2003.3.09

NJKF VOLTEX2



楠本勝也 対 ソムチャーイ高津

  5R判定負け

高校を中退して、キックで一旗あげるために上京してきたのは、17歳か18歳のときか。以降、ケガや周囲のトラブルに巻き込まれながらも、NJKFバンタム級チャンピオンにまで登り詰めた。

「ビデオの中の憧れの人」であったカルハートとも対戦。タイ王宮前興行では、衝撃の1RKO勝ちもした。2階級制覇を狙いフェザー級へ転向。優勝候補大本命としてNKBトーナメントへ挑むが、練習中のアクシデントで肉離れ。ムリをおして試合をするも、動けるはずもなく判定負け。言い訳は何も言わなかったが、「気持ちはまだきれてませんから……」とはっきりと言った。

1年が経った。

ブランクによって、フェザー級の体重が落ちなくなっていた。楠本勝也、あと半年で30歳。

はたから見れば、もう既に実績十分の楠本。性格からして、「NKBベルト」を巻きたいなどとは、250%思っていない。いまとなっては「打倒ムエタイ」が非現実的目標だということを、わからないほど知能指数は低くない。もともとバンタム級の楠本。ライト級に上げれば、「上げすぎじゃないのか? 摂生してないんじゃ」と勘ぐられるのは目に見えている。

続ける理由を見つけるのは難しいが、辞める理由はいくらでもある。そんな状況のなか、楠本は「ライト級昇級」の決断を下し、再起戦へ挑んだ。20代すべてをキックに注ぎ込んだ男が、「最後の戦場」ライト級へと足を踏み入れた。

相手はソムチャーイ高津。このHPの読者ならご承知のとおり、私・野崎を二度下した、国内きっての首相撲の名手。ハードパンチャー楠本とは、まさに「水と油」の関係。これが噛み合えば最高に面白い試合になるのだが、結果、両者は交わることがなかった。

1R。いつもどおり、ポンポンとパンチやローキックを当てていく楠本。それに対して、ソムチャーイ高津は様子見の首相撲で応戦。1R後半、楠本はその首相撲に対して露骨に嫌がる素振りをみせる。「これはヤバイ」そう思った。弱みを見せたら徹底的につけ込まれてしまう。

案の上、2R開始早々から、ソムチャーイ高津は本格的に首相撲で楠本を攻め立てにかかる。いつもより、首相撲モードに入るのが早かったのも、1R後半に楠本が見せた「弱味」のせいだろう。

そこからは、終始同じ展開。パンチを当てたい楠本に対し、高津は徹底的に首相撲。パンチだけでは思うツボ(首相撲の体勢に入りやすい)ので、「もっとミドルやローをからめて」とセコンドが指示するが、すぐに距離をつめられてしまい、攻撃を当てられない。

そのまま試合終了。結果は、首相撲のポイントをまったくとらないジャッジに助けられ、負けに等しいドロー。試合後、記者に「負けたら絶対これで終わりだと思っていた。ラストチャンスだった」と語った楠本勝也。

このドローは「チャンス」を再び与えられたのか、それとも「最後通告」なのか。知っているのは本人のみだ。

 

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