玉縄城跡
所在 鎌倉市城廻
交通 JR東海道線大船駅よりバス清泉女子学院前下車
歴史 北条早雲が三浦半島制覇の足掛かりとして永正9年(1512)に築いた。
初代城主は北条氏時(氏綱の弟)。上杉謙信が永禄4年(1561)に小田
原城を包囲した後、この城を攻めたが落城することなかった。
天正18年(1590)豊臣秀吉よる「小田原の役」の際、徳川家康配下本多
忠勝軍に攻められ開城。江戸に入部した家康は本多正信、水野忠守をこ
の城に入れたが元和元年(1615)の一国一城令で廃城となった。
清泉女子学院正面
一言 城のあった丘陵一帯は現在、清泉女子学院となっている。遺構として物見
台・空掘・水掘跡が残るという。いくら史跡好きと言えども、デジカメを持って
女子校敷地をウロウロするのはいらない誤解を招くとし、学校正面の写真を
撮るに止まった。よって私が「城跡があった」と確認できるのは、近くの交差
点名が『城廻り』(所在地も同所)、隣の住宅地名が『早雲台』であった、とい
う事ぐらいであった。(女子校の中には玉縄城の模型があると聞きましたが)
謙信も落とせなかった城。ここでも難攻不落。一寸(というよりかなり)残念。
清泉女子学院校舎