トライアスロン引退の顛末  Why I gave up triathlon

早いもので、あれからもう3ヶ月。秋も深まり、いよいよ本格的なマラソンシーズンを迎えています。小2の息子も1.5kmですが、マラソン初参加。親バカながら無事完走を喜んでいます。

最近、ようやく安静時心電図異常なしの所見をもらいました。これがおかしいと、いつ発作が起きるか心配していければいけないのですが、とりあえず一安心です。ただ、発作直後の心電図と比較され、それを見るとあれが現実の出来事だったと鮮明に記憶がよみがえります。

トレーニングは、ぼちぼちやり始めています。楽しみながらスイム、バイク、ランをやるのも悪くないです。成果の発揮の場がないのがちょっと淋しいですが。そのうち息子と一緒にジョギング大会に出るかもしれません。出会ったら、よろしく。

ジョギングしかできなくても、”心はランナー”です。”永遠に走り続けるランナー”でありたいと思っています。(2001.10.20記)


2001年の夏、突然襲った心臓の病気のため、現役引退を余儀なくされてしまいました。トライアスロンは苦手なスイムのレベルアップ、得意のランの更なる向上により、まだまだタイム更新は期待できたのに、無念やる方なしの心境です。

実は、"トライアスロンそんなに大事?"と医師に聞かれて即答ができませんでした。しかしその後、大会は棄権、練習もできずにいて、心と身体が不完全燃焼によりうずうずして反抗を起しかけているのを感じると、やはり私にとってトライアスロンは身体の一部だったんです。このところ、心にぽっかり空洞が空いたようで、何だか虚しい毎日です。

とは言っても、いつまでもこんな状態を続ける訳にいきませんから、今後どうあるべきかという自分の生き方を模索中です。"こういう病気を体験すると、人生観が変わるよ"というのも同じ医師の言葉ですが、確かに今回の出来事は自分の人生を見直すまたとない機会となりました。

以上、引退1ヶ月後現在の心境です。 (2001.08.14記)


最後の挑戦
2001年4月 30代最後のトライアスロン (39才)

91年の初めてのトライアスロンから、今年で節目となる10年となり、30代最後のトライアスロン・マラソンで一花咲かせてやろうというのが、今年の年初立てた密かな抱負であった。仕事のプレッシャーはかなりの重圧だったが、トレーニングで自分を追い込んだ後のビールのうまさときたら、全く何事にも変え難い人生の快感だ。

目標は、トライアスロン自己ベスト達成と、日本有数の難コースのいびがわマラソンでのサブスリー。この二つが達成できれば、次なる40代の生甲斐となる目標を新たに模索しようかとも考えていた。それが、トライアスロン・マラソンの更なる記録の追求になっていたのか、それとも別のものになっていたのか、今となっては知る由もないが、とにかく何等かの区切りがついたはずである。

ある日突然
2001年7月13日(金) (39才)

トレーニングを順調にこなし、蒲郡トライアスロンまであと2日と迫った金曜日の午前10時半頃、突然会議中に胸の真中辺りに物が詰まったような痛みに襲われた。痛みは、冷汗が出るほどではないが、収まったり、痛くなったりと約1時間も続いた。昼休みには完全に痛みは消えたが、レースを目前に控えているので、さすがに心配になって、まず会社の診療所に行った。すると最初は単なるストレスと軽く片付けられそうだったが、念のためにと取った安静時心電図で異常がでると、おやっという表情になり、近くの総合病院で検査を受けることになった。

そこでは、レントゲン、安静時心電図、心エコー検査を実施。特に心臓の機能に異常がないので、考えられることとして、冠動脈の痙攣による異型狭心症ではないかということであった。(午前中の安静時に発作が起き、発作時にしか異常がでない) その検査には入院が必要なので、更に国立病院で検査を受けてから、どうするか判断することにした。

2日後に迫った大会については、"出ないほうがいいが、出たいなら発作を予防する薬を処方する"と医師に言われて大変悩んだが、大事をとって今回の大会は棄権することに決断した。

検査
2001年7月17日(火)

国立名古屋病院で改めて診察を受けた。ここでは、レントゲン、心エコーに加えて負荷心電図を取った。その負荷心電図と、会社の診療所で取った安静時心電図を一目見るなり、"これは明らかに異常だ。直ちに検査入院です。まあしばらく入院して、世間のしがらみを忘れなさい。"ということになった。この時点までは、"ちょっと休養すれば、すぐに復帰できるさ"と楽観的に考えていたのだが、この一言で事の重大さを理解、私の希望的観測は音もなく断ち切られた。

01年7月26日(木)

20日からこの日で、ちょうど検査入院1週間目。いよいよハイライトのカテーテル検査の日である。要するにカテーテルと呼ばれる直径2mmの管を手首の動脈から心臓の冠動脈まで挿入し、造影剤注入によりレントゲンをとるのだが、言うほど楽な検査ではない。検査による死人も0.1%(5000人のマラソン大会なら5人ということ)でるらしい。"これで死ぬなら、俺の人生もそれまでよ"と、覚悟を決めて検査台の上に横になった。

やってみるとやっぱり大変!! 私の場合、肘の辺りのでカテーテルが入ったところで手首の血管が痙攣を起したらしく、血管拡張剤を注入したらしい。しばらくすると、血圧が急降下し頭がくらくらして意識モウロウになりかけた。横で"早くしろ"と医師が怒鳴っているのが聞こえて、しばらくするとちょっと楽になった。レントゲン撮影自体はあっという間に終わった。実質検査の時間は15分ぐらいだったと思われるが、私にとっては大変長い時間に感じられた。

診断
2001年7月26日(木) 15:00

いよいよ運命の診断。結果は発作が起きた日に行った総合病院での診断と同じく"冠攣縮性狭心症(異型狭心症)"。(詳細は下記) 外科的な手術という事態にはならず、とりあえずほっとしたが、医師からは、"競技者としてのスポーツは止めたほうがよい"と勧告を受ける。事実上のトライアスロン引退勧告である。

カテーテル検査所見 心臓の冠動脈には動脈硬化等による狭窄部は認められず。カテーテル挿入による腕の動脈痙攣、血管拡張剤にたいする敏感な反応から、冠攣縮性狭心症と診断。
冠攣縮性狭心症とは 動脈硬化による冠動脈狭窄が原因の器質性狭心症に対して、冠動脈血管の痙攣が原因となる狭心症。発作は副交感神経が興奮する安静時に発生し、早朝の就寝時、午前中の安静時によく起きる。。
病気のメカニズム 発作はストレス、飲酒、過呼吸が引き金となり、副交感神経が興奮する安静時に発生する。血管痙攣の原因は医学的によく分かっていないが、冠動脈血管の収縮を起すCaの働きを抑えるカルシウム拮抗剤の服用により、ほとんど発作は抑えられる。
トライアスロンとの関わり 運動負荷は直接の原因にはならないが、精神的に追い込んだ激しい運動後、休養時に激しい運動で興奮した交感神経と入れ代わって今度は副交感神経が興奮するので、その時が危ないらしい。ジョギングのように、精神的緊張もなく(アドレナリンが出ず)ダラダラ続ける運動は差し支えないらしい。医師からは、"競技者としてのスポーツは止めたほうがよい"と勧告を受ける。


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