:Hakkinen
シューマッハの代役でミカ・サロがフェラーリに乗るとな!サロといえばTyrrell時代に片山右京に待遇で差をつけさせたにっくき奴。でも、いきなり乗って予戦6位とはなかなかやるもんだ。レースはピットストップ戦略のうまさで、フェラーリのエースとなったアーバインが0.6秒差でクルサードを押さえて優勝。アーバインというとデビュー戦の鈴鹿でセナの通行妨害をして以来、しばらくは誰かと絡むことが多くてあぶない奴という印象を持っていたが、随分立派になったもんだ。シューマッハが居るときはきっちりサポートをこなすし、自分にチャンスが巡ってきたらこうやって着実に勝てる良いドライバーになった。普段シューマッハの影に隠れて目立たなかったが、実はハッキネンやクルサードと同じ条件で勝負したら断然早いんじゃないだろうか。
Round 10 German GP(1999/8/1)
- Qualify. PP:Hakkinen, 2nd:Coulthard, 3rd:Frentzen, 4th:Salo, 5th:Irvine
- Result. Winner:Irvine, 2nd:Salo, 3rd:Frentzen
シューマッハの居ないドイツGPなんて、エンジンのないF1マシンみたいなもんである。と思って期待せずに見ていたのだが結構面白かった。まず、スイスで療養中のシューマッハの衛星中継インタビューがあり、右足の骨折とかかとの負傷があることが本人の口から語られた。主役不在にも関わらず大勢のファンが掲げる、シューマッハの顔と激励の言葉の書かれたFerrariの旗がスタンドを埋め尽くしていた。同じく地元でメルセデスジュニアチームで一緒に育ったフレンツェンの応援は少なく、立場がないぞ。レースの方はいつもの様にMclarenの2台が逃げるかと思いきや、スタートでサロがハッキネンに続いて2位に食い込み、クルサードを押さえる。期待のアーバインは行き場を失って6位に後退してオープニングラップを終える。ところが、前半執拗にサロを攻めていたクルサードはサロのインに飛び込もうとしてリアに追突し、フロントウイング交換の為に順位を落とす。その後も追い上げに焦ったのか、中位でバトルをしていてシケインをショートカットし、10秒のペナルティを食らって完全に優勝争いから離脱した。一方のハッキネンは、順調に飛ばしていたのだが、ルーティンのピットストップで給油口がはまらず、クルサードの給油機を使うなどもたついている間に順位を10位まで落としてしまった。そこから必死の追い上げを計るが、ストレートエンドで右リアのサスペンションが破損してタイアがバーストし、コース上をくるくる回りながらグラベルに飛び出してタイアバリアにまっすぐに突き刺さった。まるでイギリスのシューマッハの事故の再現の様だったが、これはシューマッハの祟りか? その間チームオーダーでサロにトップを譲らせたアーバインがそのままゴールし、不利といわれた超高速コースのホッケンハイムで、またしてもFerrariがワン・トゥフィニッシュを遂げた。アーバインはハッキネンに8ポイント差をつけて単独首位である。ベストセカンドドライバーといわれていたが、どうしてどうして立派なファーストドライバーぶりである。もしかしたらこのまま今年のGPXを優勝してしまうのではないだろうか。シューマッハが戻ってきたときに確執が起きなければ良いが。それにしても、どうしてマシンの出来が良いチームはこうもしょうもないポカをやってしまうのだろうか?去年と今年のMcLarenしかり、プロストやマンセルが乗っていたころのWilliamsしかり。マシンの性能だけで勝敗が着かないからこそF1は面白いのだが。
Round 11 Hungarian GP(1999/8/15)
- Qualify. PP:Hakkinen, 2nd:Irvine, 3rd:Coulthard
- Result. Winner:Hakkinen, 2nd:Coulthard, 3rd:Irvine
