魚止の先にイワナを

− 魚を運び上げるということ −



魚止の先1  数年前、私はおもしろい渓を知った。
その時の話しであるが目的地に着いた私は少々がっかりした。
下流部の渓相からなんとなく予想はついていたのだが、
やけに砂の流出がひどく沢底は一面の砂に覆われている。
上流に行けばもしかしてと思っていたのだが...
それは渓を歩くとずぶずぶと沈んでしまう程なのである。
お世辞にも渓相がいいとは言えないし、魚の生息にも向いているともいえない。
それでも魚がいるかどうか気になっていた私は渓を歩きながら魚の姿を目で追っていた。

 魚の姿は見えなかったので私は少しあきらめてはいたが、
とりあえず竿を出してみることにした。
するとすぐにアタリがあり、なんとも簡単に釣れてしまった。イワナが...
私はイワナがいたことにかなり驚いた。
しかし、それ以上にイワナがいてくれたことがうれしかった。
こんな川底では餌となる川虫なんかも少ないだろう。
イワナはよく生きているものである。


魚止の先2  そのまま続けて釣っていくと浅い瀬で イワナが気持ち良さそうに泳いでいるのを見つけた。
遊び心でどれぐらいでイワナが気がつくのかなと思い、
背後からそっと近づいていったのだがこちらには全く気がつくようすもない。
イワナは流れてくる餌に気をとられており、
時々、何か流れてくると右に行ったり左にいったり忙しそうだ。
そして私はすぐ真後ろまで近づいたのだがイワナはまだ流れに身をまかせている。
冗談で仕掛けに餌のブドウ虫を付けて足元にいるイワナの鼻先に
餌を落としてみたらイワナは思いっきり食いついてきた。
私はあまりにも警戒心のないイワナに心を打たれてしまった...

 その先はすぐ滝で下は淵になっていた。
よく見ると淵の水面には黒いものがプカプカ浮いているではないか。
まさか...と思って近づいてみるとそれはやはりイワナだった。
それにしてもいったい何尾ぐらいいるんだろう?
10尾、20尾...いやもっといそうだ...
すぐ竿を出してみると餌が落ちた所に1番近いヤツが真っ先に食いついてくる。
私は浮いているイワナを撃ち落とすように順番に釣っていったのである。
でも10尾も釣るとさすがに警戒したのかイワナの姿はみな見えなくなってしまった。



魚止の先3  目の前の滝を登ってみるとそこには小さめの淵があった。
そして私はここでも同じように良型を釣ったのである。

 ここのイワナは白い砂底のせいか魚体も白っぽい。
それがまた美しく魅力的に感じる。
このイワナは昔からここで生きてきたイワナに違いないと思うが、
残念ながら私には判断できないのである。


 そこで1時間近くは釣っただろうか...
アタリが無くなったので私はあきらめることにした。
ふと滝の上からさっきまで釣っていた下の淵を覗き込んで私はびっくりした。
姿が見えなくなったイワナ達がまた水面に出てきてプカプカ浮いているではないか。
なんともすごい回復力である...
そして今度は滝の上から竿を出してそのイワナをまた順番に釣ったのである。
 釣り始めたのが昼近くだったということもあり、その日はすぐに帰る時間がきてしまった。
渓にいると本当に時間が過ぎるのが早いといつも感じる。
ちなみに私がその時に釣った距離はほんの250m程であった。

魚止の先4  こうなると続きをやりたくなってくる。
あの先にもイワナの好釣り場が続いているのは確実だからである。
いったいどんな釣り場になっているのだろうか...気になる...
私は日常生活の中でしばしばこの渓のことを思い出しては次の釣行を考えていた。

 それからしばらくして私は晴天の日を選び再びこの渓にやってきた。
2回目だということもあり、ルートはバッチリである。
前回は半日近くを費やし大変ではあったが、今回はかなり早く着くことができた。
そして前回ひき返した先にもやはりイワナはいた。
大きい淵などは無かったが各ポイントから確実にイワナは釣れてきたのである。


