釣りを楽しむ



 少し前の話になるが、私が山梨県のとある川を釣った帰りだった。
上流の方まで行ってきたのだが魚影は見られなかったのである。
「ここにもいなかったか...」と少しさびしい気持ちで歩いていた。
こうやって自分の足で釣り場を探すのは大変なのだが、時にはいい思いをすることもある。
しかし、そんな場所がたくさん残っているわけがない。
1日歩きまわった苦労が無駄になったとしても、それは仕方がないのである。
 この頃の私は釣りをやると言うより、魚のいる場所を探して歩き回ってばかりいた。
魚を放流しているような場所には全く見向きもしなかったのである。
いつ行っても魚がいる...そういう自分だけの釣り場を探すのに夢中になっていたからだ。

 林道の車止めまで帰ってきた時に1人の釣り師と出会った。
年は私と同じぐらいだろうか...
「釣れましたか?」と向こうからお約束で聞いてきた。
私は釣れなかったことを伝えると、その釣り師はおかしいなという顔をした。
どこから来たかも聞かれ、千葉だと知ってかなり驚いていた。
「明日は仕事ですよね? こんな遠くまでこなくても、もっと近くに釣り場があるでしょう」と言う。
確かにその通りである。(誰が聞いても異常だと思うはず...)
そして「初めて来たから釣る場所が分からなかったんだね」とも言った。

 その後、釣り師は自分の釣りについて話し始めた。
そして今日は大きいのが出たと言ってビクの中を見せてくれた。
みごとな尺イワナが一匹入っていた。
私は「やりましたね」と言ってそれを誉めた。
釣り師は「成魚放流されたやつが1年以上生き残ったんだ」と嬉しそうだ。
家に帰って食べるのを楽しみにしているみたいである。

 彼は地元の釣り好きで、暇があればこの辺でいつも竿を出しているということがわかった。
ただ上流部は魚が放流されていないから行かないらしい。
私が釣れなかったと言ったので、どの辺でやったのかを聞かれた。
場所を言うと「そんな上まで...そんなに苦労しなくてもこの辺りで魚は釣れますよ。
山梨は釣りをやるのに最適な所です。せっかく来たんだから山梨の渓流を楽しんでいって下さい。
この辺で釣っている地元の人はもっと釣りを楽しんでやっています。
誰に聞いても釣れる場所を教えてくれますよ。」と彼は言ったのである。
彼には私の行動がとても釣りを楽しんでいるように見えなかったようなのだ。

 そして彼はこの川の放流されている区間や餌などについて教えてくれたのである。
更に近くにある2本の川についても釣りに最適だと教えてくれた。
釣り場についてはあまり語らない私には考えられなかった。
最後はお礼を言い、「今度は釣れる場所で釣ります」とつけ足して別れた。
それでいいんだと言わんばかりにニコニコと微笑む彼の笑顔が印象的だった。

 何気ない会話であった。
しかし、よく考えてみると自分の釣りとあまりにも違うのである。
 彼は純粋に釣りを楽しんでいた。
天然物とか源流とか自然がうんぬんではないのである。
魚と勝負するというか、釣ることだけに情熱を注いでいた。
仕掛け、餌などの工夫や、釣れる場所やポイント、そして時間帯まで考えて実践しているのだ。
かかった魚とのやりとりを楽しみ、大物が出れば嬉しそうに自慢する。
釣れる楽しさを知っているからこそ、その場所も惜しげもなく人に教えるのである。
きっと他の人にも同じ思いをしてもらいたいのだろう。
そして釣った魚は自分で食べている。
渓流釣りに限ったことではなく、これが釣りの基本なのである。

 私の釣りにはこの釣り本来の楽しみが半分ぐらい抜けているいるような感じがした。
今回のように魚がいるかどうかも分からないのに川の上流部まで入り込み、くたくたになりながら釣れないで帰ってくる。
これは、はたして釣りをやってきたと言えるだろうか?
これでは釣りを楽しんでいないと思われても仕方ないと思う。
彼のいう通り魚はもっと身近な場所にいる。
釣りはもっと手軽にできる遊びのはずである。
もっと釣り自体を楽しみむ気持ちがあってもいいのではないだろうか...

 それから私は身近な場所で竿を出すことが増えた。
この時は、上流へ入る時のように長い時間歩いたり、滝を越えることもない。
魚が放流されている場所を選び、車を止めた場所からすぐ竿を出すようにしている。
余計なことは考えずに本当に釣りだけに専念するのである。
美しい大自然はないかもしれないが、それでも魚が釣れれば嬉しいのだ。
やはり私は根っからの釣り人なのである。
 上流部に入り込むのをやめた訳ではないので、逆に釣りにかかる日数は増えてしまったがそれでもいい。
忘れかけていた釣り本来の楽しみを少しは取り戻したような気がするからである。
今でも身近な場所でたまに大物が釣れたりすると、あの時の釣り師の笑顔を思い出すのである。



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