このところ調子づいているエディー・アーバインが今回も絶好調。しかも「世界中でセナの次に尊敬している」と公言してはばからない星野一義御大が自ら応援に駆けつけてくれたとあって大喜びである。思い返せば全日本F3000では死闘を演じて楽しませてくれた良きライバルである。アーバインとセナというと、デビュー戦の93年鈴鹿での殴打事件が思い出されるが、あんなことがあっても世界で一番尊敬しているということは、相当なもんである。あ、レースのことを全然書いてないや。すいません。レース内容は忘れてしまいました。
Round 12 Belgian GP(1999/8/29)
- Qualify. PP:Hakkinen, 2nd:Coulthard, 3rd:Frentzen
- Result. Winner:Coulthard, 2nd:Hakkinen, 3rd:Frentzen, 4th:Irvine
筆者的にはベスト3GPの一つであるベルギーGPである。ちなみに残り2つはモナコと鈴鹿。予選では名物オールージュでBARの2台がクラッシュするなど、今年も波乱含み。マクラーレンの強さは相変わらずで、指定席のフロントロウ。次にジョーダンの2台が続いて、更に兄の代わりにラルフが頑張り、アーバインは何と6番手スタート。それでも賢明にレースでがんばって、最終的には3位フィニッシュであった。不可解なのは、1位を走っていたクルサードがチームオーダーでいつでもハッキネンに1位を譲ることができたはずなのに、そのままクルサード1位、ハッキネン2位でフィニッシュしたことである。結果的に6ポイントしかとれなかったため、ワールドチャンピオンを争っているアーバインに逆転はしたものの3ポイント差しかつけることができなかった。クルサードは度々ハッキネンの足を引っ張っているので、こういうときこそ借りを返すいい機会だったと思うのだが。この1件は火種になりそう。
Round 13 Italian GP(1999/9/12)
- Qualify. PP:Hakkinen, 2nd:Frentzen, 3rd:Coulthard
- Result. Winner:Frentzen, 2nd:Ralf, 3rd:Salo
シューマッハが戻ってくるということで期待のイタリアGPだったが、直前のテストで右足かかとの痛みがひどいということで、復帰はマレーシアGPまで延期となった。がっかり。そんな中地元GPを頑張ってほしいアーバインだったが、スチュアートのバリチェロとトレードされることが決まったせいか、元気なく6番手スタート。ちなみに予選順位は、ハッキネン、クルサード、フレンツェン、サロ、ラルフ、アーバインの順。このところ調子のいいフレンツェンと、低迷していたウイリアムズのラルフの上位進出が光る。レースは、スタートでクルサードが順位を下げてウィリアムズの一角が崩れ、いつものように快走していたハッキネンが中盤の第一シケインで単独スピンを喫して消えてしまった。ブレーキバランスをいじっていてタイアがロックしてしまったミスだそうが、止まるなりステアリングやグローブを投げつけ、茂みの陰にしゃがみ込んで泣いている姿が印象的だった。この人も結構苦労しているからなぁ。特にここ数レースは、シューマッハがいないチャンスなのに、チームメイトであるクルサードには毎回のように裏切られてぶつけられ、頼みのロンデニス監督にも冷たく扱われて、端から見てもかわいそうなことこの上ない。デビュー以来ずっとマクラーレン一筋で頑張ってきたのに、この冷たい仕打ちには思わず同情してしまう。てなわけで、レースは1位:フレンツェン、2位:ラルフ、3位:サロと、またしても全日本F3000卒業生で表彰台が独占された。ちなみにアーバインは6位入賞で1ポイント獲得し、トータル60ポイントでハッキネンに並んだ。これにちゃっかりもののクルサードが54ポイントで続き、更に今回10ポイントを稼いだフレンツェンが50ポイントで迫るという、4つどもえのチャンピオン争いとなってきた。あーぁ、シューちゃんがいればなぁ。。。
Round 14 Europian GP(1999/9/26)
- Qualify. PP:Frentzen, 2nd:Coulthard, 3rd:Hakkinen
- Result. Winner:Herbert, 2nd:Truli, 3rd:Barichero
