昔を思い出しておとずれた沢
− 鶴川支流 阿寺沢川 −
阿寺沢川には思い出がある。
別にいい釣りをしたとかではなく、私が始めて単独で入った沢だからである。
今でこそ釣行の記録はまめにとっているが、昔はそんなことはしていない。
それがいつだったか、今となっては思い出すことができないのだ。
ただ、今回と同じで太陽が照りつける暑い夏の日だったというのはよく覚えている。
当時の私は渓流釣りを始めてからすでに数年が過ぎていた。
といっても釣りにでかけるのは年に2、3回程度である。
釣りというより、レジャー的な遊びとして考えていたのだと思う。
現に釣り関係の雑誌など買ったことがなく、
渓流釣りに関しては未だに何の情報もつかんでいなかった。
会社にもそれなりに勤め、車のローンも払い終わっていたので経済的にはゆとりがあった。
時々、ふと思い出すのはあの美しい渓流の流れである。
そして「もっとたくさん釣りに行きたいな」としばしば思うようになった。
釣りにのめり込むまであと少しの所まできていたのである。
しかし、まだ問題はあった。
釣りに行くには誰かと一緒でなければならいと思っていたからである。
この考えが私の釣りを邪魔していたのだ。
私はまだ放流というシステムを良く知らなかった為、
川に道が沿っているような安全な場所では絶対に魚が釣れないと思っていた。
魚を釣るには道のない沢に入らないとだめだと決めつけていたのである。
これまでの釣行で沢は恐い所だと感じていて、一人で行くのはかなり抵抗があった。
それでも気持ちをおさえきれず、ついに単独で行く決心をした。
場所は山梨県の鶴川支流の阿寺沢川に決めた。
どうしてここにしたかは覚えていないが、多分、都心から近かったからだと思う。
この頃、私はまだジーンズにバカ長をはいて釣りをやるような素人だった。
餌もミミズ以外は使ったことがない。
そんな素人が意気込んで沢に入ったのである。
沢には3〜5mの滝がいくつかかかっており、通れない淵もあった。
これらを越えるのには苦労させられたが、夢中になって遡行していった。
ふとある時、立ち止まって辺りを見渡してみたが当然誰もいない。
聞こえてくるのはただ蝉の鳴き声と、水の音だけである。
そして目の前には次の滝が立ちふさがっている。
ずいぶん奥まで入り込んだのではないかと急に心配になってきたのである。
何だか心細くなり、日はまだ高いというのに私は引き返してきてしまった。
結果として1尾も釣れなかったのだが、
無事に帰ってきた安心感からか気分は晴れていた。
これがきっかけとなり、山梨県を中心にした私の釣り歩きが始まったのである。
あれからずいぶん時が過ぎた。
家で地図を眺めていると阿寺沢川がたまに目についていた。
途中で引き返してきたこともあり、何だか負けたみたいで気になっていたのだ。
今の自分が行ったらどうなんだろうか...
なぜ今回になったかわからないが、行ってみようという気になったのである。
ひさしぶりにおとずれた阿寺沢川は変わっていなかった。
林道終点の堰堤から遡行を開始したらおぼろげだった昔の記憶がどんどんよみがえってきたのである。
当時は薮を漕ぎながら危ない高巻きをした記憶があり、難しい沢だと思っていた。
しかし、今回遡行してみると特に難しさは感じられなかった。
ひょっとすると当時はとんでもないルートを登っていたのかもしれない。
遡行を続けていくといつしか記憶はとぎれてしまった。
更に長い遡行を続け、源流の北海道沢を過ぎるとやがて沢はブッシュに埋もれてしまった。
これ以上の遡行は無理なのでここで納竿とした。
私は忘れていた昔の約束をやっと果たしたような気持ちで帰路を歩いていた。
今回は阿寺沢川を思い出しておとずれてみたが
釣果だけを目的にするのではなく、こういう釣行もなつかしくておもしろい。
私は他に奥秩父の大滑沢や赤沢谷などがあげられるが、
何年かしてまだ沢をやっていたら、これらの沢にもおとずれてみたいと思っている。
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