アマゴ谷

− 早川支流 保川 −



 アマゴ谷...それは私がよく使う言葉である。
純粋にアマゴだけが生息し、奥の深い渓のことをそう呼んでいる。
渓流釣りをしている人は「アマゴ谷」と聞いていったいどんな渓を想像するのだろうか?
もちろん、誰もがアマゴがいる渓だというのはすぐに思い浮かべると思う。
しかし、アマゴがいるその上流にイワナがいたらどうだろうか? 
それはアマゴというよりもイワナの谷だというべきだろう。
やはり純粋にアマゴだけが生息している渓の方がその名にふさわしいと私は思うのである。
そして「谷」の字を付ける理由はいかにも奥が深そうな感じがするからである。
小沢だったり魚止めまで楽に日帰りができるような所ではどうもそのイメージに合わない。
渓泊りで入るような奥深い渓にはやはり「谷」がぴったりくるのである。
更に付け加えるとすればアマゴだからやはり水量が豊富で渓相が良ければいうことなしだと思う。
勝手に御託を並べてしまったが、それが私にとってのアマゴ谷なのである。
 実は広大な南アルプスにはこの「アマゴ谷」が存在している。
そして私がよく通っている山梨県ですぐに筆頭に挙がってくるのは早川水系の保川だと思う。
この渓はそれなりに有名だし、山梨で釣りをしている人であれば釣行したことがある人も結構いるのではないだろうか?
たとえ釣行していなくとも、みなその存在ぐらいは知っていると思う。
私は保川へそんなに通ったわけではないのだが、いろいろと思い入れがある。
そこで私が経験した保川の話しでも少し紹介してみようと思う。

保川1  保川に初めて訪れたのはずいぶん前になる。
その頃、私は20代の後半で、まだ山梨東部や東丹沢をメインにやっており、
イワナがもっと釣りたくて奥秩父の荒川水系や群馬の利根川水系などへ足を延ばし始めていた頃だった。
GWの連休に私はいつものように山梨東部の沢を釣っていたのだが、
せっかくの連休なのになんだか物足りなくなり、
おもいきってそのまま南アルプス方面まで行ってみることにしたのである。
車に積んであったロードマップを見ながら私が目指したのは早川だった。
地図を見ていて南アルプスの中心部まで奥深く切れ込んでいるその川にすぐ目がとまったからである。
いったいどんな所なのだろうか? はたして魚はいるのか?
そんなことを考えながら私は車を走らせたのである。


保川2  当然ながら早川にはその日の夜に到着した。
私は国道52号から早川沿いの県道(南アルプス街道)に入り、
すぐの所で私は車で寝ることにしたのである。
ちなみにこの頃はまだまじめだったから車に酒などは積んでいなかった。(^^;
でも釣行の疲れもあったので私は直ぐに眠りについたのである。
翌朝、明るくなってから起き、目の前にあった早川本流の流れを見て驚いた。
こりゃでかい...本当に大本流だぁ!
今は取水で水がほとんど流れていないのだが、
その時は本当にたっぷりと水が流れていたのである。(^^;

 私は準備を終えると県道を上流に向かった。
いつもと違う景色に感動したのを今でもよく覚えている。
早川に訪れるのはもちろん初めてだし、
いきなり決めたものだから2.5万分の1の地図などは持っているはずもなかった。
ロードマップを見ながら「なんか良さそうな川があるぞ!」と私はすぐに保川に目をつけた。
早川に合流している支流ではすぐ上流にある黒桂河内川と並んで大きく、 それは10万分の1のロードマップでもあきらかに流程が長いとわかったからである。


保川3  私は県道から保川沿いの林道へ車を乗り入れた。
その頃は今と違って林道をまだ車で走ることができたのである。
しかし、入ってすぐの所に車の通行は禁止であることが書かれており、
まじめな私(?)はそこで車を降り、歩いて行くことにした。
初めてのところだし慎重にいこうと思ったのである。

 既にすっかり日は高くなっていた。
林道を歩き始めて少し行くと帰ってくる2人組みの釣り師に会った。
話しをすると林道が沿っているすぐその辺りでやってきたそうだ。
そして「もしかして上流に入るの? それはやめといた方がいいよ。この川は本当に踏み跡だらけだよ。」と言われたのである。
まぁ、親切なご忠告ってやつだろう。(^^;


