「自転車改革」
〜自転車の交通安全に関する研究報告〜
2003改訂版
まえがき
現代そして将来の都市交通体系を語るうえで、自転車はきわめて重要な存在です。都市に適合した機動性能と運用効率の高さゆえに、自転車は単独の交通手段としてのみならず、公共交通機関への有力なアクセス手段としても用いられています。最近では交通渋滞やエネルギー危機、さらに環境汚染の抑止策として自転車を活用する例が、国内外を問わず注目を集めています。都市交通体系の要としての自転車の存在は、今後ますます重要視されることでしょう。
一方で交通安全の観点から評価すると、日本における自転車の存在は安全とは到底言えない状況にあります。一例を挙げると、日本における交通事故での年間死傷者約100万人のうち、自転車乗車中の被害が全体の1割以上を占めていますが、この傾向は20年以上も改善されないままです。さらに深刻なデータとして、自転車・歩行者間の事故における歩行者側の被害として、過去5年間の累計で死亡事故15件、重傷事故620件が記録されています。(総務庁『交通安全白書』平成12年度版より)
救急医療が進んでもなお自転車で歩行者を殺してしまう状況。にもかかわらず行政サイドの自転車事故問題への取り組みは、依然として交通安全運動期間中の街頭指導や、学校における簡単な交通教育にほぼ限定されています。より具体的かつ抜本的な改革を行わない限り、自転車の交通安全問題は解決されることなく、その脅威ゆえに自転車が社会から排斥される危険さえあります。
下関市においても例外ではありません。私は外勤業務を主に担当していますが、勤務中も勤務外でも、極端な話ですが公道に出たら常に「最大の脅威は自転車」なのです。外勤で行く先々でも同様の声を、特に若年層の乗車態度の悪さについての非難を耳にする機会が増えました。
私はひとりの自転車乗りとして、上記のような惨状を看過するに忍びず、ほぼ2年間かけて自転車の交通安全に関する研究を続け、1999年11月12日に「青年法政大学下関会場・研究発表大会」にてOB(修了生)研究として発表いたしました。大会では20分間の時間枠ということもあり要約を読み上げるにとどまり、より詳細な研究をもっと広く公表しなければならないと考え、この報告書を執筆した次第です。
情報の大半は2001年までに集めたものの、その後なかなか筆が進まず、最初の版を脱稿し配布したのが2002年暮れのこと。そして今年、サイクルタウン構想の検討委員に応募したことをきっかけとして、最新情報を盛りこんだ改訂版を脱稿しました。基本的には初版とほぼ同じ内容ですが、各都道府県の条例・規則をインターネット上で閲覧できるようになったため、全都道府県の関連規則についての情報を追加しております。
この報告書が交通安全の啓発のために役立てられることを、心から祈るものであります。
目次
T「サイクルマシーン」〜現代の「標準的な」自転車テクノロジー〜
A 一般的な規格、種別
B 現実となった「ひとこぎ時速30km」
A 運動エネルギーとブレーキ
B 無灯火の恐怖
C もはや「旧式」の英式バルブ
D 電動アシスト自転車の落とし穴
E 携帯電話やヘッドホンステレオのこと
A 自転車の交通事故の現状
B より高度な「自転車教育」の必要性
C 法令ならびに道路構造などの改革
D 自転車における損害保険制度の普及
A 自転車の規格
ひとえに自転車の規格といっても、道路交通法に基づく普通自転車の規格、JIS規格で設定された自転車規格、さらに自転車メーカー独自の規格など、様々な規格が存在する。まず道路交通法に基づく車両基準を紹介する。
●道路交通法施行規則(抜粋) <自転車に関する基準> 第9条の2 法第63条の3の総理府令で定める基準は、次の各号に掲げるとおりとする。 1 車体の大きさは、次に掲げる長さ及び幅を超えないこと。 イ 長さ 190センチメートル ロ 幅 60センチメートル 2 車体の構造は、次に掲げるものであること。 イ 側車を付していないこと。 ロ 1の運転者席以外の乗車装置(幼児用座席を除く。)を備えていないこと。 ハ 制動装置が走行中容易に操作できる位置にあること。 ニ 歩行者に危害を及ぼすおそれがある鋭利な突出部がないこと。 第9条の3 法第63条の9第1項の総理府令で定める基準は、次の各号に掲げるとおりとする。 1 前車輪及び後車輪を制動すること。 2 乾燥した平たんな舗装路面において、制動初速度が10キロメートル毎時のとき、制動装置の操作を開始した場所から3メートル以内の距離で円滑に自転車を停止させる性能を有すること。 第9条の4 法第63条の9第2項の総理府令で定める基準は、次に掲げるとおりとする。 1 自転車に備え付けられた場合において、夜間、後方100メートルの距離から道路 運送車両の保安基準(昭和26年運輸省令第67号)第32条第1項の基準に適合する前照灯(第9条の17において「前照灯」という。)で照射したときに、その反射光を照射位置から容易に確認できるものであること。 2 反射光の色は、橙または赤色であること。 |
なおJIS規格(JIS D9111−1973)では、常用速度として以下の数値を挙げている。
実用車 | 軽快車 | ミニサイクル | スポーツ車 |
12km/時 | 14km/時 | 8km/時 | 16km/時 |
B 現実となった「ひとこぎ時速30km」
道路交通法およびJIS規格で想定している自転車とは、せいぜい時速15km前後で走る乗り物である。ところが現実は想定をはるかに超越した次元にある。以下、私自身がマウンテンバイクで得たデータや経験を軸に、現代の自転車テクノロジーを語りたい。
