大アマゴの棲む渓

− 雷雨による撤退 −



大アマゴ1  私は渓に入る為に準備を済ませ暗いうちから夜が明けるのを待っていた。
そして暗かった空が次第に明るくなってくる...夜明けである。
山は夜明けが1日のうちで1番美しい時だと感じる。
今日のように快晴であれば尚のこと、明るくなってくる様が実にすばらしい。
何か神々しい感じを受け、またその姿にみとれてしまうのである。

 明るくなってくると山間に渓の切れ込みが姿を現す。
またこの渓にやってきたか...少し懐かしいような感じを受ける。
私は年に1度ぐらいしかこない為、いつきても気持ちは新鮮なままである。
 この渓にいったいどれ程の渓流師が思いを馳せてきたのたのだろうか...
ここにくるとついそんなことを考えてしまう。
そして思いながらも願いのかなわなかった人もかなりいるのではないかと思う。
昔に比べれば魚は少なくなったのかもしれないが、
それはここがまだ往年の姿を残す現役の渓だからである。



大アマゴ2  私は明るくなるのを待ってから入渓した。
まだ光のとどかない薄暗い中、遡行を開始する。
本流出合い付近の様相は静かな趣であるが途中にはそれなりの場所もある。
今となっては慣れてしまったので、さほど緊張することもなく遡行しているが、
初めてこの渓にきた時には思わずひるんでしまったのを今でもよく覚えている。(^^;
基本的にこの渓は水線通しで遡行しなければならない。
へたな高巻きはかえって危険だからである。

 遡行を開始して1時間半もすると渓相が穏やかになる。
とりあえずこの辺から釣っていくことにした。
ゆっくり朝飯を食べてから竿を出すとすぐに元気よくアマゴが飛びついてくる。
糸は0.8号、ハリは8号、餌はミミズ...
それでもアマゴ達は全く気にする様子もない。
いつもと変わらないあいさつにうれしくなる。

大アマゴ3  しばらく釣っていくとようやく太陽の光が谷間に差し込んでくる。
光に照らされ渓が一斉に輝きだす。それがなんともいえない美しさなのである。
それにしてもこの渓は本当に渓相がすばらしいと思う。
私は古くからここに通っているわけではないので昔のことはよくわからないが、
荒れた様子もなく、また渓相が変わっているような感じも全くないのである。
これ程の渓が私のよく通う山梨県にいったいどれぐらい残っているのだろうか?
本当に貴重であり、そしてそこで釣りができることに喜びを感じる。
人の手さえ入らなければ渓はいつまでも自然のままなのである。
いつまでもこの姿がそのままであって欲しいと願うだけだ。

大アマゴ4  やがて両岸が狭まってくると再び廊下帯になる。
廊下の核心部では両岸が切り立ち渓の幅も狭く圧迫感を受ける。
この廊下は途中に大きい淵などもあるのだがなぜかアタリが少ない。
これまでの釣りが嘘のようにぱったりアタリが無くなる。
本当に気持ち悪いぐらい魚がいないのである。
これ程のゴルジュになると増水時はかなりすごそうだ。
きっと魚は増水の時に流されてしまうのではないかと私は思っている。


大アマゴ5  廊下を抜けるとまた明るくなり渓が穏やかになる。
そして魚影はこの辺りから一気に濃くなる。
空も快晴だし、魚の手応えを確かめながらじっくり釣っていくのは気分がいい。
実は昨夜の天気予報では少し不安定だと聞いていたので多少気にしはいたのだが、
この様子ならそんな心配は皆無である。

大アマゴ6  アマゴのアタリは非常に活発である。
何でもない浅場からバッタバッタと次々にアマゴが釣れてくる。
スレてないアマゴを相手にするのは本当に楽しい。
私はすっかり釣ることに夢中になっていた。

大アマゴ7  原種のアマゴはもうどこにもいなくなってしまった...
たまにそういう言葉を耳にすることがある。
いくらなんでもそれはないとは思うが当たらずとも遠からず。
少しさみしいが私の釣っているフィールドではそれが現状なのである。
 ここのアマゴはあきらかに本流や他の支流で釣れるものとは見た目が異なる。
私はこのアマゴが古来よりこの渓で生きてきた原種の魚だと信じている。
この渓にやってくる理由はこのアマゴがいるからに他ならない。