保川4  それでも私は気にせずに林道を歩いていった。
そして林道終点に着くと予想通り数台の車が止まっていた。(^^;
正直なところ少しがっくりはきたのだが、
それよりも私は初めての渓に期待する気持ちの方が大きかったのである。
そこから続いていた山道をたどっていき、そして赤い吊り橋を渡った。
とまどいながら進んでいくとすぐに素掘りのトンネルがあり、
中は暗く下には水がたまっていた。
恐る恐るその中へ入ると硫黄の匂いが鼻をついた。
「なんかすごい所だなぁ...」と思ったのである。(^^;
私は暗いトンネルを慎重に足場を確認しながら抜けた。


保川5  トンネルを抜けるとそこには素晴らしい山岳渓流があった。
豊富な水量、落差のある流れ、点在する大岩、随所にかまえる大渕...etc
その姿は本当に力強く、躍動感にあふれていた。
それはこれまで私が見てきたどの渓とも違って見えたのである。

 私は少し歩いてから早速、川虫集めにとりかかった。
とりあえずクロカワ、ヒラタ、オニチョロなどがとれた。
あまりとれはしなかったが、なんとか集めて私は釣りを開始したのである。
...しかし、全く釣れなかった。(^^;
それでもようやく手にできた魚はアマゴだったのである。
今となってはすっかり忘れてしまったが、
何も印象が残っていないからきっと小物だったと思う。(^^;


保川6  私はその後もずっと釣り登っていった。
そして私が大きな淵に立ち込んで釣っていたら上流から釣り師が降りてきた。
その人は何も言わずにそそくさと避けるように行ってしまった。
何か話しでも聞こうと思ったのに...(^^;
ここまでそれなりに釣ってきたのだが釣果は本当にさっぱりだった。
私はそこでもうあきらめることにしたのである。
渓の水にタオルを濡らし、顔や体を拭いたのがとても気持ち良かった。
ただそれだけだった...(^^;

 それにしてもこの渓は本当に見かけ倒しだなぁ...
そんなことを思いながら私はとぼとぼと林道を歩いていた。
林道終点にはまだ車が残っていたのだが、私が歩いているとその車が後からきて
軽やかに私の横を走りぬけていったのは今でもちゃんと覚えている。(^^;
そんな釣行が私と保川との出会いだった。


保川7  初めて保川に入った時からしばらく経ってからのことである。
もちろん私は保川のことなどすっかり忘れかけていた。
私はとある渓で一緒になった釣り師と
いろいろ情報交換をしているうちになぜか保川の話しになったのである。
私が「あそこは魚が少ないんじゃないですかね?」と言うと
「そんなことないぞ。ちゃんといるぞ!」という返事が返ってきた。
しかもトンネルを抜けた所からすぐ釣りになるというではないか。
「えっ?」はっきりいってこれには驚いた。
となるとあの時は1番で入らなかったのがまずかったか...


保川8  その話しを聞いた私は懲りずにまた保川を訪れた。
そしてまたしてもあまり釣れなかったのである。(^^;
またか...とは思ったが、私はすぐにあきらめなかった。
何度か入ってわかったことは保川は釣果の波が大きいということだった。
これは早川水系全体にも言えることでもあるのだが、
釣れる時には釣れるが、釣れない時はさっぱりという感じなのである。
保川のアマゴは本当に気まぐれなのだ。
私はなんとも不思議な川だと感じたのであった。

 いずれにしてもとりあえず魚がいるのはわかった。(^^;
そして保川にはアマゴだけしかいないということもわかったのである。
それにしても奥が深くて底が知れない...
あの先はいったいどうなっているのだろうか?
確かに興味をひくものはあった。
しかし、私が保川に通うことはなかったのである。
それは保川にイワナがいなかったからだ。
私は相変わらずイワナを求めて各地を歩き回っていたのである。


保川9  あれからずっと私は釣りを続けてきた。
やがて南アルプス方面にもよく出かけるようになり、
そんな私でもしだいにアマゴとかかわっていくことになった。

 私がそうだったように、釣りを始めたばかりの人は
より源流に棲むイワナへのあこがれや、
また、型狙いでみなイワナに走る傾向があると思う。
しかし、アマゴがいるフィールドで長年釣りを続けてきた人は
みなイワナよりもアマゴの方がいいと言う。
時間はかかってしまったが、アマゴと付き合っていくうちに
ようやく私にもそういう気持ちがわかるようになってきたのである。