私がマウンテンバイクに初めて乗ったのは1996年3月。比較的下位の機種を購入したのだが、舗装路で転がり抵抗の大きいブロックタイヤでありながら、わずか10秒ほどで時速30kmまでダッシュする加速性能を持っていた。その年の7月には、福岡市から下関市までの日帰りツーリングに挑戦し、道に迷いながらも往路90kmを4時間30分、平均時速20kmで走り切った。当時は本格的な改装さえ未実施にも拘わらず、近距離通勤並みのハイペースで突っ走ったのである。
最初のマウンテンバイクは翌年1月に盗まれ、今乗るのは1998年3月に購入した2台目である。その2台目を含め現在の自転車技術は、10年前と比較すると「恐竜的進化」と称するに足る発達を遂げている。
●駆動系統 1993年に8段後ギアが実用化されたが、96年に9段、さらに99年にはロードバイク限定とはいえ10段ギアまで登場。現在のスポーツ車では、後ギアが最低7段、標準で8段、高級車ともなると9ないし10段になっている。なお前ギアについては、マウンテンバイクが原則3段、ロードレーサーが2段もしくは3段である。
電動アシスト自転車が人気を博したのも1990年代後半からだ。初期の車体には電源としてニッケル・カドミウム電池が多用されていたが、1999年以降はより高密度なニッケル水素電池へと順次更新されている。また1998年には軽快車(シティサイクルともいう)向けにオートマチック4段ギアも開発され、スポーツ車に肉薄する動力性能を与えられることとなった。
●制動系統
マウンテンバイクの発達に伴い、強化型カンチブレーキやディスクブレーキが次々と開発され、2000年までにほとんどのマウンテンバイクに装着されるようになった。また軽快車の後輪用として新型ブレーキが開発されている。ただし軽快車の前輪ブレーキは、大半が依然として非力なキャリパブレーキであるが。
●サスペンション
1990年代末には、マウンテンバイクにおいてサスペンションフォークが標準装備となった。さらに高級マウンテンバイクでは後部サスペンションも多用されており、それらの構造及び材質はモーターサイクル用と変わるところがない。またサスペンションのもたらす快適な乗り心地は、一部の軽快車でも体験できるようになった。
●その他
タイヤやサドル、照明機器から速度計、果てはヘルメットや手袋に至るまで、5年前と比較してもすっかり様変わりしている。
では実際の運用実績などを紹介しよう。まずは通勤・通学のデータから。
マウンテンバイク | ロードバイク | |
所有者 | 筆者 | 友人N |
メーカー、型式 | ランドギア(日) | デ・ローサ(伊) |
車体重量(カタログ値) | 11.9kg | 9kg |
タイヤ、ホイール | ナショナル製ブロックタイヤ+アラヤ製ホイール | ミシュラン製スリックタイヤ+マヴィック製ホイール |
変速装置の構成 | シマノ3×8段 | シマノ2×9段 |
ペダル | ストラップ | ビンディング |
通勤・通学距離 | 8.8km(下関市秋根上町〜同市春日町) | 20km(大野城市〜福岡市東区) |
標高差 | 約40m | 約60m |
所要時間 | 24分 | 1時間 |
平均速度 | 22km/h | 20km/h |
最高速度 | 50km/h | 55km/h |
平地巡航速度 | 27km/h以上 | 30km/h |
使用メーター | キャットアイ | キャットアイ |
その他装備品 | 後部荷台にサドルバッグを常備 | |
備考 | 「しまなみ海道」ツーリング561qを走破した車両 | 福岡→鹿児島を10時間40分で走破した車両 |
ロードバイクやマウンテンバイクがどれほど凄まじい能力を有しているか、お分かりかと思う。巡航速度は原付スクーター並み、平均速度も片道20km程度までなら時速20km程度まで出せる。最高速度に至っては時速50km以上をマークするのだから、道路環境が良好であれば表のデータをさらに上回る成績を残すことは日を見るよりも明らかだ。
だが、高度な機動性能を単純に喜んでばかりは居られない。自転車での交通事故で、毎年約16万人が死傷しているのだ。その原因や対策について、次の章で子細な分析を試みることにする。
A 運動エネルギーとブレーキ
1998年8月21日午後6時ごろ、私は国道3号線・鹿児島県川内市をマウンテンバイクで走っていた。鹿児島市までのツーリング3日目、この日は熊本市から一気に鹿児島市まで走破しようとしていたのだが、川内市で通行量増大を見て車道から歩道へと移ろうとしたら、ブロックタイヤが歩道の端のコンクリートに引っかかって、見事に投げ出されてしまった。転倒直前の速度は時速30km、骨折はなかったが全身傷だらけになり、応急処置のあと痛みをこらえながら走りつづけた。幸い自転車はほぼ無傷で、その日の午後9時30分ごろ鹿児島市のJR西鹿児島駅に到着した。夜行列車に乗って博多経由で翌朝下関市に帰ったが、左手の打撲と内出血、右肩の大きな擦過傷、両足の擦過傷などで全治2週間の怪我となった。
ではこの事故を運動力学的に考察しよう。
@運動エネルギー(単位N)=秒速(単位m毎秒)の平方×質量(単位s)÷2
それぞれの要素を代入すると、以下のとおりになる。
●転倒直前の速度は時速30km、秒速換算で約8.33m毎秒。
●私の体重が70s、荷物などで5s、自転車の自重が12.5s、よって全体の質量は合計87.5s。
●よって転倒直前の運動エネルギー量は、約3038.2Nに達する。
A運動エネルギー(単位N)=重力加速度(9.8m/s平方)×質量(単位s)×落差(単位m)
●時速30kmでの運動エネルギーは、3.5m上から地面に落とされるのと同程度の衝撃をもたらす。
厳密に言えば、自転車の前進とともに体が車上から地面へと落下しているので、その落差による位置エネルギーを考慮に入れる必要があり、実際に生じる衝撃は約3.7m上からの垂直落下に相当する。これほど激しい衝撃を生身で浴びれば、偶然が重ならない限り骨折を伴う重傷を負う。打ち所が悪ければ即死の可能性もある。それと同程度の衝撃を、自転車はいとも簡単に生み出せるのである。
