志村城跡

所在  東京都板橋区志村二丁目

交通  都営地下鉄三田線志村三丁目駅より徒歩10分

歴史  正確な築城年間については不明であるが、この地の土豪、志村氏が

     築いたのではないかといわれる。

     その後志村城は、康正二年(1456)に千葉自胤が赤塚城に入城した

     際、一族の千葉隠岐守信胤が入り、赤塚城の支城として機能していた

     とされる。

     大永四年(1524)、志村城は北条氏綱に攻められ落城するが、その

     後もここより西3kmに位置する赤塚城が千葉氏の居城として依然存続

     していた事から、この志村城も何らかの形で存続していたのではないか

     と思われる。

       志村城跡石碑    

       二の丸跡にあたる熊野神社

 

一言  志村城の本丸は現在志村小学校となり、遺構は残っていないが、二の丸

     跡に建つ熊野神社の西側には一部土塁跡・空掘跡が確認できる。但し、

     空掘は土に埋もれ辛うじて判る程度であり、また残る個所も、目の前までマ

     ンションが迫ってきており建設過程で、かなり破壊されたのではないか。

     因みに熊野神社は志村将監が長久三年(1042)に紀州から勧請したとされ、

     千葉自胤が志村城の守護神と定めたという。また、熊野神社社殿自体、古墳

     の上に建てられているという。

       熊野神社社殿横に残る空掘跡

       本丸跡は現在志村小学校に

 

(志村城跡の記述について誤りがありました。城地には現在、熊野神社と志村小学校が建っています。誤述が

ありました事をお詫び申し上げます。また、ご指摘をいただきました叶様、心より感謝申し上げます。2003.8.31)

 

 

      東京のページに戻る