花氷――2――
謝りに行かなければ、そう思いながら王子までやってきた。 目の前に建つ如月骨董品店は、何時もと変わらず静かな佇まいを見せている。 ここまできておいて、回れ右で帰るつもりは毛頭無いのだが、やはり昨夜の自分の行動が気まずくて、中々一歩を踏み出すことができない。 しかし、何時までもこうしている訳にもいかない。時間が開けば開くほど、気詰まりは大きくなって行くに違いないのだ。 「すっぱり、怒られてくるか」 これが素手で鬼を倒すほどの武者か、と、相棒を語る剣士なら、情けなくって見てられないと目を覆ったであろう程に情けない顔で、陸は漸く店の暖簾を潜った。 「あっ…いらっしゃいま……陸さまっ…」 カラリと引き戸が開く音がして、条件反射で何時もの言葉を口にして振り返った涼浬は、所在なげに戸口に立つ陸の姿に、影を縫いとめられてしまったかのように、動けなくなってしまった。 「あのさっ…」 言うべき事は頭の中に叩き込んでおいた。ここに来るまでに、何度も何度も考えた謝罪の言葉。なのに、いざ涼浬を目にしてしまうと、あれほど完璧に考えた言葉の一片すら、綺麗さっぱり頭から消え去ってしまった。 「昨日は…ごめん……そのっ…涼浬の…じゃなくて…えーっと、怒ってるよな?」 違うだろ、そうじゃ無いだろ。怒ってるかなんて、聞かなくても分かってるだろ。 一体何が言いたいのか分からなくなって、陸はうめくように低く唸ると、ガシガシと頭を掻き毟り出した。 頭が完全に混乱していて、自分がここに何しに来たのかさえ分からなくなりそうだった。 落ち付け、落ち付け。と何度も繰り返し、陸は深く息を吸い込んだ。 「あ…」 最初からやりなおそう。昨夜の己の破廉恥な行動を謝るのだ。なんとか落ちつきを取り戻した頭でそう考え、口を開こうとした陸は、次の言葉を発する事はできなかった。 「あのっ、昨夜はその、鍛錬のお邪魔をしてしまって、申し訳ありませんでした。それで、陸さまに少々お聞きしたいことがあるのですが、宜しいでしょうか?」 思い詰めたような顔で、練習でもしてあったのだろうか、長い言葉を言い終わった涼浬は、どうか断らないでくださいと口唇を噛み締めた。 「えっ…と、俺で答えられるような事なら」 あのようなふしだらなことをされた方とは、口も聞きたくありません。 そんな風な言葉で、ぴしゃりと切り捨てらると思っていた陸は、何だか決意の矛先が変わってしまって、なんとなく拍子抜けしてしまった。 「ありがとうございます。では、店先ではなんですので、どうぞ奥へお上がり下さい。店を閉めましたら、私も直ぐに参りますので」 「ああ、分かった」 店では無く、住まいのほうへ上がるようにと言う涼浬言葉に、表向きは平静を装って答えたのだが。 「こんなところで涼浬は一人で暮らしてるんだ…」 道程で汚れた足を軽く手拭いで拭って上がった室内は、店と同じように綺麗に片付けられていた。簡素なくらい物の無い部屋を見まわしていると、どうにも不埒な妄想が湧きあがってくるのを止められない。 風呂上りにここで一休みしたりしたんだろうか?とか、寝起きで寝乱れた姿で台所に立ったりしたんだろうか。と、恋をしたばかりの陸の妄想はせわしない。 恋焦がれる女の住まいに上がった陸は、座ることも思い付かず、立ったままぼんやりと夢の世界へ翼を広げてしまっていた。 「あの…陸さま、どうぞ」 「えっ?あっ、ありがとう。じゃ、お邪魔します」 茶を満たした湯のみを盆に載せて現れた涼浬は、座りもせず立っていた陸の姿に、慌てて座を勧めた。 「上がるようにお誘いしておきながら、茶菓子もなくて申し訳ありません」 言われた通り、陸の前には香り良い茶しか出されていない。それが酷く申し訳なく感じるのか、ついと涼浬は顔を伏せてしまった。 「いいって、別に茶菓子が欲しくて来た訳じゃないし。それに、茶菓子なら、はい」 そう言って、陸は小さな包みを二つ差し出した。 「昨日の事、本当にごめん。こんなんで誤魔化すつもりじゃないんだけど」 畳に手を付いて、潔く頭を下げる。 「あの、どうぞ頭を上げてください。別に、怒ってなどおりませんから」 下げた頭を畳に擦り付けるようにしている陸の姿に、頭を下げられた涼浬の方が、困ったようにオロオロとしている。 「本当に、怒ってないの?」 「はい。怒ってはおりません。それより、お聞きしたい事があるのですが…」 真意を伺うように見上げてきた陸の視線に、恥ずかしげに涼浬がすっと顔を反らす。まだ、陸の視線を正面から受け止めることには、慣れていないのだ。 「俺で分かることなら良いけど」 反らされてしまった顔を名残惜しげに見つめながら、陸はにこりと微笑みを浮かべた。 「ありがとうございます。それでは…」 いくら考えても、一人では答えの出なかった疑問。