この事故に遭遇しながら打撲と擦過傷だけで済んだのは、ヘルメットと装甲付き手袋を装着していたお陰である。もっとも事故によりヘルメットは内部の発泡ウレタンが部分的に凹み、手袋は手のひらの部分がズタズタに破れ、旅行から戻ったあと両方とも廃棄せざるを得なかった。どちらか一方を欠いていれば重傷、ことにヘルメットがなければ生命の保証さえないことは明らかだ。
前後のブレーキのバランスも重要な要素になる。慣性の法則で減速時には前方へと荷重移動が生じるから、前輪のブレーキは特に重要だ。2輪・4輪を問わず自動車のブレーキは前輪重視となっているが、それらと同様の理屈である。後輪のブレーキが不釣り合いに強力だと、ブレーキ操作で後輪がロックされ横滑りを生じる危険がある。最近ではBMX(曲技用自転車)で公道を走る青年をよく見かけるが、BMXでは前ブレーキを装備していないことも多い。これで公道を走れば道路交通法施行規則に違反するのみならず、安全に停止できない危険もあるので注意が必要だ。
●表A:3秒間で停止する場合の制動距離ならびに平均減速(−G)
初速(km/h) | 15 | 20 | 25 | 30 |
制動距離 | 6.25m | 8.33m | 10.41m | 12.5m |
平均減速 | −0.14G | −0.18G | −0.23G | −0.28G |
●表B:ロードバイクのフルブレーキングにおける制動距離ならびに平均減速(−G)
初速(km/h) | 20 | 30 | 40 |
制動距離(ドライ) | 3.29m | 7.17m | 16.65m |
平均減速(ドライ) | −0.46G | −0.49G | −0.18G |
制動距離(ウェット) | 3.84m | 11.24m | 20.55m |
平均減速(ウェット) | −0.39G | −0.31G | −0.15G |
*『サイクルスポーツ』2001年7月号・250ページより、最高級ブレーキ2種類それぞれに2種類のブレーキシューを組み合わせた、計4パターンの平均値。
制動開始後3秒間で停止するために平均した減速度でブレーキを操作すると、制動距離は表Aのような結果になる。ちなみに道交法に基づくブレーキ基準では、初速時速10qで制動距離3m以内となっているから、制動時間は2.16秒、平均減速は−0.13Gとなる。認知・反応に1秒を要すると仮定すると、時速15qでも停止距離は軽く10mを越える。時速20qだと約14m、時速30qともなると20m以上になる。道交法の最低基準で製造された自転車だと(あるとすれば)、制動能力はせいぜい−0.13Gなので初速時速20qだと制動時間は4.32秒、制動距離も12.05mまで伸びてしまう。停止距離に至っては20m超、急ブレーキは不可能に近い。雨でも降ろうものならそれこそ危険である。
フルブレーキングにおける制動距離が速度や路面状態でどのように変化するかは、雑誌『サイクルスポーツ』編集部が高級ロードバイクで実験している。そのデータを編集したのが表Bだが、強力なブレーキを持ち車重も軽いロードバイクでさえ、時速40km以上の速度域では極端に制動能力が落ちてしまうことが表から読み取れる。
フルブレーキングを行うと、前方への荷重移動により前輪のグリップ力は上がるものの、前輪の回転が速いとブレーキシュー表面が摩擦熱で溶け出す(フェード現象)。一方で後輪への荷重が減少して後輪ブレーキはロック気味になり、後輪は滑りやすくなる。これらの減少が重なり合うことで、制動距離が伸びてしまうのである。
表Bでの制動距離に空走距離を加えた停止距離は、時速20kmのフルブレーキングで9m前後。安全確保を考えると10m以上の停止距離を要することは明白である。マウンテンバイクでも事情は似たようなものである。つまりいかに強力なブレーキを使おうが、自転車はすぐには停止できないのである。
次に衝突速度ごとの運動エネルギーを落下高度換算で表わすと、以下のようになる。
●表C:衝突速度と換算落下高度との相関表
速度(q/h) | 15 | 20 | 25 | 30 |
高度換算 | 0.88m | 1.57m | 2.46m | 3.54m |
たかだか時速15km程度の速度でも、人にぶつかれば腰痛や骨折を負わせるに十分な運動エネルギーを有することになる。それどころか時速30km以上になれば、前述の通り致命傷を負わせかねない。時速30kmといえば各種スポーツ車はもちろん、変速装置付きのシティサイクルにとっては巡航速度からちょっと加速した程度の速度である。それだけに、自転車が歩行者にとって危険な存在であることをこの表Cからもお分かりいただけると思う。
詳細は後述するが、自転車で歩行者をはねて死亡させる事故が毎年発生している。2003年にも茨城県つくば市で正月早々、高校生の乗る自転車が帰宅途中の会社員をはねて死亡させる事故が発生。地元の新聞で大きく取り上げられ、週刊誌でも報道された。さらに下関市内でも、子供が自転車で勢いよく走って老人をはね、その後被害者が内臓破裂で死亡したとの情報も入っている。
たかが自転車と、軽く見てはいけないのである。
B 無灯火の恐怖
*この項の写真はいずれもニコンF60Dにて撮影したものである。
<写真1:フラッシュなし、12秒露光、無灯火>
<写真2:フラッシュなし、5秒露光、写真1と同位置、照射距離30m>
前掲の2枚の写真は、自転車のサドル上で撮影したものである。言うまでもなく上が無灯火で下が灯火使用時。下の写真の下辺部中央で光っているのが、今回照射試験で使用した米国製ヘッドライト(単3電池4本仕様)である。
