木々の芽吹きは個性豊か

 息子達がまだ幼少の頃、今から20年ほど前になるが、時々家族連れで狭山自然公園の『タッチャン池』に遊びに行った。付近の雑木林にはモミジの大木が沢山あり、その下には4pほどの実生の幼樹が沢山生えている。日照不足のためか十分に育たず、冬の厳しい環境を生き残れず枯れてしまい、翌年また新しい実生が生える事が繰り返されていた。
 これでは可哀想にと秋に20本ほど持ち帰り、寄せ植え風に鉢に植えた。翌春半分ほどのモミジが無事冬を越し芽吹いた。

 よく見ると芽吹きの様子がいっぽん一本、少しずつ異なっているのだ。 他のモミジに先んじて芽吹くもの、後からのんびりと葉を開くもの、葉の色、形、一本として同じものはない。日が経ち新芽が育つにつれ、差が少なくなりゴールデンウィークを迎える頃には、ごく僅かの違いになってしまった。 この時は芽吹きの違いは昨年の生育環境の違いが原因して起こったのあろうと解釈した。
 生き残った10本程のモミジは同じ鉢で育ち、2年目の春を迎え芽吹きが始まった。それを見てはっとした。なんと芽吹きの様子が前年と同じくそれぞれに異なっていたのだ。一つの鉢に植えられていたのだから生育環境は同じはず。 生育環境の差でなく、モミジの個体の違いによるものと気付いた。
 しかしながら、なぜか個体ごとの違いは葉が成長するにつれ差が少なくなくなってしまう。以来20年以上、同様な事が繰り返され、今年の芽吹きもまた同じであった。

 我が家のモミジばかりでなく、我々の活動しているフィールド『狭山緑地』のコナラにも同じ様に個体差があり、芽吹きの早い木、のんびりしている木、同じペースで芽吹いてもそれぞれの色が微妙に異なっている。
 彼らは狭山丘陵の春霞にけむる空をバックに個性を競い合い、樹冠全体がパステルカラーの淡い緑色のモザイク模様を描いてる。 萌芽更新のため間伐した効果で陽光の差し込む雑木林の枯れ草に腰を下ろし、うっとり眺めているとだんだん眠気を催してくる。 足下に目を転ずると、昨年春に発芽した沢山のコナラの幼樹も元気に芽吹き、小さいながらに個性をアッピールしていた。

 木々の芽吹きを見ながら、自然が我々に大切な示唆をしているのだと感じた。人も皆、個性豊かに生まれて来て、子供の時に個性が強く現れる。 ひとり一人が持っている優れている部分を大人が見つけ出し、上手に伸ばしてやる、これが子育て・教育の原点であると再認識した次第。

 コナラ達の個性の競演は来春の芽吹き時もまた繰り返される。 華やかなソメイヨシノの花を愛で、団子やお酒を味わうのは楽しいことだが。時には早春の雑木林を訪れ、地味ではあるがタチツボスミレの花や雑木の芽吹きを静かに 『感 察』 することも必要だ。
 かならずや普段忘れている大切なものを見つけられると思う。

1999,4 狭山緑地にて