世田谷城跡
所在 東京都世田谷区豪徳寺2丁目
交通 東急世田谷線宮の坂駅より徒歩10分
歴史 世田谷城は源義家の流れをくむ吉良治郎大輔治家が、室町時代
初期に鎌倉府の支えとして築いたとされる。吉良氏はこれ以降、8代
240年に渡りこの地方を治めることになるが、鎌倉公方足利持氏の
時代には鎌倉府において鎌倉公方・関東管領に次ぐ第三の地位を得
るなどその栄華を極める。
その後、後北条氏の武蔵侵攻等により徐々に衰退していくが、8代氏
朝は北条氏の女を室として迎え、家名の存続を計った。しかし、天正
十八年(1590)の秀吉による小田原攻めの折、この世田谷城も攻略
され吉良氏は逃亡することになる。その後、廃城。
世田谷城址公園
世田谷城跡石碑
一言 現在、世田谷城は世田谷城址公園として整備されている。城域は、ここよ
り北側に位置する豪徳寺を含む広大なものであったが、周囲は住宅地とし
て開発され、遺構はこの公園の一角を残すのみである。因みに豪徳寺は
世田谷城主吉良政忠が文明十二年(1480)に亡くなった伯母の菩提のた
めに建立したと伝える弘徳院を前身とする。
公園内の遺構は、堀切を利用して造ったと考えられる道等が残るが、あまり
にも整備されすぎてなんとなく無機質な感が残った。
整備されすぎた公園内
城址公園北に位置する豪徳寺