さて自転車の灯火に関しては、各都道府県が定める規則によって、具体的な照射範囲の基準が示されている。例えば、山口県では「山口県道路交通規則」に、具体的な基準を掲載している。日本全国47都道府県のうち、46都道府県がインターネット上で規則を公開しており、大半は山口県と同様の規則である。なお青森県のみ、県公式ホームページにも県警察ホームページにも掲載がなかった。(2003年9月18日付)
●山口県道路交通規則(抜粋) |
これまで述べてきたとおり、自転車は軽く時速20〜30kmを叩き出す。この速度域では現実的な停止距離が10m以上に達するため、夜間の認知能力低下を考えると、公安規則で定める照射距離10mではとても足りない。かといって遠方のみに焦点を合わせたのでは、至近距離への警戒がおろそかになる。一方明るさの程度だが、真っ暗闇を通行するだけならばともかく、前後から他の車両の照射を浴びて眩惑に陥った場合、低出力あるいは低効率のヘッドライトでは十分な照射を望めない。さらにダイナモ式では発電能力をホイール回転に依存しており、停止もしくは低速だと照射能力は皆無に近く、他の車両に存在をアピールできない恐れがある。
ゆえに自転車用ヘッドライトに求められる条件は、@遠近両用であること、A一定以上の出力(効率)を有すること、B停止時ならびに低速時でも照射能力を有すること、この3点である。@については遠近両用レンズを装備するか、複数のバルブを装備することで対応可能。Aについては普通のLEDでは不充分で、高輝度LEDもしくは高出力の電球が不可欠だ。Bについては電池式にするか、ダイナモ式の場合はLEDなど他の照明機器を併用することになる。
さて写真1・2に戻ると、暗くて見えなかった路面状況が遠近両用ライトで照らされていることがお分かりいただけよう。このくらい照射能力がなければ「安全」とは言い切れないことをご理解いただきたい。参考までにこのヘッドライト、外国製にも拘わらずツーリングで多数のユーザーが使うベストセラーである。遠近両用以外にもさまざまな特徴がある製品だが、その照射能力の高さゆえ愛用者が多いようである。
なおヘッドライトを正面から見ると、以下のようになる。
<写真3:フラッシュなし、10秒露光、無灯火、距離30m>
<写真4:フラッシュなし、3秒露光、灯火使用、距離30m>
<写真5:フラッシュなし、7秒露光、尾灯消灯>
<写真6:フラッシュなし、3秒露光、尾灯点滅>
<写真7:フラッシュ使用、1秒露光、尾灯点滅>
さて前掲の写真3葉、いずれも自転車の後方から撮影している。下段の写真は距離が少し遠いが、他の条件は中段の写真と同様である。少々判別が難しいが、下段ではフラッシュに照らされて自転車の後部荷台に付けた反射材が輝いているのと、赤い光の下にペダル反射材の黄色い帯が見える。今回使った尾灯もこれまた米国製の点滅機能付きである。日本製でも良質な尾灯を入手できるのだが、私の場合手持ちのテールライトが紛失したり故障したりして、買い替えせざるを得なくなった事情がある。夜間でも車道を走る私にとって、尾灯は我が存在を後方の車両に知らせる重要なアイテムなのだ。なお点滅機能付きの尾灯を特に「フラッシュテール」と呼称する。
1999年「しまなみ海道」まで自転車で行ったときのことだが、夕暮れ時に大三島橋を渡ろうとすると、先行していた自転車のフラッシュテールが、1kmも離れた橋の向こう側で光るのが見えた。メーカーは「1km後方から識別可能」としていたが、なるほど宣伝文句は確かだった。ほとんどのフラッシュテールは半円に近い照射範囲を有しており、斜め後方からでも確実に識別できるようになっている。
私が尾灯を特に用いるのは、遠距離からの被視認性以外にも2つの理由がある。ひとつはペダル反射材がときどき外れたり、荷台左右にくくりつけたパニアバッグに邪魔されて見えにくくなるからである。長旅や買い物では重宝するバッグ類だが、この問題は避けがたい。そしてもうひとつの理由は、悪天候だと反射材が役に立たないからである。大雨や雪、はたまた濃霧に見舞われれば、有効視程が200m以下にまで陥ることさえある。自動車の灯火さえ見えにくい状況で、パッシブ器材に過ぎない反射材をまともに識別するのは困難である。このような悪天候では外出そのものを控えることも一手だが、外出先で悪天候に遭遇する場合に備えて、常に尾灯を用意することも重要ではなかろうか。
なお日本を代表するマウンテンバイク乗りのひとり、福岡出身の壇拓磨選手は自転車雑誌のコラムで、「街では反射材もあまり役に立たない。前だけでなく後にもライトが必要だ」と書いている。慣れているはずの自転車、慣れているはずの街でプロの自転車選手が恐怖を覚えるくらいだから、一般の自転車乗りにはなおさら必要のはずだ。ところが実際に夜間走行で観察していると、7割以上の自転車乗りがヘッドライトさえ未使用、無灯火状態で走っているのだ。これは道路交通法第52条で定める「夜間における灯火使用義務」に対する違反行為であり、言うまでもなく重大事故を引き起こす恐れのある危険行為でもある。無灯火に加えて2人乗りや並列走行までやっている場合も多々あり、そのうえ本来禁止されている右側通行までやられてしまうと、歩行者や他の自転車のみならず、その他の車両等にまで危険が及ぶ恐れさえある。
個人的な経験談としては1996年11月下旬に遭遇したニアミスがある。その夜私は国道3号線・福岡市東区千早の自転車通行可能な歩道を、自転車に乗って時速20km程度の速力で走っていた。夜間だったので前後の灯火を点灯させて、前方の視界と前後両方からの被視認性を確保していたのだが、推定距離50mで対向してくる無灯火の自転車を補足した。相対速度が時速40kmならば5秒足らずで接触する見込みだったため、速度を落とすと同時に状況を見極めることにした。ところが次の瞬間、驚くべき事実が判明した。対抗する無灯火の自転車が1台ではなく2台あり、しかも両方とも2人乗りしていたのである。すでに彼我の距離は30mを切っており、走行を継続すれば回避不可能と判断した私は、自転車を停止させ歩道左端に退避して我が身を守ることにした。幸い接触こそしなかったものの、回避行動が遅れていれば正面衝突していた可能性を否定できない。
