戸倉城跡

所在  東京都あきる野市戸倉

交通  JR五日市線武蔵五日市駅よりバス戸倉下車

歴史  戸倉城は十五世紀頃に武州南一揆(秋川谷から南多摩地域にか

     けての農村の武士集団)の一員として秋川谷に君臨した小宮氏が

     築城したとされる。

     その後、永禄年間には小田原北条氏照に家督を譲った大石定久

     の隠居城として使われていたとされる。(異説あり)

     定久は家督を氏照に譲ったのちも、北条氏に信服していた訳ではな

     く、当時北条氏に本拠だった勝沼城(青梅市勝沼)を奪われ、辛垣城

     を居城としていた三田氏に呼応、対北条氏の動きをみせていたが、三

     田氏が辛垣城を奪われると、定久も柚木城(八王子市柚木)に蟄居さ

     せられたという。

     その後、天正十八年(1590)、秀吉軍により八王子城が落とされると、

     戸倉城も時を移さず攻撃を受け落城、廃城となった。

       戸倉城遠望

       山頂にある説明板

一言  城跡は標高434mの城山山頂を中心にして東西の峰に築かれてい

     る。東方の峰に城の中心となる削平地を設け、その下に数段の曲輪

     が確認できる。

     西方の峰は戸倉城の出城に当たる部分で、その下には堀切りや竪堀

     の遺構がある、との事であったが、西方の峰は整備されておらず、残念

     ながら遺構は確認出来なかった。

     麓には足利尊氏が創建したとされる光厳寺が建っている。

     

      東西の峰を結ぶ削平地(虎口付近)

       麓に建つ光厳寺

       東方削平地から武蔵五日市駅を望む

 

     因みにこの山城も急峻な登り坂。でも、山頂からの眺望は素晴らしい。

 

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