ゆっくと意識が覚醒する。
まぶたの奥に射し込む光で今が朝、それもかなり太陽が高く昇った時間だと認識した天夜は、もそもそと布団の上に体を起こした。
12畳ほどの広い畳敷きのいかにも日本間といった部屋に、寝乱れた寝具が敷かれていた。隣に同じ様な寝床が用意されているにも関わらず、使用されたのは一組だけのようで、自ずとなにが行われたのが分かる。
「だるい…」
十分な睡眠を取って尚、体に残るあの後独特の気だるさに、天夜は大きくため息を漏らした。
絹の布団の中は心地が良かったが、目覚めの原因となった空腹には勝てず、枕元に用意されている着物に手を伸ばした。
「…また…か…」
指先に触れた感触でソレがなにか分かってしまって、脱力と共に再びため息が漏れる。
手元にたぐりよせたソレは天夜の予想を裏切ってはくれず、やはり女物のそれも未婚女性の着る振袖だった。
半ば拉致監禁状態で、あの男の住むこの屋敷に連れてこられた。あれから既に幾日が過ぎたのだろうか?
初めの3日までは日を追っていた意識も、しだいに日を数えることを止めてしまって久しい。
「よっ…」
考えても仕方が無いことは後にすることにして、帯で腰の辺りを締めただけの振袖を纏うと、続き間になっている隣の部屋へ行くために襖を開けた。
「よう、お目覚めか?」
まだ足も踏み入れないうちから聞こえてきた男の声に、天夜のこめかみがぴくりと動いた。
「…腹が減ってね」
思いっきり不機嫌な声を装ってやる。が、
「飯なら後でイヤってほど食わしてやるさ。それより、こっちに来な」
男は意に介した風も無く杯を持っていないほうの手で、おいでおいでをして見せる。
「イヤだね。今日こそは飯が先!」
その場にどっかりと腰を降ろした天夜は、男の周りに侍っている女達に視線だけで食事を要求する。
「まったく、このお姫(ひー)サンはなにをそんなに拗ねてんだ?」
一向に自分の元に来る気配が無い天夜に、呆れた様子も無く腰を上げた男は、自ら傍に寄って来て腰を据えた。
「誰がお姫さんだ!」
肩を抱く手を少々乱暴に叩き落とすとプイと顔を背ける。その姿が拗ねている以外の何物でもないことを本人だけが気付かずに。
「ったく、そんなに腹が減ってるんだったら、こっちに俺のをたっぷり飲ませてやるぜ?」
「なっ!」
スッと尻を撫でた手が、そのまま窪みに押し当てられる。そして、その手はなにを意味しているのか明確なほどはっきりと天夜の奥を探る。
「やめっ…!」
「いいじゃねぇか、減るもんじゃ無し」
その言葉をきいた瞬間、昂ぶりかけていた体の熱が一気に引いた。
「減るんだよ!お前にここに連れてこられてから俺の体重、どれだけ減ったと思ってんだよ!毎日毎日飽きもせず、人の飯の時間を削ってまで犯リやがって。昨日だって、飯も食えなくなるくらいに犯ったくせに。まだ足りないのかよ!!」
一気に捲し立てた天夜の肩が、ぜーぜーと激しく上下に揺れている。
「足りねえな」
「てっ…てめ…」
シレッと言い返す男の胸倉を掴んだ天夜の怒りに燃える目が、射殺すような鋭さでまっすぐに瞳を見つめてくる。
「こうして、なんの邪魔も入らねぇでお前に触れることが出来るんだ、いくら抱いたって抱き足りねぇぜ」
「……………」
膝たちの姿勢で詰め寄っていた天夜の腰をグッと抱き寄せると、はだけた胸元に愛しそうに唇を寄せた。
「んっ…」
いくら言葉で否定してもそれだけの言葉で、キスで、熱くなってしまう体を前にしてはなんの説得力も持たない。
それが悔しくて、胸元に顔を埋める男の髪を思いっきり引っ張ってやる。