最初に問いとなる事柄を起こした陸になら、この胸の内で渦巻くもやもやに答えを出してくれるに違いない。そう考えて、涼浬は陸を家に上げたのだ。 「昨夜、陸さまは私を突然抱き締められました。それはどうしてなのでしょう?そのことが、私の頭の中から離れなくて…」 それだけではないのだ。あの時から、涼浬は陸の姿を脳裏から追い払う事ができないでいる。しかし、そのことを陸に問うことは、結局できなかった。 陸の顔を見ることができないのか、日に焼けた畳をじっと見つめて、涼浬は答えを待った。 見なくても、陸の動揺は手に取るように感じられた。それほど互いの気が近くにある。そう思うことが、一層涼浬の心を落ち付かなくさせた。 突然核心に迫る追求の言葉を掛けられて、顔にこそ出さなかったものの、陸は激しく動揺した。昨日の事を謝りに来たのだから、追求は免れないとは思っていたのだが、まさかこんなに単刀直入に聞かれるとは思ってもいなかったのだ。 想いを告げるつもりでここへ来た訳ではなかったが、昨夜の行動の原因を言及されれば、はっきり好きだと答えるしかない。 自分の言葉も、昨夜の行動も、かなり手前勝手なのは重々承知の上。焦る心臓をなんとか宥め、陸はゆっくりと口を開いた。 「好き、なんだ」 胸を焦がす想いを口にすれば、たった2文字で終わってしまう。 全ての想いをこめた言葉への、涼浬の返答を、陸は張り付けを待つ罪人のような思いで待った。 「すみません、少し、席を外させていただきます。陸さまは暫くこちらでお待ち下さい」 きゅっと口唇を噛み締めた涼浬が、何かを思い詰めたような表情で、ゆっくりと頭を下げた。 告白の返事が帰ってくるものとばかり想っていた陸にしてみれば、矛先を交わされたようで釈然としない。 それでも、もう一度「お待ちになっていてください」という涼浬の言葉には、不承不承だが頷いた。いきなり答えを返せと言うのも、性急過ぎたかと、反省した為だし。涼浬の生い立ちや、その他の事を考え合わせても、こういう色恋には慣れていなさそうだったから、時間が必要だと思い至ったからだ。 それから、有に一刻は過ぎただろうか。 最初に出されたお茶は等に飲み干され、解かれる事のなかった菓子の包みは、所在なげに盆の上に置かれたままだ。 人さまの家では、寝転んで時間を潰す訳にもいかず、何をすることもできず、陸は組んだ足をもぞもぞとさせながら、涼浬の帰りを只々待った。 そうして更に幾分かの時が過ぎた頃、漸く涼浬の気配が近づいてくるのが感じられた。 「陸さま、お待たせ致しました。湯殿の支度が整いましたので、どうぞこちらへ」 「は?」 すっと、音も無く障子戸を開けた涼浬は、深深と頭を下げて風呂の準備ができたと言った。陸には、一体何の事だが皆目分からない。 「えっ?ちょっと涼浬。風呂って何?」 自分は確か好きだと告白して、その返事を待っていたはず。なのになんでいきなり風呂に入れと言われるのか。戦闘の時には明晰な陸の頭脳も、涼浬の行動の本質までは考えが及ばない。只目を白黒させて、何がしたいのか問うだけだ。 「あの…、どうぞ湯殿へ」 「いやその。だから何でいきなり風呂な訳?」 涼浬には涼浬の考えがあって陸に風呂を勧めているのだが、陸にはその真意が一向に理解できない。訳を言ってくれるまでは、どう合っても動けない。 「………先ほどの言葉は……戯れだったのでしょうか?」 一向に立ち上がってくれる気配の無い陸に、苛立ったと言うよりは、哀しげに曇った表情で涼浬が視線を上げてきた。 無意識なのだろうか、微かに色香を感じさせる視線だった。 「えっ?……あっ!さっきのは…本気だけど。いやそうじゃなくて、それと風呂とどんな関係が…」 あるのか。と続けようとした陸の言葉は、依然何かを思い詰めたような涼浬の言葉に打ち消された。 「あのお言葉が本心からなのでしたら、どうぞ…お願い致します」 どもりそうになるのを必死に堪えて喋っているような涼浬の様子に、陸はこれ以上抵抗するのが可哀想になってきた。 風呂くらい、入れと言うのだから入ってやればいいではないか。そう自分に言い聞かせて、陸は漸く重い腰を上げた。 「わかりました。入らせて頂きます」 悠然と立ちあがるはずが、どこか腰が引けたような情けなさを感じるのは、只ならぬ決意を固めたような涼浬に気圧されたからだろう。 「あの…ありがとうございます。こちらになりますので、私に着いて来て下さい」 「はい」 陸の承諾の言葉に、一瞬ホッとしたような、覚悟を決めたような、二つの感情を面に表した涼浬は、それでも平静を装って先に立って歩き出した。 つづく |
漸く、続きが上がりました。
ここら辺から段々とギャグテイストになっていくかと思われます(笑)
次の話しでは、大爆笑したネタを書きたいなぁと思いつつ、
製作に勤しもうかと…。
2002.03.27