楯の城城跡
所在 東京都青梅市日向和田1丁目
交通 青梅線宮ノ平駅より徒歩10分
歴史 楯の城城跡は室町時代に西武蔵一帯を治めていた三田氏のが、永
禄5年(1562)前後築城したとされる。築城の背景として、後北条氏が
武蔵に侵入して三田氏の領地を脅かすようになり、三田氏は居城勝沼
城を放棄して辛垣城に篭もることになるが、楯の城城はその辛垣城の
支城(出城)的役割を意図して築かれたとされる。
しかし永禄六年の段階でこの楯の城城も攻略され、三田氏は直接北条
軍に辛垣城の攻撃を受ける事となる。結局その辛垣城も落城し、三田
氏は滅亡する。
その後、北条氏は家臣の田辺氏を置いて対武田の城として存続させた
が、天正十八年(1590)、北条氏滅亡により楯の城城も廃城となった。
楯の城削平地
堀切跡
一言 城跡は宮ノ平駅東側の踏み切り付近にあったとされるが、青梅線・青梅
街道・住宅の建設により破壊されている。ただ、踏みきりを渡ったところに
ある坂を登ると山肌に一部土塁・堀切・空掘が確認出来る。
比高も殆どなく城跡には簡単に行けるが説明板も何もない。
土塁と空掘跡