「っいててて。まったく、お前には情緒とかムードとか、そう言う持ち合わせはないのか?」
ポニーテールをちょうど良いとばかりに引っ張られて胸から引き剥がされた男は、呆れた口調で呟いて天夜を見上げた。
「お、お前にそんなこと言われたくないね!それより、この手をはーなーせ!!」
しっかりと腰を抱いて放さない男の手を無理矢理にでも引き剥がそうと逞しい腕に手をかけるが、その手は天夜の予想に反してあっさりと離れていった。
「…?…」
おかしい。
知っていると言うほどこの男を知っているわけではないが、自分に対する執着はイヤと言うほど教え込まれた天夜は、こんな風にあっさりと解放された事に意外と感じる前に言いようの無い寂しさを感じた。
「………」
違う、寂しくなんか無い。
バタバタと頭を左右に振ってそんな自分の考えを否定しようとするけれど、なんとなく胸の辺りがポッカリと穴が開いたようで落ち着かない。
「おいおい、突然どうしたんだ?」
「えっ?なにが?」
声を掛けられて始めて自分が一人の世界に浸っていたことに気が付いた。
「なんだ?俺の腕が離れたのがそんなに寂しいのか?」
「なっ!…なにをっ…馬鹿言ってんだよ!」
図星を刺された天夜の頬が、ほんの少し赤くなった。
「ったく、飯、飯」
照れ隠しのためにか殊更大きな声で飯を連呼すると、廊下で待機していた女性達がいそいそとお膳を用意し始めた。
「おっ、鶏肉」
鶏肉好きの天夜の為に、3日に一回は鶏肉が食卓に上がる。
「いいか、今日こそはゆっくり飯食わしてもらうからな!!」
「勝手にしな、俺も勝手にするからよ」
ビシィっと指を付きつけて牽制する天夜を意に介した風もなく男は、不敵な笑みを口元に浮かべて杯を煽った。
「勝手にすんな!!」
どかっと胡座をかいてお膳の前に腰を降ろすと、箸を手にとって食事を始める。
じっと見つめる男の視線など気付いていない振りを、必死で装いながら。
「………」
無言で食事をする天夜を、男もまた無言で見つめる。
落着かない。
男の視線が不快なわけではないが、纏わり付くような視線に飯の味が分からなくなる。
「なに…じっと見てんだよ」
大根の味噌汁を啜りながら、視線を向けずに言葉だけをかける。
「いや、美味そうに食うな。と思ってな」
ニヤリと笑った男の口元を見てしまった天夜の心臓が、ドキンと音を立てた。
「そ…そりゃあここの所まともに飯食わしてもらってねぇからな」
怒ったような口調を装ってみるが、なんとなく迫力に欠ける。
「それは悪いことをしたな」
「心にも無いことを言うな」
「心外だな…これでもお前の身体はお前以上に心配してんだぜ」
コトリと杯の置かれた音に顔を上げれば、不敵に笑った男の視線を真っ向から受けとめる羽目になってしまった。
「こっちに来な」
手を差し伸べながら近づいてくる男に、天夜の身体は条件反射で後退る。
逃げながら、それでも茶碗と箸は握ったままな天夜の姿が、なんとも微笑ましくて、男は珍しく声を上げて笑い出した。
「わっ、笑うな!」
笑われたことに怒って、天夜が男に向かって牙をむく。
「ッ…ああ、悪かった。そんなに飯が食いたいとは知らなかったんでな」
そう言いながらも、男は喉の奥でまだクツクツと笑っている。
「悪いと思ってんなら笑うな」
男の笑顔に当面の危機は去ったと思ったのか、逃げ腰だった体勢を戻して、再び膳に着こうとする。
がしかし、さっきまで天夜がいた場所から男は一向に動こうとしない。
「そこどけよ、飯食うんだから」
精一杯凄みを効かせて睨みつけてやるが、全然効いていないばかりか、逆に天夜の身体が男の腕の中に捉えられてしまった。
