約束  


「ごめん」
そう言って謝られたら、怒るわけにもいかなくて。仕方なく、今日の約束はなかったことにする。
夏休みのお子様向け映画『ポケットモンスター〜ルギア爆誕』に行きたがってた天夜に、前売りチケットを用意してくれたのは雨紋の方からだったのに、直前でキャンセルの電話。
「…」
ドタキャンより、会えなくなった事の方が悲しかったりする。
でも用事ができたんなら仕方が無いと、自分に言い聞かせて映画館を離れた。少ししょんぼりしながら、街の雑踏に紛れこむようにして歩き出す。
「…」
秋のディスプレイに変わりつつあるショウウィンドウを眺めながら、ぽっかり空いてしまった時間をつぶす為、本屋に足を向ける。
こういう時は、好きな本を読んで、イヤなことは忘れるに限る。そう思って、本棚を漁り新刊の欄から、何冊かを選び取った。
好きな作家の新刊を手に、近くの喫茶店に入った天夜は、その瞬間足元が崩れ落ちるような恐怖を感じた。
「…なん…で」
 視線の先には、仲良さそうにお茶する雨紋と藤崎の姿。
「いらっしゃいませ。お一人様ですか?…お客様?」
 店員の声を無視して、入ったばかりの店を出た。震える足に無理矢理力を入れると、人ゴミを書き分けて走り出した。

    なんで、なんで、なんで。

疑問符が頭を占領する。
雨紋の好みが藤崎みたいなタイプなのは知っていた。
でも、「あんたが一番好きだ」と言ってキスしてくれたし、抱き締めてもくれた。
朝まで甘い言葉を聞きながら、雨紋の腕の中で熱い夜を過ごしたこともある。
自分を好きだと言ってくれた言葉を、疑ったことなどなかった。雨紋が好きだから、好きな人の言葉は、全部信じられた。なのに、雨紋が自分との約束を反故にして藤崎と会っていた。それだけで胸の中が不安で一杯になってしまう。
「っく…」
叩きつけるようにして部屋のドアを閉じると、その場にズルズルとしゃがみこんでしまう。
「…っ…」
涙が溢れて止まらない。
なんでもないことなんだと、きっと何か訳があったんだと、何度も自分に言い聞かせるのに、涙が止まらない。
喫茶店のテーブルを挟んで向き合った、雨紋と藤崎の姿が脳裏に蘇えってくる。お似合いだった。
雨紋のあの派手なビィジュアルと、藤崎の妖艶な美貌が凄くお似合いだった。ああして一緒にいても、何の違和感も感じなかった。
再び涙が溢れてくる。



もうすっかり日も落ちて、辺りは薄暗く闇に包まれ始めている。
「あーあ、怒ってんだろうな、天夜さん」
天夜の部屋の前に立ち尽くした雨紋の口から、愚痴るような呟きが漏れる。
 チャイムを鳴らしても開けてはくれそうにないから、懐から合鍵を取り出して、鍵穴に差し込む。
 銀の十字架のついたそれを見る度に、なんだか顔がニヤけてしまう。
 照れて真っ赤になりながら合鍵を渡してくれた天夜の顔を、雨紋は今でもはっきりと思い出すことができた。
 近頃はお互い忙しくて、電話もできないほどだった。
 天夜は大学の試験、雨紋はバンドの練習。どちらも当人にとっては大切な用事で、電話の時間も取れなかった。
そんな中、やっとお互いの用事も終って、ゆっくり会える筈だったから、雨紋にしてみれば、大して観たくもない映画のチケットを買ってまで誘ったのに、邪魔が入って会えなくなってしまった。
ドタキャンは土下座してでも許してもらおう。
そう決心すると、差し込んだ鍵をカチャリと回す。
 ゆっくりと、気配にはメチャクチャ敏い天夜に気付かれないように、そうっと、ドアを開けて中の様子を覗った。
「………?…」
 覗きこんだ玄関先に、なにか丸いものが転がっているのが見える。
 暗くてよく見えない。
「ん゛〜…?!…天夜さんっっ?!」
 玄関先の廊下に、腕を預けて丸くなっているのはどう見ても天夜だった。
「おい、天夜さん、天夜さん!」
どこか具合でも悪いのかと慌ててドアを開けると、ぐったりとした天夜の身体を抱き起こした。
室内に篭った熱のせいか天夜の身体は汗で濡れていて、こんな時だってのに雨紋の心臓は邪な考えにドキドキしてしまっている。
「天夜さん?」
首の後ろに手を差し入れて、頭を固定すると、汗で張り付いた前髪を指先で軽く払ってやる。
そうすると普段は隠れて見えない、めちゃくちゃ綺麗な顔が現れる。
「…涙…の跡…?」
熱でほんのり上気した頬に、薄らと涙の跡があるのが見えた。
約束を破ったから?
逢えなかったから?
そう思うと胸がズキリと痛んで、呼吸が苦しくなる。
覗きこんだ様子から、ただ眠っているだけのようで、少しホッとする。
「ごめんな、天夜さん」
悲しげに歪められた眉の間に唇を押し当てると、そっと天夜の身体を抱き上げた。
幾らなんでも、玄関に寝せておくわけには行かない。男にしては華奢な体は見た目と同じでひどく軽い。
適度に散らかった居間を通り過ぎて、ベッドの置いてある部屋のドアを開ける。
「んっ…」
ドアノブに手を伸ばした拍子に、背中に当てていた手がずれて、天夜の唇から小さな声が漏れた。
起こしちまったかな?
動きを止めて様子を伺うが、完全に覚醒モードに入ったらしい天夜は、グウにした手で瞼を擦りだした。
なんだか子供みたいで可愛い。
そんな子供染みた仕草をじっと見つめて瞼が開くのを待つ。
「ん〜…」
伸びをするように手を上げた後、ぼんやりと漆黒の瞳が現れた。
「…あれ…雨…紋?」
すぐ上にある雨紋の姿を認めて、不思議そうに天夜が小首を傾げる。
雨紋が好きな仕草の一つ。
たまらなく可愛い。このまま、勢いに流されてしまいそうだ。



