大庭城跡
所在 藤沢市大庭
交通 JR東海道線藤沢駅よりバス舟地蔵下車
歴史 平安時代の末、桓武平氏の流れをくむ鎌倉権五郎景政の子孫が後に
大庭姓を名乗り、大庭三郎景親が築城したされる。しかし大庭氏は源頼
朝の挙兵に敵対して滅亡。室町時代中期には扇谷上杉氏の家臣、太田
道灌によって本格的な拡張が行われたと伝えられる。
戦国時代になって上杉朝良が城主となったが、永正9年(1512)の夏、
北条早雲に攻められて落城。その時、一人の老婆が天然の堀となってい
る沼の水の抜き方と告げた為に落城したという。その為に殺された老婆を
供養する「舟地蔵」が城の南にある。その後、北条氏の属城となっていた
が天正18年(1590)小田原の役にて落城、廃城となった。
大庭城址石碑
空掘跡
土塁跡
一言 城跡は現在、「大庭城址公園」として整備されている。公園自体かなりの
規模で広大な城であったことが想像できる。大庭城の現在残っている遺構
は、後北条氏によるものといわれている。
説明板によると、台地上公園を東西に横断する3本の空掘によっての4つ
の郭に分れていたという。整備されている所以外ロープが張られ、立ち入れ
ない(事になっている?)が、土塁・空掘が容易に確認ができることができる。
公園の敷地外では、かなりよく遺構が残っている事を考えると、公園整備に
ともない遺構がかなり破壊されたのではないか。残念。
城の南側には旧城石碑・掘立柱建物址がある。
公園として整備されている
大庭城遠望