夜だけでなく日中でさえ、灯火なしでは危険な状況が多々ある。冬の曇った日中では、照度が晴れた日の半分以下となり、4輪車同士の識別さえ難儀するだけに、自転車に乗っている我々の存在に気付かぬまま路上に出ようとするケースも多いのだ。現にバックしてきた4輪車が、自転車のヘッドライトでようやく存在に気付くことさえある。
私が購入した車体もそうだが、マウンテンバイクなどスポーツ車では、灯火を別途購入するようになっている。これは灯火を装着せずともよいという意味ではなく、各自の好みで灯火を選ぶスタイルを尊重しているからである。しかし店頭では灯火類のことまで気を配っていないのか、街で見かけるスポーツ車にはヘッドライトの台座さえ装着していない車体が目立つ。ひどいことに最近では、シティサイクルに前照灯を付けず反射材で代用している「つもり」の車体が店頭で販売されているらしい。反射材はあくまで受動的な器材であって、道路交通法(第52条、第63条の9第2項)などを一読しても反射材が前照灯の代用になるとは全く記載していないし、発光しなければ路上の障害物を照らすこともできない。しかし欠陥自転車を堂々と売っていては、元より法律知識に乏しい大多数の自転車乗りは、警戒心を起こすこともなくその自転車を買うかもしれない。
C もはや「旧式」の英式バルブ
自転車の安全を阻害する車体側の要因としてもうひとつ、エアバルブの不良が挙げられる。ほぼ全てのシティサイクルでは英式(ウッズ)バルブを使用しているが、段差などでの空気漏れが多くパンクを招く要因となっている。堅牢な弁構造を持たない虫ゴム仕様ゆえの構造的欠点であり、バルブ構造そのものを見直さない限り改善は不可能だ。加えてサスペンション付きの車体ではタイヤの空気圧を4〜6気圧まで上げる必要があるが、英式ではそこまで空気圧を上げられないか、衝撃で空気漏れを起こしやすい。
マウンテンバイクやロードバイクの大半が2輪・4輪と同じ米式(シュレッダー)、もしくは仏式(プレスタ)へと転換している現状は、もはや従来の英式バルブに限界が訪れたことを端的に示している。
自転車のエアバルブは一部を除きチューブ一体型であり、バルブ転換はそのままチューブ交換を意味する。もし英式バルブ付きチューブをそのまま使いたいのであれば、虫ゴムの代わりに「スーパーバルブ」と呼ばれるバネ付きバルブコアを装着することで、米式や仏式に近い気密性を確保できる。私や友人が福岡市で試した結果、パンク連発を阻止できただけでなくより高圧な空気圧設定も行えるようになり、パフォーマンスが大幅に向上したことを付記しておく。
2002年初頭に至ってようやく、スーパーバルブを装備したタイヤチューブが店頭に並び始めたが、完成車の段階でスーパーバルブがどれほど普及しているかについては不明である。仮にメーカーや販売店が方式転換に消極的ならば、「修理代を稼ぐためのインチキ商売」と非難されても仕方あるまい。
D 電動アシスト自転車の「落とし穴」
1990年代後半、電動アシスト自転車が爆発的に普及し始めた。私の職場でも1997年に1台導入され近距離移動に使われているが、全国各地で電動アシスト自転車が絡む事故が発生しているとの情報が入った。そこで私自身が外交業務で搭乗して、問題の洗い出しを行うことにした。
さて電動アシスト自転車には、一般の「普通自転車」の車両規定が適用されるほか、道路交通法施行規則では平成7年総理府令第43号で新たに基準を設けている。以下、条文を記す。
●道路交通法施行規則(抜粋) <人の力を補うため原動機を用いる自転車の基準> 第1条の3 法第2条第1項第11号の2の総理府令で定める基準は、次に掲げるとおりとする。 1 人の力を補うために用いる原動機が次のいずれにも該当するものであること。 イ 電動機であること。 ロ 24キロメートル毎時未満の速度で自転車を走行させることとなる場合において、人の力に対する原動機を用いて人の力を補う力の比率が、(1)又は(2)に定める数値以下であること。 (1)15キロメートル毎時未満の速度 1 (2)15キロメートル毎時以上24キロメートル毎時未満の速度 走行速度をキロメートル毎時で表した数値から15を減じて得た数値を9で除したものを1から減じた数値 ハ 24キロメートル毎時以上の速度で自転車を走行させることとなる場合において、原動機を用いて人の力を補う力が加わらないこと。 2 原動機を用いて人の力を補う機能が円滑に働き、かつ、当該機能が働くことにより安全な運転の確保に支障が生じるおそれがないこと。 |
試乗した当時は道路交通法施行規則の条文を知らなかったが、時速15〜24kmで補助動力の出力が逓減することだけは情報として仕入れていたので、補助動力の動作確認も合わせて行うことにした。
しかし前ブレーキを見た私は思わずぞっとした。マウンテンバイクで多用されるカンチブレーキではなく、シティサイクルでも下り坂であまり効いてくれないキャリパブレーキが付いているではないか!車体重量が私のマウンテンバイクの2倍、人間込みの全体重量でも15〜20%も重いのに、こんな貧弱なブレーキでよいのだろうか?唯一の救いは後ブレーキが新型の強力ブレーキということなのだが…。
果たして懸念は現実のものとなった。スタート直後の下り坂、マウンテンバイクでの下り方を応用して、サドルの後方いっぱいまで腰を引き後ブレーキを活用したのに、完全には停止できなかったのだ!マウンテンバイクはリムが多少汚れていても時速40kmから停止可能なのだから、これは明らかに前ブレーキの容量不足である。平地で補助動力を使った場合も似たようなもので、時速24kmまではぐいぐい加速してしまうから、速度域や車体重量に比べてブレーキの効きが弱すぎる。それどころか低速域ではペダルが回転している限り補助モーターが作動するから、急ブレーキも苦手である。いくら登坂能力を高めたといっても、肝心のブレーキ能力が低いままでは危険極まりない。有酸素運動での汗と、恐怖のあまりの冷や汗と、降りたときに果たしてどちらが多かっただろうか。
