柚木城跡
所在 八王子市下柚木町
交通 京王線北野駅よりバス柚木農協前下車
歴史 室町時代後半、山内上杉氏に従い武蔵南部を治めていた大石氏だが、
十三代定久の時に、山内上杉氏が北条氏康に河越夜戦(天文十五年・
1546)にて大敗、その影響力を失うと相模より進出してきた北条氏によ
ってその領地の治権を侵されていく。当時、滝山城主だった定久は自家
を守るためやむなく家督を北条氏康三男氏照に譲り、戸倉城に隠居する。
しかし定久は北条氏に信服したわけではなく、上杉謙信の小田原攻めに
呼応し、現在の青梅市を中心とした西武蔵を治めていた三田氏と連携、
反北条氏として動きを見せる。だが謙信退却とともにその後ろ盾を失い、
戸倉城を召し上げられこの地に蟄居する。
柚木城遠望
柚木城石碑
一言 柚木城跡は天文十六年(1547)に定久が建立した永林寺の裏手にあた
る。また城跡には大石定久の銅像が建つ。(東京国際フォーラムにある太
田道灌像に酷似。尤も当時の武将は皆そんな感じなのかもしれないが...)
三田氏とともに反北条氏の活動をしてきた定久だが、永禄六年三田氏が
最後の詰め城である辛垣城を失い岩槻の太田資正の元に落ち延びると、
それから7ヶ月後の10月7日、定久は猿丸山(野猿峠)にて自刃、その生
涯を終える。柚木城跡は城というより居館跡と言うべきであろう。居館跡の
ため、もしくは後年の破壊を受けているか否かは不明だが、堀・土塁等の
防御設備遺構は特に確認できなかった。
城跡に建つ大石定久像
城跡はこの永林寺の裏手にあたる