 私は人にイワナ好きだからイワナばかり釣っていると思われている。
確かにイワナが1番好きでイワナを中心に釣りをやっているが、
実はアマゴやヤマメも同じぐらい好きなのである。
特に源流のアマゴは大好きである。
美しさ、体高の高さ、魚の大きさ、それに大きい魚の迫力はイワナ以上である。
ただ本当にアマゴやヤマメの残っている自然の渓流は少ないから、 どうしてもイワナということになってしまっているのである。
イワナのいる領域であればまだ私の望む自然な渓が残っているから...
少ないだけにアマゴを釣りたいと思う気持ちはイワナよりも強いかもしれない。

大アマゴ8  ちょうど正午になろうかという時、ふと遠くで雷が鳴った。
何だ?と思い空を見るとあれほど晴れていた空に白い雲が出てきていた。
そういえばなんだか辺りが暗くなってきた感じを受ける。
それでもまだ空には晴れ間も見えている。
早めの昼飯を食べながら様子をうかがったが
それ以上、雷は鳴らなかったので私は釣りを続けることにした。


大アマゴ9  そして私はようやく目的の淵にたどりついた。
この淵は6.1mの竿を使ってもとどかないほど広く深い。
そして、ここからアマゴ止めまでの短い区間がこの渓の核心部の釣り場になっているのである。
この核心部では尺上が出ることもさほどめずらしいことではない。
私の釣り友はこの淵で見事な40cmオーバーのアマゴを釣り上げている。
そして今年はまた別の人がこの先のポイントで50cmクラスを掛けて糸を切られている。
走る魚を止められなかったそうだ...
この渓に通う釣り師は少ないから、渓で会うと知り合いになる。
渓で会ってからは今でも連絡を交わしたり釣りに行ったりする仲になってしまった。
私が今回ここにきたのも実はこの人から50cmがいるから釣ってこいと 強く薦められたのもあったからなのである。
そのかわり釣れたらちゃんと報告しろよ〜という感じで実に気のよいやさしい人である。
そして魚も大事にするからこの渓から魚が少なくなることもない。
もちろん私もそうしている。

 私ははやる気持ちをおさえていつものように淵の様子を観察した。
すると8〜9寸のアマゴが数匹こちらを気にする様子もなく、
狂ったように水面の餌を食べまくっている。
そして、水中にもアマゴがゆらゆら泳ぐ姿が10尾ぐらい確認できた。
いるいる、たくさんいる!私は喜んだ。 なんか子供みたいで恥ずかしいのではあるが...(^^;
大物の姿は見えなかったが、そういうヤツはみな底の方にいることが多い。
とにかくここにいるのは間違いないのである。
「よしっ、いよいよ大アマゴと勝負だ!」とばかりに期待しながら竿を出すと、
待ってましたとばかりにアタリ...釣れたのは7寸クラスであった。
次は6寸、続いて7寸...6寸、7寸、6寸、7寸...おかしいなぁ。大物はどこ?(^^;
そういえば仕掛けが底に入っていないような気が...オモリが原因か?
1Bを3個付けにして釣ったりしたが結果は同じだった。
でも20尾近く釣っているというのにアタリが無くなる様子はまだない。

 こうなったら我慢比べだ!などと思い、続けていると雷が遠くで鳴り始めた。
釣りに熱中していたので気がつかなかったが、空を見上げるといつの間にか暗くなっている。
これはひと雨くるな...私は確信した。
でもここでやめるわけにもいかない気持ちは釣り好きの方ならわかっていただけるのではないと思う。
かまわずそのまま釣っていると雷の音はだんだん大きくなっていき、 すぐにバケツをひっくり返したような雨がいきなり降ってきたのである。
なんだこれ!?普通じゃないぞこれは...この時は本当にびっくりした。
「あっ、やばい本流!」私はとっさに本流の渡渉を心配した。
ここから急いで戻っても最低2時間半ぐらいはかかるからである。
しかし、事態はそんな気軽な状況ではなかった。
あまりの激しい雨にここでの増水を心配しなければならないと私はすぐに気がついたのである。
とりあえず今のうちに戻れる所まで戻ろう...

