滝山城跡

所在  東京都八王子市丹木町

交通  JR八王子駅よりバス滝山城址下下車

歴史  永正18年(1521)に関東管領山内上杉氏の家臣、守護代の大石

      定重が築城し、居城であった高月城より移ったという。

      その理由としては敵対していた小田原北条氏の台頭によりその侵

      攻を防ぐには高月城では手狭だったからという事らしい。但し、天文

      15年(1546)上杉朝定が河越夜戦で北条氏に敗れると、時の城

      主定久もその軍門に降り、北条氏康の三男、氏照を養子に迎え氏

      照は大規模な改修を行なった。

      永禄12年、甲斐の武田信玄による小田原城攻めの際、滝山城も攻

      められ、二の丸まで攻め寄せる程の打撃を受けたがこれを退けた。

      この時、岩殿山城主小山田信茂の軍勢は小仏峠を越えて来襲したが、

      当初、氏照は武田軍の小仏峠越えを想定しておらず、対武田氏に備

      える為に天正12~15年頃、この西方に八王子城を築いて居を移し、

      滝山城は廃城となった。

      本丸跡にある石碑

       千畳敷跡

       本丸跡に建つ霞神社

一言  城跡は滝山街道沿いにある。

      形態は郡郭式丘陵城郭となるが、ここはとにかく凄い!特筆すべきはその

      保存状態の良さであろう。二の丸跡には国民宿舎が建ち、城跡も公園とし

      て整備はされている(春には桜の名所として有名)が、余り整備のされてい

      ない三の丸付近(入口から急坂を登り終えた付近)の空掘と土塁の跡など、

      往時を偲ばせるには充分であろう。また、(賛否は当然あるが)二の丸まで

      車で行ける。

      城跡の北側は多摩川を擁し、また絶壁となっており外敵の侵入を防いでい

      たという。(北側は現在、「滝が原グランド」になっており、私もよく少年野球

      をしたもの。あぁ懐かしい...。)

      城跡FANなら一度は訪れて欲しい、『お勧め』の城跡である。

        竹林と化した土塁と曲輪(暗くてすいません)

       三の丸付近(同上)

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