土肥城跡(山城を含む)
所在 足柄下郡湯河原町城堀
交通 JR東海道線湯河原駅前
歴史 土肥城跡は平安時代から鎌倉時代初期にかけてこの地を治めた土肥
実平の居館跡とされる。実平は鎌倉坂東八平氏の祖、村岡良文から六
代目の子孫で、真鶴にいた父・中村宗平から土肥郷を与えられて館をこ
こに築いたとされる。
実平は治承四年(1180)、石橋山で挙兵した源頼朝に協力するが武運
つたなく敗れ、房総に逃れる頼朝に従ったという。
その後、鎌倉幕府開幕にあたっては軍監・追捕使・宿老として幕府の重鎮
となるが、その子孫は次第に勢力を失い、安芸国(広島県)に落ちて「小早
川」姓を名乗ることになる。
居館跡に立つ土肥実平夫婦の像
居館跡は湯河原駅付近とされる
一言 城跡は現在のJR湯河原駅前とされる。居館跡は開発により、像・石碑を
残す以外何も残っていない。
なお、湯河原駅から約3kmのところに城跡が残る。(湯河原駅よりバス、
「城入口」下車)この城は土肥館緊急時の「詰め城」とされる。遺構としては
本丸跡(広場となっている)・曲輪・空掘等が確認できる。曲輪・空掘は特に
湯河原駅方面(海側)に顕著に確認できる事から、やはりこの方面からの侵
入を想定していたと考えられる。
山城に残る城跡石碑
山城より湯河原方面を望む
山城の残る空掘跡
バス停「城入口」の付近に建つ標識では『城跡まで900m』とあるが、逆に
城跡から戻る標識を見ると『バス停まで1400m』とある。同じ道なのに...。
でも、歩いた感じでは1400m位はあるように思える。「900mだ」と思って
甘くみないように。私は甘く見て失敗しました。