これは1992年に書いたものだよ。



1976年、春。
 60年代、若者文化の集大成として催されたウッドストックの大コンサートから7年。
 僕は岐阜の山奥の田舎から東京の二流大学へ入学した。
 アメリカではベトナム戦争が終わり、学生運動も衰退して
き今年は建国200年の記念のイベントが各地で催されるという。しかし60年代の若者文化、その愛と自由のシンボルであったはずのビートルズ、ジミー・ヘンドリックス、クロスビー・スティルス・ナッシュ&ヤングなどのスーパー・スターの姿はなくみんな伝説の中に消えてしまった。
 日本でも高度経済成長時代は終わりを告げ、浅間山荘事件以来、学生運動は衰退していった。そして僕たちは『三無世代』とか『シラケ世代』と言われる存在として大学生になった。
 僕たちは燃え尽きた時代の後にやってきた残骸のような世代だっ
。しかし、僕の心の中にはいつの日にか60年代に対するこだわりや憧憬のようなものが渦巻くようになっていた。それはたぶん、ウエスト・コーストに代表される『愛』や『自由』や『平和』や『革命』を叫び続ける当時の文化を映画や音楽で知るようになってからのことだと思う。
 そして今、僕は70年代という混沌とした時代の東京の中にいる。物には恵まれているが、心の貧しい時代に…。新宿の街はまるで、オモチャ箱をひっくり返したように様々な音楽、様々なファッションの若者があふれている。しかしそれは、一見平和そのものに見える風景の中にとけ込んだ若者達の孤独を浮き彫りにしていた。同じような音楽を聴き、同じようなファッションで身を包み込むことでしか得られない連帯感。そんな悲しい街で僕はいったい何ができるのだろう。僕と同じように感じている人間がこの街にいったいどれほど存在するのだろうか?
           *               *               *
 僕の通う大学は世田谷の閑静な住宅街の中にあった。僕はそこまでアパートのある東伏見から約1時間かけて通った。
 大学に初めて登校したとき、僕は何とも言えない不快感を覚えた。僕の大学は、学園紛争の名残でキャンパスの出入り口に検問所が設けてあり、学生証を提示しなければ中に入れない仕組みになっていた。そしてキャンパスの周りは高い塀に囲まれ、その上には有刺鉄線が張り巡らされていた。学生運動はもう終わっているはずなのに……。
 僕は検問所のガードマンに、何故、中にはいるのに学生証を提示しなければならないのか質問してみたが、答えは返ってこなかった。他の学生達も難の疑問も無いかのように、電車の定期を見せるようにしてキャンパスの中に消えていった。
 最初の講義が終わって教室を出てみると、窓を背にしてハイライトに火を付けようとしている長髪に薄汚れたジーパン、Tシャツ、ジージャンというウエスト・コーストのロック・ミュージシャンを思わせる風貌の背の高い男が目に入ってきた。
 僕は魅入られるように彼に声をかけていた。
「タバコの火、貸してくれない?」
「ああ、いいよ」
 彼はまったく無表情でライターを僕に向かって差し出した。
 僕はこいつもやっぱりシラケてしまった人間の一人なのかと思いながらも、彼の横に並んでタバコを吹かした。
「珍しいな、チェリー吸ってるなんて。君、どこから出てきたんだ。言葉に少し訛があるようだけど……」
 彼はどこを見るでもなく、聞いてきた。
「岐阜の郡上八幡ていうところなんだ。郡上踊りで有名なんだけど、知らないかな」
「うーん、分からないな。中津川の方には近いの?」
 僕は『中津川』という言葉が出てきたことで、彼がロックやフォークといったその手の音楽に関心があることを確信した。
「いや、
ょっと違うけど。君、中津川のフォーク・ジャンボリー知ってるの?」
「ああ、一応ね。でもあれは『ウッド・ストック』をただ真似てやったイベントに過ぎないだろう。ここは日本であってアメリカじゃない。イベントの意味そのものが違うと思うけどな。いくら、反戦だ安保だって叫んだところで実際に戦争をしていたのはアメリカなんだし、その当時の若者ってファッションとしてアメリカのそういうところを楽しんでいただけじゃないのかな、今もそれは変わらないけど……」
 僕は彼の鋭い指摘に唖然としてしまった。こいつはシラケてなんかいない。僕は彼のその投げやりな態度とぶっきらぼうなしゃべり方で判断を誤るところだった。
「でも、あの中津川は音楽的にはかなりいいものが残ったんじゃないかなとは思うけどね。『はっぴい・えんど』とか『ガロ』なんていいグループがメジャーなバンドとして、受け入れられるようになってきたからね。もう、昔の話で両方とも解散しちゃったけどね……」
「君、すごく詳しいね。やっぱり中学とか高校の頃にバンドとか組んでたの?」
「いや、そうじゃないけど。音楽が好きなことは確かだけどね。ところで君の名前は?オレは早川浩二」
「ごめん。オレの方から話しかけたのに……。オレは曽根敏。これからもよろしく」
 僕はこの男となら友達になれると思った。こいつの心の中にも60年代が残っている。きっと話も合うはずだ。それの僕にはない鋭さを持っている。それが僕にいい影響を与えてくれるに違いない。
 僕は早速、その日の講義が終わると彼を自分のアパートに誘った。
            *              *               * 
 京王線、山手線、西武新宿線を乗り継いで東伏見に着いたときには、3時を回っていた。