大アマゴ10  雨が降ったら大物が...本音を言うと惜しい気持ちもあったのだがそれどころではない。
竿をしまってかけるように渓を降り始めたのだが15分程でもう濁りが入ってくる。
増水の経験は何度かあるが、こんなに早いのは初めてであった。
もしかすると上流の方では既に降っていたのかもしれない。
廊下の手前まで戻ってきた時、このまま廊下に入っていいものかどうか考えた。
でもまだ水量はさほど変わっていないないように見えたので、 結局、突入したのだがこれはちょっと考えが甘かった...
途中でどんどん水量が増えてきて腰ぐらいの渡渉中に流されてしまったのである。
その瞬間「あっ、しまった!」と思ったが、少し流された所で体が木に挟まって止まった。
でもあまりに水圧が強いので体が押し付けられて身動きがとれない。
両腕に渾身の力を込めてなんとか抜け出したのだがその先は濁流化した淵になっている。
ただ見ているだけでも恐怖感が高まってくる。
少しためらったのだが、私はその淵へ流されるように飛び込んだ。
ここにいても水位は増すばかりだから、もうそうするしかなかったのである。
目の前が真っ暗になる...しばらくすると体が浮いた。
なんとか泳ごうともがくが、渦に入ってしまい同じ所でクルクル回っているばかりである。
必死に息継ぎをしながらやっと壁を蹴り、その勢いで脱出できた。
渦にはまると体は沈むし、なかなか抜け出せないのでやっかいである。
ここではかなり水を飲まされるはめになった。


大アマゴ11  その先の小滝でも予想通りあっけなく流されたが、平場まで流された所で岸へ這い上がることができた。
その後もまだ増水が続き、 ちょっとオーバーな表現だとは思うが 次に流されたらまじめに本流まで行ってしまいそうな感じがした。
しばらく動く気にもなれず1時間ぐらい私は渓の様子をそこで見ていた。
さっきまでの穏やかな流れはいったい何だったのだろう?
いつも思うが本当に増水した渓は恐ろしい。
本当に人間の力なんて無力だなと感じてしまうのである。
こうなるとさすがに渓を降ろうなんてバカな考えはすっかりなくなっていた。
じっと増水した川を見ていると体に震えがきて身震いする。
これは水につかった寒さのせいか、 それとも増水の恐怖によるものか...
それからさっきまでは必死だったので気がつかなかったが、 気が緩んだせいか急に体のあちらこちらが痛み出す。
そういえば流されながらいろいろぶつけたな...


大アマゴ12  進退できずにもうビバークを覚悟するしかなかった。
今の季節なら寒くないから大丈夫だろう。
ヒルのいる渓に閉じ込められた時の辛さに比べれば...
流れに残された岩の上で一晩を過ごすのはもちろん嫌だったが、
こういう経験は特に初めてというわけでもないのでそんなに心配は無かった。
翌日になれば水もすっかり引くはずである。
しかし土曜日であればまだいいのだが、今日は日曜日...明日は会社がある。
朝一で渓を降れば連絡ぐらいはできるか...
などといろいろ考えていると稜線に登山道があるのをふと思い出した。
そこまで登れば後は登山道を使って道まで出れるな...
すぐに地図を見てみると稜線までは歩けない距離でもない。
時計を見ると時間は午後3時近くなっていた。
今すぐ出て急げばなんとか暗くなる頃に着くだろうか...

大アマゴ13  私はすぐ下流に入っている枝沢までへつって急な沢にとりついた。
そこから地図を見て1番傾斜の緩かった小尾根へトラバースしてひたすら登った。
尾根は笹がひどい所もあったが心配したほどではなく、また獣道もついていたりしてこれには助けられた。
時間にゆとりが無かったので休まず一気に稜線をめざした。
急な斜面の登りはつらかったが幸いにも途中で雨はやんでくれた。
そして稜線に出た頃はなんと晴れてしまったのである。
そんなバカな〜っ!(^^;
でも、あのまま渓にいても水が引いてくれた訳でもないので、 これはこれでやはり正解なのである。
後はあまり整備されてない登山道を降り、暗くなる頃にようやく麓にたどり着いた。


 今回は降り始めた時間が早かったのでとりあえず帰ることができた。
それから流された時に頭を打たなかったのと、 眼鏡を無くさなかったのが幸いであった。
特に痛かったのは右手と左膝で、 右手は帰りに車のハンドルが握れない状態だった。
ちなみに車がオートマで本当に良かったと思う。(^^;
痛みがひどかったのでかなり重症なのでは?と心配したが、 そのわりには2日ぐらいであっさり痛みがひいた。
増水だけは気をつけないと...といつも思っているが、 今回のように突然こられるとやはり避けられないものなのである。
そして、また忘れた頃に私はまた同じことを繰り返すことだろう。
それは私がそういう場所で釣りをやっているからである。

 本当に今回は大アマゴどころか増水で流され、おまけに稜線まで登らされ、
あげくの果てに違う尾根すじを降りたものだから車を置いた場所とは全然違う場所に降りてきてしまった。
本当にひどい目にあったものである。
疲れたし、痛かったし、いろいろ大変ではあったが、私はこの渓にくることをやめることはない。
この渓にアマゴの魚影が濃い限り...
そしてそのうち必ず大アマゴを釣ってやろうと思っている。



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