曽我城跡
所在 小田原市曽我谷津
交通 JR御殿場線曽我駅より徒歩5分
歴史 建久4年(1193)、将軍源頼朝が富士の裾野で巻狩りを行ったとき、曽我
十郎・五郎の兄弟が実父河津祐康の仇である工藤祐経を討った。これは日
本三大仇討ちの一つに数えられている。その兄弟が育ったのがこの曽我城
であったという。
のち、祐康の子孫が代々この地を治め、上杉氏や大森氏に仕えていたとい
うが、永禄ニ年(1559)信正の時に、北条氏に攻められ落城したという。
城跡に建つ城前寺
一言 城跡の大手門にあたる所に曽我氏の菩提寺「城前寺」が建つ。
寺の裏手には兄弟の墓所や兄弟の像があるが、その近辺にある盛土が
曽我城の土塁跡とされる。但し、それ以外は住宅地に変わってその遺構
は確認できなかった。
曽我兄弟の墳墓
曽我兄弟の像