 東京の片田舎という雰囲気の漂うのどかな風景の中を15分ほど歩いたところに僕のアパートはあった。
 浩二は僕の六畳一間の部屋にはいると、「オレも一人暮らし、したかったな」とポツリと呟いた。彼は神奈川県の厚木基地近くの街から自宅通学をしていた。
 そして、本棚に目を向けて、興味深い顔つきで僕に尋ねた。
「映画の本が随分あるな。映画監督でも目指してるのか?」
「一応そうなんだけど。チャンスがあったら学生の間に1本でもいいから自主制作の映画を撮りたいと思っているんだ。60年代後半のニュー・シネマみたいなやつを……」
 僕は少し照れながら答えた。
「『イージー・ライダー』とか『いちご白書』みたいなやつ?」
「あんなすごいものは出来ないと思うけど、自分の身近な問題をテーマにしてそれが普遍性を持てるようなものが出来たらいいなと思っているんだ」
 浩二は「ふーん」と頷きながら部屋の隅に置いてあったギターをケースから取り出して、つま弾き始めた。
「ダメージ・ダウンか。ニール・ヤングの曲の中ではこれが一番好きなんだ。オレ」
 浩二はまた「ふーん」と言ってギターを弾くその指を止めた。
 彼の『ふーん』と言う言葉の中には人をバカにしているでもなく、感心しているのでもない不思議なリズムがあった。
「さっき、『いちご白書』っていう言葉が出たら何となくこの曲が浮かんできたんだ。別にあの映画で使われていたわけでもないのに……」
「じゃあ、かけようか?田舎から『ハーベスト』とCSN&Yの『ソー・ファー』だけ持ってきたんだ」
 僕は何となく嬉しくなってきた。浩二という男はニール・ヤングを知っている。しかもさり気なく彼の曲をギターで弾いてしまう。それに映画にもかなり詳しそうだ。やっぱり、僕の思っていたと
りの男だった。こういう奴がいるなら、東京も捨てたもんじゃないなと思った。
「おまえも奴らが好きなんだ。珍しいな。オレ達の年代じゃ、知ってる奴あんまりいないぜ」
「うん、だから嬉しくてさ。『オハイオ』とか『カット・マイ・ヘア』なんて詞がすごいもんな。今、あんなもん書いたらお笑いぐさだろうけど……」
 浩二は感心なさそうな声で「あー」と言って、今度は僕が田舎から持ってきたレコードプレーヤーの横に並べてあったレコードを何枚か取り出した。
「おまえ、政治に関心あるのか?なんか、反戦イメージが濃いというか政治色の強いアルバムばっかりだな」
「いや、オレはノンポリだよ。たまたまいいなと思った音楽がそういうのになっただけさ」
 僕はまた浩二の鋭い指摘にうろたえた。確かに僕の持っているレコードはロックもフォークも政治色の強いものばかりだった。そして、政治に関心がないというのは、彼に言わせれば嘘になると思う。
 それを正面切って言った奴は今まで誰もいなかった。
「オレも似たようなもんだけどな。でも『ノンポリ』っていう言葉、まだ死語じゃなかったんだ。オレはとっくの昔になくなった言葉だと思ってた」
 浩二はからかうようにそう言ったが、何故か瞳は嬉しそうに輝いて見えた。
「話は変わるけど、オレ達の大学、どう思う?」
 僕は自分が感じたことを浩二がどう考えているのか聞きたかった。
 浩二は少し考えてから、
「うん、そうだな。一言で言ったら『刑務所』っていうところかな」
「刑務所?」
「ああ、オレ達の大学が特殊だからよけいとそう思うんだろうけど。大学なんてみんな似たようなもんだろう。自由な学園生活なんてみんな思っているんだろうけど、結局は監理された中での学園生活っていうことだろ?どこかで『自由』っていう言葉を履き違えちまったんだよ、オレ達の世代は……。自分が自由だと錯覚して、知らない間に画一化された世間に都合のいい社会人として大学を放り出されて行くんだ。そんなの本当の自由だと思うか?『刑務所』で囚人が更生して世の中に出ていくのとあんまり変わらないと思うけどな、オレは……。それにあのバラ線、あれ見たら本物の『刑務所』と間違えられても仕方ないんじゃないか。オレさ、バラ線の鉄条網には嫌な想い出があるんだ。小学生の頃、友達と一緒に厚木基地まで飛行機見にサイクリングに行ったんだ。その時、ふざけて鉄条網をガシャガシャって揺らしたんだ。そしたら背中を向けていた黒人のMPがいきなりこっちに向かって銃を構えたんだ。あの時の怖さっていったら、今でもその黒人の顔が目に浮かぶよ。皮肉なもんで今はその近所に住んでいるんだけどな。今はMPはいなくなったけど。考えてみればその当時、ベトナム戦争の真っ直中だったんだよな、アメリカは……」
 浩二が想い出を熱っぽく話すのを聞きながら、僕は彼が環境によって自然にアメリカに接していたことを知った。そして彼の持つ独特の考え方はこの辺から来ているのかも知れないと考えた。
「悪い。質問の答えにならなくなっちゃったな」
 浩二は初めて照れ隠しの笑顔を作って見せた。
「いや、『刑務所』っていう発想はすごいな。オレもあの検問所とバラ線は不快に思ってたんだけどさ。そんなことは思わなかった。今度、浩二の家に行ってもいいかな?厚木基地ってやつ、見てみたいよ」
 僕は浩二の住んでいる環境に自分を放り込んでみたくなった。
「ああ、いつでもいいよ。そんなに面白くないと思うけどね……」
 浩二はその晩、プロ並みの腕でいろいろな曲をギターで聴かせてくれた。そしてその日は僕の部屋に泊まり、翌日僕と一緒に彼が称した大学という名の『刑務所』に出かけた。