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信玄塚 (愛知県新城市) |
天正13年(1575年),織田・徳川連合軍と武田軍による”設楽原の戦い”では,両軍とも多くの戦死者を出しました.竹広地区の村人は両軍の戦死者を大小二つの塚に手厚く葬りました.これが信玄塚で,大塚と小塚の二つの塚が現在も残っています. その後,”この塚から大量の蜂が発生し,村人や近くを通行する人馬に多大な被害を与えた.村人はこの蜂の大群を武田方の戦死者の亡霊と考え,大施餓鬼を行い,松明をともして供養したところ,蜂はまもなく収まった.”と言い伝えられています.その後も毎年大松明をともして供養するようになり,これが”火おんどり”(火踊り)として現在も8月15日夜に行われています. 信玄塚に隣接して新城市設楽原歴史資料館が建っており,”設楽原の戦い”の様子を知ることができます. |
新城市竹広信玄塚 |
南方の丘より信玄塚方面を望む | 信玄塚(大塚)とツルボの花 | 信玄塚(小塚) |
焔閻魔堂の横に立つ石柱には次のように書かれている. |
塚より亡霊蜂の大群と化して人馬を刺し,信州往還不通となれば,勝楽寺三祖玄賀和尚導師となり,村々共々大施餓鬼松焚供養せしところ,群蜂の患止みしと.是即ち火おんどりの始めと言い伝う. |
閻魔堂 | 閻魔堂横に立つ石柱 | 新城市設楽原歴史資料館 |