しまなみ海道一代記2002「フェリー3隻ハシゴ旅」

療養から復帰して間もない4月上旬、広島の災害救援バイク隊「広島レスキューサポートバイクネットワーク」(広島RB)が、フラワーフェスティバルのパレードにバイクで参加するという話を聞いた。山口でも姉妹組織を設立する途上であり、設立総会への応援を要請するためにはパレード参加が望ましいと判断、即座に参加を表明した。問題は我が原付スクーター「ブロード」の搬入である。広島まで自走すれば多少の節約はできるだろうが、5月3日午前中に広島市内へと着くためには200kmもの夜間走行を行わねばならず、天候悪化や交通規制を考えると50ccでは辛すぎる。小倉〜松山航路から松山〜広島航路への乗り継ぎであれば、時間の余裕もあり船内で休息できることが分かったため、彦島〜小倉航路を加えて3隻のフェリーをハシゴすることに決めた。広島でのイベント後は3年ぶりの「しまなみ海道」チャレンジをやって、松山からフェリーに乗れば良い。かくして4月10日までには旅支度の大半を済ませ、ひたすら5月連休の到来を待った。

5月2日職場を出た私は一目散に彦島へと向かった…訳ではない。菓子パンをもらったもののチョコなどの類は苦手だったので、その後始末を思案していたのである。時間がないのでまず彦島上陸後すぐ給油、そして関門海峡フェリー「フェリーふく彦」船内で他の乗客に菓子パンをあげた。小倉・日明埠頭に着いてすぐさま弁当とフィルムを調達、小倉駅北口にほど近い松山行きフェリー乗り場に18時55分到着。乗船手続後しばらく伊予市の原付ライダーと談笑、関西汽船「フェリーくるしま」に乗り込む。連休後半戦を最大限使い切ろうという御仁は私以外にも相当数居たようで、今回の往路は2等船室しか予約を取れなかった。出港前後に入浴を済ませ、露天甲板で関門海峡の夜景を満喫してから就寝。
翌3日は4時前に目が覚めてしまった。もっとも5時には松山に着くので再び眠ることもできず、眠気覚ましと下船準備を始める。定刻通りに松山観光港、5時18分私とブロードは1年1ヶ月ぶりに四国への上陸を果たした。港でそのまま愛媛RBのメンバーを待ち、6時45分発の「旭洋丸」で海路広島へと向かった。途中の呉港では新型護衛艦「さみだれ」の姿もあった。
定刻よりやや遅れて9時30分広島宇品港到着、5人のパーティーは3台のバイクに分乗して南区役所へと向かう。ただしブロードは50ccなのでタンデム不可能であることは言うまでもない。10時に着いた南区役所では既に広島RB主力と千葉や名古屋からの助っ人が準備作業を始めており、我々も着替えや飾り付けに取り掛かった。少し遅れて岡山RBの2名が到着、さらに「しまなみ海道」経由で愛媛RB別働隊も到着して、バイク24台・人員30名ちょっと+犬1匹という編成となった。このうちバイク2台は赤十字機動奉仕団へと分派されるが、オフロード車を中心とする22台のバイクが織り成す縦列は堂々たる布陣と言える。
居並ぶオフロード車を前にしながら、ブロードの存在は他を圧する。125cc級の図体にキャリアボックス、250cc級の外装ときて、今回はさらにアマチュア無線機まで装着したため、速度計を見ない限り50ccには全然見えない。パレードでは3列縦隊の中央・前から2番目を走ったが、周囲の250cc級オフロード車より図体が大きいのではなかろうか?
パレード終了後は赤十字広島支社で昼食と研修、そしてホテルにチェックインしてから我々は打ち上げのため居酒屋へと繰り出したのである。2次会ボウリング、3次会カラオケでへとへとになった私は、翌日の「しまなみ海道」チャレンジに備えるべく午前1時過ぎホテルに戻ったのである。