電動アシスト自転車の仕様については各社の広告やホームページを閲覧したり、自転車雑誌の編集部が発行しているカタログを購読して繰り返し分析しているが、下り坂に備えてマウンテンバイク並みのブレーキを備えた製品は、5本の指で数えるくらいしかない。ほとんどの電動アシスト自転車は、先述の施行規則第9条の3、つまり−0.13G基準をクリアする程度でしかない貧弱なブレーキを、依然として装備しつづけているのだ!これでは下り坂では容易に停止できないし、平地でも急ブレーキは不可能に決まっている。
おまけにほぼ全ての車体でタイヤのエアバルブに英式を使っている。これではちょっとした段差で簡単に空気が抜けてしまう。私の職場にある電動アシスト自転車でも例外ではなく、わざわざ携帯型ポンプ持参で市中を回っていた。現在はバルブ強化により空気漏れを抑えているので、この点では問題解消に成功しているが…。
そして売り物であるはずの電動補助動力も厄介である。メーカーの宣伝文句などでは、速度域に応じて動力補助の割合を制御すると公表しているが、実際にはペダルに掛かる負荷を検知して動力補助の割合を決定している。このため坂道で補助動力に依存する場合、ローギアに落として膝への負荷を軽減しながら上ろうとしても、ペダルへの負荷が少し減ったところで動力補助が減ってしまい、途中で膝への負担が増すという思わぬ結果になった。最適なペダル回転数は毎分70〜90回転程度とされているが、実験に供した自転車の場合は毎分60回転を超えると動力補助を徐々にカットするようになっていたものと思われる。脚力が弱った方々ならばともかく、ある程度健脚を持っているならばスポーツ用自転車の方が、負荷を最小限に抑えつつ最適なペダル回転で上ることができるので、わざわざ動力補助に頼る必要はないだろう。
地球環境に優しいとか坂道に強いとかいう電動アシスト自転車だが、現状ではブレーキもタイヤも駆動系統も貧弱な、「モーター付き自殺補助装置」と酷評せざるを得ない。メーカー各社に速やかな構造改善を求めるとともに、所有者ならびに管理者各位にあっては運用に細心の注意を払っていただきたい。
E 携帯電話やヘッドホンステレオのこと
携帯電話を操作しながら自転車に乗っている人を、最近頻繁に見かけるようになった。多くは本来前輪ブレーキを扱うはずの右手で携帯電話を操作し、左手だけでハンドルを持っている状態である。既に述べたとおり前輪のブレーキが確実に動作しなければ安全な制動を期しがたく大変危険なのだが、さらに携帯電話の操作に注意を奪われることにより、周辺知覚の働きが鈍り事故をいっそう起こしやすくなってしまう。いわば知らず知らずのうちに自らを死の淵へと追いやっているのである。
かく申す私も高校時代に一度だけ、ヘッドホンステレオをイヤホンで聞きながら自転車に乗ったことがある。しかし聴覚を半ば奪われたも同然の状態に陥って、後方から自動車が接近してもなかなか気付くことができず、あまりの恐ろしさに以後の使用を控えることにした。
道路交通法では第70条において「安全運転に専念する義務」を全ての車両等の運転者に課しているが、無論自転車も例外ではない。自動車における携帯電話使用中の事故ばかりが関心を引いているけれども、若年層への携帯電話やヘッドホンステレオの普及を鑑みるに、自転車においても同様の事故が発生していても不思議ではない。法令での規制を含め、速やかに対策を講じる必要があるだろう。
A 自転車の交通事故の現状
平成12年に当時の総務庁(現・総務省)が公表した『交通安全白書』平成12年版(以下、白書と称す)によれば、平成11年に発生した交通事故は85万件あまり。事故発生後24時間の死亡者9006人、24時間以降30日以内にさらに1366人が死亡している。死亡者数こそ辛うじて前年を下回ったものの、負傷者は約105万人と戦後最悪を更新してしまった。平成12年には死亡者数こそ1万人を切ったものの、負傷者数は117万人以上とさらに増加している。
ただしこのデータは交通事故全体のデータであり、詳細を知るには大規模な図書館で白書を閲覧するか、書店で購入するしかない。この章では白書のデータを基に、自転車が関係する交通事故の原因を分析する。
自転車が関係する事故を大分するならば、他の車両および軽車両と接触するか、歩行者にぶつかるか、はたまた単独事故のいずれかである。白書によれば自転車乗車中に死傷するケースは平成11年で24時間以内の死亡1032人、負傷156078人、合計で16万人近くに及ぶ。自転車乗車中の死傷者数は一向に減少する兆しがなく、15歳以下・16〜24歳・25〜64歳・65歳以上の全年齢層で増加傾向が続いている。事故状況としては出会い頭が過半数を占め、右左折まで含めると8割近くが交差点で発生していることになる。また法令違反の種別で区分すると、安全運転義務違反・交差点安全進行義務違反・指定場所一時不停止・信号無視・自転車通行方法違反の順となっており、年齢で多少の差異は見られるものの大半は法規違反の状況下で事故に遭遇している。参考までに事故で第1当事者となる場合と第2以下の当事者(いわゆる「もらい事故」)となる場合とを比較すると、死亡者数で3:7、死傷者数では1:6の割合となる。