魚止の先5  そしてしばらく釣っていくと滝に遭遇した。
私は滝下で大型を数匹掛けた後、その滝を登って越えた。
そして続けて竿を出していったのだがなぜかイワナの姿が見当たらないのである。
あれだけあったイワナの魚影があまりにも忽然と消えてしまっただけに少し信じられなかった。
おかしい...まさかもういなくなったのか?
私は竿を納めてしばらく渓を歩いてみたが、やはりイワナの姿は見られなかった。
結局、その滝が魚止めだったとわかったのである。

 釣り始めた所から魚止滝までは距離にすると約500m...
なんとも短い距離ではあるが、この渓のイワナはこの区間だけで健在なのであった。

 魚止滝の先にはまだ十分イワナの生きられそうな流れが続いていた。
しかも魚止滝を越えてからの渓相は悪い感じはしない。
この流れにイワナを放して定着すれば一気にイワナの生息域が延長されるはずである。
私は魚を運び上げてみようとその時に決断したのであった。


魚止の先6  そして2年前に私はこの渓で移植を実行した。
合計4回渓に通い、それぞれ十数尾ずつ滝下で釣った魚を滝上に運び上げたのである。
とりあえずイワナは魚止滝の約1.5Km程上流へ2箇所に分けて放した。
わざわざ千葉から山梨までやってきて釣った魚をせっせと運ぶだけ...
重労働だし、疲れるし...ばかばかしさにあきれてしまう程だが、
でも私はまじめにそれをやってのけたのである。


魚止の先7  放した魚はちゃんと増えただろうか...
気になっていたいた私は去年、一度だけイワナの様子を見にきたのである。
私は魚止滝を越え、魚影を探しながら遡行をしていった。
しかし、そこにはイワナのいない流れがただ続いているだけであった。
放流したポイントの近くまできてからはかなり注意深く見ていったのだが、
結局、イワナの姿は1尾も見ることはできなかったのである。
普通なら少しぐらい姿が見えても良さそうなものだが...

 そして私はイワナを放した淵にたどり着いた。
淵をそっと覗き込んでみるがここにもイワナの姿は見えない。
考えにくいが、もしかすると定着できなかったのかもしれない...
しばらく淵をじっと眺めていたら、黒い物が水中で動いたのがわかった。
あっ! おもわず身を乗り出してみたら、
こちらの様子に気付いたようでそいつは落ち込みに向かって泳ぎだした。
また、それにつられて4〜5尾のイワナが一斉に泳ぎだしたのである。
ちゃんとイワナは生きていたのだ...しかも大きくなって...
彼らは間違いなく私がこの手で1年前に運んだイワナ達である。
確認できたのは5尾程ではあったが私は安心した。
そして今回も下流から運んできたイワナをまたその淵に放してやった。
来年こそは増えてくれよと願いを込めて...


魚止の先8  かなり前置きが長くなったが、ようやく今年の話しである。
私は去年と同様に移植を兼ねて一度だけイワナの様子を見にきたのだった。
朝のうちは気持ち良く晴れていたのだが、
途中から霧が出てきてなんだかすっきりしない天気になった。
しかも真夏だというのに気温もやけに低く、冷えた汗がやけに冷たく感じる。
私はいつものように同じ場所から釣り始めた。
それにしても砂の流出がいつも以上に目立つ感じである。
水量が少ないせいでそう感じるのだろうか...
魚影もいつもよりあきらかに少なかった。


魚止の先9  途中にはちょっとした狭間なんかもある。
ここは高巻きもできないことはないが渓に降りる時は15mの懸垂になる。
またザイルは残しておかないと帰りに登れないし、登るにしてもちょっとやっかいである。
高巻きルートは時間もかかるし危ないので、私は川通しで通過することにしている。


