2001年に39才の若さで異型狭心症を発症し、無念のトライアスロン現役引退を余儀なく されてからも、身体を労わりながら少しづつトレーニングを続けていた。トレーニングはラン中心に なってしまったが、通勤ランも含めて一日7km程度、毎日ストレス解消のため走っている。競技は ドクターストップされてしまったが、1.7kmのジョギング大会に小学生の長男と一緒に参加するところ から始めて、昨年は庄内緑地マラソンの2.8kmを10分28秒と、4分/kmを切るペースで完走し、復活の手応え を感じた。 このローカルな大会の5kmの部なら、なんとか入賞できそうだという感触を得たので、 少しづつスピード走を練習に取り入れて走るようになった。ただし、心臓にあまり負荷を掛けて 倒れてもいけないので、無理のないように楽しく走ることを心掛けた。結局、2003年は精神的な落ち込み (うつ症状)があっても月200kmのペースを維持し、なんと年間走行距離がフルマラソンのサブスリーを達成した 時よりも多く、2400kmを越えて自己最高を更新することになった。(トライアスロン挑戦前でフルマラソンの 完走が目標だった89年のランのみの年を除く) さて、いよいよ今日、庄内緑地マラソン大会の当日を迎えた。大変良い天気で、目覚めも爽快。 気持ち良く走ることができそうだ。先に長男が2.8kmの部に今年は一人で参加し、無事完走。タイムも 昨年より良く、まあまあの出来。その後、すぐ5kmの部がスタート。実は、5kmという距離のレースは 今回が初めてで、ペース配分に若干の不安があったが、走り出すとなかなか快調。前半の一周目を、 10位ぐらいの位置で通過、まだ余力があったのでそこから少しペースアップした。3、4人を追い抜くと ゴールまであと少し。もう一人抜けそうなので、ゴール直前は頑張ったが、15mくらいの差でゴールイン。 残念ながら追い抜けなかったが、力を出し切った爽快な気分だ。正確な自分の順位が分からなかったので 入賞はどうかなと思っていたら、6位の番号札を渡された。やったー!! 中学時代の1500m持久走ドベ2 (8分台で正確なタイムは忘れた) から根性で勝ち取った生まれて初めての感激の入賞である。(ちなみに今日は1500m当り5分44秒ペースで 走り切った。高校時代のベストの5分24秒と大差なし。この歳、この身体で、このペースを維持できたのは大変嬉しい) 後で知ったが、4秒差の6位でタイムは19分6秒。もうちょっとで5位だったが、これまで表彰状など 縁が遠かっただけに、とても嬉しい。表彰式で初めてもらう表彰状。ちょっと照れくさかったが、ちゃっかり 表彰されている私の両横に来た息子と娘と一緒に表彰状をもらう。オリンピック女子マラソン銀・銅メダリストの 有森裕子が"自分で自分を褒めてやりたい"というコメントを残して感動を呼んだが、実はこれは元々は、有森だけでなく、 私も尊敬している"走るフォークソンガー"高石友也さんの名言である。無理が利かない自分の身体と忙しい仕事での 限られた時間の中、今日の自分の頑張りはまさに"自分を自分で褒めてやりたい"だ。ローカルなレースでの入賞 ぎりぎりの6位でもいい。突然の病魔に精神的に挫けそうになりながら、もがき苦しみ、"俺の原点はここにしかない" という思いで、地道にトレーニングしてきた証、苦境に耐え切って生きた証がここにあるのだから・・・ (2004.3.28) |
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