自転車での事故の特徴のひとつとして挙げられるのは、24時間以降30日以内の死亡が比較的多いことであろう。平成11年では342人がこの期間で死亡しており、後遺症も考慮に入れると相当数が事故後しばらく経っても生命の危険にさらされていることになる。自動車や二輪車ではシートベルトやヘルメットの装着が義務づけられ、また二輪車では手袋装着も教習所で指導するなど安全装具の着用がほぼ常識となっており、事故の瞬間の衝撃さえ生き延びれば生存率が高まる。対して自転車では安全装具の装着が義務化されておらず、一般へのヘルメット・手袋普及はほぼ皆無に等しい。装具なしでの事故では見た目に軽微な負傷であっても、脳や手足に重大な傷害を負っていることも多く、30日内の死亡者が多い背景に安全装具の普及不足が響いている感は否めない。
自転車と歩行者との接触事故では、届出のあった事故だけでも過去5年間で3000人以上の歩行者が負傷しており、うち重傷620人、死亡者も15人発生している。無傷で済んだのは1割未満であり、自転車と歩行者が接触すれば確実に歩行者に傷を負わせることになる。しかも自転車関連の事故では、届出そのものが行われていないケースも多々あり、実際には上記件数の数倍の被害が発生しているとの説もある。
B より高度な「自転車教育」の必要性
自転車の通行区分は道路のどの部分を通るべきか?この問いに対する回答は、「原則として道路の左端を通ること」(道路交通法17条第1項、同18条)である。路側帯は通行できるが(道路交通法17条の2)、歩道を通行できるのは「標識などにより自転車通行可との許可が出ている場合のみ」(道路交通法63条の4)である。またいずれの場合においても、歩行者の通行を保護する義務を課せられる。道路交通法の他の条文や施行令、施行規則、保安基準など自転車に関する各種法令においてもまた、自転車は自動車などに準じた扱いを受けている。
これらの事実が示すのは、自転車を真に安全に運用するためには各種法令を学び、さらに本論文でこれまで述べた技術的知識をも習得しなければならないということである。もっと分かりやすい表現を使うならば、自転車に乗るためには自動車学校並みかそれ以上の厳格な教育を必要とするのだ。
ところが現実には、小学校で年1回の交通安全教育くらいしか、自転車関連の教育を受ける機会がない。最近でこそ交通安全運動でマナー向上が叫ばれているものの、短時間の講習だけでは到底必要な知識や技術を習得することはできず、質量ともに「無」教育も同然である。
自転車と同様に小学生から挑戦できるアマチュア無線では、始めるに当たって国家資格を取得し、さらに無線機1台1台の開局申請を行わなければならない。無線通信が公共財である電波を使用することに加え、厳格な周波帯管理を行わなければ無線通信の秩序を維持できないためである。また膨大な種類の電波法令のなかからアマチュア無線に関係するものをまとめた小冊子が、無線機の専門店や書店で販売されている。これは電波法により法令集の常置が義務付けられているからだが、法令集が円滑な無線通信の拠り所となっていることもまた確かである。ただし無線機の購入自体は比較的簡単であるため、無免許で使用する事例は跡を絶たないが、教育の面では自転車よりもはるかに充実していると言って良い。
自転車もまた、道路という公共財を利用する交通手段であり、通行区分など厳格な運用管理が無ければ安全を確保できないという点では、アマチュア無線と似たようなものである。ましてや運用ミスが直接生命や財産の危険を及ぼすという点では、アマチュア無線以上に真摯な態度で運用しなければならない。普及台数が途方も無く多いため免許制度導入は難しいかもしれないが、徹底した教育の実施や法令集の頒布は掛け値無しの「国民的課題」と言えるだろう。
C 法令ならびに道路構造などの改革
U−A及びU−Dの2項目で述べたが、道交法の施行規則における制動能力規定は高速化の流れにそぐわぬ時代遅れのものであり、待った無しで改正が必要である。具体的には基準となる制動初速を、従来の時速10kmから時速20kmないし30kmへと改めたうえで、平地だけでなく下り坂をも想定した能力規定を設定することになる。
灯火類の保安基準については、各都道府県の公安条例によって具体的な規定が定められているために、交通関連の法令をまとめた『交通小六法』には掲載されていない。最近でこそインターネット上で条例・規則を閲覧できるようになったが、保安規定の完全な統一はされていないし、そのような規則の存在自体がほとんど知られていない。自転車における灯火類の保安基準は自動車などと同様に、道交法の施行規則や保安基準において厳格に定め、周知徹底を図るべきであろう。保安基準自体も自転車の高速化に合わせて、照射距離や範囲の基準を改める必要があることは言うまでもない。
ヘルメットや手袋の着用普及もまた、法令による義務化を含めて検討すべき時期に差し掛かっている。高速化が進み時速30kmまで軽く加速してしまう現代の自転車では、U−A項で述べたように転んだだけでも重傷を負ってしまう。事故に遭わないに越したことはないのだが、自転車乗車中の年間死傷者数が認知分だけでも16万人に及ぶ現状からすると、着用義務化は避けがたい。無論義務化しても全ての人命を救うことは不可能に近いが、負傷の程度を軽くできるという安心感が心身の緊張を和らげ、事故を未然に防げるのであれば、むしろ積極的に義務化を推進するべきであろう。
道路構造の問題としては、通行許可の有無に拘わらず自転車が歩道上を走行することが大きな問題である。歩行者と自転車とでは速度領域が全く異なるため、本来ならば自転車は道交法の原則を厳守して、車道の左端か専用車線を通行するべきである。しかし「交通戦争」の激化を受けた1978年の法改正では、緊急避難的に歩道上での通行を一部認め、通行許可の無い歩道においても警察が自転車の通行を黙認しているために、歩行者の安全確保が困難になっている。自転車の脅威により外出すること自体が困難になり、引きこもったり寝たきりになった高齢者の事情を見聞きすることは、決して珍しいことではない。歩道までもが「戦場」になっている現状は誠に悲しい。