ぼんやりと霞む視界の向こうに、雨紋の姿が見えた気がした。
まだ…夢の続き?なのかな…。
見上げた雨紋はいつもと同じ優しい笑みを浮かべていたから、あれは悪い夢だったんだとホッと息を吐いた。
甘えるみたいにして頬を寄せる天夜を、ソッとベッドの上に降ろすと雨紋は大きく一つ深呼吸した。
「う…もん?」
ゆっくりと膝を折ると、床に頭が付くほどに身体を折った。
「ごめん、天夜さん。約束やぶっちまって」
深々と頭を下げる雨紋の姿に、ショックで言葉が出ない。
ではあれは夢なんかではなかったのだ。
見たくない辛い現実。
やっぱり、女性の方が良いに決まってる。
再び胸に蘇えってくる恐怖。
捨てられる。
聞きたくなかった。
泣いて縋るなんてみっともないことはしたくなかった。けれど、笑って分かったなんて絶対に言える自信がない。
今だって、泣き出しそうなのに。手の震えが止まらない。
「それでな、天夜さん…」
 嫌だ。聞きたくない。
別れの言葉なんか、終りを告げる言葉なんか聞きたくない。
「や…だ……き……たくなっ…っく…終りにしようって…他に好きな人が…っく…できたって言うつもり…なんだ…。やだ…ヤダ…」
気が付けば天夜の両目からは、とめどなく涙が溢れ蒼褪めた頬の上をポロポロと零れ落ちて行く。
こんな姿は見せたくなかったのに。
幾らそう思っても、涙は溢れるばかりで止まる気配を見せない。
「ちょっ…ちょっと待てよ、天夜さん!なんだよ今のは!!誰が別れるって?え?言ってみろよ!!」
気丈な天夜の涙に動揺を押し隠せないまま、告げられた言葉の衝撃に雨紋の手は、天夜の肩を強く揺さぶっていた。
「やっ…やだぁ…」
発作を起こしたように泣きつづける天夜の耳に雨紋の声は届かなくて。
「…天夜さん…」
幾ら呼んでも答えない天夜の腕を強引とも取れる仕草で引き寄せると、有無を言わさずに口唇を重ねた。
言葉が届かなければ、思いを直接伝えるしかない。
重なる口唇から、絡める舌から、ほんの少しでも良い、この思いが伝わってくれればいい。
愛してる。愛してる。あんただけを愛してる。あんたしか要らない。
「………」
突然の口付けに、最初は暴れていた天夜の身体が大人しく腕の中に納まって、押し返すように突っぱねていた手が、おずおずと雨紋の背中を抱いてきた。
「んっ…」
そっと口唇を放して顔を覗きこめば、濡れた瞳が戸惑ったように見上げてくる。
「な…んで?」
「なんでだぁ!?わかんねえのか?俺様はあんたが好きなんだ、天夜さん」
一度言葉を区切って、天夜が言葉の意味を飲み込むのを待つ。
「あんた以外は欲しくないし、まして、別れたいなんてこれっぽっちも思っちゃいねぇ。何時だって、あんたの事だけ、一番に考えてる。あんたが何でそんなバカなこと考えたんだか分かんねぇけど、俺様があんたを好きだって気持ちだけは信じてくれよ。な、天夜さん」
何時もだったら照れて半分も言えない気障な台詞も、今は言わなきゃいけない時で、真摯にまっすぐ天夜の眼を見つめて言葉にする。
「だ…て、藤崎と…」
雨紋の言葉に嘘は感じられないけれど、でも、藤崎と楽しそうにお茶していたのは真実で、もう何を信じて良いのか分からなかった。
「藤崎って…あんた、あの店に来てたのか?」
「…」
 雨紋の言葉に胸が締め付けられる。