保川10  アマゴはイワナと違ってスピード感がある所がとてもいい。
イワナのようにぐずぐずしないでバクッとすぐに餌をのみ込むのである。
また、餌をくわえて勢い余って空中にジャンプしてしまったり、
水面に餌が落ちる前に空中にガバッと飛び出してくるアマゴの反応は
イワナではまず見ることができない。
それに餌に食いついてバタバタ暴れているところや、 ハリ掛かりした時のアマゴのリアクションなんかも見ていると本当に楽しくて仕方がない。
アマゴが持っている独特の個性のようなものを知れば知るほど、
イワナ釣りでは絶対に得られないものを強く感じるようになっていったのである。


保川11  とりあえず今年の話しをしよう。(^^;
私はいつものように早川にやってきて保川橋から保川の水量をチェックした。
保川は早川水系の支流では唯一取水がされてない。
従って、車道から川を見れば周辺の渓の水況が確実にわかるのである。
その流れは実に穏やかだった。
今年は雨が多く、いつも渓は増水していることが多かった。
ずっと釣りにはきていたのだが、そんな状況だったので大きな支流には自由に入れず、 小沢を釣り歩いたりすることが多かったのである。
正直なところかなりストレスがたまっていた。(^^;
穏やかな流れを見た時「これは今日しかないぞ!」と思い、
私は保川に入渓することをその時に決めたのである。

 普通は現地に着いてから入る渓を決めたりする人は少ないかもしれないが、 保川のような大きい支流になると本当の大雨が降ったりすれば平気で1週間ぐらい増水が続いていたりすることもある。(^^;
ようするに予め入ろうと決めていても必ず入れるとは限らない。
全ては当日の天候と水況しだいになる。保川とはそういった渓なのである。


保川12  保川には今年の5月にも訪れている。
その時にひき返した所まで歩いた私はそこから竿を出すことにしたのである。
するとすぐに小さいアマゴが元気よく食いついてきた。
アマゴの反応でその日の釣りがだいたいわかる。
本当にいい感じであった。(^^)


保川13  それにしても保川はいつみても本当に渓相が美しい。
早川水系は山の崩壊がひどく渓相が安定してない渓が多いのだが、
保川は岩もしっかりしているし、比較的安定している方だと思う。
一時は台風の影響などでひどく荒れたりしたこともあったが、
しばらくするとまた渓相は復活していたりする。
昔からそれを繰り返してきているのである。


保川14  保川は廊下が続くので遡行は疲れる。
登ったり降りたりと本当に面倒なのである。(^^;
それに同じような所が延々と続くので現在位置がつかみずらく、
また、帰りに巻き道がわからなくなり途惑ったりする。
私も慣れるまでに少し時間はかかったが、今ではなんとか大丈夫になった。(^^;

 保川には昔、登山道があった。
それはいつぐらい前のことか私にはわからないが、
確かに渓に沿って登山道の跡がずっと続いているのである。
この登山道跡だが渓を歩く時に頼りになるのは確かなのだが、
現在は完全な廃道で、所々で完全に崩れている。
ここを無理に歩くと事故につながるので注意が必要である。
あまり危険な感じはしないのだが、
遭難騒ぎやベテランの死亡事故もある渓なので、
とりあえず私は慎重に歩くことにしている。


保川15  さぁ、そろそろ広河原だ...
実は広河原といっても名前だけでそんなに広い河原があるわけではない。
それでもこれまでの渓相が嘘のように開けて平らになる場所である。
でもここは意外と荒れていてポイントになるような所は少ない。(^^;
午前中の天気は良かったのだが、
いつしか雲が出てきて天気はよくない感じになってきていた。
それでも私はかまわず釣っていったのである。

 この時、私は昔のことを実になつかしく思い出していた。
もちろん私が初めて保川を訪れた時のことである。
自分にとっての保川はあの時すぐに終わったと思い込んでいた。
しかし、長い間、巡りに巡ってまだ物語りは続いていたのである。
現に今こうして私は保川にいる。
あの時、ロードマップを頼りに何も知らない保川へ足を踏み入れた...
それは間違いなく私と保川にとっての第一歩だったのだと実感していたのである。


保川16  どこまで登ってもアマゴがいるかのように思われた
保川にもちゃんと魚止めはある。
私は魚止めで最後のアマゴを掛けた。

 昔、早川はアマゴを釣る川だった...
野呂川水系やごく一部の支流を除けばイワナは生息していなかったと人に聞いた。
もちろんそれは私が生まれるよりも遥か昔の話しである。
それが人の手によってイワナが放流され今ではイワナのいる支流も多くなった。
アマゴの環境はずいぶん脅かされてきているのが現状なのである。
そんなこともあってか私は今回も最後までアマゴだけだったことに本当に安心した。