私が下関市の唐戸交差点で経験したことだが、通行許可のある歩道上に人が多いため、車道の左端を通行していたらパトカーから「歩道に入りなさい」と注意された。しかし自転車の交差点進入が禁止されている旨の標識や表示は一切無いし、歩道に入れば歩行者に与える脅威が大きいと判断されたことから、いわれなき注意を無視して車道通行を続行した。法令上は全く合法的かつ適法的な通行だったが、警察でさえ道交法をきちんと理解していないと知って大いに困惑したものである。
1978年の法改正は行うべきではなかった、というのが道路構造に関する私の結論である。時限立法により名実ともに緊急避難として特例を認めたうえで、時限内に自転車専用道路を整備するのが本筋であったはずだ。しかして現実には抜本的な対策がほとんど進んでいないため、歩行者への脅威は去らず、自転車側にしても事故を恐れて機動性能を充分に発揮できないでいる。
この問題を根本的に解決するには、自動車車線を減らすなどして自転車専用車線を確保し、歩行者・自転車とも安全かつ快適に通行できる環境を整える以外に方策はない。自動車車線の削減は公共交通機関へのアクセス手段としての自転車をより利用しやすくするのみならず、自動車の不要な流入を抑制することにもなり、交通需要管理の側面からも効果的な施策になるであろう。このような道路構造の見直しは欧米各国で数多の実例があり、安全な歩行環境の創出に成功している。
放置自転車への対策を含む駐輪場問題も、交通安全には直接関係こそないが重要な課題である。大量の放置自転車が駅前や歩道を占拠することにより、歩行者の通行の妨げになっていることはもちろんのことだが、自転車利用者にとっても駐輪場不足が長期化している状況では他に採るべき手段が無いために、やむを得ず駅前や歩道に「駐輪」しているのが実情であり、単純に取り締まりをすれば良いというものではない。また駐輪場が設置されていても、常駐管理がなされていない場所では盗難被害が跡を絶たず、結果としてアクセス手段としての駐輪場がその機能を果たし得ない事態に陥っている事例がある。
高度経済成長期から30年以上にわたって続いているこの問題は、「自転車の安全利用の促進及び自転車等の駐車対策の総合的推進に関する法律」(通称「自転車法」)によって対策指針が打ち出されているが、この自転車法とて実際に対策を行う当事者は市町村や鉄道事業者などであり、しかも条文の内容は「努力義務規定」であって罰則を伴う強制規定は一切無い。このため対策を行うべき当事者が無為である限り、自転車法は単なる空文でしかなく、歩行者も自転車利用者もうかばれないことになる。
したがって駐輪場問題を解決するに当たっては、国は自転車法に罰則規定を追加するなどして、市町村や関係事業者に対し速やかな対策を迫るべきである。また既存の駐輪場についても管理体制を強化するなど、運用面の改善が必要である。
D 自転車における損害保険制度の普及
教育や法令の見直しと併せて取り組まなければならない課題として、自転車における損害保険制度の普及が挙げられる。自転車乗車中に死亡又は負傷したりしたときはもちろん医療費や喪失所得の保障が必要だし、他の自転車や歩行者、ペットなどに損害を与えた場合は賠償問題にまで発展する。殊に事故で歩行者が死傷した場合は、たとえ一命を取りとめても後遺症が残ることがあり、その賠償を巡って裁判にまで及ぶことも珍しくない。場合によっては数千万円単位の賠償を請求されるため、損害保険なしでは到底請求に応じられないことも考えられる。しかし自動車以上の普及率と膨大な死傷者数にも拘わらず、自転車には強制保険はないし、任意保険にしても自転車愛好者や一部の学校を除いて、その存在すら知らない人が多い。
自転車愛好者の全国的な団体である日本サイクリング協会(JCA)や日本マウンテンバイク協会(JMA)は、会員サービスの一環として保険に近い制度を有しており、前者の場合は傷害・賠償補償、後者の場合は傷害補償の掛金が年会費に含まれる。また自転車店や学校が保険代理店と契約して、独自の損害保険を用意している事例もある。掛け金は年間3千〜1万円と加入者数や契約内容によってまちまちだが、未加入で事故に遭ったときに困るよりは加入する方が得であることは自明の理。
市町村の交通災害共済もあるにはあるが、賠償補償がないうえ緊急に必要なサービスを得られないため、自転車向けとは言い難い。むしろ民間の自転車向け損害保険を活用する方が、住民ひいては国民全体の福利に役立つのではなかろうか。
【参考文献】*発行元などの名称は出版当時のものである。
<単行本>
●『交通安全白書』平成12年版
総務庁・編、大蔵省印刷局、2000年
●『交通小六法』平成13年版(2巻組)
交通法令研究会・編、大成出版社、2000年
●『自転車駐車場整備マニュアル』
建設省都市局・監修、自転車駐車場研究会・編著、大成出版社、1997年
●『改正自転車法の解説』
諸岡昭二・編著、東京経済、1994年
●『自転車とまちづくり』
渡辺千賀恵・著、学芸出版社、1999年
●『自転車生活の愉しみ』
疋田智・著、東京書籍、2001年
<雑誌>
●『サイクルスポーツ』2001年7月号(八重洲出版)
●『バイシクルクラブ』2001年4月号(出版社)
●『MTBワールド』Vol.15(出版社、2000年)
●『MTBマガジン』Vol.003(ネコ・パブリッシング、2000年)
●『バイシクルナビ』V0l.1(二玄社、2000年)
●『AERA』2003年2月17日号(朝日新聞社、2003年)
<その他>
●「交通臨床講義資料」
*1994年、九州大学の「交通心理学」講義において、松永勝也教授(文学部、心理学)が講義資料として学生に配布した資料である。
<ホームページ>
●各都道府県公式ホームページ(青森県を除く)
*「法規集」「法規データベース」などに、関連規則を掲載していることが多い。また県によってはPDFファイル形式で頒布していることもある。