魚止の先10  滝を登って狭間を抜けると一安心である。
ここの通過では全身ずぶ濡れになってしまう。
水に濡れた体がやけに寒く、いきなり震えがくる。
本来であれば「冷たくて気持ちいい!」となるはずであったが、
今回はちょっと予定と違くなってしまった。


魚止の先11  魚止滝付近の渓の状態は非常に悪かった。
流れが変わっていたり崩落したガレが渓を埋めている始末である。
なんだか年々、渓の状態が悪くなっている感じもする。
本当に大丈夫だろうか?と心配になってしまう。


魚止の先12  いつもより魚影が薄いので気になってはいたのだが、
それでも良型はそれなりに元気な姿を見せてくれた。
ここのイワナはこんな環境でもずっと生き抜いてきたのである。
私が心配する必要などないのかもしれない。


魚止の先13  魚止滝もずいぶん崩壊が激しかった。
この滝下はいつも尺上が1尾や2尾は必ず姿を見せてくれる所である。
ここでは40cmオーバーを見かけたこともあるが、
残念ながら私の竿にきたことは一度も無い。(^^;
埋まったポイントに竿を出してみるとすぐアタリがあり、
ゆっくりあわせると強烈な引きが返ってきた。
釣れたイワナは泣き尺だった。
尺には1〜2mm足りない感じである。(^^;
続いて29.5cm、次は8寸クラス、続いて28cm...
4尾を釣り上げたところでアタリは無くなってしまった。
いつもより全然釣れなかったがそれも仕方ない。


魚止の先14  釣ったイワナは適当なサイズの物だけを選びいつものように生かしビクに入れていた。
ここで別の運搬ケースに移し、私は魚止滝を登って越えた。
滝上に出てケースの水を入れ替えながらしばらく歩いていくと、
突然15cm程のイワナが走った。
あっ、イワナだっ!
私は滝を越えてからまだそんなに歩いていなかったので、
まさかイワナがいるとは思ってもみなかった。
その時は不意をつかれたようで本当に驚いたのである。
それより私はあんな小さい魚は1尾も放していない。
まさか、ここで増えてくれた魚では...
ちょっと期待しながらまた歩き始める。
すると少し先でもまた同サイズの魚が走ったのである。


魚止の先15  それから先は私の期待していた通りの光景がまさにそこにあった。
各ポイントでは必ずといっていいほどイワナの姿を見ることができたのである。
多い所だと5〜6尾が一斉に走り出す。
次々に姿を見せるイワナ達に私はただうれしく胸が熱くなる思いであった。
確認できたイワナはほとんど2年魚(15cm前後)であったが、
5cm程度の1年魚もそれに混じって確認できた。
去年は1尾も確認できなかったのだが、
イワナ達はちゃんと種を残し増えていてくれたのである。
私の右手にはイワナの入ったケースがあったのだが、もうそれは必要なかった。
ほっといても後2年もすれば、ここは確実に良型が泳ぐ姿でいっぱいになるからである。


魚止の先16  放流ポイントの淵に着いた私は親魚はいるかな?と思い、
遊び心で竿を出してみたらあっけなく釣れてしまった。
釣れたのは立派なオスの尺イワナだった。
2年前に放した8寸クラスがこんなに大きくなったか...
増えた魚を見ることができたのも、放した親魚が定着してくれたおかげなのである。
もちろんこの淵には尺クラスもかなり放しているので、
ずいぶん大きくなっているのもいるだろう。
でも、私はそれ以上竿は出さなかった。
釣った尺イワナを放してやり、更に先の放流ポイントへと私は足を向けた。

 その先の放流ポイントへ着くとそこにイワナの姿は無かった。
いないのかな?と思い、辺りをよく観察すると小さいさい1年魚を見つけた。
1尾だけだったが岸近くで一生懸命になって餌を食べている。
ここでもちゃんと増えていてくれたか...
姿こそ見えなかったがイワナが生きていることがわかり私は安心した。