予選はこの所調子づいている地元のフレンツェンを先頭にほぼいつものオーダー。だが、アーバインは9番手と出遅れてしまった。レースはスタート直後の第一コーナーで大クラッシュが起きてセーフティーカーが入った後、雨が降ったり止んだりのめまぐるしい天気の中、フレンツェン、クルサード、フィジケラ、ラルフと、トップに立ったドライバーが次々と消えて行く波瀾のグランプリとなった。そんな中、ウィリアムズのマシンでウィリアムズに一歩も引けを取らずに渡り合ったラルフの活躍が光った。それと対照的に、サロの緊急ピットインでアーバイン用のタイヤを装着してしまい、アーバインのピットイン時にどたばたしてしまったフェラーリのマネッジメントの悪さも目立った。結局終わって見れば、苦労人のジョニーハーバトが1位、バリチェロ3位と、スチュアートの1,3フィニッシュとなった。ちなみにハッキネンは5位入賞で2ポイント追加、アーバインは7位ノーポイントと明暗を分けた。
Round 15 Malaysian GP(1999/10/17)
- Qualify. PP:Schumacher, 2nd:Irvine, 3rd:Coulthard
- Result. Winner:Schumacher, 2nd:Irvine, 3rd:Hakkinen
戻って来る来ないですったもんだしたシューマッハであったが、蓋を空けてみるとぶっちぎりの予戦1位で、王者の復活をいやというほど見せ付けてくれた。レース運びも完璧。スタートでトップに立ち、5週目でアーバインを先に行かせて自分はマクラーレン勢の押さえに回る。途中一旦クルサードに抜かれるが、そのクルサードが自滅し、自身の1ストップ作戦が奏効して再びトップに立つというように終始レースをコントロールして、終盤アーバインに1位を譲るという完璧なレース運びであった。まさに「シューマッハ復活記念レース」とも言うべき内容であった。
ところがレース後、フェラーリのマシンサイドについている整流板のサイズがレギュレーションに違反しているとの事で、フェラーリの1,2が失格となり、3位のハッキネンの繰上げ優勝と共にワールドチャンピオンも決定してしまうという大ハプニングがあった。こんな形でワールドチャンピオンが決定してしまうとは実に残念である。フェラーリはすぐさまFIAに提訴したが、最低を覆すのはほぼ不可能であるとの報道であった。がっかり。
番外編
Paris(1999/10/24)
パリで行われたFIAの審判により、フェラーリの逆転無罪が確定した。レギュレーション上の整流板のサイズの定義にあいまいな点があったこと、サイズの測定方法によっては必ずしも違反とはいえないことがその理由である。これで順位とポイントは元通り、再びチャンピオンの決定は最終戦の鈴鹿までもつれこむことになった。一旦は責任を取って辞意を表明したジャン・トッドもほっと一安心したことだろう。
Round 16 Japanese GP(1999/10/31)
- Qualify. PP:Schumacher, 2nd:Hakkinen, 3rd:Coulthard
- Result. Winner:Hakkinen, 2nd:Schumacher, 3rd:Irvine
シューマッハは順当にポールポジションをゲットしたが、肝心のアーバインは予戦5位である。どうも日本に来てから六本木で遊びすぎたらしい。例の失格騒ぎで一旦下がったモチベーションを取り戻すことが出来なかった様だ。対するハッキネンは、来日してからのイベント出演を全てキャンセルして決勝に集中するほどの熱意が奏効して、スタートでホイールスピンしたシューマッハを抜いてトップに立つと、そのまま逃げ切って1位をゲットし、ワールドタイトルを手中に収めた。もつれたチャンピオンシップの割には意外にあっけない幕切れであったが、今回のレースはハッキネンの是が非でもチャンピオンを取りに行くという気迫が感じられた。シューマッハも自分のタイトルがかかっていないだけに気の緩みがあったのかもしれないが。アーバインのフェラーリ最後の年にチャンピオンを取らせてやりたかったのだが残念である。ま、フェラーリにワールドタイトルをもたらすのはシューマッハでなきゃね。来年の楽しみに取っておこう。
Written by Y1K