タケノコの盗掘が始まった
 

手入れの結果、気持ちの良い竹林に
   放置されて荒れていた竹林は混みあったり、枯れて倒れた竹など物理的な障害のために入り難く、暗くて不気味で心理的にも人を遠ざけていた。
倒れた竹を片付け、混みあった竹を間伐した結果、光が射し込んで明るく風が吹き抜ける気持ちの良い場所に変わった。
散策に訪れる人が多くなり、足を止めて竹林の清々しさを楽しんでくれる人が増え、手入れをしたことに喜びを感じていた。
 

 

春と共にタケノコが生え始めた
   4月の中旬からタケノコが沢山出始めた。生命の息吹を感じ更に喜びが増した。
このタケノコが育つと竹の密度が増すので、毎年間伐して一定の密度を保つ作業をしなければならないとも考えていた。
 

 

タケノコ泥棒が出没
    2週間ほど経って筍の生長を見届けようと、竹林を訪れて唖然とした。
沢山出ていた筍が一本もなく、掘り起こした穴が広がっていた。
爆撃の後の廃墟のような有様に心が凍り、しばし呆然と眺めていた。
散策に訪れている人たちの話によると、散策に来て1〜2本掘り採って持ち帰る人、早朝近くの公道に軽トラックを止め、鍬と大きな袋を持って多量に掘り採っていくグループもあるとのこと。

人の心の貧しさに負けそう
   以来4年目の春を迎えても、この竹林には新しい竹が一本も育っていない。
反面、一定の割合で枯れるものがあり、このペースで行くと10年後には清々しい竹林は消滅してしまうのではと危惧している。

  竹林の拡大に手を焼くのでなく、激しい盗掘に心を痛める結果になってしまった。
“竹林の維持のためタケノコを取らないで下さい”と書いた看板や周囲に張ったロープの効果は全くない。
判断能力が衰えた老人を狙った詐欺、僅かな金品を奪うため人の命を奪う事件がマスコミを賑わしている今日、『タケノコ泥棒』などは軽い犯罪であろうか。
  いずれの事件も、市場経済とかでお金ばかりが幅を利かし、竹林を放置している社会と同じ根から生えているように思えてならない。
竹林に足を運ぶ度に、憤りと寂しさを覚える昨今である。

やむなく、バリアー作戦
    今春から竹林の回りに伐採した竹を置きバリヤーとして、物理的に入れない様にした。
僅かに掘り取られた後があったが、生えたタケノコは見事に成長した。
バリヤーとした枯れた竹が少しばかり景観を悪くしているが、竹林を整理したため、親の竹が元気になったためかいずれも太い見事な竹が真っ直ぐに立ち、見事な景観を呈している。
  時々散歩を兼ねた見回りが楽しくなった。新しい竹が沢山育ったので竹林は少し混みあってきた。秋には古い竹を伐採して密度を調節する作業が必要になった。
竹林としての景観が良くなり、これで毎年伐採し、竹細工や炭焼きも楽しめる。
自然保護はそこにある生態系を豊かにし、関わる人たちが自然の恵みを享受していく、仕組みを作り上げることが必要であろう。
  バリヤー無しでタケノコの盗掘がなくなる社会になればと思いながら、散策を楽しんでいる。


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