「あー、あのさっ、言い訳にしか聞こえねぇだろうけど、あれは不可抗力で…あんたを待ってる間に藤崎の姉さんに捉まっちまって、後はなし崩しに言い包められちまって…まして、困ってる放っておくような奴だってあんたに言っても良いのか?って言われちまったら、付き合うしかないだろ?」
 困ったように頭を掻きながら呟く雨紋の言葉が、漸く落ち着いた天夜の心に静かに積もってくる。
「じゃ…俺の、早とちり…?」
 泣いて赤くなった目元を、今度は羞恥で赤く染めながら、恥ずかしそうに見上げてくる。
「まあそう言う事…かな。で、今日の埋め合わせは必ずするから、許してくれるか?天夜さん」
「…うん…」
そっと抱きしめてくる腕に身体を預けながら、コックリと肯く。
「ホントに、ごめんな、天夜さん。埋め合わせに明日、見に行こうぜ、ポケモン」
軟らかな頭髪を撫でながら、額に口付けて囁く。
「う…ルギア爆誕、今日で終わりなのに…クスン」
「えっ…」
せっかくデートの仕切り直しをと思って提案した雨紋の言葉は、悲し気な天夜の言葉に却下される。
「えーっと…じゃあ、あー…」
とにかく何としてでも今日の埋め合わせをしなくてはと思うのに、焦れば焦るほど良い考えは浮かんでこない。
「あー…じゃあ、ネズミの国に行こう。確か天夜さんドナルド見たいって言ってただろ?なっ、そうしようぜ。明日の朝一から行って、ドナルド捕まえて写真とって、天夜さんが乗りたいアトラクション全部乗って」
 もうこうなったら雨紋も必死だ。
 なんとしてでも今日の埋め合わせをしなくてはと、動揺して上手く働かない頭で一生懸命考える。
「良いだろ?天夜さん?なっ?な?」
 あんまりにも一生懸命な雨紋の姿に笑いがこみ上げてくる。
 自分は何を恐れていたんだろう、こんなに愛されているのに。
「良いよ、雨紋と一緒なら何でも」
「本当だな?他に行きたいトコとかあるんな…」
「いいの!雨紋が一緒なら俺、どこだって嬉しいよ」
 きゅっと広い胸に腕を回して抱きつくと、逞しい腕が背中を抱き返してくれる。
「俺様だって、あんたがいるんだったらどこだって天国だぜ」
 頬をくすぐる囁きが、優しいキスになって、背中がゆっくりとベッドのスプリングを感じる。
「あっ…」
「もう2度と、あんたとの約束、破らねぇから。ごめんな、泣かせちまって」
 見えない涙を吸い取るように、瞼に重なる雨紋の口唇。そっと目を閉じて優しいキスを受け入れれば、それだけで幸せになれる自分が愛しい。
 約束がダメになったのは悲しいけれど、雨紋がいるならそれでいい。
「ビデオが出たら、一緒に見ようぜ天夜さん」
「うん」
 キスの前にそう囁く声に頷いて、雨紋の腕に全てを預けた。



 明日はきっと楽しい一日になるはずだ。
 今日がダメなら、明日楽しめばいい。
 こんな単純なことも、一人じゃ気付きもしない。
 だから、ずっと傍にいて。
 
 傍らに君がいる幸せ。

  「真神庵」に投稿したSSです。
本当は、修正を入れるつもりだったんですが、如何せん原稿が。
本作る方が優先事項だったりするんで。今。(^_^;;
しかし、何があったんでしょうね。泣いてるし、天夜くん。(笑)
泣いちゃいかんでしょう、泣いちゃ。
切ない系を書きたかったらしいが、玉砕。って感じがしますね。
やっぱ。エッチがないからかな?(爆)