4日朝は7時前に起床、さっさと支度して単身ホテルを出る。国道2号線を突っ走り…しかし燃費にも気を配り、10時40分頃尾道駅前に到着。3年ぶりに「しまなみ」に来たのだ。尾道大橋を渡り、向島では兼吉のフェリー乗り場を撮影。因島では3年前にも立ち寄ったレストラン「シーガル」の、これまた3年ぶりの座敷で昼食。多々羅大橋を渡って再び愛媛県へと入ったまでは良かったのだが、橋のたもとにある村上三島記念館で展示物に見とれているうち雨が降り始めた。館外へ出てようやく降雨に気付いた私は、態勢を立て直すべく眼下の「道の駅・多々羅しまなみ公園」へとブロードを回航。幸か不幸か回航後雨がひどくなり、私と同様に多数のライダーやサイクリストが雨宿りのため次々と来る。土産物を買うなどして1時間待ったが止む気配はなく、雨の大三島を再び走り始めた。
3年前にサイクリストたちから唯一非難轟轟だった大三島橋へのアプローチは、やはり今回も最大の急坂だった。さすがにブロードは時速30kmで淡々と登ったが、雨に濡れたサイクリストにとっては拷問に近い難所に違いない。その大三島橋を渡り伯方島インターチェンジ前を通りかかったそのとき、私は狂喜した。「同志キャビーナ!」伯方島にキャビーナが生息していたのだ。証拠として写真を撮ったことは言うまでもない。伯方・大島大橋では途中にある見近島にちょこっと乗り入れ、いよいよ来島海峡の3連吊橋へと差しかかる。
事態はここで急速に悪化した。霧が予想以上に深く、第2吊橋では有効視程が一時20m以下にまで低下したのだ!このため「賽銭箱」のある馬島で走行を一時中断、他の車両の邪魔にならぬようエレベーターでブロードごと地上に下りトイレ休憩。ジャケットの中まで濡れていることから、渡橋後すぐにサイクリングターミナル「サンライズ糸山」で着替えと夕食。17時50分サンライズ糸山を出発した。
時間の余裕があるならばゆかりのある今治市街へと足を踏み入れるのだが、松山観光港へ向かうことが最優先となるため今回はパス。国道196号をひたすら走り続けていたら、北条市内でコインランドリーを発見。これ幸いとジャケットや手袋など乾燥機にぶち込んで、少しでも衣類を乾かす。19時53分に着いた松山観光港、私は乗船手続そっちのけで観光港マスコットキャラクター「かんこっこ」のグッズを買い漁る。今回の目的のひとつと決めていた「かんこっこ」グッズにありつき、私はまたしても狂喜した。これで安心して帰路に就くのだ♪
21時15分から「フェリーはやとも2」乗船開始、速攻で2等寝台にて荷物を下ろし風呂に向かったが、ハナの差で一番風呂を逃す。(笑)ともあれ雨中の強行軍の後である。風呂の気持ち良さは格別であった。入浴後はうどんで暖を取り、2日前より快適なベッドでぐっすり眠った。

5日朝は前日に続き濃霧で、甲板上にはどうやら乗組員が交代で見張りに就いていた。4時40分過ぎにはもう小倉港に入港、5時ちょうどに他のライダーたちとともに下船した。だが私には最後の戦いが待ち受けていた。ブロードの燃料が残り1リッターを切っており、残存燃料だけで帰還できるかどうか微妙な状況になっていたのだ。おまけに濃霧と来ては彦島までのフェリーが出るか疑わしく、関門トンネル人道口へは15km以上走らなければならない。やむを得ず小倉で給油を実施、燃費計算は帰宅までお預けにして吉野家で朝食、ようやく下関へと帰り着いた。


<旅行総決算>
走行距離 約281km
燃料消費 40.288km/リッター(251.8kmを6.25リッター)
船舶乗船 4隻
*関門海峡フェリー「フェリーふく彦」250円
*関西汽船「フェリーくるしま」2等船室3700円+原付1600円
*石崎汽船「旭洋丸」2等船室2500円+原付590円
*関西汽船「フェリーはやとも2」2等寝台3640円(復路3割引)+原付1120円(復路3割引)
有料道路 通行料金合計530円
*尾道大橋 10円
*因島大橋、生口橋、大三島橋、伯方・大島大橋 各50円
*多々羅大橋 100円
*来島海峡大橋 200円
*関門トンネル人道 20円(回数券使用)