「なにすんだよ。放せ…俺は飯、食うんだ」
また連日のパターンで行為に雪崩れ込まれては大変と、茶碗の中のご飯が零れない程度に天夜が暴れ出した。
「分かってるさ、ちゃんと飯は食わせてやるぜ。俺の膝の上でな」
後ろからガッチリと羽交い締めにされて、身体の動きを封じ込められた天夜は、自分のとらされた格好に音の外れた声を上げた。
「はあ?」
お膝に抱っこ。
あまりにも子供染みた扱いと、男の身体と密着している状態に、どんどん顔が朱くなっていく。
「こんな格好で飯が食えるか!!」
恥ずかしくて、恥ずかしくて、恥ずかしさを紛らわすために大声を上げた天夜を、男は楽しそうに抱きしめた。
「これくらい我慢しろ。この俺がこれで我慢してやるって言ってんだから」
「なんで俺が我慢しなきゃなんないんだよ。俺はただ飯が食いたいだけなんだ」
半ば諦めたような天夜の口調に、男は見えないのをいい事に、勝ち誇ったような笑みをその口元に浮かべた。
「いい加減お前も聞き分けがないな。やっとなんに縛られることもなく、お前に触れることが出来るようになったと言うのに。どうして我慢なんかしなければならないんだ?これでも十分抑制しているんだぜ」
抱きしめる力強い腕と、耳朶をくすぐる熱い吐息に、腰が甘い痺れに襲われる。
このまま流されてしまいたい気持ちと、今日こそは自分の主張を通したい気持ちとで、天夜の心がほんの少し揺れた。
「分かったんならさっさと飯を食って、大人しく俺に抱かれろ」
首筋を柔らかく噛まれる刺激に、流されそうになっていた天夜の思考は、そんな身勝手な男の言葉に一気に現実に引き戻された。
「だー!ふざけんな!なんで俺がお前の言い成りになんなきゃなんないんだよ」
もう箸も茶碗も関係なく暴れ出した天夜に、楽しんでいるとしか見えない表情を浮かべた男が、当然のように喚く口唇を塞いだ。
「んっんー…」
突然の口付に、目を閉じることを忘れてしまった。
間近に見える男の顔に頭の芯がクラクラしてきて、押し退ける手に力が入らない。
「あっ…んうっ…」
息を継ぐ間すら与えまいとする激しい口付けに、四肢からはどんどんと力が抜けていく。このままなら確実に男の思う通りに行為へと流れてしまう。分かっていても、男の与える口付けは天夜を溺れさすには十分な熱さを持っていた。
「もっ…やめっ…」
なんとか紡いだ言葉は掠れていて、吐息に紛れてしまいそうなくらい小さかった。けれど天夜の言葉が男の耳に聞こえない筈はなく、もっと嬲ってやりたい想いを押さえて口唇をはなす。
「おとなしく飯を食うな?」
膝の上から逃れることは到底できそうも無くて、くったりとした身体を男に預けたままで天夜はこくりと肯いた。
「まったく、なんで飯食うだけでこんなに苦労しなきゃなんないんだよ」
ぶつぶつと呟きながら落とした箸を拾う。
「おい、新しい膳を用意しな」
どこへともなく男が声を掛けると、廊下の向こうから数人の女性が新しい湯気の立った膳を持って現れた。
「どうせ食うなら、暖かいもんのほうがいいだろ?」
優しい声音で男が天夜の耳元に囁いた。
「そう思うんなら、俺が飯を食おうとするたんびに邪魔をすんのは止めろ」
どうせ聴いちゃいないのは分かっていても、言わずにはいられなくて天夜は口を尖らせて言った。
「お前が俺より飯を優先するのが気に食わないんでな」
「えっ!!」
声の調子はからかっているのに、その言葉の底にある想いは真剣な本心で、それを感じてしまった天夜は、一瞬言葉を失ってしまった。
つづく・・・。 |