名鉄瀬戸線大曽根駅
非高架駅時代の”晩年”の時の写真だ。木造2階建ての建物は前身・瀬戸電鉄の本社だった。
 
            国鉄時代の大曽根駅看板
東京を離れるとよくみられた型式の看板だ。
 
 
再開発計画はあったがまだ空き地だらけだった。R19や環状線以外は車の通行はまばらだった。この道は千種とR19との連絡のために整備された。
  
まだ活気があった大曽根西口のアーケード商店街。駅前古道をアーケード商店街にしたので東京・阿佐ヶ谷のパールセンターと似た雰囲気だった。七夕祭りまで開催されたのもパールセンターと同じだ。
  地べたを走っていた頃の名鉄瀬戸線
広い道・R41、R19、環状線の踏切付近は渋滞が起きていた。(写真はユニー大曽根店北)
 
      西口の焼鳥屋・四君子
主人の「ありがとうございました」は尻上がりのイントネーションだった。また、隣のたからやと競い合っていたのだと思う。