魚止の先17  私は今回運んできた17尾を1尾ずつそこに放した。
そのうちの1尾は放したばかりだというのに、
私の目の前で泳ぎ、そして元気に水面の餌をとってみせた。
「おいおい、お前は元気だな...」つい言葉が出てしまう。
放したイワナ達は元気に泳いでいくのもいたが、
大半は運んだ時に疲労したせいでみなその場でじっとしている。
全てのイワナを放し終わった後、
まだじっとして残っているイワナを1尾ずつそっと手で追いたてる。
ほら行け、お前達もちゃんと生きろよ...
そうするとイワナ達は順番にゆっくり淵の底に泳いで消えていった。


魚止の先18  なんだか長い時間その場にいたような気がする。
はっとして時計を見たらもう16時近かった。
あっ、しまった! いつのまにかこんな時間になっている!!
ここからは私の足で休まずに歩いてもとても明るいうちに帰ることはできない。
またヘッドライトのお世話になるのか...まぁ、いつものことだが。(^^;
私はあわてて帰る準備をし、姿の見えないイワナ達に別れを告げてから出発した。

 帰りに高巻きをしている時、ふと振り返ると大滝が見えていた。
いったい何mぐらいあるのか想像がつかない。
私が放したしたイワナはまさにこの滝下までなのである。
今回は放した魚が定着したのを確認できた。
でもこの渓の放流をこれで終えたつもりはない。
私は地図を見ているから知っている。
あの滝上にもまだイワナが住める流れがあることを...
そう私の想いはまだ続いているのである。
いつかあの滝の上にもイワナを...
先は長いかもしれないが数年後はあの滝上でイワナの泳ぐ姿が見られることだろう。


 今回は滝上に移したイワナが定着したことを勝手に紹介させていただいた。
単に増えた魚を自分で釣りたいだけだろうと言う人も中にはいると思う。
確かに私が初めて魚を運んだ時はそれが目的だった。今、思えばはずかしいことであるのだが...
これまで私は本当に魚達にはお世話になってきた。もう感謝の気持ちでいっぱいなのだ。
魚達の為にできることがあるなら何かしてあげたい。そんな想いが魚を運ばせたのである。
放した魚は我々が思っているよりも意外と簡単に産卵を繰り返しそこに定着する。
自分で放した魚達が増えてくれ、またその魚達に会いに行く...苦労しただけにそのよろこびもひとしおである。
釣るだけではなくそんな魚達との付き合いがあってもよいのではないだろうか。
でもいつかここも人に知られてしまいせっかく増えた魚も釣られてしまう時は必ず来るだろう。
正直にいうと少し残念な気持ちはあるがでもそれはそれでよい。
魚がいなかったこの流れに今は魚がいる...
それはこの渓の魚達に自分がしてあげたことであり、魚がいなくならない限りそれはずっと残り続ける。
ただそれが残ればよいではないか。本当にそう思っているのである。

 最後になりますが最近はあまりにも秩序を無視した放流が目立つと思います。
何のためらいもなく渓の源流部にいきなり養殖魚を放流したりする行為です。
それが原因でどこもみな在来種がいなくなってしまいました。
単に魚が釣れさえすればそれでよいという考えはいかがでしょうか?
もし、魚を放流していたり、これからやろうと思っている人がいたら、
その行為は正しいと言えるのでしょうか? やる意義があるのでしょうか? 魚達にとって良いことなのでしょうか?
もう一度よく考えてみましょう。
後悔しても取り返しがつかないものであるということを認識しておくべきです。
私もいろんな方から意見をいただきました。これからはよく考えて行動していきたいと思います。
本音を言うとこんなことは書きたくなかったのですが
魚達の環境が悪くならないよう少しでも歯止めになるのであればと思い、
この場を借りて最後に付け加えさせていただきました。



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