保川17  私はこの渓にいったい何を求めた?
美しい渓相か? たくさんの魚か? それとも大物か?
確かに最初はそんな感じだったかもしれない。
でも今となってはどれも違うだろう。
ただこのアマゴがいる環境が本当に好きになっただけなのだ。


保川18  それにしても奥の深い渓である。
たまに「アマゴ? ヤマメでも同じじゃないの?」と聞かれたりすることがある。
確かにどちらも似ている魚だしヤマメも同じぐらい好きだが、
でも私にとってはやはりアマゴの方が好きなのである。
アマゴとヤマメの違いは細かくいえばいろいろあるかもしれないが、
一番大きな違いはヤマメが源流釣りの対象魚ではないところだと思う。
残念ながらヤマメは渓泊りで入り込むような源流域には生息していない。
しかも、大抵はイワナと混生で上流へ行くとみなイワナになってしまう。
もしかしたら探せばあるのかもしれないが、
現在、私が知っている限り「ヤマメ谷」というものは実在しないのである。
 しかし、アマゴの場合は違う。
この保川のような渓で釣っていると、もうイワナ釣りと何ら変わらない。
釣っていて本当に源流の釣りだと実感できるのである。
私がアマゴの方が好きだという決定的な理由はやはりそこにあると思う。
今になってみれば私にとって保川の存在は大きかったと感じているのである。


保川19  帰りに広河原まで戻ってきてうろうろしていると、
いきなり雨がポツポツと降ってきた。
確かに天気予報では今日の午後は天気が不安定になると聞いていた。
まぁ、そんな状況でこの渓に入るのもどうかとも思うのだが...(^^;
正直なところ私はその雨で一瞬にして背筋が凍りついた。
暴れ川とも呼ばれて恐れられているこの渓は
ちょっとした雷雨がくれば渓はすぐに手がつけられなくなってしまう。
帰ることも断念せざるをえないからである。


保川20  私は考える暇もなく急いで渓を降り始めた。
時折、嫌な雷の音が遠くに聞こえていた...
それ以上雨足が強まることは無かったのだがもちろん油断はできない。
足早に歩き続けたのだが、やはり延々と続く廊下は長かった。
どれぐらい必至になって歩いただろう?
そしてようやく入渓点であるトンネルの所まで30分ぐらいの場所まで戻った時、
ずっと高まっていた緊張感が一気に開放され気が楽になった。
そこでようやく私は休みをとったのである。


保川21  帰りに林道を歩いていたが、この辺は雨が降った形跡も無かった。
空は意外にも明るく下流の方はずっと晴れていたのがわかったのである。
そして結局、雨は降らなかったのだ。
「なんだ、慌てることなかったじゃん!」と思ったりもしたが
心の中では安心していたのはいうまでもなかった。(^^;
ようやく保川橋まで帰ってきた時、橋の上から保川の流れを見た。
本当に穏やかな流れだった。
この橋の上に立つといつも感じる。
保川の魚止めは遠くに...


保川22  余談になるが過去にテレビで保川が紹介されたことがあったと聞いた。
その影響はすさまじく週末になると保川橋の周辺には
車の縦列駐車が何ヶ月も続いたそうである。
私はその話しを聞いて本当にやれやれと思った。(^^;
もちろん、今ではそんなことはないのだが、
それでもこの渓は意外と人気があるので訪れる釣り師も多い。
放流などもないこの環境でアマゴ達が生きていくのは決して楽ではないと思う。
それでも保川のアマゴ達は絶えることなく命を紡ぎ続ける。
昔も今も、そしてこれから先も...
永遠に変わらないアマゴ谷...それが保川なのである。



 アマゴ谷は決して多くあるわけでない。いや、むしろ少なく大変貴重な存在である。
もしかしたらそこにいるアマゴは本当の在来種なのかもしれない。
最近はイワナの在来種を守ろうという声を多く聞くがこのアマゴ達もそうではないのか?
イワナ以上に守っていかなければならない財産だと私は思っている。
これらの渓に入渓するのはもちろん個人の自由である。
感謝の気持ちさえあれば少し魚をわけてもらうのもいいだろう。
しかし、この環境にイワナや養殖魚を入れたりする行為は絶対にしてはならない。
このすばらしいアマゴの環境が本当に永遠に続くかどうかはやはり我々釣り師にかかっているのである。


 補足になりますが写真は確かに全て釣行日にとったものに違いありませんが、本文とは全く関連していません。
読みずらいかと思いますが、写真からは保川のイメージを楽しみ、そしていろいろと想像してみて下さい。(^^)



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